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2012年 01月 29日
先の小ブログで野口みずき選手のことを書いた。ところが、その3日後に左太もも裏の炎症で大阪国際女子マラソン大会を欠場するとの発表を聞いた。ボルダーでの合宿がうまくいき、今度こそと期待していた矢先だけに、残念である。
「全治1週間から10日程度の炎症と診断された」と報ぜられていた(1月26日「毎日」)。廣瀬永和監督によると「大阪に無理して出るよりも、(名古屋に出る方が)納得するレースができると判断した」ともあった。 このニュースを聞いて、北京五輪直前のスイス・サンモリッツ合宿中に故障し、緊急帰国した時のことを思い出した。このときは、左太もも肉離れが判明したものだった。その後、左足付け根を故障したり左足首を疲労骨折するなど、長いブランクとなった。 左足に負担がかかりやすい体質は、常にけがのリスクを背負っている。これを克服しない限り、五輪への出場は望めない。 ただし、4年前に故障した時と今回とでは故障後の対処方法が大きく異なっている。前回は、帰国後もあきらめきれずに無理して練習を継続していたようだった。今回は決断が早かった。3月11日の名古屋ウィメンズマラソンに向けて仕切りなおすことにしたのだ。あと6週間とちょっとある。ぎりぎり間に合うと判断したのだろう。ぎりぎりまで走り続けてその後の回復を遅らせた、という過去の失敗経験が生かされている。1つの失敗が、より大きな失敗の発生を回避できたとしたら、大成功である。 廣瀬監督とのタッグでこれまでの数々の故障の原因をきちんと解明し、同じ原因で起こる次の失敗の未然防止につながれば、メダルに勝るとも劣らない価値ある勝利だと考える。故障で選考レースを回避して、次のレースで成功したケースは少ない。が、まだあきらめるのは早い。雨降って地固まる、だ。可能な限りの選択肢から、最適の解を見出してほしい。 2012年 01月 22日
「やっぱり走るのは楽しい。練習はきついけども、走れないで悶々としていた時のことを思うと、すごく幸せです」
昨年12月に米コロラド州ボルダーで高地合宿中の、野口みずきのインタビューだ。3年ぶりに40キロを走った、もとあった。「いま、そのスタートラインに立てた。そう思うだけでワクワクしています」(雑誌「新潮45」2月号の「ロンドンで走るために」で)。 厳しい練習に耐えることができて、けがには無縁のものと自負していたときには、何をやってもうまくいく時期がある。いろいろな人がかかわり、支えてくれる人がいることは、背中を押してもらうようで心強いものだ。ところが、故障が続き、期待に応えられない事態に遭遇すると、まわりからの応援は大きなプレッシャーに変わる。「引退も考えた」という野口の苦悩の日々が続いた。 左太腿の肉離れの回復と落ちた筋肉の強化に、3年半をかけた。野口の持ち味は、日本人ランナーには見られない、バネを使ったストライド走法だ。これには、強い筋力が求められる。補強運動とリハビリトレーニングでどこまで上げることができたか。 3年半のブランクを乗り越えて、1月29日に行われる大阪国際女子マラソンで、五輪代表をかけたレースに挑む。トレーニングの成果を信じて、思い切りのいいレースを展開してほしい。できたら、少しだけ楽しむ余裕を持てたらとも思う。 「私はレースも練習も大事だと思いますが、そこへ行き着くまで一生懸命に頑張っている自分がすごく好きなんです」。きっと、うまくいく。そう思った。 2012年 01月 17日
![]() ![]() ![]() 2つ目は、前回に引き続き、選手の若返りを図ることができたことである。これまではオールWGMの布陣で臨んできたが、今年はWGM以外から選手を迎えた。これからも、積極的に外部から選手を招いて、選手のモチベーションを上げることに努めていきたい。 最後に、今年も多数の役員による支援をいただいた。選手1名に対して平均2.8名の役員があたるという厚い支援体制は、どこの陸協チームにもないと自負している。この場を借りて、お礼を申し上げます。 今年は何とか10位がすぐ見えるところで競うことができた。来年は80回大会で、坂戸陸協も10回目の出場となり、節目の年となる。何としてでも、2度目の入賞を目指して、もう一つ上を行きたいと考えている。 (写真上)開会式での選手宣誓 (写真中)1区のスタートから150メートル地点 (写真下)一般男子2区の先頭グループ(新電元工業とボッシュ) 2012年 01月 08日
![]() 関心の高さは視聴率という数字にも表れていた。日本テレビによると、往路と復路の平均視聴率は28・2%で歴代4位を記録したそうである。同じく12月に行われたフィギュアスケート全日本選手権の女子フリーが、浅田真央など上位陣が登場する放送後半の20時~21時で平均視聴率が26・7%(ビデオリサーチ調べ)だったことと比べてもその高さのほどがわかる。 東洋大は持てる力を十二分に発揮できたのに対し、3強あるいは1強ブラス3強と言われていた他校は普段の実力を出すことができずに、3区以降勝負に加わることができなかった。2位に9分2秒という大差は、120パーセント位の力を発揮した東洋大と80パーセント程度の力しか出せなかったチームとの違いである。 今年の結果を見て思ったのは、戦前に公表されたエントリー選手たちの5000mや10000m、あるいはハーフマラソンのベストタイムから予想することは難しいということだった。ベストタイムの数字が本番の結果を保証するものではないことは百も承知であるが、持ちタイムと結果とのギャップが大きく異なるケースが目立った。一つには、レース前の調整不足や故障などで体調を崩す選手が多かったことがあげられる。10000mのロンドン五輪の標準Aをクリアした鎧坂(明大)をはじめ、2区を走った村澤(東海大)、平賀(早大)などは本来であればもっと先を行けるはずの選手たちである。 もう一つは、戦前のベストタイムが必ずしも本人の今シーズンのベストパフォーマンスを表しているとは言い難い点があることだ。インカレなどの競技会は対抗戦という意味から勝負に徹して臨むことが多いので、そこであげたタイムは必ずしも本人の走力を示しているとは限らない。また、記録会でのタイムはある程度勝負を度外視して記録作りに専念した結果なので、どこまで競り合いに強いかという点が未知数である。ハーフマラソンの記録は箱根の各区間の距離に近く相関が高そうだが、これもコースや天候、競合の相手などが異なるので、横一線で比較することが難しい。 最も確度の高い選手の実力を知っているのは、日頃の練習の内容や選手の体調、性格などをよく把握している現場の監督やコーチだろう。こういった諸々の情報を持っている指導者たちは、詳細な情報をけして周囲に明かすことはない。本練習のメニューすらめったに公開しないことが多いと聞く。それでも自分のチームについて、今回の展開を読めなかった監督は多かったのではないだろうか。駒大や早大が、東洋大にこれだけの大差をつけられるとは思ってもみなかったと思う。もしかすると、東洋大の酒井監督も4区から5区間連続で区間賞を獲得して大量リードを奪うとまでは想像していなかったかもしれない。 それだからこそ、過去の戦績と睨めっこをしながら予想し、応援する面白さがある。来年は東洋大、駒大、早大とも、今年走った選手が相当数残る。また、今年活躍した明大と青学大は来年はきっと優勝争いに絡んでくると思う。ますます、箱根駅伝から目が離せない。 (写真)2009年の2区 2012年 01月 02日
![]() 日の出とともに気温が上昇し始めるわけではないのだが、太陽の光を受けるということは気分的に暖かくなれる。最低気温と日の出との関係も、日照時間と日の出時刻との関係と似ていて、多少のずれがある。1日の最低気温が出るのは、日の出時刻よりも日の出直後に多いという。それでも私が日の出前に走り始めるのは、「いま」ではなく「将来」に向かって暖かくなることへの期待感があるからではないかと思う。 早朝に走る理由は、もう一つある。冬は、日中よりも明け方の方が風が弱い傾向にある。風は体感温度を下げると同時に、私のような軽量級の身にとっては風圧という抵抗を大きく感じることから、大の苦手である。さらに、乾燥肌ということもあって、冷たく乾いた風は大敵なのである。 この冬に自らに課したテーマは、ややストイックではあるが「寒いからといって練習を休む言い訳にしない」である。たとえ練習を休んだとしても、家族や友人が文句を言うわけではない。誰にも迷惑がかからない。それだけに、走ることを忘れ去るのはそう難しいことではない。だから、それは言わないことにしよう、と。そういえば、ランニングを始めたばかりの青梅マラソンで、一度歩き始めると、走り出すためには走り続けること以上のエネルギーを必要とする。ふと、そんな体験を思い出した。 暖かくなるまでは、がまん、がまん。 最後になりましたが、新しい年がすばらしいものでありますように。辰の年の皆さまのご多幸をお祈りして、新年のご挨拶とさせていただきます。 (写真)20個ほど実ったわが家の夏みかん。 2011年 12月 25日
「走る」という点では共通するものの、専門領域が異なる二人の話を聞く機会があった。テーマは「各競技スポーツにおけるトレーニングを考える~瞬発系と持久性競技の違い~」(注)。二人とは、パネリストの中村宏之氏(北海道ハイテクアスリートクラブ)と酒井俊幸氏(東洋大学陸上部監督)で、司会進行は小河繁彦氏(東洋大学理工学部正体医工学科教授)が務めた。
ディスカッションに先立って三氏の講演があり、始めに問題提起として小河氏から「トレーニング科学の現状」について、パフォーマンス向上の意味、エリートスポーツマンの体はどうなっているのか、限界を押し上げることと疲労との関係などについての概論説明があった。心拍数を上げてパフォーマンスをテストする方法など、デンマークで開発された事例にも言及があった。 続いて中村氏は、「夢に向って」と題して講演。現在、福島千里さんらの第一線の女子短距離選手を指導しているが、これまでの常識を変える練習方法に話題が集中した。スイングを大事にし、選手のフォームは直さない。メニューをあらかじめ決めない。これがあると、練習には終がないこと、そして自分で考えることを選手が学ばない。ストップウォッチを持たないで、選手の動きを見て判断する。数字に惑わされてはいけない。 日本の指導者は、中村氏の考え方とは反対のことを教えているという。練習にバスケットやバトミントンを取り入れるなどして、もっと楽しい練習にするべきだ。そうすることによって、肉体や心が喜び、疲れない。 いま、中村氏はフレキシブルハードルに取り組んでいる。低いハードルを短い間隔に並べて、速く駆け抜ける練習だ。狭いところを速く走ることによって、速筋繊維を鍛えることができるからだそうだ。筋肉も遊ばせて、解放してあげることが必要だと、熱く中村理論を語っていた。 一方、酒井氏は箱根駅伝へ向けて大詰めの段階で、本番でいかにパフォーマンスを発揮するかについて自論を展開した。 ディスカッションでは表題のとおり、短距離と長距離の違いと共通点はどんなところにあるのか、という点に議論が集中した。私が注目したのは、パフォーマンスの優先順位についての質問への答。酒井氏は、コンディショニングを第一に挙げた。「人や年次(学年)によって違うが、休みと追い込みとの組み合わせ、選択が大事」。それに対して中村氏は、「練習の中でいかにスピードやエネルギーを貯めるかだ。蓄電がしっかりできていれば、たくさん練習をしなくても(本番で)力を出せる」。「週に3日は走らせない」とも。 どちらかというと、短距離と長距離の練習に対する方法論の違いというか発想の違いが際立った。確かに同じ「走る」競技とはいえ、野球とサッカーほどの違いがあって、この差は大きいという印象をもった。しかし、故障した時のモチベーションをどう維持するかという質問に対しては、短距離と長距離共通の視点が見えたような気がする。中村氏いわく、「弱いところが故障につながるので、弱い部分を強化して、バランスをとる練習をする。水中ランニングもいい。それは心と筋肉に優しく、心臓にはきついから」。これらは、いまや長距離選手の常識になっている。 とてもユニークな企画だったと思う。興味深く、そして話題の尽きないテーマであるだけに、全体で1時間半という時間は余りにも短い。できるなら、機会を改めて再企画を組んでいただけるとありがたい。 (注)12月15日に行われた第6回東洋大学鶴ヶ島市連携スポーツ講演会 2011年 12月 18日
第2回目の小江戸川越マラソン(11月27日開催)は、昨年に続いて出発係を務めさせていただいた。私が担当したのは10キロとFun Run(5キロ)であったが、その範囲で言わせてもらうと「2回目としては合格点」というのが私の感想である。
前回の運営に比べると今回は大幅に改善された。今後、回を重ねるごとにブラッシュアップされていくことと思う。いろいろな問題を抱えながらの開催ではあったが、一発で何もかもクリアするのは無理で、少しずつ改善されていけばいいと考える。今後は、その分だけ大会役員の運営に余力が生まれることにもなろう。そこで提案である。 提案その1 10キロ終了後にハーフをスタートさせる 10キロとハーフマラソンを25分差でスタートさせるのは無理があり、運営の改善が進んだとしても今後もこの点についてはアキレス鍵になるだろう。何とか警察関係者の更なる協力を仰ぎ、10キロ終了後にハーフをスタートさせる方式に変えていただきたい。 Fun Runは今後とも継続させてほしいが、10キロスタート後に出発することは、上記を実行する上でネックとなる。Fun Runは 10キロの後方について同時スタートさせてはどうか。ゴール地点が市役所なので、Fun Runの後方が大きく遅れても10キロの進行には支障ないだろう。 その上で、12時過ぎに交通規制を解除するまでの時間的余裕を作るために、①10キロのスタート時間を早め、ハーフのスタート時間は若干遅らせる。結果的にハーフは制限時間が短くなるが、やむを得ないだろう。または、②10キロのスタート時間を早めるとともに、ハーフの12時規制解除を少し遅らせる。このやり方では、結果として競技時間が大幅に長くなる。できれば、運営能力を高めることで①にしたいところだ。 提案その2 10キロは正確に「10キロ」で 今回の大きな懸案事項であった10キロの距離が少しオーバーしてしまった件であるが、スタート位置を前へ持っていくなどして、ぴったり10キロにしてほしい。10キロとハーフのスタートに時間的余裕が生まれることで、スタート位置がずれることの混乱を回避できるのではないか。10キロの距離に合わせることはランニング大会の常識である。ぜひ、大会本部には再考していただきたい。 提案その3 参加者数を増やす検討も 10キロとハーフのスタートに時間的余裕が生まれることで、もう一つの可能性にもチャレンジできるかもしれない。それは、今後応募者数が増えたときに、10キロ及びハーフとももう少し参加者数を増加させることである。10キロとハーフを時間差でスタートさせる方法は多くの大会で実施されている。それは、大会が小規模だったり、10キロとハーフの選手のゴールが一部重なることを覚悟の上で進めるのならば問題はない。しかし、本大会の規模となれば検討されてもよいのではないか。ハーフの制限時間を短縮しつつ参加者数を増やすのは矛盾するようだが、それでも応募者が増えてくれるのであれば、という前提つきである。 提案その4 なぜ規模の拡大を目指すのか 運営に余力が生じた分を、無理してまでなぜ大会規模の拡大に向けようとするのか。それは、将来埼玉県を代表するフルマラソン大会として川越市で開催するきっかけにできたら素晴らしいことだ、という個人的な希望からである。その時には、川越市単独ではなく、近隣自治体との共催ということになろう。ちなみに、首都圏の中心地である埼玉県には、今フルマラソン大会がない。 この問題でご意見がありましたら、森脇までメールをお寄せください。お待ちしております。 メール: LF8Y-MRWK@asahi-net.or.jp 2011年 12月 11日
『若い読者のための短編小説案内』(村上春樹著)を読んでいたら、次のようなくだりがあった。
「作家は短編小説を書くときには、失敗を恐れてはならないということです。たとえ失敗をしても、その結果作品の完成度がそれほど高くなくなったとしても、それが前向きの失敗であれば、その失敗はおそらく先につながっていきます。次に高い波がやって来たときに、そのてっぺんにうまく乗ることができるように助けてくれるかもしれない。そんなことは長編小説ではなかなかできません」 「僕は短編小説を書くときには、まとめて作品を書くようにしています。それもたくさん書けば書くほどいい。・・・ある程度数を作ることによって、自分の中に波のリズムを意識的に作り出していく」 「短編小説は、長編小説をかくためのスプリングボードのような役割も果たしています」 村上は短編小説を実験の場として使い、長編小説の始動モーターとしての役目を期待しているようだ。 「書く」ことを「走る」ことに見立てて、「短編小説」を「10キロ走」に、「長編小説」を「マラソン」に置き換えてみるとどうなるか。すんなり当てはまりそうな気がする。10キロ走は、失敗してもいいからマラソンにつながる失敗を、と言っているようにも聞こえてくる。 前回の小ブログに、走ることについての私のトラウマは「今年もマラソの30キロ以降に失速するのではないかという恐怖だ」と書いた。残念ながら、今年のマラソン挑戦はそれを克服するどころか、些細な故障から不戦敗となってしまった。 実は、走ることについて私にはもう一つのトラウマがあった。それは、5キロや10キロといった比較的短めの長距離レースを避ける傾向があることだ。特に最近になるにしたがって顕著である。これらの距離に対するコンプレックスというか、苦手意識なのだろう。 そうだ、、失敗を恐れずに10キロレースに積極的に出て、マラソンを走るリズムを意識的に作り出していくことも大事なんだよ、とこの本から教えられた気がする。同書でこうも書いている。 「もっともいけないのは、作者が「ひとつ巧い短編小説でもかいてよろう」と、頭の中でまず物語を拵(こしら)えてしまうことです」 10キロ走でいいレースをしようと力んでしまうことは、マラソンにつながらない。「もっと気楽に頑張れ!」のエールと、と理解した。 2011年 12月 04日
野球には様々な価値基準や指標がある。これらの重要性を数値から客観的に分析し、采配に統計学的根拠を与えようとする考え方がセイバーメトリクスと呼ばれるものだ。選手評価と戦略についての「科学」といえるだろう。
メジャーリーグ選手からアスレチックスのフロントに転身したゼネラルマネージャー(GM)が、弱小球団を強くするために採用したマネジメントがこれだった。現在公開されている映画「マネーボール」に出てくる。GMとは、ブラッド・ピットが扮するビリー・ビーンのことである。データ分析が得意な野球オタクのピーター・ブランド(ジョナ・ヒル)との出会いがきっかけで、二人三脚で取り組むことになる。少ないコストでいかに強いチームを作るかに腐心するのだが、これまでの野球の常識を覆すことから、周囲からの反発を招く。監督、選手、スカウト、オーナー等々。 その考え方はなかなか周囲に浸透せず、結果がでない。モノを投げつけたり壊したり、シーズン中に選手をトレードに出すなどの荒療治もする。そのうち成果が現れ、破竹のリーグ新記録の20連勝を達成。その年はプレーオフに進出するまでに成長する。しかし、そこまでだった。 映画は、そこからがうまい。数字と心とのバランスが妙である。統計的に算出された数値に走ることなく、感情によりかかることもなく、きちんとストーリーがまとめられている。 ピーターがビリーに見せたビデオの1シーンが効いている。2塁で刺されることに恐怖心を抱いているチームの選手がヒットを打った。一塁を回りかけたところで転倒し、慌てて戻り一塁へ滑り込む。ところが、打球は外野スタンドに入っていた。 ビリーの方針は間違っていなかったのだ。ただ、負け続けてきた者のトラウマに迷わされただけ。そう言いたかったのだろう。その後、他球団はこぞってセイバーメトリクスを導入し、勝利に導いたチームもある。日本にも、積極的に取り入れた監督が現れ、今や常識になっている。 実は、私も走ることにおいてトラウマに悩まされてきた。それは、今年もマラソの30キロ以降に失速するのではないかという恐怖だ。一塁ベースへ回りかけて転倒したくだんの打者みたいにならないよう走り込んできたつもりだが、その成否はレース直前の故障で来年に持ち越しとなってしまった。転がり込むような形で、また新しい目標ができた。 2011年 11月 27日
![]() 陶芸というのは、究極的には土と火がすべてだそうだ。どんなに心を込めて粘土をこねても、どんなに心を込めて絵付けをしても、火の力に委ねた時点で、作家の努力は終わりである。あるところまで力を尽くしたら、祈りを込めて火の力に全てを託すしかない。姜尚中さんの書いた『あなたは誰?私はここにいる』(集英社新書)に教わった。 「陶芸はアートの世界では長く、「第二芸術」的に、絵画や彫刻より一段低く位置づけられてきた」が、その理由の一つがここにある、と書いている。「一段低い」かどうかはともかくとして、版画や民芸品のようなものと考えればいいのではないだろうか。鑑賞のための芸術と実用のための調度品などとの中間に位置するからだ。 そこで版画。版画の一種で、水と油の反発を利用して(または他の方法で)平らな版で刷るリトグラフというのがある。先ごろ、ジョアン・ミロの版画を見るる機会があったので、このことについて書いてみたい。ミロはスペイン出身のピカソ、ダリと並び称される20世紀を代表する芸術家の一人だ。絵画や版画、陶芸など幅広いジャンルで活躍した。また、多くの版画、特にリトグラフを作出している。 リトグラフは、他の版画に比べて複雑で多くの時間を必要とする。したがって、作家の技量だけでなく使用する道具や画材の性質に制約される部分が大きいと聞く。初めて出会うミロの世界に心がときめいた。 今回は版画に焦点を当てて、初期から晩年までの145点が展示された。初期のの作品は童心を誘う絵のような面白さがあり、夢想的な雰囲気を多分に持っている。晩年になるにしたがって、重厚さを帯びたり、黒を中心とした日本画的な構成や太陽などを単純化し原色を強く押し出したものなど、多彩な作品群に圧倒された。 「独り語る」と題した6点のリトグラフがあった。太い線で描かれた記号や文字が踊っている。詩らしきものも挿入されていて、詩人とのコラボレーションでできた作品だそうである。「私は庭師のように働く」は、子供がクレパスで書きなぐったような単純なものだが、見ようによっては複雑怪奇な曲線がどこまでも続くようで、不思議な版画だ。 これらの抽象画を解釈しようとするとなにやら難しくなるが、私はネクタイを選ぶ感覚でつきあうことにしている。そうすれば、肩がこることなく、すうっと自分の中に入ってくる。版画は民芸品なのだから。陶芸が火の力に委ねるように、一度で色付けした画材の力に委ねるしかないところも面白い。 川越市立美術館で開催されている特別展「スペインの巨匠 ミロ 色踊る版画」は、12月11日(日)まで。 (写真)特別展「スペインの巨匠 ミロ 色踊る版画」のポスター 2011年 11月 20日
ヤマ場は40キロ過ぎにやってきた。尾崎好美(第一生命)がスパートをかけ、木崎良子(ダイハツ)との差がみるみるうちに開いた。約4秒の差がついたところで、勝負はあったかに見えた。ところが、それ以上は開かない。そして、徐々に二人の差が詰まった。41キロを過ぎたところで、木崎が追いつき、逆転。今日行われた横浜国際女子マラソンだ。
尾崎は今年2月の同大会で、39キロすぎにスパートして2位の中里麗美(ダイハツ)らを抑え、世界選手権の切符を手にした。また、木崎に対しても昨年の世界ハーフマラソン選手権で、1秒差で制している。そういった過去の実績から、終盤の勝負には相当の自信を持って臨んだと思う。 レース後の木崎のインタビューをテレビ中継で聞いた。「心が折れかけたけど、逆にラスト100メートルまであきらめないで走ろうと切り替えた」。最後まで、あきらめずにアグレシブな気持ち続けた。勝利の女神が微笑んだ理由は、そこにある。 話題はいきなり変わる(いつもの癖だが)。 3日後の11月23日に開かれる太田原マラソン。昨年に続いてエントリーしていて、春以降この日のために走り込んできた。何か足りないものがあるという気持ち(多分、それはスピード感の欠如)を抱きながらも、ここ10年間で最も多い練習量を積むことができた。ところが、11月に入って最後の40キロ走を行なったときに、19キロで中断することに。患っていた左足の外反母趾の部分にタコができ、そこがひび割れていたのである。痛みのために、それ以上距離を踏むことができなくなった。 気温が下がり、空気が乾燥してくると、足裏のあちこちがひび割れしてくる。今回は、タコの硬い部分が割れてなかなか回復しなかった。1週間にわたってまったく走れない状況が続いたため、思い切って出場を取りやめることにした。できるだけ粘って、昨年の30キロ以降の失速を少しでも取り返したいと取り組んでいた矢先だったので、残念な気持ちでいっぱいだ。 現在は、15キロくらいのジョグをできるまでに回復している。ただし、練習量や気温、湿度などとのバランスで、いつひび割れするかわからない。患部周辺に保湿剤をしっかり塗って、様子を見ながら練習を進めていく必要があるだろう。走り込んだ感覚を体が忘れないうちに、次の目標を決めることも急ぎたい。それがないと、練習が楽しくないからだ。 今日の横浜国際女子では、尾崎は貧血を抱えながらの出場だったと聞く。足の皮に傷を負ったくらいでレースを断念したわが身に比べ、トップアスリートのミッションはかくも厳しいものかと思い知らされた。 2011年 11月 13日
モーツァルトの若き日の作品にディヴェルティメントがある。2回目のイタリア旅行から帰ってきたときに作られたもので、イタリアらしく明るいのびやかな旋律だ。16歳の時のものだ。 ディヴェルティメントは、18世紀中頃に作られるようになった器楽組曲である。日本語では嬉遊曲(喜遊曲、きゆうきょく)などと訳される。貴族たちが祝いごとがあったときに、食事の際などに演奏された音楽のことをいうのだそうだ。 この中で、私が特に気に入っているのはニ長調K136の第1楽章と第3楽章だ。中でも第1楽章は、とても典雅な明るさに満ちた楽曲だ。そして、第3楽章では、その旋律を引き継ぐかのように、そして弾むように小刻みに展開されていく。これを聞きながら食事や歓談をすれば、思わず話も弾む。そんな気にさせる名曲である。 今までアムステルダム・バロック交響楽団の演奏するCDで慣れ親しんできたが、最近地元の図書館からイムジチ合奏団のCDを借りて聞いてみた。前者に比べるとだいぶテンポがゆったりしている。聞き覚えのある演奏だ。記憶を手繰り寄せてつながったのは、かつてのマラソンの日本記録保持者中山竹通氏だった。 ディヴェルティメントがどうして中山選手なのか。日本のトップランナーだった80年代後半は、彼が走るときは所属先のダイエーがテレビ中継のメインスポンサーを務めることが多かった。そのころの中山選手には勢いがあったが、ダイエーにも勢いがあった。ダイエーは当時の流通業界で売上ナンバーワンを誇り、コマーシャルで関連会社を紹介するテロップが流れると、画面の上から下へスクロールされるのに何10秒か続く。傘下の企業数がいかに多いかを知らされる。 その時バックグラウンドで流れた音楽がディヴェルティメントニ長調K136だった。第1主題の演奏にかかる時間はおよそ1分。その間途切れることなくグループ企業名が流れ続ける。ちょうど、映画が終了するときにキャストの一覧が表示されるあの感じである。 イムジチのCDを繰り返し聞いているうち、あのとき流れたのはイムジチの演奏したものではなかったかと思うようになった。 2011年 11月 06日
青梅マラソンでは、大会が近づくと青梅街道がランナーで賑わう。私の住んでいる川越市でも、第2回小江戸川越マラソン(11月27日開催)が近づいたことを告げるかのように、最近市街地を走るランナーがめっきり増えた。
試走を兼ねて、コースを確認するためにわざわざ遠隔地から訪れる人も多いと聞く。中には、本番のようなスピードで駆け抜ける人もいる。夜走るランナーもよく見かける。いずれにせよ、蔵造りの町並みを見ながらランニングを楽しむ人が増えたことはうれしいことだ。 ただし、川越の旧市内は道幅が狭いので、交通量の多い日中は特に気をつけていただきたい。また、夜であっても歩道のない道路が多いことから、車には細心の注意が必要である。 安全を重視する立場から試走について気をつけたいことを挙げると、次のようになる。 ●本番前の試走は、歩行を交えてできる限りゆっくり走る。例えば、舗道はゆっくりジョグで、車道では走らずに歩行を中心にする ●夜は、暗いコースは避け、明るい道路を選んで走る ●ランナーは左側通行が原則だが、ゆっくり走るのであれば歩行者と同じ右側通行の方が安全である。というのは、左側通行だと後方から来る車の運転者の不注意で引っ掛けられる危険がある。右側だと、前方から来る車に接触しそうになったとしてもとっさに身を避けることができる。 ●練習は試走と切り離して設定し、できるだけ車の少ないロードを選んで走る ●試走とはコースの確認であって、練習ではない。風向きやポイントとなる建物、起伏の状況、路面の凹凸(整備の状況)などを確認することが主な目的である。 ●夜は見通しの悪いロードを避けて、公園や運動場などの車の心配のない明るいコースにする ●沿道から多くの応援をもらえそうな地点はどこかを意識して街を眺めよう ●自転車にも気をつける必要がある。また、歩行者から見ればランナーは凶器にもなる。くれぐれも歩行者の迷惑にならないように。 コースを熟知しているにこしたことはないが、あまり本番コースにこだわる必要はない。というのは、日ごろから走っているマイコースでしっかり練習を積むことが、本番コースでの快走につながると考えるからだ。 2011年 10月 30日
「第九の夕べin喜多院」の後日譚になるが、一昨日の夜、「第九を歌おう会」の懇親会に参加させていただいた。約50名の会員をはじめ、主だった役員などが参加した。85名いる会員の多くは川越市内に在住しているが、なかには越生町から駆けつけた方もおられた。普段の練習会ではなかなか膝を割って話す機会のなかった会員同士、意気投合して2時間の歓談を楽しんだ。
指揮をされた宮寺勇さんの話によると、10月10日の本番では約270名が合唱に参加したが、常時練習会に来て研鑽に励むのはそれほど多くはないそうだ。市外や県外からの参加者はやむを得ないとしても、日頃の練習があっての本番で、練習すること自体が大切であるという趣旨の話をされていた。プロ歌手ではなくても、しっかり練習してこそ楽しめるのが合唱、と理解した。 このことはマラソン練習にもまったく同じことが言える。レースの結果いかんに関わらず、しっかり練習を積めた時とそうでない時とでは満足度が違う。この場合の「しっかり」とは必ずしも練習量の多いことや質の高いことを意味しない。与えられた環境の中で最後まであきらめなかったかどうか、ということが大切である。レース後を振り返ってみて、どうしても「if」という言葉が口をついて出てしまうのは大概後者、すなわちあきらめてしまったケースだ。 宮寺さんは、第九をドイツ語で歌おうとして無理をしていないか、形だけの合唱になっていないかと厳しい。ベートーベンが作曲したドイツの背景も考えて歌って欲しいとも。アマチュアに対する温かい激励のメッセージと受け止めたい。 なお、当日の演奏会の様子は、N氏が収録した映像(DVD)で紹介された。私事で恐縮だが、その中には自分の撮影した写真の何コマかが含まれている。今年は光量の目算を誤り、胸を張れる作品ではないが、利用していただけたことに感謝している。そして、自分の写真に思わず「if」という言葉が出てしまったことにも反省を。 DVDの希望者には「第九を歌おう会」事務局で頒布している。 2011年 10月 23日
2年振りに合宿地をニューサンピア埼玉おごせ(埼玉県入間郡越生町)周辺に移して行われた。練習の中心は、起伏に富んだロードを使っての持久走である。前夜からの強い雨の影響が心配されたが、幸いにも練習時にはほとんど降られることはなかった。暑くもなく寒くもなく、大変いいコンディションの下で走ることができた。
今回の標準的なメニュは以下のとおりである。 <1日目> ■ AM ジョグ 約9キロ(比較的平坦なコースを使用) ■ PM 持久走 15~30キロ <2日目> ■ AM ジョグ&持久走 15~31キロ ![]() なお、私は都合により1日目はPM途中かのら参加となってしまい、個人練習(135分のLSD)とした。2日目は、約31キロの持久走を行った。2日間で走った距離は50キロ位だろうか。自分としてはやや物足りない練習量ではあったが、2日目はしっかり走ることができたので、質的な満足度はB+というところだ。 ![]() やや物足りなかったのは、自分の練習量だけではない。秋の合宿は夏に比べて参加者数がやや少ないことだ。幹事をはじめとする役員の方々の尽力により、最終的には何とか前年並みの参加者数が得られて、ほっとしている。 ただし、参加者のモチベーションは確実に上がっている。夕食時の懇親会で語られたのは、今シーズンのマラソン参加への抱負だった。マラソンに対する熱意は十人十色で、様々な目標の持ちかたがあることを知ることができた。 昨今は、トレイルランやウルトラマラソン、アドベンチャーマラソンなど42.195キロを超える超長距離レースの人気が高まっている。何日もかけて走破するツアーマラソンというのもある。確かにこれらの競技には、競争することを超えて取り組むこと自体に喜びを感じる何かがある。過酷な環境下でのレースだからこそ、ということかもしれない。 ![]() しかし、マラソンにも30キロからの深くて長い河、いや壁がある。これを乗り越える戦いは、超長距離レースに勝るとも劣らない多くの魅力が詰まっている。ぜひ、来年はさらに多くの会員の参加で、マラソン談義に花を咲かせることができたらと期待している。 (写真上)夕食の最初の料理 (写真中)宿舎のロビーから望む中庭 (写真下)朝食の後に食べたデザート
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