第51回黒山・鎌北湖駅伝

黒山・鎌北湖駅伝を走ってきた。

私が所属する若葉グリーンメイトからは、一般男子4チーム、同女子1チームの計5チームが出場した。役員を含めて、総計で34名となった。

全体では、昨年より14チーム上回る74チーム(棄権を除く)が参加した。ナンバーカードは、越生梅林にちなんだ梅のデザインが施され、素晴らしい仕上がりとなっている。また、プログラムがカラー版に様変わりした。この大会は、参加チーム数や競技面での水準がほどほどで、市民ランナーには走りやすいと好評の駅伝である。1団体あたりの参加チーム数や選手の記録等に制約が少ない点から、参加しやすい大会なのだろう。

さて、若葉グリーンメイトの活躍ぶりについて。私見ではあるが、評価したいポイントは3つある。まず、女子の部で3年連続の準優勝に輝いたことだ。3年前から女子の単独チームを出してきたが、補欠選手を含めたメンバーをそろえることは簡単ではなかった。選手のやりくりに奔走された女子監督に敬意を表したい。

そして、男子のAチームが若葉グリーンメイトぼベスト記録で総合13位に入ったこともうれしいことだった。若手とベテランがかみ合い、いいチームになってきた。

番外として(失礼!)、シリアスな競い合いではないかもしれないが、ベテラン選手も負けてはいなかった。そういう私も、Dチームの4区(4.1キロ)を走らせてもらった。総合タイムでは1時間41分4秒から同44分30秒の約3分間に、順位では33位から41位の11チームの中に、B、C、D、女子の4チームが入るという身内の中での激しいつばぜり合いが見られた。結果として、ゴール地点で提供されたゆず汁を選手全員が早くいただくことができた。

ただし、いいことばかりとは言えない。半月前に決めたオーダーに対して、故障等の事情で4名の選手が出場できなくなり、選手を変更せざるを得なくなったことは残念だった。選手の皆さんには、来年は体調管理により一層気をつけて駅伝及び練習参加に臨んでいただきたい。


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# by hasiru123 | 2017-12-04 20:25 | 駅伝

小江戸川越ハーフマラソン2017を走る

3年ぶりの小江戸川越ハーフマラソンを走ってきた。早朝は冷え込んだが、時間とともに気温が上がり、風もが弱かったため、この時期としてはとてもいいコンディションに恵まれた。

メインのハーフマラソンの部には男女合わせて約6,400人のランナーが出場した。この規模の大会になると、選手個人の視点で会場全体の様子を把握することは難しく、自分の行動した周囲のことくらいしかうかがい知ることができない。

私はスタート10分前に待機レーンへ入ったが、前列から数えて自分のナンバーカードにあたる位置へスムーズに入ることができた。女子は男子の右側の列へ並ぶことになっていたが、しっかりそのスペースを確保されていた。私は陸協登録者としてエントリーしたので比較的若いナンバーカードを与えられていたためかもしれないが、スタート時の周囲の混乱はほとんどなかった。

今年で8回目を数えるが、回を重ねるごとに大会運営が円滑になり、出場する選手のマナーもよくなったように感じられた。開始当初の混乱ぶりは嘘のようである。そして、4つの大学から招待選手が約80名参加するなどして、記録面でも大会のレベルを押し上げた。

さて、私のことを少し。先にも書いたとおり、大会そのものが久しぶりだったので、目標タイムは設けないで「余裕をもってゴールすること」を心がけた。じつは、直前1週間の調整練習では通常の半分程度の量しかこなすことができなかった。数日前に、右足第一指のマメが固まった後にひび割れを起こしたり、左脚の踝(くるぶし)下に軽い痛みを感じたりしたためである。

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   (写真)19キロ地点を走る私です(撮影:岸啓祐)

結果として、練習不足と出るか、疲労がとれて好結果をもたらすかは、走って確認することにした。後半になって、左足にマメを作ってペースが徐々に落ちていった。しかし、その分だけ身体的には余裕を残して走りきることができたといえるだろう。まずは、これといった故障なくゴールできたことにほっとしている。

3年前よりも約9分の後れを取ったが、よくがんばったと70点くらいをつけることにする。来年は、今回の結果を目標にしたい。


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# by hasiru123 | 2017-11-26 19:21 | マラソン

ニコニコペースで

6日後に、3年ぶりで小江戸川越ハーフマラソンを走る。今回はどのように走ろうかと、いま思案しているところである。

3年間には故障を繰り返すうちに、体力も落ちてきた。加えて、練習不足でもある。そこで、無理をしないで、余裕をもってゴールすることを第一にと思っている。そのためには、ほぼイーブンペース、そしてニコニコペースで走りきることだ。

じつは、このニコニコペースというのは、福岡大学でスポーツ生理学を教えておられる田中宏暁先生らが提唱したフルマラソンのトレーニングに効果的と言われるランニングペースのことである。具体的には、最大酸素摂取量の5割程度の運動強度で走る。歩くようにゆっくり走るのである。

ちなみに、最大酸素摂取量というのは、有酸素能力の最大値のことで、5分から10分くらいしか持続させることができない。ところが、5割程度の運動強度で走ると、だれもがいつまでも走り続けることができる。ニコニコペースとは、そんな体に優しい走り方をいうのだそうである。ただし、「エネルギーが残されている限りは」という条件が付されるが。

この考え方の基本は、レースで闘うということはしないで、自然の力にゆだねるということだろう。『ロストターン』(ブルック・ニューマン著/五木寛之訳)を読んでいたら、同じような発想に出会った。運命と闘って生きていくのではなく、それを受容して生きていく。大きな運命を受け入れるということは、決して敗北ではないのだと。

マラソンにおいても、その姿をありのままに受け入れ、じっくり自分自身と向き合うことが、完走につながる。そして、故障を繰り返さないためにも、それは大切なことだと、遅まきながら気がついた。


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# by hasiru123 | 2017-11-20 20:57 | マラソン

朝鮮通信使に学ぶ

江戸時代は「鎖国の時代」と言われる中で、四つの窓口を持っていた。薩摩藩の下におかれた琉球王国との通交、長崎における中国とオランダ商人との通商、アイヌの人々と松前藩との交易、そして朝鮮国との通交・通商である。自由な海外交流こそ禁止されていたが、幕藩体制という枠組みの中で、確実に海外とつながっていた。

その意味で「鎖国日本」という呼び名は正しくない、と仲尾宏著『朝鮮通信使―江戸日本への善隣使節』に教わった。

朝鮮通信使に関する記録が、先ごろ国連教育科学文化機関(ユネスコ)によって重要な歴史文書などを認定する「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録されることになった。対馬(長崎県)から江戸を経て、徳川家康が祭られる日光東照宮(栃木県)まで一行が通った地域の外交文書や行列の様子を描いた絵などが評価されたものである。

先ごろ、川越市内で13回目の「川越唐人揃(とうじんぞろ)いパレード」が行われた(注1)。唐人揃いは18世紀から19世紀初頭にかけて、川越氷川神社の祭礼の付け練り物(行列)として本町(現在の元町1丁目付近)の氏子らが朝鮮通信使をまねて仮装行列を行い人気を博したとされる。

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朝鮮通信使は合計で12回来日し、そのうち11回は江戸まで来ている。しかし、川越ヘは一度も来ていない。なぜ、川越に唐人揃いがあったのか。

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そのヒントは、当時隆盛を極めた川越商人の存在にある。

江戸まで朝鮮通信使行列を見に行った川越商人の記録が残されている。塩などを扱っていた榎本弥左衛門(1626-86年)が記した「榎本弥左衛門覚書」だ。

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朝鮮通信使が6回目に来日したときに(1655年)、榎本は江戸本町で見物し、行列の様子を同書に詳しく書き残している。例えば、江戸へ入った日や将軍引見、日光への出発・帰府、帰国の日付などが記録されている。これらは、江戸幕府の公式記録である「徳川実紀」とも一致している(注2)。かれは行列見物から帰ってから、その仮装を思いたったのかもしれないが、川越の町に活気を呼び込みたいという商人気質のようなものを感じとることがでる。

また、川越氷川神社には、朝鮮通信使を模写した「朝鮮通信使行列大絵馬」が残されている。どのような経緯で大絵馬が奉納されたかは不明だが、江戸時代の氷川祭礼には本町(こちらは川越の本町)の付祭に朝鮮通信使の仮装行列が出ていて、祭礼との関連性がうかがわれる(注3)。

わが国に限らず、隣国と良好な関係を築くことは永遠のアポリア(難題)とも言える昨今である。改めて、このことに正面から取り組んだ当時の日朝両国の叡智に深く感じ入った。

(注1)「唐人」とは「からひと=韓人」のことで、江戸時代には朝鮮人をそう呼んでいた
(注2)『榎本弥左衛門覚書』(東洋文庫)の大野瑞雄氏の校注

(注3)「川越市立博物館だより」第49号
(写真)11月12日の「川越唐人揃いパレード」


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# by hasiru123 | 2017-11-14 20:21 | その他

広島カープ、お疲れ様でした

2017年度の広島カープは、2位の阪神との差を10ゲーム離して優勝した。開幕早々から好スタートを切り、4月中盤には早々と2位巨人に7ゲーム差をつけた。圧勝と言っていい。

それでも不安な時期はあった。最大の危機は、何といってもゴールデンウィーク後半の対阪神3連戦だったのではないだろうか。

5月4日は7回表まで4-3でリードしていたが、その裏に5点入れられて逆転負けを喫した。翌5日には、6回表まで9-1でリードしていたが、その裏に一挙7点を取られて、7回と8回にも加点され、12-9で敗れた。ここで2位につけていた阪神に並ばれた。そのダメージは大きく残り、7日には阪神の能見投手に6-0で完封負けを喫し、阪神に首位を明け渡すことになる。

応援するわが身にも、「しばらくは阪神と対戦してほしくない」という弱気が忍び寄ったものだ。2日後のヤクルト戦でも、3-2のサヨナラ負けで、4連敗。嗚呼。

しかし、今年の広島はその逆境をそこまででしのいだ。5月30日からのセ・パ交流戦では、ソフトバンクと並んでトップの成績を上げた。以後の15試合位を10勝5敗で乗り切るとともに、5月28日に首位に返り咲いた後は1度も首位を譲ることなくペナントレースを勝ち抜いた。

シーズンを通して4連敗が2回あったが、それ以上の連敗はない。それに対して、阪神には8連敗があり、巨人は13連敗があった。連敗を最小限にとどめるという守りは、結果的には最大の攻撃となることを示していよう。

ところが、その4連敗が大事なクライマックスシリーズ・ファイナルステージで出てしまった。昨日(24日)、セ・リーグのファイナルステージ第5戦でDeNAに9-3で敗れて、2年連続の日本シリーズ出場の夢は消えた。広島は初戦で1勝したあと4連敗し、アドバンテージの1勝を加えて2勝に終わった。レギュラーシーズンの広島らしさが見られず、主軸の不調に加えて投打がかみ合っていなかった。

レギュラーシーズンでは、対DeNAは12勝13敗。今季、セ・リーグで唯一負け越した相手だが、苦手意識があったのかなあ--。それとも、ペナントレースの優勝から1か月以上空いたことで、調子を落としてしまったのかもしれない・・・と、言い訳が口をついて出てしまう。

それにしても、小刻みの投手リレーなどラミネス監督の采配はあっぱれだった。ホームランを打った筒香も、次々と繰り出す投手も素晴らしい活躍だった。TBSラジオの『荒川強啓デイ・キャッチ!』で紹介された時事川柳にこんな作品があった。

<神ってる/よりも脅威の/「ラミってる」>。

「ラミってる」は新語かな。今年の流行語大賞にノミネートされてもいいくらいだ。広島を下して勝ち上がったからには、日本シリーズではもちろんDeNAを応援する。そして、広島の来年は短期決戦でも強くなって、念願の日本一になってほしい。


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# by hasiru123 | 2017-10-25 21:44

プレーオフを考える

衆院総選挙が近づいてきた。各種の世論調査では、3極の争いの中で与野党がどうなるかとういう視点での報道が目立つ。そもそも小選挙区制は、米英のような2大政党制を志向して作られた制度だが、今回のような三つどもえの争いを想定していない。そして、元々民意を反映しにくいという難点を持つ。同制度のメリットよりはデメリットのほうが浮き彫りになってきた昨今である。

衆議院選の終盤を迎えて、プロ野球のクライマックスシリーズのファイナルステージも佳境に入った。連日の熱戦をラジオとテレビを交互に視聴しながら、応援している人も多いのではないか(私の住んでいる地域では、1,2回戦ともBSではソフトバンク×楽天戦、ラジオでは広島×DeNA戦が放送されていた)。

このプレーオフ制度を巡っても、本当にこの制度で日本一を決められるのかと、いつも違和感を抱いている。パリーグでは1位のソフトバンクと3位の楽天が対戦し、セリーグでは1位の広島と3位のDeNAが対戦している。今年は、セ・パとも1位が2位に大差を開けて優勝した。結果として、ソフトバンクは楽天に15.5ゲーム、広島はDeNAに14、5ゲームの差をつけた。

もし、クライマックスシリーズでパは楽天が、あるいはセはDeNAが制したとしたらどうだろうか。クライマックスシリーズは短期決戦だといっても、首位から14ゲーム以上の差をつけられたチームが果たして日本一の決戦へ臨むにふさわしいといえるだろうか。

「制度に完璧なない」とは思いつつ、ペナントレースの結果をより反映できるやり方に手直ししてはどうか。例えば、「1位と2位のゲーム差、2位と3位のゲーム差がそれぞれ5ゲーム以内ならプレーオフへ進出できる」とするのである。ペナントレースで小差であったなら、短期決戦のクライマックスシリーズでひっくり返されても違和感がないだろう。そうすればペナントレースの終盤でより勝負にこだわり、白熱した試合が見られるだろう。ペナントレースで大差をつけられたチームは、クライマックスシリーズに臨む資格がないとみなすのだ。

クライマックスシリーズは、野球ファンにとっても主催者側にとっても魅力ある制度である。この面白さと営業効果を知ってしまったいまは、もう後戻りすることはできない。ここはより現実的な制度を目指して、知恵を絞るのがいい。


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# by hasiru123 | 2017-10-20 07:07 | その他

第12回 第九の夕べ in 喜多院

体育の日の10月9日(月)に、「第12回第九の夕べin喜多院」が開催された。好天に恵まれ、日中の暑さが残る秋の宵であった。

早いもので、このイベントで撮影のお手伝いをさせたいただくようになってから6年になる。喜多院の境内で行うコンサートはすっかり定着し、川越市を代表する恒例の文化行事となった。朝日明実行委員長や小野澤康弘事務局長をはじめとする多くの方々のおかげである。

今回初めてステージに登場したのが、ソプラノの小村朋代さんとアルトの谷地畝晶子さん、バリトンの加耒徹さんである。テノールの松原陸さんは常連で、ロンドン留学中のところをこの演奏会のために帰国された。司会の宮寺勇さん(音楽監督・指揮者)の紹介によると、今年のオペラコンサート(モンテロッソ・アル・マーレのオペラ・コンクールと思われる)で優勝されたとのことで、「オーソレミオ」の独唱には大きな拍手が送られた。

川島容子さんと大畑莉紗さん(内海源太さんが病気のため急きょ変更となった)によるエレクトーンの演奏、4名のソリストたちの独唱、川越第一小学校の子供たちによる合唱に続いて、258名の団員による第九の演奏が行われた。

最後は、全員で「ふるさと」と「よろこびの歌」を合唱して閉演となった。なお、来年は10月8日(月)の体育の日に開催されることが決まっている。

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       第九を演奏する合唱団

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       指揮する宮寺勇さん

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       ソプラノの小村朋代さん

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       アルトの谷地畝晶子さん

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           バリトンの加耒徹さん

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       テノールの松原陸さん

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       川越第一小学校の児童合唱団

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       エレクトーンの川島容子(右)さんと大畑莉紗さん


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# by hasiru123 | 2017-10-12 16:16 | 芸術

遅くなった秋

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ゴーヤは、一般的にはニガウリなどと呼ばれ、夏の日除けとして大変に重宝している。また、ツルレイシという学名がつけられていて、ウリ科の植物である。

体を冷やす効果があるといわれ、夏バテ防止の健康野菜としても利用されるようになった。わが家では、他の野菜や豆腐などを炒めたゴーヤチャンプルーにしたり、朝食時のサラダに加えて食べたりしている。

今年は、10月になってもゴーヤがまだ生(な)っていて、3日に1回くらいの頻度で収穫している。暖かい秋の影響だろうか。

しばらく前であれば、10月に入ると早朝に走るときは袖のあるシャツを着たり、薄手のタイツを着けたりして、徐々に衣替えをしてきたように思う。ところが、今朝もランニングシャツにランパンというスタイルで走ってきた。ただ夏の季節から抜けだせないだけなのかもしれないが、ほとんど肌寒さを感じさせない。

作家の山口恵以子さんが、あるPR誌に連載している「山口恵以子のおばちゃん的日常」というエッセイにこんなことを書いていた。

「春はゆっくりやってきて、秋は突然訪れる」

山口さんは、この時期になるとかつて食堂で働いていたころを思い出し、5升近い米を研いでいると、不意に「水が少し冷たくなったな」と思う日が来るという。すると一気に秋は深まり、毎日が肌寒くなる--。

これが、ふつうの秋だと思う。いずれ、今年も秋は突然にやってくるだろう。しかし、その「突然」がこのごろやけに遅くなった。そして、季節感も狂ってきた。

世界と日本の平均気温が長期的に上がり、気候が確実に変わりつつある。気象データから教えられるまでもなく、その変化を実感できるようになった。人間の活動が気候を変えていることは確実で、気候変動の影響はすでにいくつかの分野で現れている。その反動は、近い将来必ずやってくる。

(写真)9下旬に収穫したゴーヤ


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# by hasiru123 | 2017-10-04 19:13 | その他

狭き門

2月に開催される東京マラソンは、来年で12回目を迎える。一般参加の部門での出場は、抽選で決められている。初回は3.1倍だった競争率が回を重ねるごとに高くなった。第7回には10倍を超え、現在では12倍を超えるようになっている。12人に1人が当選するという、かなりの狭き門である。

インターネットで申し込んだ今年の抽選結果は、9月25日に発表された。私の記憶では、昨年までに9回申し込んでいるが、1度も当たっていない。競争率の数字から、今年あたりはそろそろ当選通知が来てもいいころだなと、淡い期待を抱いていたが、見事に落選した。

私の知り合いには連続して当選した人もいたりするから、くじ運というのはたしかにあるのだな、と改めて実感した次第である。何度応募しても確率が高まるわけではないので、毎年12分の1(約8パーセント)位の確率に期待してチャレンジするしかない。

ということで、今のところ来春に走るレースの予定はない。したがって、当面の目標は今年の11月末に開催される小江戸川越ハーフマラソン(埼玉県川越市)になる。レースへの参加は2年ぶりだ。東京マラソンの半分の距離とはいえ、しっかりスタミナをつけて臨まないと、終盤に苦しむことになるだろう。

昨年来、故障とその回復を繰り返してきたが、6月頃から走る距離を伸ばしたり、スピードの変化(といっても若干です!)をつけたりしても、足に変調を来すようなことはなくなった。幸いに、7月下旬以降は猛暑に見舞われることもなかったので、体に夏の疲れは残っていない。あと2か月間、休養のローテーションを守りながら、調子を上げていきたい。


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# by hasiru123 | 2017-10-01 19:05 | マラソン

9秒98から学ぶ

桐生祥秀選手(東洋大)がついに陸上男子100mで9秒台を出した。4年前に10秒01を出して以来、日本のトップランナーとして短距離界を牽引してきたが、ようやく大台を突破することができた。心から祝意を表したい。

待ちに待った4年間ではあったが、その間に選手たちの環境は大きく変化した。それは、しのぎを削ってきた数名のライバル選手たちのだれもが9秒台を出してもおかしくないところまで進化し、力が拮抗してきたことである。

これで、ライバルの選手たちは桐生選手の出した9秒98切りが当面の目標となるはずだ。堰(せき)を切ったように9秒台が続出しそうな予感がする。

ちなみに、今日(9月24日)大阪で行われた陸上の全日本実業団対抗選手権男子100m決勝で、山縣亮太選手(セイコーホールディングス)が10秒00で走った。追い風0.2メートルというほぼ無風の条件下で出されただけに、価値がある。今年残された大きな大会は愛媛国体など少なくなったが、多くの選手が桐生選手の記録に挑んでほしいと思う。

電気時計で10秒を切った選手は世界に120人以上もいるそうだ。大部分は米国やジャマイカなどのアフリカ系の選手である。また、短距離というと日本人には向かない競技ではないかと言われた時代があった。そういうコンプレックスを、これまでの多くの日本人選手が抱いてきたのではないだろうか。

ところが、ここ数年でそういうコンプレックスを感じさせない流れができつつあった。壁を破るには、「できる」と思うことが大きなアシストになるだろう。

一方で、同じ全日本実業団対抗選手権の男子10000mでは、11位までが外国人選手で占められた。こちらの方は、東アフリカ出身の選手にはかなわないというコンプレックスから抜け出せないでいるように思える。長距離の選手たちには、ぜひとも短距離陣の奮闘から学び取ってほしいと願っている。


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# by hasiru123 | 2017-09-24 23:58 | 話題

真っ赤な秋


まっかだな まっかだな
つたの葉っぱが まっかだな
もみじの葉っぱも まっかだな

童謡「真っ赤な秋」(薩摩忠作詞・小林秀雄作曲)の一節である。曲をつけた小林秀雄氏は、今年7月に亡くなられた。紅葉の季節になるとこの歌を口ずさみたくなる。歌に誘われるかのように、一足早い秋の北海道へ行ってきた。

大雪山系の旭岳(2291メートル)周辺では、早くも赤く染まり始めた。3連休の真ん中、9月16日には青空がのぞき、ナナカマドやダケカンバ、カエデなどが、山肌を色鮮やかに染めている。ロープウエーの姿見駅から約3キロ先の裾合平周辺では、ウラジロナナカマドの鮮やかな赤と、終わりに近いチングルマの渋い赤がパッチワークのように広がっている。

活発な旭岳の噴煙との競演は見どころのひとつつである。これまで写真で見ていた噴煙よりも、勢いがあるように見えた。また、周辺に点在する中小の池に映し出される旭岳と紅葉も見事である。

地元の人に聞くと、今年の紅葉は例年よりもいくぶん早く、そしてきれいだとのことだった。紅葉は10月上旬になると、ふもとの旭岳温泉街まで駆け降りる。
     

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     鏡池に映る旭岳 
    

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     噴煙の盛んな旭岳 
    

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     第一展望台から望む旭岳
     

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     終りに近いチングルマ

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       すり鉢池と旭岳

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# by hasiru123 | 2017-09-22 06:47 | その他

初雁公園を整備する

昨年3月の川越市議会で、市制100周年の記念事業して初雁公園周辺を整備するという川合善明川越市長の方針が示された。それを受けて、初雁公園近隣に位置し、三芳野神社の氏子を構成している3町内の自治会長、副会長等を交えて川合市長との情報交換を行った。

会議の内容はすでに近隣住民へ情報提供済みであることから、公表に際してなんら支障を来すことはないと考え、関係者へ配布した議事概要をもとに整理し、そのあらましをお伝えする。

日時  平成17年6月6日(木)15時~16時会場
川越市役所市長室出席者  川合市長川越市から都市計画部長、公園整備課長三芳野神社から山田宮司、自治会から郭町1丁目自治会長、同副会長2名、郭町2丁目自治会会長,同副会長3名、三久保町自治会長、同副会長1名
進行  森脇康行
(川合市長と山田宮司、森脇以外の個人名は非表示とした)

1 初雁公園構想について

(川合市長) 平成元年に初雁公園整備構想がつくられ、今でも形式的には生きている。県立川越高校の移転や多額の費用がかかることから不可能になった。今回計画を変更して、実現可能なものにしたい。初雁球場が古くなり、公園にしたい。

2 川合市長の構想を受けて質問、要望等

〇三芳野神社関連       
(三芳野神社宮司) (初雁公園の中にある)三芳野神社は、もとは幕府直轄の神社であったことから、格式が高い。川越の観光の中心になってほしいと考えているが、現状は本丸御殿で観光客の流れが止まり、なかなか三芳野神社まで足を運んでもらえない。「とおりゃんせの細道発祥の地」であることをもっと知ってもらいたい
(自治会) 参道整備について。現在ある参道と本来のとおりゃんせの細道に歌われる参道とは違うので、歴史に即した参道の整備を計画の中で実現してほしい
(自治会) 植木について。社殿への影響のため楠木等を伐木したが、支障のない場所新たに植えるとともに、(神社にふさわしい)梅の木を計画的に植えてほしい。

〇施設関連(市民プール、初雁球場、武道館、診療所等)            (自治会) 移転を含めて廃止を検討していると聞いているが、跡地をどう活用するのか
(川合市長) プールは未定、武道館は移転せずに耐震化工事で存続させる予定。初雁球場は未定だが個人的には芝生の広場にしてはどうかと考えている。診療所は倉庫として利用しているが、その後は未定。

〇富士見櫓跡の整備                        (自治会) 計画が途中で止まっているが、今回の構想に含めるのかをよく検討してほしい。

〇観光                              (自治会) 三芳野神社を含む標識の整備を進めてほしい。また、ガイドブックやマップなどへ記載も不十分である。
(自治会) 三芳野神社への誘導を含めたルート表記、案内板(地図)の整備をお願いしたい。
(自治会) 川越の観光は蔵造りや菓子屋横丁に力を入れているが、川越城が川越のシンボル的な存在であることを重視する必要がある。

〇自然環境                            (自治会) 初雁公園周辺には樹木が多く、初雁球場側の新河岸川沿いには湧水があるなど、自然が残っている。自然を保存しつつ公園の整備を進めてほしい。
(自治会) 浄水場から浮島神社にかけての自然保護に留意した一体整備をお願いしたい。
(自治会) 小仙波町2丁目から、浄水場南側の空き地の公園化の声が上がっているが、今回の計画にどう盛り込むのか
(川合市長) 親水公園を検討している。

〇今後の進め方(計画策定のプロセス)について
(自治会) 計画と実施に際しては、プロジェクトを作り、責任部署を明確にしてほしい
(自治会) 住民の意見を聞いて計画を進めてほしい
(川合市長) 公園整備課を担当窓口とし、調整機能を持たせる。また、基本計画の審議会条例案と予算案を提示した。審議会メンバーには学識経験者や公募委員、自治会も含めたい。
(自治会) 三芳野神社の工事に際しては関係する窓口が多岐にわたり、問い合わせ窓口がはっきりしていなかった。窓口を設けて切り分けできるように改善してほしい
(川合市長) ワンストップサービスに努める
(自治会) 100周年でどこまでやるか優先順位をつけて進めてほしい

3 今後について

主として3つの自治会内の住民及び近隣自治会との情報共有を図りながら、公園整備課と積極的に情報交換を行い、市が行う計画作りに参画していきたい。

※ 時間の関係で、出席者から要望として述べることができなかった点については、手元資料を基に一部追記した。

(参考)初雁公園については、川越市の公式サイトをご参照ください → http://www.city.kawagoe.saitama.jp/shisetsu/undo_park_hoyo/undopark/hatsukaripark.html


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# by hasiru123 | 2017-09-01 17:35 | その他

お施餓鬼会

「かがやく真夏の日が領内をくまなく照らし、風もないので肺に入る空気まで熱くふくらんで感じられる日だった」

海坂藩を舞台に繰り広げられる物語『蝉しぐれ』(藤沢周平)の最後の章に出てくる一節である。菩提寺のお施餓鬼会に行くといつも思い出すのが、このくだりだ。

この時期は例年厳しい残暑が続いて、本堂で大汗をかきながら僧侶たちの法要に聞き入っていたのものだ。打って変わって、今年はとても涼しく、境内から聞こえる蝉の声は不思議なくらい静かで、心地よい1時間余りであった。

お盆が過ぎたある日、久しぶりに菩提寺のお施餓鬼会(せがきえ)に行ってきた。これまでは妻にまかせることが多かったが、祖先の供養を行うのと併せて今回は初めて法要の様子を写真に収めさせていただいた。

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お施餓鬼会で唱えるお経は「甘露門(かんろもん)」というのだそうだ。お経を唱えながら多数の僧侶たちが動き回る光景は無伴奏の男声合唱を聴いているようで、心に強く迫るものがある。生死を越えて生き続けることに改めて思いをいたした今年の夏であった。

(写真)広済寺(埼玉県川越市喜多町)


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# by hasiru123 | 2017-08-22 17:41

チームで挑む

世界トップの長距離陣はさすがだな、と思わせたのは、世界陸上ロンドン大会の男子10000m決勝だった。

優勝したのはモハメド・ファラー(英国)で、今季世界最高の26分49秒51でフィニッシュした。この種目で世界選手権3連覇という偉業を達成した。大試合での26分台という記録もすごい。

1000mごとのラップタイムが2分40秒前後というハイペースで推移した。それにもかかわらず、長い先頭グループを形成し、トップが目まぐるしく入れ替わった。しかも、同じ国の選手が交代でトップを引き、他の国の選手たちに受け継がれる。

どの選手もラストに強いファラーをマークしているにもかかわらず、意識的に速いペースを刻もうとしているように見えた。終盤の勝負に持ち込ませないためだろう。

選手のユニフォームから、ケニアとエチオピア、ウガンダ、米国、エリトリアがそれぞれ3名いるのが分かった。英国はファラー1人である。これらの国の選手たちが、いまの世界の長距離界をリードしているのだ。その選手たちが、まるで国ごとの対抗戦に挑んでいるかのようにしのぎを削っている。

ケニアやエチオピアといった長距離王国の選手たちが、ある意味でプライドをかなぐり捨てるとも思える作戦に出たのである。それは、なぜか。

ファラーの連覇を阻止するためだろう。それしか考えられない。自分の国のだれが優勝してもいい。何としてもファラーを超えるのだ、と。

それくらいファラーは強かった。そして、他の選手のファラーへの対抗意識も人一倍強かった、ということだろう。その気持ちがグループ全体のペースを上げ、結果的として素晴らしい記録につながったのだ。この大会で、最も記憶に残るレースだった。


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# by hasiru123 | 2017-08-15 20:43 | 話題

旭舎文庫

川越市の札ノ辻から北へ約300m行くと、川越氷川神社方面へ曲がるT字路に出る。その北側の角に昭和から平成にかけては営まれてきた駄菓子店があった。子供の時、ここでアイスクリームを買って食べた記憶がある。旧梅原菓子店だ。

かつて子供たちが集まり、遊んだ時の声が今でも聞こえてくるような気がする。江戸末期から明治初期に建てられたというから、150年も前の建築物である。壁が剥がれ落ち、瓦屋根も落ちかけていた。かなり老朽化が進み、大きな手直しをしなければ使い続けることは困難な状態でもあった。

その駄菓子屋が、川越氷川神社によって修復され、3年かけて行った工事が竣工した。7月29日と30日に、オープンに先駆けて地元の住民に公開されたので、行ってみた。

川越氷川神社はこの建物を「旭舎文庫(あさひのやぶんこ)」と命名した。宮司の山田禎久(よしひさ)さんに伺ったところ、「地域の人たちに気軽に立ち寄っていただき、ゆっくりと本を読める場として、また川越や祭りの歴史を楽しく学べる場所としかつようしていただきたい。私的な観光案内所のようなところになれば」と話しておられた。

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「朝日之舎」は、明治時代の川越氷川神社祠官(宮司)であった山田衛居(もりい)の別号である。川越氷川神社が武蔵野台地の東北端に位置し、周辺では最初に朝日が射し込む場所であることからつけられそうだ。衛居が日々の出来事を綴った『朝日之舎日記(あさひのやにっき)』 には、伝統文化と東京から入る文明開化の流れが交錯する当時の川越の様子が生き生きと活写されている。

たとえば、明治13年10月19日にはこんなくだりが記されている。

「(続き)陸軍歩兵、小川ヨリ川越ヲヘテ東京ヘ行クニツキ、今夜当処ニ宿ス。千五百人ト云。南町ニテ其体ヲ見タリ。旅宿や・料理やへ割合(当カ)テ泊セシム。大佐乃木希典宿ト書セシ紙、南町喜八ニテ見受タリ」(昭和54年11月30日川越市史編纂室発行の同書による)。

陸軍大佐乃木希典の来訪の様子をうかがい知ることができて、大変興味深い。

また、明治16年3月12日は、「(続き)新橋ノ汽車ニテ八時三十分東京ヲ去り、九時川崎停車場へ着ス。予ハ本日初テ汽車ニ乗ゼリ。予想ト違ヒ車輪ノ音、汽車ノ響、山海・林屋ノ飛過スル状アタカモ中天ヲ飛過スルガ如キク、大愉快ナリキ」と、生まれて初めて体験した汽車旅の感激を綴っている。

山田衛居が残した日記を、衛居と同時代に建てられた旭舎の中で、じっくり読み返してみたい衝動にかられた。

(写真)南側から臨む旭舎文庫


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# by hasiru123 | 2017-08-08 18:11