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2010年 02月 07日
1978年の別府大分毎日マラソンでは、宋茂(旭化成)はスタートから積極的に先頭に立ち、当時としては驚異的といえる5キロ14分台のペースを刻んだ。40キロまで当時の世界最高記録(デレク・クレイトン:2時間8分34秒)のペースを上回ったが、後半の別府湾からの強風によりややペースダウン。世界記録の偉業は阻まれた。結果としては世界歴代2位の2時間09分05秒6で優勝し、日本人では初のサブテン(2時間10分以内)であった。このレースをきっかけに、それまで続いた日本マラソン界は低迷を脱し、宋兄弟を始め瀬古、中山、谷口といった世界をリードするマラソン選手を輩出した。
宋茂はこの2か月前の福岡国際マラソンで、54位と惨敗している。これまでも期待されながらなかなか結果を出せないでいたところにこの不振。2か月という短い調整期間でレースに臨んだことからも、この大会に賭ける意気込みかがえる。産みの苦しみを乗り越えての日本記録の誕生については、私の別大毎日マラソンの記憶として深く刻み込まれている。 さて、今年も新人の登竜門といわれる別大毎日マラソンに多くの新人選手が参加した。特に注目したのは、三津谷祐(トヨタ自動車九州)だ。2005年と2007年の世界選手権1万メートル代表で、日本歴代4位の記録を持つ屈指のスピードランナーだ。残念ながら、32キロ過ぎに失速し、9位に終わった。それでも、大崩れしないところに大器の片鱗をのぞかせていた。まずは、スタミナ不足の克服が課題だろう。 もう一人の注目株は、堺晃一(富士通)。元日の全日本実業団対抗駅伝で、エース区間の4区で区間2位に入って、その存在を知った。3回目のフルマラソンである。 そんな中で結果を出したのは、一般参加でマラソン初挑戦の井川重史(大塚製薬)だった。2時間11分4秒で日本勢最高の4位と健闘した。正直なところ、井川のことは直前の毎日新聞を読むまで知らなかった。終盤に何度か仕掛けて、最後まで優勝争いに参加したことは大いに評価したい。記録は別としても、仮に五輪や世界陸上の切符がかかった大会であったなら、当確をつけたいところだ。これらのフレッシュランナーの来シーズンの走りに期待したい。 2010年 01月 31日
昨日の朝は、2週間ぶりにランニングを再開した。日の出は約10分早くなり、日差しも幾分明るさを増してきた。その分だけ、暖かくなったように感じられる。帰宅が遅く、なかなか早朝に走る時間を確保することができなかったためである。
この間の中断は、故障で走れなかった5年前以来のことだ。しばらく走らないでいると、再開するのにエネルギーがいる。場合によっては、走らないための理由をつけて、再開を先延ばししたくなることもある。これは、過去の中断の経験から知ったことだ。まずは、走りだせたことを喜びたい。 今日は、例年なら奥むさし駅伝(飯能市)を走っていたはずである。ところが、今年はわがWGMからの参加希望者が少なく、1チームを編成するのがやっとだった。この大会は、山あいの国道を利用した折り返しコースである。う回路が少ないことから、選手の移動や応援はもっぱら電車を利用することになる。これまでは、複数チーム(最低2チーム)で臨んできたので、中継所でのやり取りはスムーズに行えた。 補欠なしの1チーム編成となると、確実な中継は難しい。したがって、今回は無理をせず、出場を辞退することにした。多くのレースが目白押しで、体調管理が難しいこの時期の駅伝参加は選手にとって大変ではあるが、これまでは各メンバーの協力と調整で継続させてきた。それだけに、残念である。来年の参加に期待したい。 奥むさし駅伝に出場しなかったことから、久しぶりに大阪国際女子マラソンをライブ(といってもテレビ中継)で見ることができた。マラソン4度目のアマネ・ゴベナ(エチオピア)が、昨夏のベルリン世界選手権6位のマリサ・バロス(ポルトガル)を振り切り、2時間25分14秒で初優勝した。小崎まり(ノーリツ)が2時間26分27秒で日本人最高の3位に入った。 期待の赤羽有紀子(ホクレン)は、前半で快調に先頭集団を引っ張ったが、26キロ過ぎの大阪城公園内の下りで失速し、38キロ付近で途中棄権した。大会直前に痛めた左ひざ裏に痛みが出た模様だ。最初の5キロを17分5秒というハイペースで始まり、記録への期待を感じさせたが、無理があったかもしれない。 ペースダウンしてから棄権するまで、約12キロ走ったことになるが、棄権のしかたに疑問が残る。夫の赤羽周平コーチがなかなか、選手のもとに駆けつけることができなかったとしても、自分でいち早く判断して、もう少し早い時点で止めることはできなかったのだろうか。経験の少ない選手ならやむをえないが、赤羽は五輪にも出場した経験豊富な選手だ。 身体的な異常事態への対処は、コーチよりも選手本人が一番よく理解しているはずである。故障のダメージを少なくすることの方が、完走することより重要だ、という判断もあってよい。コーチによりかからず、状況に応じて自分で判断するというメンタルな面の成長に期待したい。 2010年 01月 24日
第22回ランニング学会大会が以下の要領で開催されます。今年は、横浜市スポーツ医科学センターがメイン会場となります。メインテーマは「ランニング障害とその予防」、<シンポジウム>は「東京マラソンの将来像」と題して、高岡寿成氏の講演があります。関心のある方はぜひ参加してみてはいかがでしょうか。
<日程他> (第1日目) 3月13日(土)9時~17時30分 (第2日目) 3月14日(日)9時~16時00分 会場 横浜市スポーツ医科学センター大研修室ほか メインテーマ 「ランニング障害とその予防」 大会長 藤牧利昭(横浜市スポーツ医科学センター) <他の日程> 理事会 3月12日(金)16時~ 理事会 学会総会 3月13日(土)13時~ 理事会 大会参加申し込み期限 1月28日(木)午後5時 懇親会 3月13日(土)18時頃から(会費、会場未定) <主なプログラム> 基調講演 中嶋寛之 海外招待講演 Stephen, W. H. Wong(The Chinese Univ. of Hong Kong) 講演 「歴代トップ選手の科学サポート」雨宮輝也 一般研究発表 A・B ポスター発 前年度優秀発表賞 講演 A)岡本英也 B)鍋倉賢治 キーノートレクチャー 「オーバーユース(使い過ぎ)症候群の病態と治療」遠山晴一 キーノートレクチャー 「長距離ランニングとアネロビックな能力」森丘保典 講演と実技 「ランナーのセルフマッサージ」泉 講演と相談 「ランニング障害の事例とその対処」小嵐正治 <シンポジウム> テーマ 「東京マラソンの将来像」東京マラソン招致委員・早野忠昭ほか 特別講演(1) 高岡寿成(日本記録保持者) 特別講演(2) 坂本雄次(ランニングプロデューサー) ランニング相談 障害予防、トレーニング 2010年 01月 17日
第77回埼玉県駅伝競走大会(市町村男子の部は、深谷市もくせい館前スタート-上尾運動公園ゴール)が行われ、若葉グリーンメイトは坂戸市陸上競技協会チームとして出場した。2004年から連続7回目の出場となる。
![]() 一般男子の部(50.9km)は20チーム、市町村男子の部(41.7km)は23チーム、高校男子の部(同)は38チーム、一般・高校女子の部(22.8km)は20チームが参加した。 ![]() 坂戸陸協は、2時間30分03秒で16位だった。前回の記録を1分57秒下回ったが、順位は一つ上げた。今回は2区の一部が工事のため約150m延長されたため、実質的には1分半ほど下回った計算になるだろうか。 4区以外は前回と同じメンバーで臨み、4区は初出場のUさんが担当した。1区と2区は前回をしのぐ区間タイムだったが、4区以降は前回を超えることはできなかった。 ![]() 今回は、陸連登録に関する参加資格がより厳しくなったため、補欠を含めた選手選考に苦慮したが、最終的には昨年並みのレベルを維持することができた。これは、選手みなさんの頑張りに加えて、走れる環境があったからだと考えている。選手6名に対して、16名のサポート体制というのはすごいことだ。坂戸陸協会長をはじめとする役員の方々の支援を仰ぐことができたことに対し、この場を借りて厚く御礼を申し上げます。 ここからは、わがチームの話題から離れる。市町村男子の部と高校男子の部は10時15分のスタートに先立って、9時25分からもくせい館の玄関前で開会式が行われた。そのとき、1区を受け持つ選手のほとんどはウォーミングアップの最中で、一部のチーム関係者だけが参加していた。ただし、前回の優勝チームはトロフィーの返還があるので、選手自身が参加し、選手宣誓を行った。 本大会に限らず、開会式はどのスポーツ大会でも見られる恒例のシーンである。選手にとって、スタート前はアップや着替え等で慌ただしい時間である。選手の集合に代えて、スピーカーからのアナウンスだけにするとか、前日に行うとか(前日だと参加者は激減するだろうが)するなど、選手が走りやすくする配慮が必要ではないだろうか。競技会の主人公は自治体の幹部や大会役員ではなく、選手であるということを忘れている。このような開会式は不必要どころか、迷惑ですらある。 * 詳しくは、明日(1月18日)の読売新聞埼玉版か後日公開される埼玉県陸上競技協会のホームページでご覧ください。 (写真上)熱気がこもる1区の選手控室 (写真中)1区のスタート (写真)レース後に行われた懇親会で報告する選手たち 2010年 01月 11日
台風の目 ![]() 今年も埼玉県の東武東上線沿線を練習拠点とする3校(東洋大、大東大、城西大)が出場した。 東洋大は予想通りの強さを発揮し、見事2連覇を達成した。5区の山上りで首位に立つと、その後は安定感のあるレース運びで2位以下を寄せつけなかった。各校がマークする中での落ち着いた襷リレーは、往年の駒大を思わせるものがある。 7区以降の各選手は、前半をゆっくり入って、後半引き離すセオリー通りの走りを忠実に守った。それは、まさに「石橋を叩いて渡る」ような安全運転だった。応援する側から見れば、そこまで守りに徹さなくてもという気持ちになるが、それでいいと思っている。というのは、過去に復路でトップに立ったチームが、選手の突然の脱水症状などでブレーキとなってしまったり、極端なケースでは結果的に棄権に到ったりすることが少なからずあったからである。 上位争い以外では、今回の台風の目は青学大と明大だった。青学大は8位に入り、41年振りにシード権を確保した。33年振りに出場した前回は22位だったから、大健闘である。5000mの持ちタイムが13分台、10000mが28分台というエース級のランナーはいない。同種目の平均タイムもそれぞれ出場チーム中17番目だった。それでも、各区間とも5位から9位の範囲でまとめたのは、地力がついた証である。 明大は、1区の北條が区間賞を獲得したのをきっかけに、4区まで首位をキープした。5区では区間18位と失速したが、レースを面白くしてくれたことは間違いない。エースの松本を欠いたのは痛かったが、積極的な走りは見応えのあるものだった。ただし、4区までを走った選手のうち3名が4年生なので、首位で襷リレーした経験をいかに次の世代に伝えていくかがこれからの課題だろう。今回は4区までの1位から、5区以降徐々に順位を落として、最終的には10位だった。それと対称的な勢いを見せたのが駒大だ。1区で18位と出遅れたが、その後着実に順位を上げて、最後に2位でゴールした。このねばり、底力から学ぶものは多い。 東上線沿線の城西大は初のシード権を獲得したが、大東大は最後まで波に乗れなかった。大東大には次の予選会で奮起してもらい、山上りに強い伝統の復活を期待したい。 (写真)3区を走る大東大・吉田 2010年 01月 04日
箱根駅伝を観戦する 数えてみると、昨年は補欠も含めて計6回の駅伝大会に参加した。テレビで観ることよりも、実際に走ることがどんなに楽しいものかということを実感した1年であった。そのことと比べようもないのだが、箱根駅伝だけは別格のようである。格別の期待と関心を持って見ることができる数少ない駅伝イベントだからだ。 今年も明治大学交友会のお世話で、往路の観戦ツアーに同行させていただいた。昨年は、3区の藤沢橋付近で時間をとられ、最後の箱根湯本駅前で先頭チームを見ることができなかったので、今回は早めの移動スケジュールが組まれた。1区は少し欲張って、2カ所(和田倉門交差点と京急蒲田駅前で応援した。 <和田倉門交差点> スタートして3分。まだ20名の集団は崩れない。このシーンは、1秒間に2度シャッターを押しただけで、終わり。 ![]() <京急蒲田駅前> 1区はハイペースで進み、15キロ過ぎで集団は長く伸びている。写真は、先頭から出岐(青学大)、出口(日体大)、清水(東京農大)、佐藤(城西大)。この区間は北条(明大)が制した。 ![]() <横浜駅前> 2区の8.5キロ地点。各チームのエースを投入する区間だが、村沢(東海大)の区間2位(1.08.08)は立派だ。写真は、森(日体大)をかわすダニエル(日大)。アッという間に過ぎ去った。 ![]() <藤沢橋交差点> 3区の6キロ地点で、多くの明大の幟がはためくところである。写真は西村(帝京大)。 ![]() <大磯駅前歩道橋> 4区の1.5キロ地点。写真左は、渡辺(上武大)の走りを気遣って併走する花田監督。右は、力走する宮川(亜大)。この区間も安田(明大)が区間賞を獲得し、明大がトップをキープした。 ![]() ![]() <箱根湯本> 本来なら、箱根湯本駅前で最後の撮影をする予定だったが、私を含めた3名のグループが携帯ラジオに夢中になって、うっかりJR小田原駅を乗り過ごしてしまった。残念ながら、先頭の久国(明大)を始めとする各選手の通過には間に合わなかった。したがって、写真はいきなり昼食処「知客茶屋」での記念撮影に飛ぶ。箱根駅伝を楽しませていただいたことに感謝し、乾杯! ![]() 明大については、前回の8位・シード権確保には驚いたが、今回の5区12.7キロ地点まで首位を維持したのには脱帽である。エースの松本を故障で欠いたのが悔やまれるが、総合で10位に入り、何とか来年につながった。 2010年 01月 01日
![]() 新年明けましたおめでとうございます。 今年の元旦は、自宅でゆっくり迎えました。 今朝は、さっそくいつもの練習コース(川越市民グラウンド)で約12キロのジョグを行って来ました。地平線から上る姿ではありませんが、遠くの家並みからの初日の出を見ることができました。 ふだんなら1キロ6分から6分半位のペースで走りますが、今朝は6分を切る早めのペースで上がりました。それでも全く汗をかくことはなく、家へ戻るころに少し暖かくなってきたかなと感じるくらいでした。私の体感では、早朝としてはこの冬一,二番の冷え込みです。 寒さはこれから。コンディションに気を使いながら、「楽走」といきたいと思います。 本年もどうぞよろしくお願いいたします! (写真)創作門松/埼玉りそな銀行川越支店前(川越市幸町) 2009年 12月 27日
今朝は、今年最後の若葉グリーンメイトの練習会に参加した。
走った場所は、いつもの練習で使用している千代田公園-高麗川大橋間の往復コース(約22キロ)である。今日のメニュの基本はビルドアップ走という位置づけだが、ジョグでもペース走でもかまわない。走る距離も、そのときの体調や自分の走力に合わせて、適宜ショートカットすることが可能だ。 8時過ぎにスタートしたが、田園地帯や高麗川の土手を走ると、北西の季節風が冷たく、往路はほとんど汗をかくことはなかった。それでも、日差しをいっぱいに受けているから、後半で追い風になると汗が背中からにじんでくる。 私の体調面でいうと、最近長い距離を踏んでいないことと、外反母趾に伴う親指の付け根の痛みがあって、とてもビルドアップ走とはいえない出来であった。およそ5分半(1キロ)のイーブンペースで刻み、終盤だけ少しビルドアップさせた。このほんの少しのビルドアップが大切だと思っている。年末年始は、このような軽めのランニングを続けて、来年のコンディションの回復につなげたい。 さて、このビルドアップ走について、整理してみたい。本来の意味は、全コースの距離を分割し、段階的にペースを上げて、終盤にフルスピードに近いペースまで高めていく練習方法である。たとえば、20キロを走るとしたら、最初の5キロを6分ペース(1キロ)で走り、次の5キロを5分半ペース、その次が5分ペース、最後の5キロを3分40秒ペースまであげて、終わらせるといった具合。 ビルドアップ走のバリエーションはいろいろあって、短い距離のビルドアップ走を何回か繰り返す方法や、ビルドアップを繰り返す度にペースの上げ方をより高めていく方法などがある。また、インターバル走との組み合わせで、疾走するときのラップを少しずつ高めていく方法もある。1000m×7の場合で、1本目は3分45秒から入って、本数が進む度に3秒ずつあげていき、7本目では3分27秒で走るなどである。 スピードプレイもビルドアップ走の分類に含めることができる。分割する距離を少しずつ短くし、段階を経るごとにペースも高めていくものだ。たとえば、3キロ、2キロ、1キロと走り進めるに従って、ペースアップの幅を大きくしていく。この方法は、レース直前の場合などに調子の引き上げを図るために行うと効果的だ。 ビルドアップ走を行うときに注意したいのは、調子が良くてもオールアウトまでペースアップさせないことである。スピードが上がって気持のよい走りができたところで終了させるのがコツである。追い込むことが目的ではないからだ。今日気持よく走れたことで、明日もしっかり走れそうだ。明日はもっと頑張れそうだ。そういう気持ちになれれば、ビルドアップ走の目的は達せられたと考えてよい。明日の練習への橋渡しに、ビルドアップ走は欠かせない。 今日の練習で、最後に少しだけペースアップさせたのは、来年のランニングのための橋渡しだったと考えている。これからも引き続き「楽走」をモットーに走り続けたい。 2009年 12月 20日
ここしばらくは冬晴れで、乾燥した毎日が続く。冬至(12月22日)まであと二日だ。晴れているから気づくのかもしれないが、日の入りは少し延びている。16時半を過ぎても薄明が残っている。埼玉県地方の今日の日の入りは16時31分だった。一番早かった12月上旬に比べると約4分延びている。
反対に、日の出はあと5分ほど遅くなる。1月上旬から中旬にかけてがそのピークで、埼玉県では6時52分位だ。冬至の日が日の出が一番遅い日(夏至なら日の出が早い日)にならないのは、均時差という天文学上の原因による。それは、地球の軌道が円ではなく楕円体であること、黄道面と赤道面が一致していない(傾いている)ことによるのだそうだ。たしか、そんなことが『暮らしの気象学』(倉嶋厚著)に書いてあった。 早朝型ランナーの私としては、日の出が早くなるのが待ち遠しい。寒さのピークは1ヶ月以上先のことだが、気持ちだけは日差しを受けて走る方が暖かく感じるからだ。 さて、今日は全国高校駅伝が京都市で行われた。男子は、世羅(広島)が2時間4分9秒で3年ぶり6回目の優勝を果たした。予選タイムトップの須磨学園(初出場)は、4位に終わった。また、埼玉県から初出場の武蔵越生は29位だったが、地区代表として出場した埼玉栄は11位と健闘した。 今年は初出場が7校あったが、全国大会というプレッシャーや調整の失敗などで力を出し切れないチームが多かった。その反面、県大会では代表の座を勝ち取ることができなかったものの、地区代表として参加した11校のうち4チームが県大会の代表校をしのいだ。いぞれも、西脇工を始めとする出場経験の豊富な伝統校である。初出場での失敗と経験はきっとこの次に生かせるはずだ。 失敗といえば、私も今日大きなミステイクをしてしまった。出場した川越市民駅伝大会でのことだ。一般Bの部(40歳以上)に若葉グリーンメイトチームのアンカーとして走らせてもらったが、ナンバーカードを勘違いして、1位で入ってきた4区の走者からタスキを受ける際に相当のロスタイムを生じさせてしまった。幸いにも順位を下げることにはならず、大事にいたらなかったが、大いに反省しなければならない。 ![]() ![]() ![]() (写真上) 1区のスタート(先頭はゲスト参加した大東大チーム) (写真中) 表彰を受ける若葉グリーンメイト (写真下) 表彰式後の記念撮影 2009年 12月 13日
全日本実業団女子駅伝をテレビ観戦した。優勝を果たしたのは三井住友海上で、2時間15分27秒で2年ぶりだ。大会最多7度目の優勝となる。2位に天満屋、3位には第一生命が入った。
三井住友海上は各区間の選手が安定した走りで上位をキープし、5区の大平美樹が首位を奪い、アンカーの大崎千聖で逃げ切った。同チームは区間賞を一人も出さず、まさに総合力で勝利をもぎ取った。駅伝の強さは、一人のエースの力よりも、全員の力の総和である、というお手本のようなレースだった。 勝敗を分けたポイントは二つある。一つは、各チームのエースが集まった3区(10キロ)で、天満屋の中村友梨香が7位からデンソーを始めとする上位チームに追いついたが、逃げ切れなかったことだ。13位でたすきを受け取ったワコールの福士加代子が激走を見せて、6.3キロでトップに浮上し、そのまま中村らを振り切った。福士は、5キロのラップが15分14秒という驚異的なペースで追い上げ、最終的には31分02秒という区間新でタスキをつないだ。 今シーズンの中村の活躍から見て、区間賞は間違いなく、トップも伺えるのではないかと期待していたが、やや意外な展開となった。結果的に2位に甘んじ、必ずしも完調ではなかった渋井陽子(三井住友海上)を大きく離しきれなかった。 もう一つは、最終の6区で、1位と25秒差で5区の重友梨佐からタスキを受けた浦田佳小里(天満屋)が、大崎を詰めきれなかったことだ。5000メートルの持ちタイムでは、浦田の方が約15秒のアドバンテージがあるので、無理を承知で前半にもっと追い込んで射程距離まで詰め、大崎をあわてさせる戦術もあったかなと、思った。ゴールでは、11秒差まで詰めることができただけに、残念な気がする。
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LSDから始めるランニングの世界を追求します。コミュニケーションを大切に、そして健康に注意しながら走っていきたいと思います。「マラソンはLSDで始まり、LSDで終わる」が基本です。
by hasiru123 カテゴリ
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