2024年 03月 10日
小澤征爾さん逝く 『ボクの音楽武者修行』について
スクーターとギターを持って、たった一人でヨーロッパへ向かったのは24歳の時だった。偶然にも、フランスのブランソンで行われた指揮者コンクールで一位に入る。若い指揮者の採用試験のようなコンクールで優勝したことが、カラヤンやバーンスタインに認められ、世界的な指揮者へのスタートラインとなった。
日本を出て十ヶ月くらいたったころ、深刻なホームシックにかかる。パリに住む医者の門をたたくと、病院の代わりに修道院に入ることを勧められる。その後半年は、日本のトラピストの本家だという所で生活することになる。その時の心変わりが手に取るように分かるので、拾ってみたい。
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季節は冬で、もう半月ほどもすればクリスマスというころだ。北の海からは肌を切るような冷たい風が吹いてくる。ぼくはふと真冬の桐朋学園の行動を思い出した。しかも通された部屋というのが半地下室のような所で、陽が当たらない。そのうえ全部石でできているのだからたまらない。火の気など全然ない。そこがどうやらぼくに宛がわれた部屋なのだが、石の布団に寝かされないだけマシなのかもしれない。ぼくは覚悟をしてきたつもりだが、それでもあまり寒いのでがたがたふるえていた。それを見ても、医者ならぬ坊主はストーブか何かをくれるわけではなく、「心配はいらぬ。お前は必ず元気になる」と、自信たっぷりに断言するだけだ。しかし不思議なことに、神の力は恐ろしいもので、パリに帰る頃には少しやせはしたが、元気になり、ホームシックなんかどこかへ吹き飛んでいた。
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わたしにはホームシックにかかったという記憶はないが、行動派の小澤さんでも単独で、しかも初めての海外渡航はこたえたに違いない。
この修道院はイギリスに近い半島の中のノルマンディにある。パリから汽車とバスに6時間乗り継いで行く小さな村である。緯度から見てもだいぶ北に偏っていて、かつての樺太(現ロシア領サハリン)に位置する。寒いはずである。
坊さんは若い人から年長者までの40人ほどが自給自足の生活をしていて早朝に起こされ、ミサ堂でグレゴリオ聖歌を歌わされる。医者ならぬ坊主から「心配はいらぬ。お前は必ず元気になる」を断言されて、「パリに帰る頃には少しやせはしたが、元気に」なった。まるで日本の修験者が行う修行のようではないか。
修道院から東京にいる家族あてに出した手紙に、送ってもらいたいもののリストを書きつけている。10あるうちの6番目に漱石の「こころ」と「明暗」とあった。畳のにおいや日本語が無性に懐かしくなる。本場のブドー酒を飲んでも少しもうまく感じられない。美人も急に目に入らなくなった。パリで悩んだ心を癒したいという気持ちが伝わってくる。
指揮者の資質として「柔軟で鋭敏で、しかもエネルギッシュな体を作っておくこと。また音楽家になるよりスポーツマンになるようなつもりで、スコアに向かうこと」と書いている。ヨーロッパへ渡ってからニューヨーク・フィルの副指揮者に就任するまでのおよそ3年間は、小澤さんの音楽人生の5パーセントにも満たない。だが、そのスピード感と豊富な熱量は短距離ランナーの疾走のように見える。
わたしは小澤さんの指揮する姿を直接見ることはなかったが、かつてTBSで放送されていた「オーケストラがやって来た」という音楽番組にときどき出演していたのを思い出した。オープニングで演奏されるテーマ音楽は、ヨハン・シュトラウス2世の「常動曲」。曲終盤のホルンが吹かれる箇所に入ると指揮者の山本が客席の方を向き、観客と一体になって<オーケストラがやって来たあ〜>と合唱するあの番組である。山本直純との共演はクラシック音楽に門外漢だったわたしにも十分に楽しめるものだった。「棒ふり」(小澤さんは指揮者のことを謙遜してそう表現している)の面白さを知ったのはその時である。
2024年 02月 25日
久々に国内選手が優勝 大阪マラソン
2024年 02月 18日
スクールカーストという恐怖
プロ野球には三軍制を敷いているチームが3つある。カープとホークス、ジャイアンツである。主な目的は、若手選手や育成選手の実戦経験を増やすことだ。
プロ野球とは別の世界で、学校の教室にも「スクールカースト」と言われる、1軍から3軍までの序列構造ができているらしい。精神科医の和田秀樹氏が著した『疎外感の精神病理』(集英社新書)に教わった。
人気者でリーダーシップをとる1軍と、それに合わせてクラスの雰囲気を作っていくフォロワーの2軍があり、仲間外れの3軍がいる。このような環境で育つと、仲間外れにされること、友達が少ないことはまさに恥であり、自己否定につながるようになってしまうのだと。これが、疎外感恐怖の原型を作っているのではないかと和田氏は書いている。
スクールカーストは学校の中だけでなく、大人の社会の中にもはびこっているような気がする。職場を始めとして、SNSを通したサーバー空間の中にはよく見られることである。圧倒的な多数意見にイイネを押さないと袋叩きにあったり、政治家の中にも周囲の空気を気にしながら行動するという光景は拡大しつつある。もしかすると、家族関係の中にもあるかもしれない。
サッカーワールドカップや野球のWBCなどのイベント、特定の選手の一挙手一投足などが誇大に扱われたりするのも疎外感恐怖の流れの中で醸成されたうねりではないかと思ってしまう。それほど関心を持たない人にとっては、圧力と感じる人もいるはずだ。
そんな中で、21年の東京五輪では世の中が必ずしも五輪一色とならずに、賛成と反対が拮抗していたのは一条の光だったような気がする。コロナ禍という背景が起因していたとしても、健全な一面に思わず心が軽くなったものだ。
2024年 02月 05日
寒暖差にご注意 厳冬期の駅伝
新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けが、インフルエンザと同等の5類になってから7か月近くになる。このことによって一律に日常での基本的感染対策を求められることはなくなり、わたしたちの生活や社会に活気が戻ってきたように見える。
NHKは、2月2日時点で新型コロナの患者数が前の週から1万3339人増えて7万3607人となり、1つの医療機関当たりの平均の患者数は14.93人で前の週の1.22倍となったという厚生労働省の発表を報じていた。これは微増と言えるのかもしれないが、気になるのは前の週からの増加が10週連続ということである。
昨日は、わたしの所属するチームが埼玉県駅伝に参加した。コロナ禍を経て、ようやく2020年まで実施されていた競技スタイルに戻った。これまでの自粛やマスク生活から離れて競技を行えるようになったことはうれしい限りである。ただし、手放しで喜べる状況にはないようである。
というのは、1週間前の奥むさし駅伝に続く本駅伝では、わたしたちのチームではコロナや風邪のために出場をとりやめた選手が続出したからである。幸いにして補欠で控えていただいた選手のおかげでタスキをつなぐことができた。そして、サポートも欠員が生じたが、最少人数にもかかわらず円滑に進めることができたのは何よりである。早朝の集合から閉会式に至るまで参加していただいた関係の皆様には深い感謝の気持ちを記したい。
私見ではあるが、昨今の感染者数の増加は長いコロナ禍の生活で免疫力が落ちていることに加えて、今年は暖冬といわれながらも気温の変動が大きかったことが影響しているのではないかと思っている。心肺機能に負担がかかる長距離選手にとっては、よりリスクが高い感染症である。
かく言うわたしも、感染症ではないがこの冬体調を崩した者の一人である。発熱や呼吸器系の症状がある場合は、新型コロナかもしれないし、インフルエンザかもしれない。そんなときには、無理をしないで自宅で休むに限る。改めて、養生の大切さを思い知らされた駅伝だった。
(写真)2月3日の節分会追儺豆撒き式 成田山川越別院
2024年 01月 30日
和服の似合ふ 歌会始から
1月中旬のこと、ふと新聞のテレビ番組表を見ていたらNHK総合テレビで皇居・宮殿「松の間」で開かれる「歌会始の儀」が生中継されることを知った。早速ビデオに収録して、視聴することに。
歌会始の起源は必ずしも明らかではないが、ここは宮内庁のサイトに詳しく解説されていたので、引用してみる。
「鎌倉時代中期、亀山天皇の文永4年(1267年)1月15日に宮中で歌御会が行われており、『外記日記』はこれを「内裏御会始」と明記しています。以後、年の始めの歌御会として位置づけられた歌会の記録が断続的に見受けられます。このことから、歌御会始の起源は、遅くともこの時代、鎌倉時代中期まで遡ることができるものといえます」
このことから、歌会始は750年以上前から行われていたことが分かった。さて、令和6年の歌会始は、題が「和」。どの入選歌も素晴らしいものばかりだった。中でも私が惹かれたのは次の一首である。
花散里が一番好きと笑みし友和服の似合ふ母となりぬる
(石川県 30代 女性)
作者が能登半島地震で被災した石川県の方だったからではないし、「花散里」という源氏物語の登場人物の名前が出てきたからでもない。
女性の入選者は皆和服姿だった。学生時代に友人たちと交わした会話から、「花散里」が好きだと話していたその人を思い出したのかもしれない。母となり、和服の姿に時の流れを思いつつ、詠んだものだろう。まるで自分の姿が映っているかのような雰囲気に思わず快哉を叫んでいる。心が晴れやかになって思わず声が出てしまった、そんな光景が目に浮かぶようだ。気持ちを表す言葉が生き生きとしている。
こんな歌に出会うと、読者は和服に身を包んでみたくなるのではないか。
(写真)龍山院の白梅 埼玉県上尾市