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『ラグビー・ロマン - 岡仁詩とリベラル水脈』を読む

ラグビー・ロマン―岡仁詩とリベラル水脈 (岩波新書)

後藤 正治 / 岩波書店


この人の名前がいい。岡仁詩(おかひとし)。名前通りのスタイルをもって、選手を指導し続けた。いわゆる”岡イズム”である。

新しい戦法の創造、学生個人を主体とするチームづくり、教育的視野、そしてその底流にあったリベラリズムという思想等々、がそれである。著者は「時を超えて伝承すべきキラリと光るものが数多く宿っている」ことが執筆の動機だったと、あとがきに書いている。同志社大学ラグビーの代名詞的人物であった老ラガーマンの足跡とその水脈をたどる物語である。

同大が初めて日本選手権に出場した1981年、相手は新日鉄釜石で(釜石が)7連覇したときの3年目にあたる。実はこのとき、私はたまたま国立競技場で観戦していた。同大は1トライもできずに、3対10で敗れている。それでも、社会人選手権の覇者に対してよく食い下がった、という印象が記憶にある。

問題は、その翌年1月2日に行われた大学選手権準決勝の対明大戦である。著者をして「ひとつのジャッジが、一人の選手のその後に、また笛を吹いたレフェリーのその後にも影を落としたという意味において、それは空前の試合」と言わしめた”事件”である。後半のもみ合いの中で、同大ウイングの大島真也が反則をとられて退場となる。明大選手の顔を踏みつけたとして、レフェリーがラフプレーと判断したためだ。後に、ミスジャッジではなかったかと言われることになるが、その真偽は定かではない。「はっきりしていることはただひとつ、レフェリーがラフプレーがあったと判断したらそれはラフプレーだということである。それがラグビーの鉄則である」。

同大はこの試合を落とし、日本選手権には出場できなかった。岡(当時部長)は、ラフプレーを潔く認めたが、選手を責めることはなかった。しかし、試合後の夜に荒れた選手やOB等に対しては、ジャッジについて一切口にしないよう厳しく戒めた。その後の1年、このときだけ部長・監督の兼任を受け、汚名を晴らすべく苦しみながら、再び大学日本一に輝いている。

そして、4年後の大学選手権決勝での慶応大学との一戦。今度は、81年の対明大戦とは反対の経験もする。同大は薄氷を踏む勝利を飾るのだが、このときの終盤で慶大は逆転につながるトライを挙げあげたかと思われたが、レフェリーの笛が鳴った。「スローフォワード!」。これで同大は勝った。スローフォワードのジャッジに対しては、レフェリーのミスジャッジという声がある。

いずれの結果についても、岡へのインタビューから聞けるものは少ない。しかし、選手たちに教えようとしたことは何なのか、わかるような気がする。先の大島は、著者の取材にこう答えている。あのことがあったがゆえに人の痛みや思いやる気持ちを知るようになった、と。岡は、選手に対して指示をすることはあまりなく、選手に自主判断にゆだねる”自主ラグビー”に徹してきた。経験を通して選手自身に解釈させるのが、岡流の指導ということだろう。この話は「第6章雪辱」に出てくる。

このほかに、岡の師である星名秦との出会いやオール同志社を率いてはじめてのニュージーランド遠征での最終戦カンタベリー招待チームとの一戦、そして学費値上げ紛争での大衆団交などの物語が語られている。岡のもとから生まれたラグビー指導者は数多い。著者が形容する「柔らかな教育者」を通して、ラグビーの物語に浸ることができた。

本書が上梓された1年後(2007年)、岡は戻らぬ人となった。亡くなった翌日、第二期黄金時代にロックでキャプテンを努めた林敏之は自身のブログにはこう書いている。

<「楽しく苦しく美しく」。先生の好きな言葉でした。試合は楽しい、だけど練習は苦しい。しかし苦しい練習を乗り越えて、美しいトライが生まれる、美しい友情が生まれる。人生もまたしかりだと>
by hasiru123 | 2011-05-08 21:44 |