ブログトップ

夢のマラソン

ボストンマラソン便り

4月18日に行われたボストンマラソンに、若葉グリーンメイト(WGM)から3名が参加しました。その一人、Iさんから報告が寄せられましたので、ここにご紹介いたします。

  *****************

WGMの皆さん、長年の夢でしたボストンマラソンに参加してきました。

109回という長き伝統を誇るだけあって、大会当日の18日月曜日までの3日間のボストンはマラソン一色になります。16日はNO引換えがコンベンションセンターで行われますが、世界のメーカーが出店して靴やウエアーや帽子など販売しています。日本のアシックスなどのブースもありましたが、圧倒的に米国はアディダスが強いですね。広い会場が押すな押すなの大盛況です。

17日は、朝7時頃から10分の1の距離4Kのfreedom runが、マラソンのゴール地点からc0051032_713877.jpg目抜き通りを駆け抜けて、 ゴール地点までの周回コースに、明日の参加予定者がフリーに参加して友好を温めます。 (右 写真1)

米国各地や他国の人々、またアジアでは韓国の参加者が民族衣装や韓国国旗を押し立ててアピールしていました。 これに参加するには、登録したナンバーカードを胸につけて走ります。ゴールすれば、水やパン、ジュース、バナナなどをもらって散会します。同じ17日の6時からはカーボローデイングが開かれましたが、私は参加しませんでした。

さて、18日の当日は快晴に恵まれた絶好のマラソン日和となりました。が、気温は時間とともにc0051032_714950.jpgあがって、スタート12時には20度を越えるまでになってしまいました。スタートは全く聞こえない1.5キロ位は離れていたでしょうか。
空に航空機が3機飛びさり、2機のセスナが「ゴールまで同行するよ」という文言の大きな旗を垂直にはためかせて旋廻していました。この旗は先頭の選手を空から誘導している状態で進みます。いかにもアメリカらしい壮大な光景です。 (右 写真2)

私達のゼッケンは20764前後で最後尾でした。周りにはゼッケンのない人も柵の外側に大勢参加していますが、お咎めはありません。スタート地点に到達するまでの28分強は整然としたもので誰もあせっていません。

スタート後は、一気の下りで混み合うこともあまりなく、スムーズに走れました。ホプキントンのスタートからボストンまでの片道コースは高低差150mですが、単純な下りでないことは走り出してすぐ感じました。意外にきつい登りが多いのです。5Kぐらいまでに3,4回はあったでしょうか。沿道は応援の人人で溢れます。下見の時は閑静な住宅があるだけでしたが、すごいです。年齢は関係なく、本当に素敵に声をかけたりハイタッチしたりしています。ジャズバンドがいるのもアメリカだと思 いました。

みんな愉快に楽しく参加してくれています。ホプキントンからボストンまで8つの街を走りますが、特に12マイル地点のwellesley collegeは、全寮制のお嬢さん大学ですが、500m位にわたって、ランニングシャツ姿で黄色い声でだれかれなく応援してくれます。ハイタッチや手作りのI lave you や Kiss me なんていう表示を掲げています。本当にキスした人もいたとか聞きました。

この大学からはヒラリーさんも出ているそうです。 この地点を過ぎると中間地点で、25キロかc0051032_7161866.jpgらはいよいよ心臓破りの丘です。 ここまでに殆どの人は足を使い切っていたそうです。試走の時は鳩山(埼玉県鳩山町)の坂に比べると軽い軽いといっていたKさんも歩いて乗り越えたそうです。あいにく私は腹痛がひどく、試走のときもバスの中、本番も途中 リタイアーで、とうとうハートブレイクヒルを体験できずに終わりました。 (右 写真3)

今日、記録証が届いていました。グロスとネットの5Kごとのスプリットが表示されています。スタート地点の写真を添付します。

  *****************

以下、補足です。

写真1は、当日レースを誘導してくれるオートバイ隊で、20台位あったでしょうか。写真2は、当日のスタート地点でここがトップの高さにあることがお分かりでしょう。写真3は、ゴール近くの公園に刻まれている歴代優勝者名と国名、タイムです。地面のコンクリートに記されています。「田中茂樹」が読み取れるでしょう。

競技が終わった後、最後のイベントは、8時からポストレース・ダンスパーティがホテルでなんと午前1時まで盛大に行われます。私達は、別途ツアーで完走会をおこない、それぞれの健闘を日本食で祝いました。

さて、ポストンはいかに記録が出にくいかのキーワードですが、まさにアップダウンに尽きるでしょう。マイル毎の高低差でプラス(登り坂)が26マイルのうち9マイルもあります。特に心臓破りの丘は17.18マイルで26メートル、20.21マイルで30メートル登っているのです。国内の主要な大会でこれほど登る大会はありません。東京の四谷の坂や琵琶湖の峠などは比較にならないのではないでしょうか。

面白いデータを見つけたのですが、1951年(昭和26年)田中茂樹さんが優勝した翌年は大会が行われていないのです。1953年に山田敬三さんが優勝しています。日本人は他に浜村さん、重松さん、君原さん、うね谷さん、そして瀬古さんが2回優勝していますね。瀬古さんの記録も10分を少し切る9分24秒ですから、いかに難しいコースかが分かるような気がします。

今年は、20度を越える気温で、2時間11分45秒でエチオピアのハイル・ネグシエ選手が優勝したのはご承知のとおりですね。

我々市民ランナーも、いいコンディションで、練習もよく積んで参加してはじめて納得の行くタイムがでる、挑戦し甲斐のあるコースではないでしょうか。
[PR]
by hasiru123 | 2005-05-01 07:13 | その他