小説を書くことは走ること

『若い読者のための短編小説案内』(村上春樹著)を読んでいたら、次のようなくだりがあった。

「作家は短編小説を書くときには、失敗を恐れてはならないということです。たとえ失敗をしても、その結果作品の完成度がそれほど高くなくなったとしても、それが前向きの失敗であれば、その失敗はおそらく先につながっていきます。次に高い波がやって来たときに、そのてっぺんにうまく乗ることができるように助けてくれるかもしれない。そんなことは長編小説ではなかなかできません」

「僕は短編小説を書くときには、まとめて作品を書くようにしています。それもたくさん書けば書くほどいい。・・・ある程度数を作ることによって、自分の中に波のリズムを意識的に作り出していく」

「短編小説は、長編小説をかくためのスプリングボードのような役割も果たしています」

村上は短編小説を実験の場として使い、長編小説の始動モーターとしての役目を期待しているようだ。

「書く」ことを「走る」ことに見立てて、「短編小説」を「10キロ走」に、「長編小説」を「マラソン」に置き換えてみるとどうなるか。すんなり当てはまりそうな気がする。10キロ走は、失敗してもいいからマラソンにつながる失敗を、と言っているようにも聞こえてくる。

前回の小ブログに、走ることについての私のトラウマは「今年もマラソの30キロ以降に失速するのではないかという恐怖だ」と書いた。残念ながら、今年のマラソン挑戦はそれを克服するどころか、些細な故障から不戦敗となってしまった。

実は、走ることについて私にはもう一つのトラウマがあった。それは、5キロや10キロといった比較的短めの長距離レースを避ける傾向があることだ。特に最近になるにしたがって顕著である。これらの距離に対するコンプレックスというか、苦手意識なのだろう。

そうだ、、失敗を恐れずに10キロレースに積極的に出て、マラソンを走るリズムを意識的に作り出していくことも大事なんだよ、とこの本から教えられた気がする。同書でこうも書いている。

「もっともいけないのは、作者が「ひとつ巧い短編小説でもかいてよろう」と、頭の中でまず物語を拵(こしら)えてしまうことです」

10キロ走でいいレースをしようと力んでしまうことは、マラソンにつながらない。「もっと気楽に頑張れ!」のエールと、と理解した。
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by hasiru123 | 2011-12-11 23:57 | マラソン