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五輪の企画番組から学ぶ

五輪における選手の活躍ぶりを予想するのは難しい。しかし、より多くの情報から読み解くことは、競技を深く知るためにも、そして選手を応援するためにも極めて重要である。そのことを考えさせてくれる番組に出会った。いずれもマラソンに関するものである。

まず、男子マラソンの藤原新(ミキハウス)に焦点を当てた7月9日放映(以下NHK)の「クローズアップ現代」<常識を超えろ~男子マラソン~藤原新/ロンドン五輪への挑戦>がある。バルセロナ五輪の森下光一(92年、2位)以降はメダルがなく、近年の世界記録は更新がめざましい。加えて、北京五輪(08年)の高速化(1位のワンジェロが2時間06分32秒で優勝)である。夏行われることが多く、勝負重視の五輪だが、後半追い上げる耐久レースからスピードレースに進化している。ロンドン五輪も必ずスピードレースになると読んで練習に取り組んでいるのが藤原だ。

スピード力とは1キロ3分以内のペースを持続させることで、そのために行っているのが「20キロから30キロの長い距離を全力で走ること」だという。言うは易しだが、代表決定からレースまでが半年しかないという期間的な制約を考えると、一筋縄ではいきそうにない。そして、日本人選手にとっては超えたことのない記録の壁に挑戦するという意味では、身体的、心理的な負荷が大きく、多くのリスクを伴う。その挑戦を後押ししたのが川内優輝(埼玉県庁)の走りだったと、藤原のインタビューで知った。プロというインセンティブの高さがそうさせたのかもしれない。

ロンドン五輪のコースは、市街地の急カーブと一部の細い道が特徴であるが、この対策はどう考えているのか。藤原が調整で出場したロンドンでの10キロレースで、早速貴重な体験に出会っている。先頭グループについて行ったら、途中の狭い道で中継車に阻まれて減速を余儀なくされた。また、カーブを曲がるときには多くの選手が内側に集まりやすいことも知った。藤原は、カーブでは混雑に紛れこまないよう外側を走ることに徹して、25キロ過ぎまで上位でいられるようにしたいと語っている。

カーブ対策については、7月23日放映の「アスリートの魂・粘っこく走り抜け」<女子マラソン 重友梨佐~メダルへの課題~>でも触れていた。カーブの多いコースは、ピッチ走法の重友梨佐(天満屋)には有利だと語るのは、武富豊監督(天満屋)だ。「減速と加速を繰り返すコースでは、ストライド走法の選手には脚に負担がかかり、結果としてスタミナを消耗する」「鍵は3週目だ。(ペースを)落とさずにどう走れるか。その時までに余力を持っていれば、上位の選手を食うこともできるかもしれない」。2時間21分から22分の争いになるだろう、と予想する。

番組では「重友が後半まで粘れる秘密はフォームにある」として、ハイスピードカメラで撮ったビデオを紹介していた。確かに、重友のフォームは上下動が少なく、肩の位置が水平に保たれている。蹴り出した脚の力が上方向へ向かずに前へ向いている。これが、スタミナが後半まで持続する省エネ走法だと説明している。高校時代(興譲館)から、フォームを安定させるために競歩の練習を取り入れていた、というだけのことはある。「疲労度の少ない走りをしてきたので、もっと伸びる」と武富監督は期待する。

女子も世界のトップランナーとは水をあけられていて、ロンドン五輪代表で最も速い記録(L.ショロブホア)と重友の記録とでは約5分の差がある。カーブがのべで100か所もあるこのコースは、いわゆるスピードランナーには不向きで、持ちタイムの差を埋める好機かもしれない。陸連が行った米国での高地トレーニングに加えて、菅平での起伏のあるコースで走り込む様子も紹介されていた。下りでは、前脚の腿の筋肉を鍛えてることでカーブでの減速の練習になり、上りでは腿の裏やふくらはぎの筋肉を鍛えることでカーブを曲がった後の加速の練習になるとの考えからであった。

もう一つは、7月16日放映の「ミラクルボディー」<第3回マラソン最強軍団~持久力の限界に臨む~>があった。現在の男子で2時間3分台で走った選手は、H.ゲブレセラシエとP.マカウ、W.キプサングの3人だけだ。3人はなぜ3分台で走れるのか。さまざまな角度から医学的な成果を駆使し、次の3点をその要因に挙げている。まずマカウが「つま先着地」である点に着目し、次に「高地での豊富な練習量と子供のころからはだしで走っていること」を挙げ、さらにゲブレセラシエとマカウの「血液と強力なポンプ(心臓)」に触れている。

「つま先着地」は、蹴り出した足が踵から入らないでつま先から入るような形で足裏全体で着地をする方法である。スポーツ科学センターの実験によれば、着地したときに身体が受ける衝撃は、マカウが93kgで体重の1.6倍だったのに対して、日本の代表選手の山本亮(佐川急便)は132kgで同2.2倍だった。衝撃力の小さいことが安定したフォームにつながっている。これも、超スローの映像で見ると重友の肩位置が水平に保たれている走法と共通するものがある。

筋電計を使って筋肉の使用状況を調べると、マカウはもっとも体重が乗ったとき、全力で出せる筋肉の48%しか使っていないのに対し、山本は81%を使っていた。マカウは山本より30%も少ない筋肉で走っていることになる。「疲れを知らない走り」の一つの要因はここにある。

なぜ、つま先着地で走るようになったのだろうか。Y.ピツラディス博士(イギリス・グラスゴー大学)はこう説明する。「はだしで山道を走るときは、より衝撃の少なくするために、本能的につま先着地になる。子どもたちは、その結果足の指を曲げる筋肉や土踏まずを支える筋肉が鍛えられる」。

MRIで脚の筋肉の断面を調べてみると、深部庭屈筋群という脚の指を曲げたり、脚の筋肉を支えたりする部分の面積は、マカウの山本よりも37%大きいことも分かった。マカウも、子供のころははだしで生活していたという。

心臓の左心室は、ゲブレセラシエがは一般の同年齢の男性平均と比べると容積で約1.6倍、筋肉重量で約1.3倍大きいことも分かった。通常の人だと、大きくなっても平時の1.2倍くらいまでだ(B.D.レビン教授(サウスウエスター医学センター)のインタビューから)。ゲブレセラシエの心臓は、多量の血液をもらうことで全身の筋肉に十分な酸素を供給することができるのだ。さらに、赤血球の数が多いことにも、さまざまな研究者のインタビューを交えて紹介している。

これらの番組で紹介された内容は、一般のランナーにとってはすでに常識として知られていることもある。例えば、つま先着地が脚への衝撃を緩和する役目を果たし、長くスピードを維持することが可能な効率的な走法であることを教えられた市民ランナーは少なくないだろう。しかし、具体的な実験結データや映像で確かめると、改めて走ることの原理について考えさせられる。また、そこから派生して新たな疑問点も浮かび上がってくる。

たとえば、ゲブレセラシエの多量の血液を送り続ける心肺機能は、短距離や中距離のトップランナーと比較するとどうちがうのだろうか。また、マラソンが本来多くのエネルギーを必要とされる競技であることから、エネルギーを生み出す血液はどのような過程を経て生成されているのか。踵着地からつま先着地を意識した走りへ切り替えるのに、身体バランスを崩さずにうまく進めることはできるのか。また、身体的なリスクはないのだろうか。こうした素朴な疑問を顕在化させたという意味で、これらの番組は力作であった。

藤原の挑戦や重友の課題から、ともに世界が見えるところで勝負しようという意気込みが伝わってきて、応援にも熱が入る。ロンドン市街地でどんなドラマが控えているのか、開幕ベルが待ち遠しい。
by hasiru123 | 2012-07-29 20:10 | マラソン