秋元家と川越藩

川越藩に最もゆかりの深い大名といえば、秋元家ではないだろうか。在任期間が4代63年間と必ずしも長期とは言えなかったが、それぞれの藩主が幕府の要職に就き、川越の産業奨励や地域文化の発展に貢献した。とりわけ4代藩主秋元但馬守田喬知(あきもとたじまのかみたかとも)を、その筆頭格に挙げたい。

喬知は、宝永元年(1704年)に甲斐国谷村藩(現在の山梨県都留市)から武蔵国川越藩へ転付した。谷村時代は領内整備に力を注ぎ、養蚕による織物を盛んにした。川越藩へ転付してからは元禄の大地震や富士山噴火などで混乱を極めた領内をまとめ、殖産振興に努めた。特に「川越平」と呼ばれた絹織物は川越地方の特産品に成長し、その技術は後に盛んになった「川越唐桟」にもつながったといわれる。

秋元家の時代は、川越の代表的な地誌とされる「武蔵三芳野名勝図会」の先駆けとして「川越素麺」と「多濃武の雁」が作られている。「川越素麺」は江戸時代の地誌として最も古いものと言われ、川越の町勢や神社、寺院、伝説などについて記述されている。

川越織物の基礎を築いた秋元家にフォーカスした「譜代大名秋元家と川越藩」が川越市立博物館で昨日から公開された。以下の5つのテーマに分けて紹介されている。

   第1章 譜代大名秋元家
   第2章 日光東照宮と秋元家
   第3章 秋元家の川越藩政
   第4章 川越地誌の成立
   第5章 特産品「川越平」の成立と発展

展示品の中で特に目を引いたのは、「朝鮮通信使行列図大絵馬」(川越氷川神社蔵)だった。川越の地に住みながら、なかなか直接見ることができないでいた。余談になるが、川越にある朝鮮通信使関連の資料にはこの他に「川越氷川祭礼絵巻」(同)があり、本町の朝鮮通信使仮装行列など異国情緒あふれた出し物を見ることができる(これは今回は展示されていない)。これらの絵図から、歩いたり走ったりする人々がナンバ歩きであるらしいことを、かすかに読み取ることができるのは興味深いことだ。

また、先ほど触れた「武蔵三芳野名勝図会」は享保元年(1801年)に作成されたものだが、海保青陵(1755~1817年)が序文を記した原本を見ることができる(もちろん、ガラス越しで)。海保青陵は「稽古談」と「升小談」という経済論書を著しているが、この中には「川越平」が当時の川越地方の特産品で広く知られていたことが記述されている。この両書も原本で見ることができる(いずれも京都大学図書館蔵)。

「山王祭之図」(国立国会図書館蔵)は、北新堀町(現在の東京都中央区日本橋箱崎町付近)の附祭を描いた絵巻だが、詞書に「1.店警固肩衣川越平之袴晒(さらし)帷子(かたびら)琥珀之帯」とあり、店警固衆9名が「川越平」を着用していた様子が描かれている。原本は、残念ながら11月1日からの展示である。

「秋元家甲州郡内治績考」は、秋元家が甲斐国谷村藩時代における事績をまとめたものだが、特産品である絹織物の生産を奨励したことについて書かれていて、川越織物を知る上で極めて重要な資料である。しかしながら、私はこの資料が秋元家の最後の転付地であった館林の地にある館林市立図書館に保存されているということを知らなかった。ぜひ、機会を見つけて読んでみたい。

今回の展示品は、埼玉県内外から広く集められている。これだけの資料を同時に見ることは、この機会をおいてないだろう。展示物を紹介した図録が800円で頒布されていたので、早速求めた。私は博物館や美術館で企画展を見た際には、必ず図録を購入することにしている。というのは、図録はたいてい良質の紙に良質の印刷がなされていて、書籍として買ったならばかなりの値がすると思われるものが、驚く程の低価格で手に入るからだ。そして、同様の企画では2度と印刷物として世に出されることはない。これは、平成9年に当博物館で開催された「川越氷川祭礼の展開」という企画展で、黒田日出男東京大学史料編纂所長(当時)が講演された折、教えられたものだ。

市制施行90周年記念特別展として、また川越祭の季節にふさわしい好企画であった。
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by hasiru123 | 2012-10-21 22:15 | その他  

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