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『敗れざる者たち』を読む

敗れざる者たち (1976年)

沢木 耕太郎 / 文藝春秋

スポーツを題材にしたノンフィクションを数多く残し、「私ノンフィクション」と言われる沢木耕太郎。その初期の作品に『敗れざる者たち』があり、再読した。ここに取り上げられた6つの短編は「勝負の世界に何かを賭け、喪っていった者たち」とうテーマの下に書かれたものだ。その中で3番目の作品は「長距離ランナーの遺書」。

なぜこの本を書棚から取り出したかというと、いま進行している世の中の動きと、高校時代の思い出とが偶然に出会ったからにちがいない。「いま進行している世の中の動き」とは、2020年の夏季五輪を目指す東京の招致委員会が計画書を国際オリンピック委員会(IOC)に提出したことである。なぜ再び東京なのか。東京都の猪瀬直樹知事の会見や計画書からは、読み取ることができなかった。

「高校時代の思い出」というのは、東京五輪で3位に入った円谷幸吉が亡くなって35年が経ち、厳冬期に入ったいま、それが1月だったことを思い出したからだ。間もなく埼玉県駅伝が開かれるが、円谷を初めて近くで見たのは埼玉県駅伝のゴール地点で閉会式会場でもある埼玉県庁前だった。昭和41年のことである。彼がアキレス腱や椎間板ヘルニアなどの故障に悩まされていた中で、回復の兆しがのぞいた一瞬だったのかもしれない。どの区間を走ったかは覚えていないが、そこには区間賞を取って自衛隊体育学校の同僚と談笑する光景があった。

本作品には、便箋2枚に書かれた円谷の遺書が引用されている。何度読み返しても、遺書からは死への思いつめたものは感じることができなかった。沢木は「若くして命を絶った者の、この異常なほどの自己表白のなさは、いったいどうしたことだろう」と書いている。

円谷幸吉が東京五輪後の低迷していた時期に、婚約を交わした女性がいた。自衛隊関係者などから取材する中で、彼が久留米の幹部候補生学校で訓練を受けている期間に、直接指導にあたっていた畠野コーチが北海道にとばされた事実に気がつく。それを裏付けるのは数冊のノートからだった。体育学校の上官から結婚に「待った」がかかったというのである。説得力のある仮説だと思う。しかし、沢木は「宿命が神の仕掛けた罠ではなく、彼の情熱が辿らざるをえなかった軌跡だとするなら、すべては円谷幸吉の個性に帰せられるべきである」と、その仮説に寄りかかることなく距離をおいている。

「人生に、真の「もしも」など存在しない」とした上で、仮定が許されるなら「もし、アべべの足の状態を円谷が知っていたとしたら、円谷は果たして死んだであろうか」と書いている。また、彼と同年代のランナーである君原健二が不振だった東京五輪後に失意に陥っていたときのこと。最後まで自分の決意を大事にし、結婚したことをに触れて、「私の長い競技生活も独身だったら(メキシコ大会の銀メダルが)可能だったかどうかわからない」という君原の「もしも」も引き合いに出している。

遺書を読む限りにおいては、何ともミステリアスである。自衛隊入隊時の同僚斎藤勲司は、几帳面な性格の円谷が死んだ時に下着のままの姿だったり、部屋に洗濯物がかかっていたりすることから、「本当に覚悟の上の自殺だたのか」と疑問を投げかかている。意外と「発作的に首を切ってしまった」ということもありうる。

沢木は、死の本当の原因を極めることにさほど関心を示さない。「なぜ死んだのか」と問うことは、「逆になぜあなたは生きつづけられるのか、と死者からの問い返されることでもある」と書く。

実はこの問は、解決が提示されないミステリーのようなものである。すべては読む者に投げかかられ、自由に考えるようになっている。自殺から35年たった今も思い出して、本書を手に取るのは、そのためではないだろうか。
by hasiru123 | 2013-01-13 21:48 |