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何に励まされて走るのか

埼玉県にマラソン連続52日間完走のギネス世界記録(当時)を作った男性がいる、という新聞の記事に触れたのは、昨年11月だった。「事業に失敗して莫大な借金を抱え、死も考えて男性が「走ること」で立ち直り、そして大記録を打ち立てた」と。

この男性は、昨年古希(70歳)を迎えた方だ。「できそうにないこともやってみればできる」との談話が紹介されていた。その志の高さに頭が下がる思いだ。この挑戦を決意させたものは何か。何に励まされたのか。

やってみようというきっかけは、イタリア人の男性が持つ51日間連続でフルマラソンを完走した内容の新聞記事を目にしたことだったという。「この状態から脱出するために走るしかない」。フルマラソンを完走したいという希望と、続けて走るという記録に支えられながら、あることを発見したのではないだろうか。その発見とは、「苦しいことを楽しいことに切り替えること」。

歌人の佐佐木幸綱さんは問うている。「私は、何に励まされて<にもかかわらず><ねばならぬ>との情熱をかきたてて、<走る>のか?」と。佐々木さんの著作『人間の声 - 私説現代短歌原論』の一節がしばらく前にある大学の入学試験問題として出題されていた。その資料によると、答はこうである。

「人間の全体の実現、モラヴィア風に言えば、手段としての人間を、目的としての人間にとりもどしたい欲望に支えられて、<にもかかわらず><ねばならぬ>とみずからを励ましつつ、<走る>のである」。また、こうも書いている。「短歌は方法ではない。志である。<走る>志である」と。現代において短歌を創作し続けることは、短歌という形式との闘いであり、千三百年の伝統に圧倒されることなく人々とのつながりを信じながら、自己実現に向かって走り続けるマラソンランナーのような志を持たなければならない、という意味らしい。

私は、何度か佐々木さんの短歌論を読み返してみたが、このくだりがなかなか理解できなかった。ところが、先の記事に触れたとき、するすると組紐が解けたように納得できた(ちょっと怪しいが)。それにしても、これを出題されて素早く文意を読み解かなくてはならない受験生には、脱帽である。
by hasiru123 | 2014-01-19 23:01 | マラソン