中止には高い志が

毎朝のように、走っている。暑い日も雨模様の日も、そして冷たい季節風が吹きつける日も、走る。果たして、これはモチベーションのなせる業なのか、それともただの惰性なのか。ふと、そんな疑念が脳裏をよぎった。

何事かをなしうるには、モチベーションが大事である。これは、これまでに一貫して言われ続けてきた言葉である。学生時代には教師から、会社では先輩諸氏から。そして、陸上競技のトレーニングにおいては、私自身も時々言ったりする。

学習を開始したばかりのビギナーならともかく、一定の経験を踏んだ者には、なくてもいい言辞ではないかと思うようになった。というのは、私自身の習慣的なランニングがモチベーションによって支えられているとは思えないからである。やる気があるかないかにかかわらず、多少の悪天候でも走れたりする。ちなみに、一昨日の大型台風11号の大雨の中でも、何とかジョグを行うことができた。もちろん、秋に控えたマラソン大会という目標があって、「それに向けて持久力をつけなくては」というのが練習の動機づけになっていることは事実だが、それだけではないような気がする。

つまり、30年間走り続けてきた中で知らず知らずのうちに身についた”習性”というか、”慣性”のようなものが、たしかにある。そのためか、「今日は天候が荒れているので、中止しよう」とか、「連日の暑さによる疲労が感じられるので、少し抑えておこう」といったブレーキが利きにくくなっている。

走り出すには、初動のためのエネルギーが必要である。一方、いったん走り出して、リズムに乗ったときに中止する場合にも、相当のエネルギーが要る。初動が”習性”のような力に支えられているとしたら、中止のほうがより質の高いモチベーションや管理能力、判断力が求められるのではないだろうか。止めることを決断することのほうが難しいのである。

話は変わるが、終戦直前の昭和20年4月に本土決戦の作戦準備がまとめられていたことをノンフィクション作家の保阪正康さんが書いている(毎日新聞8月9日夕刊)。作戦の要綱には「絶体絶命の一戦」に際して「特攻」作戦で臨むべきだという主張がある。保阪さんは、ポツダム宣言が発せられてからもなお、本土決戦に血筋をあげる軍部があったことにも言及している。著しいモチベーションの欠如としか言いようがない。

戦争を止める時期を逸して、泥沼に陥るのは数多の歴史が語っているところだろう。「中止するには高い志が必要である」と気づかされた8月である。
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by hasiru123 | 2014-08-12 18:01 | その他