2015年 07月 19日
スポーツを国民の手に取り戻す
ここまでは、あくまで建前としての期待であって、本音ではない。
というのも、今回の計画の見直しには拍手喝さいのようなものが聞こえてこないからだ。「ゼロベースで計画を見直し、できる限りコストを抑制したい」というのだから、反対の立場からすれば大変結構なことで、互いにハイタッチや握手をしてもいいのではないか、と思うくらいである。だが、しかし――。
この問題に限らず、首相はこれまで国民の反対の声に耳を貸すどころか、無視し続けてきた。にわかに信じられないのは無理もないだろう。国民の体感温度がすでに下がっているのである。
私も、競技場問題についての体温が相当に低下している。その理由の一つが、白紙に戻すということだけれども、現時点では大きな選択肢を一つ失っているからだ。
「過去の」国立競技場を含む神宮の森の歴史に向き合いながら改修工事を行う視点が欠落しているのだ。今年3月から、競技場はあわただしく入札を行って解体されてしまい、すでにない。もちろん、解体して作り直すという方法は大きな選択肢の一つにはちがいないだろうが、冷静になって競技場について考える機会を根こそぎ奪ってしまったという罪は軽からぬものがある。どうしようもなく、重たい白紙撤回の一連の報道である。
どのようにしてこの迷路を脱出したらいいだろうか。この失態を機に、オリンピックの適正規模の検討を始めとし、招致のあり方や実施頻度などの見直しを進めるしかないのではないか。到底、一つの国家や地域で決められるものではないが、5年後にオリンピックを迎えようとしているニッポンが率先して取り組むべき課題であり、実現させるチャンスだ。そして、その先にあるものは、「スポーツを国民の手に取り戻す」ことだと思う。