夢のマラソン

蔵と煉瓦

私が住んでいる埼玉県川越市には、蔵造り商家が数多く残されている。蔵造りの町並みが作られるきっかけとなったのは、明治26(1983)年3月17日の大火だった。

当時の東京朝日新聞によると、川越の全戸数3315戸のうち全焼及び半焼の土蔵で4分の1を占めたとされている(明治26年3月22日記事)。この中には、第八十五銀行(現在の埼玉りそな銀行)や鐘撞堂(かねつきどう)、蓮馨寺(れんけいじ)などが含まれていた。そして、この未曾有の大火災で川越商人たちの防火対策への意識の変革をもたらした。

商人たちは、同じ惨事を繰り返さないよう、建物そのものを防火建築にすることを考えた。伝統的な工法による蔵造り建物だ。最盛期には100軒以上の蔵造り建物が街中にひしめき、町並みを形成していた。

先ごろ、函館市で防災の先駆けといえる建築物を見る機会があった。「金森洋物店」である(下の写真参照)。

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館内は、明治から昭和にかけて何度か大火に見舞われてきた。明治11年、12年の大火で函館のほとんどの市街区域を焼失した。このため開拓使は、市街の区画整理と不燃質家屋の奨励に乗り出した。明治12年に被災した初代渡辺熊四郎もその施策に応じ、翌年11月に、開拓使の茂辺地煉瓦石製造所の煉瓦を使った洋風不燃質店舗の「金森洋物店」を開店させた。 

この店は主に舶来製の小間物や雑貨品を販売し、明治40(1907)年の大火では、周囲の不燃質店舗が焼失する中で、金森洋物店のみが難を逃れた。大正14年まで店舗として使用された建物は、昭和38年に北海道指定有形文化財に指定され、昭和44(1969)年から旧金森洋物店「市立函館博物館郷土資料館」として開館している(以上は、当館スタッフの解説による)。

煉瓦造りと蔵造りの違いはあるが、同時代の北国と川越に共通した防災対策がとられたことは興味深い。

以下の写真は、雪が降ったりやんだりだった3月上旬の函館市内で撮ったものである。

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函館市旧イギリス領事館 元町にあるかつてのイギリス領事館である。

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裏側から見た旧北海道庁函館支庁庁舎 現在は函館市写真歴史館・函館市元町観光案内所として活用されている。

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旧函館区公会堂 明治43年(1910年)に建てられた左右対称のコロニアルスタイルとブルーグレーとイエローの色が特徴的な美しい建物だ。

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五稜郭 周りの堀は固く凍結していた。

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上下和洋折衷住宅 一階が和風、二階が洋風に設計された木造二階建ての店舗・住宅で、元町付近でよく見られる。

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by hasiru123 | 2017-03-18 14:34 | その他
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