夢のマラソン

自閉症とマラソン

c0051032_14363984.jpg  マラソン말아톤








「雨がざあざあ降っています」
「一緒に生きていこうね」
「チョウォンの脚は?」
「100万ドルの脚」
「僕は出来る!」
「私の息子はサイコー」

母と息子の会話が交わされるシーン。母親の言葉をオウム返しのように返事をし、そして覚えることの繰り返しで対応している。

先天性で、特異な行動がなかなか理解されない「自閉症」という障害に、ストレートの速球勝負で挑んだのが『マラソン』だ。実話をもとにした韓国映画で、自閉症を抱えた20歳の青年・チョウォンと母親のキョンスクとの深い絆を中心に、障害の問題に直面した一家が葛藤を乗り越えていく姿を描いている。

「私の夢は、チョウォンが自分より一日だけ早く死ぬこと。そのためには100歳まで生きないとね」とは、息子から目が離せない母親のせりふ。チョウォンが生きている間は、自分以外にだれが世話をするのかという気持ちと、世話から開放される日は来るのかという絶望感の、両方の意味がこめられているように思う。自閉症は目に見えない障害だから、周りの人にもいろいろ迷惑をかけたり誤解されたりして、キョンスクの労苦は想像を絶するものがある。

キョンスクは息子が走っている間だけは、楽しそうにしていることに気づく。ハーフマラソンではなんと3位に入賞。フルマラソンに挑戦させたいと考えたキョンスクは、元ボストンマラソン金メダリスト(イ・ギヨン)に指導を頼む。しかし、熱心な母の姿を見て彼は言う。「自分の意思を言えない子はケガをする。チョウォンにマラソンをさせるのは、母親の“エゴ”ではないのか」と。

母親は、チョウォンがまだ子どものころに動物園で彼の手を離してしまった。チョウォンは迷子になって大変だった。本当はあの時、母親はチョウォンを捨てたのではないか。どうしても育てる自信がなくて・・・。それから母親はチョウォンにべったりの生活になってしまう。なかなかチョウォンの手を離せなくなってしまった。そのためにチョウォンの父親や弟ともうまくやっていけなくなる。

フルマラソンのスタートラインに立つまでには、立ち止まったり、歩いたりの紆余曲折があり、本番のレースでもダウンするシーンも。しかし、チョウォンはみごと完走。ゴール後のメラの前では、これまで人前では見せることができなかった笑顔がこぼれる。キョンスクは、スタートするときにチョウォンの手を離して本当に良かった・・・。

マラソンを走ることで、少しだけ身も心も軽くなり、少しだけ成長もするという話だ。私は、知的障害を抱える青年が出場したマラソンレースを何度かサポートさせてもらったことがある。完走を体験することによって少しだけ自信をつけたかな、と実感できたときはわがことのように喜んだことを覚えている。この次は、「手を離して」(サポートなしに)完走できることを楽しみにしている。そんなことを思い出しながらスクリーンに見入っていた。ピアノのテーマ音楽も俊逸だった。
[PR]
by hasiru123 | 2005-09-17 14:48 | その他
<< これからジョギングを始める方に LSDとは何か(13) >>