選手たちは何のために走る?

男子はケニヤ9でエチオピア3、女子はケニヤ5でエチオピア3。これは、北京五輪の800mからマラソンまでの中・長距離種目で獲得したメダル数である。ちなみに、総メダル数は男女ともそれぞれ18個。この結果から、男子の場合はメダルの半数をケニヤが占めた計算になる。

アフリカというくくりで見ると、男子は16、女子は9。特に、男子のアフリカ優位が顕著である。このようなアフリカ勢のメダル集中は何によるのだろうか。もともと持っている素質や日ごろ生活している環境が走ることに適していたこと、走ることに生活がかかっていることなど、いろいろあげられるだろう。

ケニヤ選手は、男子マラソンで優勝したワンジルを始めとして日本を拠点に活動している選手が多い。本来の資質に加えて日本で技術を学び、走力に磨きをかけた点もも逃せない。ワンジルはレース後のインタビューで、日本の渡辺先生(仙台育英高校時代の指導者)に忍耐力を教えてもらったと語っている。耐えること、粘ることは日本人選手の長距離走における大きな強みであった。長距離王国のケニヤ選手に盗まれるとは、ある意味ではうれしいことである。

日本には、高校、大学、実業団に多くのケニヤ選手が所属している。海外へ行かなくとも国内で優秀な選手たちと走り、学ぶことができる。実力の差がありすぎて競走にならない場面もあるが、日本人選手がケニヤ選手から学ぶことも多いはずだ。現に、長期にわたってケニヤからの留学生を受け入れている仙台育英高校では、全国高校駅伝で留学生の活躍に刺激されて、日本人高校生が想定以上の力を発揮する場面を何度も見てきた。ここは、日本人選手もケニヤ選手から大いに学び、盗もうではないか。

五輪に出場した選手たちは何のために走るのか。何のためにメダルにこだわるのか。テレビの画面を見ながら、この2週間あれこれ考えた。想像するだけでも楽しいものがある。走った選手の思いは、選手の数だけの自伝が編み出されるるのではないかと思う。それでは、五輪を見る人は何を期待してテレビのスィッチを入れるのか。

私だったらこう答えるだろう。<選手たちが真剣に競技する姿を見て、自分も「私見る人」ではなく、選手から走ることの楽しさをもらおうとしている>。日本人選手がメダルをとってもらえればそれにこしたことはない。しかし、とれなくてもあまり気にしない。競技の中から一つでも夢を運んでもらえればそれで大満足なのだ。

私は最近帰宅が遅いため、走る時間を確保することが難しくなっている。それでも寸暇を惜しんで練習しようと時間を捻出するのは、走ることが楽しいからに他ならない。応援する立場からで恐縮だが、アスリートの頂点に立つ人には、勝ち負けだけではなく、見る人、応援する人に夢を与える役目があると思っている。幸い、わが国には敗者をバッシングする風土にない。ぜひ選手自らが楽しむとともに、私たちにも走る楽しみを分けていただきたいものだと、少し欲張りなことを考えている。

北京五輪では、心にに残るシーンや躍動を感じさせるプレーが多くあった。残念なのは、女子マラソンで快走を期待されていた野口みずき選手の辞退の、その後、である。ぎりぎりまで身体を絞ることによる故障リスクはやむをえないと思うが、「北京では運悪く体調を整えられなかったが、これで終わりではありませんよ」とでもひとこと肉声を聞かせてくれたなら、ほっとする。今回のように書面でのコメントだけでは、何か寂しい。

選手の走る姿を見て、また選手自身の語り口を聞いて、なんだか楽しそうじゃないか、私も走ってみるか。そう思わせるのもトップアスリートの重要なミッションだ。金メダルよりもメッセージこそが五輪の一番の土産だと思うのだが。
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by hasiru123 | 2008-08-31 22:09 | その他