夢のマラソン
2024-03-13T11:13:07+09:00
hasiru123
森脇康行です。 LSDから始めるランニングの世界を追求します。コミュニケーションを大切に、そして健康に注意しながら走っていきたいと思います。
Excite Blog
小澤征爾さん逝く 『ボクの音楽武者修行』について
http://hasiru123.exblog.jp/33280040/
2024-03-10T20:38:00+09:00
2024-03-13T11:13:07+09:00
2024-03-10T20:38:26+09:00
hasiru123
芸術
スクーターとギターを持って、たった一人でヨーロッパへ向かったのは24歳の時だった。偶然にも、フランスのブランソンで行われた指揮者コンクールで一位に入る。若い指揮者の採用試験のようなコンクールで優勝したことが、カラヤンやバーンスタインに認められ、世界的な指揮者へのスタートラインとなった。
日本を出て十ヶ月くらいたったころ、深刻なホームシックにかかる。パリに住む医者の門をたたくと、病院の代わりに修道院に入ることを勧められる。その後半年は、日本のトラピストの本家だという所で生活することになる。その時の心変わりが手に取るように分かるので、拾ってみたい。
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季節は冬で、もう半月ほどもすればクリスマスというころだ。北の海からは肌を切るような冷たい風が吹いてくる。ぼくはふと真冬の桐朋学園の行動を思い出した。しかも通された部屋というのが半地下室のような所で、陽が当たらない。そのうえ全部石でできているのだからたまらない。火の気など全然ない。そこがどうやらぼくに宛がわれた部屋なのだが、石の布団に寝かされないだけマシなのかもしれない。ぼくは覚悟をしてきたつもりだが、それでもあまり寒いのでがたがたふるえていた。それを見ても、医者ならぬ坊主はストーブか何かをくれるわけではなく、「心配はいらぬ。お前は必ず元気になる」と、自信たっぷりに断言するだけだ。しかし不思議なことに、神の力は恐ろしいもので、パリに帰る頃には少しやせはしたが、元気になり、ホームシックなんかどこかへ吹き飛んでいた。
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わたしにはホームシックにかかったという記憶はないが、行動派の小澤さんでも単独で、しかも初めての海外渡航はこたえたに違いない。
この修道院はイギリスに近い半島の中のノルマンディにある。パリから汽車とバスに6時間乗り継いで行く小さな村である。緯度から見てもだいぶ北に偏っていて、かつての樺太(現ロシア領サハリン)に位置する。寒いはずである。
坊さんは若い人から年長者までの40人ほどが自給自足の生活をしていて早朝に起こされ、ミサ堂でグレゴリオ聖歌を歌わされる。医者ならぬ坊主から「心配はいらぬ。お前は必ず元気になる」を断言されて、「パリに帰る頃には少しやせはしたが、元気に」なった。まるで日本の修験者が行う修行のようではないか。
修道院から東京にいる家族あてに出した手紙に、送ってもらいたいもののリストを書きつけている。10あるうちの6番目に漱石の「こころ」と「明暗」とあった。畳のにおいや日本語が無性に懐かしくなる。本場のブドー酒を飲んでも少しもうまく感じられない。美人も急に目に入らなくなった。パリで悩んだ心を癒したいという気持ちが伝わってくる。
指揮者の資質として「柔軟で鋭敏で、しかもエネルギッシュな体を作っておくこと。また音楽家になるよりスポーツマンになるようなつもりで、スコアに向かうこと」と書いている。ヨーロッパへ渡ってからニューヨーク・フィルの副指揮者に就任するまでのおよそ3年間は、小澤さんの音楽人生の5パーセントにも満たない。だが、そのスピード感と豊富な熱量は短距離ランナーの疾走のように見える。
わたしは小澤さんの指揮する姿を直接見ることはなかったが、かつてTBSで放送されていた「オーケストラがやって来た」という音楽番組にときどき出演していたのを思い出した。オープニングで演奏されるテーマ音楽は、ヨハン・シュトラウス2世の「常動曲」。曲終盤のホルンが吹かれる箇所に入ると指揮者の山本が客席の方を向き、観客と一体になって<オーケストラがやって来たあ〜>と合唱するあの番組である。山本直純との共演はクラシック音楽に門外漢だったわたしにも十分に楽しめるものだった。「棒ふり」(小澤さんは指揮者のことを謙遜してそう表現している)の面白さを知ったのはその時である。]]>
久々に国内選手が優勝 大阪マラソン
http://hasiru123.exblog.jp/33269312/
2024-02-25T23:45:00+09:00
2024-02-26T12:23:29+09:00
2024-02-25T23:45:15+09:00
hasiru123
マラソン
集団の真ん中あたりに控えていた平林は果敢に仕掛けた。前を行くパリ五輪代表に内定している小山直城を置き去りにした。そして、2時間4分台の記録を持つスティービン・キッサ(ウガンダ)との一騎打ちに。
40キロに近づいたころ、やや状態がぶれるようになる。それでも苦しそうな表情はほとんど見られなかった。大阪城に入る直前、残り700メートル付近でみずから仕掛けて優勝を決めた。タイムは、初マラソンの日本選手最高記録を大幅に更新する2時間6分18秒だった。
この3年間に走った三大駅伝は都合9レースあるが、そのほとんどがエース区間を任された。たしかに昨年の全日本大学駅伝7区で区間賞、そして今年の箱根駅伝2区では区間3位に入るなどその実力は折り紙つきだった。しかし、約23キロという駅伝の最長区間距離しか経験のなかった大学3年生だ。その戦いぶりに強烈な印象を残した。
学生時代から数々のマラソン大会で足跡を印した日本陸連の瀬古利彦氏はレース後にこう言っている。「マラソンを笑いながら走るのはあまり見たことがない。自分で仕掛けて勝ったのがすばらしい」(NHKの中継から)。平林の快走にも一脈通じるものがあったと言いたかったのではないか。
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スクールカーストという恐怖
http://hasiru123.exblog.jp/33263442/
2024-02-18T21:12:00+09:00
2024-02-18T23:17:22+09:00
2024-02-18T21:12:56+09:00
hasiru123
本
プロ野球には三軍制を敷いているチームが3つある。カープとホークス、ジャイアンツである。主な目的は、若手選手や育成選手の実戦経験を増やすことだ。
プロ野球とは別の世界で、学校の教室にも「スクールカースト」と言われる、1軍から3軍までの序列構造ができているらしい。精神科医の和田秀樹氏が著した『疎外感の精神病理』(集英社新書)に教わった。
人気者でリーダーシップをとる1軍と、それに合わせてクラスの雰囲気を作っていくフォロワーの2軍があり、仲間外れの3軍がいる。このような環境で育つと、仲間外れにされること、友達が少ないことはまさに恥であり、自己否定につながるようになってしまうのだと。これが、疎外感恐怖の原型を作っているのではないかと和田氏は書いている。
スクールカーストは学校の中だけでなく、大人の社会の中にもはびこっているような気がする。職場を始めとして、SNSを通したサーバー空間の中にはよく見られることである。圧倒的な多数意見にイイネを押さないと袋叩きにあったり、政治家の中にも周囲の空気を気にしながら行動するという光景は拡大しつつある。もしかすると、家族関係の中にもあるかもしれない。
サッカーワールドカップや野球のWBCなどのイベント、特定の選手の一挙手一投足などが誇大に扱われたりするのも疎外感恐怖の流れの中で醸成されたうねりではないかと思ってしまう。それほど関心を持たない人にとっては、圧力と感じる人もいるはずだ。
そんな中で、21年の東京五輪では世の中が必ずしも五輪一色とならずに、賛成と反対が拮抗していたのは一条の光だったような気がする。コロナ禍という背景が起因していたとしても、健全な一面に思わず心が軽くなったものだ。
(写真)雛飾り 埼玉県鴻巣市
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寒暖差にご注意 厳冬期の駅伝
http://hasiru123.exblog.jp/33250487/
2024-02-05T18:04:00+09:00
2024-02-06T19:11:29+09:00
2024-02-05T18:04:12+09:00
hasiru123
未分類
NHKは、2月2日時点で新型コロナの患者数が前の週から1万3339人増えて7万3607人となり、1つの医療機関当たりの平均の患者数は14.93人で前の週の1.22倍となったという厚生労働省の発表を報じていた。これは微増と言えるのかもしれないが、気になるのは前の週からの増加が10週連続ということである。
昨日は、わたしの所属するチームが埼玉県駅伝に参加した。コロナ禍を経て、ようやく2020年まで実施されていた競技スタイルに戻った。これまでの自粛やマスク生活から離れて競技を行えるようになったことはうれしい限りである。ただし、手放しで喜べる状況にはないようである。
というのは、1週間前の奥むさし駅伝に続く本駅伝では、わたしたちのチームではコロナや風邪のために出場をとりやめた選手が続出したからである。幸いにして補欠で控えていただいた選手のおかげでタスキをつなぐことができた。そして、サポートも欠員が生じたが、最少人数にもかかわらず円滑に進めることができたのは何よりである。早朝の集合から閉会式に至るまで参加していただいた関係の皆様には深い感謝の気持ちを記したい。
私見ではあるが、昨今の感染者数の増加は長いコロナ禍の生活で免疫力が落ちていることに加えて、今年は暖冬といわれながらも気温の変動が大きかったことが影響しているのではないかと思っている。心肺機能に負担がかかる長距離選手にとっては、よりリスクが高い感染症である。
かく言うわたしも、感染症ではないがこの冬体調を崩した者の一人である。発熱や呼吸器系の症状がある場合は、新型コロナかもしれないし、インフルエンザかもしれない。そんなときには、無理をしないで自宅で休むに限る。改めて、養生の大切さを思い知らされた駅伝だった。
(写真)2月3日の節分会追儺豆撒き式 成田山川越別院]]>
和服の似合ふ 歌会始から
http://hasiru123.exblog.jp/33238791/
2024-01-30T19:39:00+09:00
2024-01-31T19:44:03+09:00
2024-01-30T19:39:56+09:00
hasiru123
芸術
歌会始の起源は必ずしも明らかではないが、ここは宮内庁のサイトに詳しく解説されていたので、引用してみる。
「鎌倉時代中期、亀山天皇の文永4年(1267年)1月15日に宮中で歌御会が行われており、『外記日記』はこれを「内裏御会始」と明記しています。以後、年の始めの歌御会として位置づけられた歌会の記録が断続的に見受けられます。このことから、歌御会始の起源は、遅くともこの時代、鎌倉時代中期まで遡ることができるものといえます」
このことから、歌会始は750年以上前から行われていたことが分かった。さて、令和6年の歌会始は、題が「和」。どの入選歌も素晴らしいものばかりだった。中でも私が惹かれたのは次の一首である。
花散里が一番好きと笑みし友和服の似合ふ母となりぬる (石川県 30代 女性)
作者が能登半島地震で被災した石川県の方だったからではないし、「花散里」という源氏物語の登場人物の名前が出てきたからでもない。
女性の入選者は皆和服姿だった。学生時代に友人たちと交わした会話から、「花散里」が好きだと話していたその人を思い出したのかもしれない。母となり、和服の姿に時の流れを思いつつ、詠んだものだろう。まるで自分の姿が映っているかのような雰囲気に思わず快哉を叫んでいる。心が晴れやかになって思わず声が出てしまった、そんな光景が目に浮かぶようだ。気持ちを表す言葉が生き生きとしている。
こんな歌に出会うと、読者は和服に身を包んでみたくなるのではないか。
(写真)龍山院の白梅 埼玉県上尾市]]>
紫式部の明と暗 清水好子著『紫式部』
http://hasiru123.exblog.jp/33228753/
2024-01-21T19:14:00+09:00
2024-01-22T10:32:02+09:00
2024-01-21T19:14:36+09:00
hasiru123
本
紫式部について、歴史的にわかっているのは藤原為時の娘、藤原宣孝の妻、一条天皇の中宮である彰子に仕えた女房であることくらいである。このように歴史的な資料が少ない中で、「紫式部集」と「紫式部日記」を渉猟して書き上げた評伝が『紫式部』である。
「式部集」はもともと式部自身によって編まれたものとされているが、破損等で式部以外の人の手で編集された可能性が高い。時系列に配列されていない歌も一部あるようだ。
「第1章 娘時代」で式部集の際立った特色として、著者は「娘時代がある意味を持った、他は明らかに区切るべき一時期として意識されたいたこと」を挙げている。和泉式部や赤染衛門といった同時代の歌人たちは恋人との贈答歌において「彼女たちはみな男に呼びかけているが、紫式部集には女友達が顔を並べ、そのために式部は女学生のように爽やかで、時には少年ぽく見える」。
式部集の第二首目にこんな別離の歌がある。
<鳴き弱る籬の虫もとめがたき秋の別れを悲しかるらむ>
垣根の虫の鳴き声が弱まっている。秋の別れ(仲の良い友だちが嫁ぐか友だちの父親の任地が決まって帰京することによる分離の比喩でもある)を止めることが出来ない寂しさを詠んでいる。友だちとその別離が数多く歌われているのが式部の娘時代の特色で、青春の核心がいつの時代も不変であると書く。
もう一つの特色としては、やや時代が飛ぶが「第4章 宮仕え」で筆を進める紫式部の抱く深い闇と暗さについてである。式部集の第60首目に見える「憂きこと」とは何か。何らかの事情によって思い悩むの状態を表す言葉で、これが原因で出仕が止まっていたと著者は見る。いったんは宮使えの職を得たにもかかわらず、これを厭わしがった理由について「紫式部日記」から深層を探っている。
とはいうものの、式部はこのまま引きこもり続けたわけではなく、宮仕えは復活し、女房とのコミュニケーションを図ることに成功している。宮中からの信頼を獲得し、白氏文集を進講するなどトップクラスの女房に上り詰めた。式部の一方ならぬ自己抑制が効いたと見るべきか。
日記は私的なノートという形式をとりつつも道長や中宮に献じられたものである。主人筋に出すのは、これをもとに別に書き変えられたはずだとしつつも、道長側には式部のような憂えを持つ者にも、能力を発揮する場をあたえているという、結局は日記が主家を礼賛する図式になっているのではないかと推論している。
仕事に精勤できたことが、一時ではあるにせよ物思いを忘れさせるものが確かに存在している。王朝時代の日記のあり方と貴族の意識の中に式部が物語を紡ぐ芽が育まれたのではないか。本書から、「源氏物語」を読むことによって一人の人間としての紫式部を知りたいという思いを抱いた次第である。
(写真)1月上旬に咲き始めた蝋梅 埼玉県川越市 ]]>
当日の選手変更を考える 箱根駅伝
http://hasiru123.exblog.jp/33210643/
2024-01-04T20:50:00+09:00
2024-01-05T08:42:00+09:00
2024-01-04T20:50:57+09:00
hasiru123
駅伝
23チームによる熾烈な戦いを象徴するかのように、往路・復路とも当日行われた選手変更が目立った。往路で22校・39件、復路では22校・45件あった。例年4日前に発表される16名の登録選手(正10名、補欠6名)と当日朝に発表される選手変更はいつも気になっている。
というのは、本来なら10名のメンバー中に入っていてもおかしくない実績のある選手が補欠に回って、当日朝にどこかの区間に配置されるというケースが少なからず見られるからだ。高度な戦術とは思いつつも、心のどこかにしっくりこないものがある。
たしかに、開催要項では当日のメンバー変更は「正競技者と補欠競技者の交替は6名までとする。なお、1日に変更できる競技者は4名までとする」となっている。箱根駅伝は、10区間を平均して一人当たり21キロを超える長い距離を走る競走だ。万一の事態に備えて複数選手の様子を見るために、レース当日でも選手の変更が認められている。現に、今回はインフルエンザの感染で変更を余儀なくされたケースが多数あったと聞く。
一方で、そういった本来の趣旨を超えたところで行われているケースはないだろうか。選手側に立ってみると、力及ばず補欠に甘んじるというのであれば諦めがつくし、リベンジして次の機会の励みにすることができるだろう。もともと補欠にはそのような宿命があるからだ。その上で、補欠の使い方次第で補欠選手がすっきり気持ちを切り替えて次のステップへ進めなくなるのではないかと危惧している。
学生スポーツのあり方として、もう少し前向きな登用の仕方があるのではないかと考えてしまう。もちろん、監督さんたちは悩みに悩んだ上でオーダーを決めるはずなので、わたしの独りよがりな見方かもしれないし、そうであれば幸いである。
今回区間賞に輝いた10人の選手のうち当日変更で走った選手が5人いた。重要な作戦の一つであることは間違いないようで。]]>
選手とその妻 合同トライアウト
http://hasiru123.exblog.jp/33206377/
2023-12-30T18:47:00+09:00
2023-12-30T18:47:58+09:00
2023-12-30T18:47:58+09:00
hasiru123
その他
12月27日のTBSテレビで放映していた『プロ野球戦力外通告 人生の岐路に立たされた男たちとその家族の物語』というドキュメンタリーである。スタジアムやテレビ中継では見ることのない、選手とその妻たちが共に生きる姿が映し出されていた。
今年戦力外通告を言い渡された選手のうち3名が実名で登場する。高山優希投手(元日本ハム)と中山翔太外野手(元ヤクルト)、そして薮田和樹投手(元広島)である。
恥ずかしながら、わたしは「戦力外通告」と「自由契約」の違いがよく分かっていなかった。あれこれ調べてみると、戦力外通告は球団が行う予告で事実上の解雇で、自由契約は選手が現役を続けたい場合の選択肢の一つ、そして他の選択肢として「引退」があるということを知った。
番組の『戦力外通告』では、戦力外通告を受けた選手が野球を続けるために合同トライアウトを目指す選手たちの姿を追う。合同トライアウトは、12球団の首脳陣やスカウトが視察に来る入団テストだ。
トライアウトでは、ワンボールワンストライクから始まる実戦形式のシートバッティングが行われ、ピッチャーはバッター3人に投げ、野手は7打席に立つ形で進められた。
これまでオリックスから横浜DeNAに入団した中村紀洋選手のように、合同トライアウト後に再び雄姿を見せた選手もいるが、現実は狭き門。毎年、平均60人前後がトライアウトを受けているが、その中で再度プロ野球のユニフォームを着られる合格者は本当に数少ない。
大谷翔平選手や山本由伸選手がドジャースと大型契約を結んだという話題が沸騰する中で、日本でも毎年数十名のプロ野球選手が戦力外通告を言い渡され、ストーブリーグの悲哀を味わっている。
自由契約を選んだ選手の「その後」については一般ファンの知る機会は限られているが、温かい声援を贈り続けたい。それがプロ野球を楽しむ者の務めではないか、と。]]>
エネルギッシュな高校生たちを見た 全国高校駅伝
http://hasiru123.exblog.jp/33203319/
2023-12-26T21:20:00+09:00
2023-12-27T19:18:54+09:00
2023-12-26T21:20:32+09:00
hasiru123
駅伝
高校駅伝で外国人留学生の起用が広がったのは、1992年に仙台育英高校が全国高校駅伝に出場させたことがきっかけだった。
その後、留学生の力に頼って全国優勝することの是非が問われるようになり、2年後に全国高校体育連盟は「外国人留学生の参加はエントリー人数の20%以内」という規定を作った。
1区で外国人留学生集団をつくる。異次元のスピードには日本人選手は誰もついていくことができない。外国人留学生がいない高校は1区で大きなハンディを抱えることになる(その後、男女とも最長の1区を除いて起用する規定に変更された)。
実は外国人留学生のあり方が問題となっているのは高校駅伝だけではない。高校バスケットでも同種の課題を抱えている。多くの留学生を送り出しているのはアフリカのセネガルだ。セネガル人は長身の人が多く、バスケットが盛んである。
さらに、卓球には中国人が多いし、ラグビーにはトンガ人やニュージーランド人が日本の高校へ留学している。また、大相撲でも高校時代から日本で力をつけてきた朝青龍(明徳義塾)や照ノ富士(鳥取城北)らがいる。このように幅広い競技スポーツで外国人留学生が活躍している。
高校駅伝は「20%以内」という規制の中で、必ずしも外国人留学生がいないと全国優勝できないという状況には至っていない。今回は佐久長聖が留学生がいない中で圧倒的な強さで優勝し、しかも大会新記録まで打ち立てた。
同日の毎日新聞では「区間制限は国際化を重視する時代の流れに逆行するのでは」という女子・神村学園の有川哲蔵監督のメントを紹介していた。留学生を受け入れる学校側はよく「国際交流」という言い方をする。たしかに、私立高校には国際人を育てるという教育方針を掲げているところが多く見られる。しかし、スポーツの強豪校に仕立て上げ、知名度を高めたいというところが本音だったとしても、同時に留学生を起用することの功罪を見ていく必要があるだろう。
すなわち、競技スポーツへの教育的配慮と競技のベルアップのという視点である。外国人留学生の影を踏みながら世界を目指すという志向を持たないと、いつまでたっても日本の「周回遅れ」の状況は変わらない。
日本人高校生のやる気を引き出しながら、留学生との共存共栄を図る。外国人留学生の参加に網をかけるのではなく、共にレベルアップを図っていかなければならない。双方に実のある妙案を考えたい。目標は”世界”である。]]>
人工と自然が織りなす街
http://hasiru123.exblog.jp/33201181/
2023-12-24T10:14:00+09:00
2023-12-24T16:04:23+09:00
2023-12-24T10:14:09+09:00
hasiru123
その他
これが今年最初で最後の紅葉見物となった。というのは、10月から11月にかけていくつかの予定が入っていてまとまった時間をとることができなかったからだ。”地球沸騰の時代”と言われるほどに暑く、長い夏。そのことを象徴するように12月に入ってもなお紅葉を見ることができたのかもしれないが、素直に喜ぶ気持ちにはなれない。
中には紅葉する前に枯れ、落葉しないまま枝に付いている木々が見られた。不思議な初冬の光景である。
光が丘公園を見ようと思ったのは、なぜか。
大きな公園で紅葉がとってもきれい、と何度か妻に勧められていたからか。
それもある。
公園内にはジョギングコースや一般の市民が利用できる陸上競技場がある。そこで走ってみたいと思ったからか。
それもある。
公園に隣接して光が丘団地がある。約12,000世帯が住んでいるというマンモス団地である。そこに、今から40年以上前に会社の先輩が住んでいた家を訪問したことがあった。
部屋の窓から外を眺めると、眼下に広い公園と建設中の建物や道路が見えた。その時はまだ開発途上だった公園と団地がどのように変貌したのだろうか。
公園を南北に貫く歩行者道路には、1キロ近く続く銀杏並木がある。イタリア式庭園やバラ園なども見ることができる。地下鉄光が丘駅から時計回りに迂回して戻ると高層アパートが立ち並ぶ一群がある。小さな都市を形作っているようにも見える。その街を抜けて、立体交差する歩道橋を超えると公園に戻る。
人工的な空間と自然が織りなした街といったらいいだろうか。とても1日では回り切れなかったので、花の季節に再訪してみたい。
(写真)団地を抜けると――]]>
男女10000mの五輪代表選考会
http://hasiru123.exblog.jp/33184288/
2023-12-12T19:28:00+09:00
2023-12-13T11:37:11+09:00
2023-12-12T19:28:05+09:00
hasiru123
トラック
男子、女子ともに終盤まで4名の選手による激しい競り合いが見られ、男子は上位3名が日本記録を更新し、女子は3名が31分を切るというハイレベルの戦いだった。男女とも標準記録には届かなかったが、ワールドランキング順位におけるポイント獲得という点では大きく前進した。日本記録や自己記録を大きく更新した選手が複数現れたことは、来年に向けて大きな期待を抱かせるものだった。
好記録に恵まれたことは電子ペーサーによる部分があるが、それに頼るのは本末転倒である。標準記録に近い結果を出さない限りは五輪に近づくことはできないが、複数選手で切磋琢磨していかないと世界の強豪に立ち向かうことはできないからだ。その意味で、トップグループの選手たちは電子ペンサーを追いかけるのではなくてその前を走るという積極性が見られたことも導入は成功だったと思う。
来年の5月には今回同様に男女10000mが他種目の日本選手権に先駆けて開催される。この時期の気候を考えると、ここでは記録よりも順位が問われることになるだろう。そして、5000mと兼ねて出場を目指す選手も多いと思われるので、6月までにどのようなステップで五輪代表を狙うか、5000mを視野に入れた選手たちの戦略にも目を向けたい。
電子ペーサーが多くの選手の記録更新に貢献するとは言い難いところもある。というのは、ペーサーから遅れた選手にとっては果たしてプラス働くかといことも考慮する必要があるからだ。もちろん五輪本番ではペーサーが使われることはない。記録に加えて勝負できる力が求められている。]]>
記録の更新を目指して 電子ペーサーを導入
http://hasiru123.exblog.jp/33167219/
2023-12-06T20:55:00+09:00
2023-12-07T15:39:04+09:00
2023-12-06T20:55:51+09:00
hasiru123
トラック
特に日本の男子選手にとって「27分00秒00」という標準記録はとてつもなく高い。それが世界のトップクラスの水準なので、それに追いつくしかない。そのためだろうか、今大会で初めて電子ペーサー(ウェーブライト)が導入されることになった。400個のLEDを400mトラッに1mおきに配置し、決められたペースで発光していく仕組みだ。
この機器は予め設定されたペースを確実に刻んでくれるため、ペースメーカーの有無にかかわらず、また細かなペース変動もすることなく、選手たちは最後まで目標へのガイドとして活用できる、と日本陸連のウエブサイトで説明されていた。すでに、ダイヤモンドリーグをはじめさまざまな国際大会で使用されていて、日本でも昨年11月20日の1万メートル記録挑戦競技会(国立競技場)で試験的に導入された。
12月6日現在で、男子は以下のような設定になっている。緑色 27分15秒(65.6秒/周) ラスト1000m (63.6秒/周)赤色 27分40秒(66.4秒/周)白色 28分00秒(67.2秒/周)
最も速い設定の27分15秒を狙うペースは緑色のライトで表示され、27分40秒を赤色、28分00秒を白色で点す。女子は30分50秒を赤色で設定される。
当日はNHKのBSで放映されるので、設定記録との差が見られるのが楽しみだ。これでも標準記録には届かないが、その効果が記録更新に発揮されることを期待したい。]]>
”普通”の大会が戻った 小江戸川越マラソン
http://hasiru123.exblog.jp/33159247/
2023-11-26T20:26:00+09:00
2023-12-07T11:40:56+09:00
2023-11-26T20:26:43+09:00
hasiru123
マラソン
今大会の準備の肝は寒さ対策だった。数日前から強い冬型の気圧配置になるのではないかと報じられていたためで、果たしてその予報は当たった。スタート時(8時40分)の気温が5度で、その後温度が上がることはなかった。
厚手のウインドブレーカー(ジャージ上下)を身につけてウォーミングアップしていてもなかなか温まってこない。手がかじかんでシューズの紐をうまく結べない。そんなことから、本番ではノースリーブのユニフォームの中に長袖Tシャツを重ねることにした。一部のシリアスランナーを除いて、アームウォーマーやタイツなどの保温対策を講じる参加者が多い晩秋の大会だった。
レースに際しては、いつものようにイーブンペースをキープし、あまり苦しまないでフィニッシュすることに努めた。というのは、前回は終盤にマメを作る苦い経験があったからである。15キロ過ぎても脚に異変がないようであれば、終盤でできる限り粘るつもりだった。
結果として昨年のタイムを約2分半短縮することができたので、大満足である。これはめったにない出来事だったといっていい。だからといって、ぬか喜びは禁物である。肌寒いコンディションと微風で、あまり汗をかかずに走れたことが良かったかもしれない。それと、一昨年秋に鼠径ヘルニアの手術を行ったため前回は体力が戻っていなかったことも割り引いて考える必要があるだろう。
次に走るレースもこの大会になると思う。その時は、何とか現状維持位でフィニッシュできたらうれしいのだが・・・。]]>
箱根駅伝の改革いまだし
http://hasiru123.exblog.jp/33153727/
2023-11-19T19:16:00+09:00
2023-11-27T18:29:53+09:00
2023-11-19T19:16:36+09:00
hasiru123
駅伝
記念すべき第100回大会を迎えるにあたっての試みとして歓迎したいが、今後につながる全国化ではなかった。とても残念で、何とかならなかったのだろうかと首をかしげている。確かに初めての予選会出場で即通過というのは厳しい。というのは、1区間平均で21.7キロというハーフマラソンよりも少し長めの距離をこなすには長期的な練習計画が必要だからである。
人材確保や練習環境の改善などを図っていかないと関東の大学に対抗するのは難しい。今回は、結果として関東の大学が3校増えたということで終わった。
毎年年末に発行される『箱根駅伝公式ガイドブック』(陸上競技社/講談社)の巻末に載っている「出場全チーム成績」を見ていたら、これまでも関東以外の大学が箱根駅伝に出場したという歴史があることに気がついた。
戦前は関西大が、戦後は立命館大と福岡大で併せて3校が出場している。関西大は9回が9位で12回と13回がともに8位、立命館大と福岡大は64年の40回記念大会にオープン参加として出場している。関西大が出場した昭和一桁の頃は、10校で競う大会だった。
100回記念大会が歴史の節目とはならなかったが、引き続き検討を重ね、長い目で箱根駅伝を育てていってほしい。
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三芳野神社の社殿公開
http://hasiru123.exblog.jp/33149186/
2023-11-13T20:58:00+09:00
2023-11-13T21:11:00+09:00
2023-11-13T20:58:18+09:00
hasiru123
その他
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三芳野神社は毎日のように社殿を開けることができず、週に1回位の頻度で開けている。というのは、常駐の神職がいないため授与所を開ける日程に合わせて氏子の役員たちが交代であたっているからだ。そんな中で、祭事が行われたり、境内でイベントが開催されるときに限って参拝者を社殿へご案内して見学会を行っている。
4年前に大規模な塗装工事が竣工し、昔の絢爛な姿を取り戻した社殿の姿を多くの方々に見ていただこうというのが社殿公開の趣旨である。
私が担当させていただくときにPowerPointを使ってお伝えしている内容をご紹介すると--。
まず埼玉県指定文化財であることを踏まえて、神社創建に始まる神社の歴史から始める。併せて、歴史史料ではないが平安時代に成立した歌物語である『伊勢物語』に出てくる「みよし野の たのむの雁--」という歌のくだりについても紹介している。そして、江戸時代の初期から現在に至るまでの修理の経緯や「権現づくり」(本殿と拝殿を幣殿で繋ぐ建築様式)という建物の構造的な特色をお話ししている。
「とうりゃんせの細道」については、パンフレット等に解説されているので特に触れない。代わりに「三芳の神社の四季」というタイトルで神社周辺の季節の移ろいを紹介している。夏越の祭り(6月30日)や元朝祭(元旦)などの行事の様子、自治会の皆さんで行うごみゼロ運動や夏の子どもたちによるラジオ体操、公園を彩る花木などである。
最後に、竣工後の社殿や塗装工事の様子を写真で見ていただいている。中でも拝殿前の基壇に立って演奏された女声合唱の演奏は、珍しいワンカットだ。
残念なことに、幣殿に置かれている随身像などの宝物類はいずれもレプリカで、実物は川越市立博物館に保存されていてふだんは見ることができない。
(写真)フリーマーケットで賑わう三芳野神社の境内
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