カテゴリ:その他( 186 )

朝鮮通信使に学ぶ

江戸時代は「鎖国の時代」と言われる中で、四つの窓口を持っていた。薩摩藩の下におかれた琉球王国との通交、長崎における中国とオランダ商人との通商、アイヌの人々と松前藩との交易、そして朝鮮国との通交・通商である。自由な海外交流こそ禁止されていたが、幕藩体制という枠組みの中で、確実に海外とつながっていた。

その意味で「鎖国日本」という呼び名は正しくない、と仲尾宏著『朝鮮通信使―江戸日本への善隣使節』に教わった。

朝鮮通信使に関する記録が、先ごろ国連教育科学文化機関(ユネスコ)によって重要な歴史文書などを認定する「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録されることになった。対馬(長崎県)から江戸を経て、徳川家康が祭られる日光東照宮(栃木県)まで一行が通った地域の外交文書や行列の様子を描いた絵などが評価されたものである。

先ごろ、川越市内で13回目の「川越唐人揃(とうじんぞろ)いパレード」が行われた(注1)。唐人揃いは18世紀から19世紀初頭にかけて、川越氷川神社の祭礼の付け練り物(行列)として本町(現在の元町1丁目付近)の氏子らが朝鮮通信使をまねて仮装行列を行い人気を博したとされる。

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朝鮮通信使は合計で12回来日し、そのうち11回は江戸まで来ている。しかし、川越ヘは一度も来ていない。なぜ、川越に唐人揃いがあったのか。

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そのヒントは、当時隆盛を極めた川越商人の存在にある。

江戸まで朝鮮通信使行列を見に行った川越商人の記録が残されている。塩などを扱っていた榎本弥左衛門(1626-86年)が記した「榎本弥左衛門覚書」だ。

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朝鮮通信使が6回目に来日したときに(1655年)、榎本は江戸本町で見物し、行列の様子を同書に詳しく書き残している。例えば、江戸へ入った日や将軍引見、日光への出発・帰府、帰国の日付などが記録されている。これらは、江戸幕府の公式記録である「徳川実紀」とも一致している(注2)。かれは行列見物から帰ってから、その仮装を思いたったのかもしれないが、川越の町に活気を呼び込みたいという商人気質のようなものを感じとることがでる。

また、川越氷川神社には、朝鮮通信使を模写した「朝鮮通信使行列大絵馬」が残されている。どのような経緯で大絵馬が奉納されたかは不明だが、江戸時代の氷川祭礼には本町(こちらは川越の本町)の付祭に朝鮮通信使の仮装行列が出ていて、祭礼との関連性がうかがわれる(注3)。

わが国に限らず、隣国と良好な関係を築くことは永遠のアポリア(難題)とも言える昨今である。改めて、このことに正面から取り組んだ当時の日朝両国の叡智に深く感じ入った。

(注1)「唐人」とは「からひと=韓人」のことで、江戸時代には朝鮮人をそう呼んでいた
(注2)『榎本弥左衛門覚書』(東洋文庫)の大野瑞雄氏の校注

(注3)「川越市立博物館だより」第49号
(写真)11月12日の「川越唐人揃いパレード」


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by hasiru123 | 2017-11-14 20:21 | その他

プレーオフを考える

衆院総選挙が近づいてきた。各種の世論調査では、3極の争いの中で与野党がどうなるかとういう視点での報道が目立つ。そもそも小選挙区制は、米英のような2大政党制を志向して作られた制度だが、今回のような三つどもえの争いを想定していない。そして、元々民意を反映しにくいという難点を持つ。同制度のメリットよりはデメリットのほうが浮き彫りになってきた昨今である。

衆議院選の終盤を迎えて、プロ野球のクライマックスシリーズのファイナルステージも佳境に入った。連日の熱戦をラジオとテレビを交互に視聴しながら、応援している人も多いのではないか(私の住んでいる地域では、1,2回戦ともBSではソフトバンク×楽天戦、ラジオでは広島×DeNA戦が放送されていた)。

このプレーオフ制度を巡っても、本当にこの制度で日本一を決められるのかと、いつも違和感を抱いている。パリーグでは1位のソフトバンクと3位の楽天が対戦し、セリーグでは1位の広島と3位のDeNAが対戦している。今年は、セ・パとも1位が2位に大差を開けて優勝した。結果として、ソフトバンクは楽天に15.5ゲーム、広島はDeNAに14、5ゲームの差をつけた。

もし、クライマックスシリーズでパは楽天が、あるいはセはDeNAが制したとしたらどうだろうか。クライマックスシリーズは短期決戦だといっても、首位から14ゲーム以上の差をつけられたチームが果たして日本一の決戦へ臨むにふさわしいといえるだろうか。

「制度に完璧なない」とは思いつつ、ペナントレースの結果をより反映できるやり方に手直ししてはどうか。例えば、「1位と2位のゲーム差、2位と3位のゲーム差がそれぞれ5ゲーム以内ならプレーオフへ進出できる」とするのである。ペナントレースで小差であったなら、短期決戦のクライマックスシリーズでひっくり返されても違和感がないだろう。そうすればペナントレースの終盤でより勝負にこだわり、白熱した試合が見られるだろう。ペナントレースで大差をつけられたチームは、クライマックスシリーズに臨む資格がないとみなすのだ。

クライマックスシリーズは、野球ファンにとっても主催者側にとっても魅力ある制度である。この面白さと営業効果を知ってしまったいまは、もう後戻りすることはできない。ここはより現実的な制度を目指して、知恵を絞るのがいい。


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by hasiru123 | 2017-10-20 07:07 | その他

遅くなった秋

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ゴーヤは、一般的にはニガウリなどと呼ばれ、夏の日除けとして大変に重宝している。また、ツルレイシという学名がつけられていて、ウリ科の植物である。

体を冷やす効果があるといわれ、夏バテ防止の健康野菜としても利用されるようになった。わが家では、他の野菜や豆腐などを炒めたゴーヤチャンプルーにしたり、朝食時のサラダに加えて食べたりしている。

今年は、10月になってもゴーヤがまだ生(な)っていて、3日に1回くらいの頻度で収穫している。暖かい秋の影響だろうか。

しばらく前であれば、10月に入ると早朝に走るときは袖のあるシャツを着たり、薄手のタイツを着けたりして、徐々に衣替えをしてきたように思う。ところが、今朝もランニングシャツにランパンというスタイルで走ってきた。ただ夏の季節から抜けだせないだけなのかもしれないが、ほとんど肌寒さを感じさせない。

作家の山口恵以子さんが、あるPR誌に連載している「山口恵以子のおばちゃん的日常」というエッセイにこんなことを書いていた。

「春はゆっくりやってきて、秋は突然訪れる」

山口さんは、この時期になるとかつて食堂で働いていたころを思い出し、5升近い米を研いでいると、不意に「水が少し冷たくなったな」と思う日が来るという。すると一気に秋は深まり、毎日が肌寒くなる--。

これが、ふつうの秋だと思う。いずれ、今年も秋は突然にやってくるだろう。しかし、その「突然」がこのごろやけに遅くなった。そして、季節感も狂ってきた。

世界と日本の平均気温が長期的に上がり、気候が確実に変わりつつある。気象データから教えられるまでもなく、その変化を実感できるようになった。人間の活動が気候を変えていることは確実で、気候変動の影響はすでにいくつかの分野で現れている。その反動は、近い将来必ずやってくる。

(写真)9下旬に収穫したゴーヤ


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by hasiru123 | 2017-10-04 19:13 | その他

真っ赤な秋


まっかだな まっかだな
つたの葉っぱが まっかだな
もみじの葉っぱも まっかだな

童謡「真っ赤な秋」(薩摩忠作詞・小林秀雄作曲)の一節である。曲をつけた小林秀雄氏は、今年7月に亡くなられた。紅葉の季節になるとこの歌を口ずさみたくなる。歌に誘われるかのように、一足早い秋の北海道へ行ってきた。

大雪山系の旭岳(2291メートル)周辺では、早くも赤く染まり始めた。3連休の真ん中、9月16日には青空がのぞき、ナナカマドやダケカンバ、カエデなどが、山肌を色鮮やかに染めている。ロープウエーの姿見駅から約3キロ先の裾合平周辺では、ウラジロナナカマドの鮮やかな赤と、終わりに近いチングルマの渋い赤がパッチワークのように広がっている。

活発な旭岳の噴煙との競演は見どころのひとつつである。これまで写真で見ていた噴煙よりも、勢いがあるように見えた。また、周辺に点在する中小の池に映し出される旭岳と紅葉も見事である。

地元の人に聞くと、今年の紅葉は例年よりもいくぶん早く、そしてきれいだとのことだった。紅葉は10月上旬になると、ふもとの旭岳温泉街まで駆け降りる。
     

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     鏡池に映る旭岳 
    

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     噴煙の盛んな旭岳 
    

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     第一展望台から望む旭岳
     

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     終りに近いチングルマ

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       すり鉢池と旭岳

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by hasiru123 | 2017-09-22 06:47 | その他

初雁公園を整備する

昨年3月の川越市議会で、市制100周年の記念事業して初雁公園周辺を整備するという川合善明川越市長の方針が示された。それを受けて、初雁公園近隣に位置し、三芳野神社の氏子を構成している3町内の自治会長、副会長等を交えて川合市長との情報交換を行った。

会議の内容はすでに近隣住民へ情報提供済みであることから、公表に際してなんら支障を来すことはないと考え、関係者へ配布した議事概要をもとに整理し、そのあらましをお伝えする。

日時  平成17年6月6日(木)15時~16時会場
川越市役所市長室出席者  川合市長川越市から都市計画部長、公園整備課長三芳野神社から山田宮司、自治会から郭町1丁目自治会長、同副会長2名、郭町2丁目自治会会長,同副会長3名、三久保町自治会長、同副会長1名
進行  森脇康行
(川合市長と山田宮司、森脇以外の個人名は非表示とした)

1 初雁公園構想について

(川合市長) 平成元年に初雁公園整備構想がつくられ、今でも形式的には生きている。県立川越高校の移転や多額の費用がかかることから不可能になった。今回計画を変更して、実現可能なものにしたい。初雁球場が古くなり、公園にしたい。

2 川合市長の構想を受けて質問、要望等

〇三芳野神社関連       
(三芳野神社宮司) (初雁公園の中にある)三芳野神社は、もとは幕府直轄の神社であったことから、格式が高い。川越の観光の中心になってほしいと考えているが、現状は本丸御殿で観光客の流れが止まり、なかなか三芳野神社まで足を運んでもらえない。「とおりゃんせの細道発祥の地」であることをもっと知ってもらいたい
(自治会) 参道整備について。現在ある参道と本来のとおりゃんせの細道に歌われる参道とは違うので、歴史に即した参道の整備を計画の中で実現してほしい
(自治会) 植木について。社殿への影響のため楠木等を伐木したが、支障のない場所新たに植えるとともに、(神社にふさわしい)梅の木を計画的に植えてほしい。

〇施設関連(市民プール、初雁球場、武道館、診療所等)            (自治会) 移転を含めて廃止を検討していると聞いているが、跡地をどう活用するのか
(川合市長) プールは未定、武道館は移転せずに耐震化工事で存続させる予定。初雁球場は未定だが個人的には芝生の広場にしてはどうかと考えている。診療所は倉庫として利用しているが、その後は未定。

〇富士見櫓跡の整備                        (自治会) 計画が途中で止まっているが、今回の構想に含めるのかをよく検討してほしい。

〇観光                              (自治会) 三芳野神社を含む標識の整備を進めてほしい。また、ガイドブックやマップなどへ記載も不十分である。
(自治会) 三芳野神社への誘導を含めたルート表記、案内板(地図)の整備をお願いしたい。
(自治会) 川越の観光は蔵造りや菓子屋横丁に力を入れているが、川越城が川越のシンボル的な存在であることを重視する必要がある。

〇自然環境                            (自治会) 初雁公園周辺には樹木が多く、初雁球場側の新河岸川沿いには湧水があるなど、自然が残っている。自然を保存しつつ公園の整備を進めてほしい。
(自治会) 浄水場から浮島神社にかけての自然保護に留意した一体整備をお願いしたい。
(自治会) 小仙波町2丁目から、浄水場南側の空き地の公園化の声が上がっているが、今回の計画にどう盛り込むのか
(川合市長) 親水公園を検討している。

〇今後の進め方(計画策定のプロセス)について
(自治会) 計画と実施に際しては、プロジェクトを作り、責任部署を明確にしてほしい
(自治会) 住民の意見を聞いて計画を進めてほしい
(川合市長) 公園整備課を担当窓口とし、調整機能を持たせる。また、基本計画の審議会条例案と予算案を提示した。審議会メンバーには学識経験者や公募委員、自治会も含めたい。
(自治会) 三芳野神社の工事に際しては関係する窓口が多岐にわたり、問い合わせ窓口がはっきりしていなかった。窓口を設けて切り分けできるように改善してほしい
(川合市長) ワンストップサービスに努める
(自治会) 100周年でどこまでやるか優先順位をつけて進めてほしい

3 今後について

主として3つの自治会内の住民及び近隣自治会との情報共有を図りながら、公園整備課と積極的に情報交換を行い、市が行う計画作りに参画していきたい。

※ 時間の関係で、出席者から要望として述べることができなかった点については、手元資料を基に一部追記した。

(参考)初雁公園については、川越市の公式サイトをご参照ください → http://www.city.kawagoe.saitama.jp/shisetsu/undo_park_hoyo/undopark/hatsukaripark.html


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by hasiru123 | 2017-09-01 17:35 | その他

蟇股

ある若い文学者が泉鏡花の自宅を訪ねたときのこと。「先日、先生原作の芝居を拝見しました」と言うと、「かぶっていましたか」というのが第一声だった。「かぶる」とは、「劇場に客がたくさん入っている」という意味だそうだ。五木寛之さんが「サンデー毎日」6月11日号に書いていた。

また、作家の石川淳さんの編集担当者が新刊を持って挨拶にうかがうと、おほめの言葉を予想していた編集者に石川さんはひと言、「で、さばけてますか」ときいたという。「売れ行きはどうか」という質問だが、五木さんは「すこぶる粋な感じである」と納得しておられた。

ところで、最近私は「入っていますか」と聞かれることがしばしばある。氏子総代を務める三芳野神社(埼玉県指定文化財)の修理工事協賛への協力状況についての問いかけだと思う。大部分は補助金で賄う計画だが、一部足らざるところについては広く個人、法人から浄財の寄進をお願い申し上げている。現在は、3年半かけて行っている塗装工事(漆塗り)の真っ最中である。

その三芳野神社で、ひと月前に工事現場の内部を報道機関に公開した。新聞社や地元のテレビ局などに取材していただいたが、私もテレビカメラの背後から写真を撮らせてもらった。

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四季の行事がある度に社殿の内部に入って目にしていたが、じっくり観察したのはこれが初めてである。これまで、塗装が剥げかかったていたり、日焼けなどで経年劣化が進んでいたものに彩色が施され、明暦の時代(江戸初期)の姿に復元されつつある様子を実感することができた。

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その中でも特に目を引いたのが、塗装中の「蟇股(かえるまた)」だった。蟇股は寺社建築に用いられる、台形の斜辺に繰型(くりがた)をつけたような材のことだ(山川出版社『日本史広辞典』による)。塗装職人の地元である日光市の工場で作業中のものを、この日のために一時持ち帰ってもらったものである。飾られている鶴が今にも飛び出してきそうな気配すら感じられる。

今秋には、工事に差し障りのない範囲で現場を地元の子供たちに見てもらえるようイベントを企画中である。

(写真上)外側から見た天井部
(写真下)一部の蟇股


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by hasiru123 | 2017-07-30 22:46 | その他

蔵と煉瓦

私が住んでいる埼玉県川越市には、蔵造り商家が数多く残されている。蔵造りの町並みが作られるきっかけとなったのは、明治26(1983)年3月17日の大火だった。

当時の東京朝日新聞によると、川越の全戸数3315戸のうち全焼及び半焼の土蔵で4分の1を占めたとされている(明治26年3月22日記事)。この中には、第八十五銀行(現在の埼玉りそな銀行)や鐘撞堂(かねつきどう)、蓮馨寺(れんけいじ)などが含まれていた。そして、この未曾有の大火災で川越商人たちの防火対策への意識の変革をもたらした。

商人たちは、同じ惨事を繰り返さないよう、建物そのものを防火建築にすることを考えた。伝統的な工法による蔵造り建物だ。最盛期には100軒以上の蔵造り建物が街中にひしめき、町並みを形成していた。

先ごろ、函館市で防災の先駆けといえる建築物を見る機会があった。「金森洋物店」である(下の写真参照)。

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館内は、明治から昭和にかけて何度か大火に見舞われてきた。明治11年、12年の大火で函館のほとんどの市街区域を焼失した。このため開拓使は、市街の区画整理と不燃質家屋の奨励に乗り出した。明治12年に被災した初代渡辺熊四郎もその施策に応じ、翌年11月に、開拓使の茂辺地煉瓦石製造所の煉瓦を使った洋風不燃質店舗の「金森洋物店」を開店させた。 

この店は主に舶来製の小間物や雑貨品を販売し、明治40(1907)年の大火では、周囲の不燃質店舗が焼失する中で、金森洋物店のみが難を逃れた。大正14年まで店舗として使用された建物は、昭和38年に北海道指定有形文化財に指定され、昭和44(1969)年から旧金森洋物店「市立函館博物館郷土資料館」として開館している(以上は、当館スタッフの解説による)。

煉瓦造りと蔵造りの違いはあるが、同時代の北国と川越に共通した防災対策がとられたことは興味深い。

以下の写真は、雪が降ったりやんだりだった3月上旬の函館市内で撮ったものである。

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函館市旧イギリス領事館 元町にあるかつてのイギリス領事館である。

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裏側から見た旧北海道庁函館支庁庁舎 現在は函館市写真歴史館・函館市元町観光案内所として活用されている。

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旧函館区公会堂 明治43年(1910年)に建てられた左右対称のコロニアルスタイルとブルーグレーとイエローの色が特徴的な美しい建物だ。

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五稜郭 周りの堀は固く凍結していた。

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上下和洋折衷住宅 一階が和風、二階が洋風に設計された木造二階建ての店舗・住宅で、元町付近でよく見られる。

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by hasiru123 | 2017-03-18 14:34 | その他

昨日は東京では青梅マラソンが、熊本では熊日30キロが行われました。数少ない30キロのロードレースが、縁あって例年2月第3週で重なっています。そして、各レースのレベルが高い点でも共通しています。

2月17日は春一番が吹き、18日は二十四節気の一つ、雨水でした。少しずつ春の足音が聞こえてきます。いよいよ、今年度終盤のマラソン大会が各地で行われます。

さて私ごとで恐縮ですが、氏子総代を務めさせていいただいている県指定文化財三芳野神社(埼玉県川越市初雁公園内)では、埼玉県と川越市の補助を受け、3年半かけて社殿の保存修理を実施しています。

漆塗や彩色、飾金具などの修理と排水機能を修復し、明暦(江戸時代初期)の姿に復元することが主な目的です。

つきましては、修理には多額の支出が見込まれることから、皆様の暖かいご支援を賜りたいと存じます。厳しい経済環境のなか恐縮ではございますが、何卒ご理解、ご協力のほどお願い申し上げます。

また、ご協賛いただいた皆様に対しましては、ご芳名を竣工時に作製する報告書に記載させていただくとともに芳名板等に永久に記録させていただく予定です。

このお願いのほかに、広く市民の皆様からご支援をいただけるよう、四季の行事や広報等で情報提供とお願いをさせていただく予定です。よろしくご協力のほどお願い申し上げます。

なお、ご協賛の内容につきましては、下記のとおりご案内をさせていただきます。

   三芳野神社協賛金の受付について

1 協賛金 : 法人 1口 10,000円
 (複数口のご協賛をお願いします)
        個人 1口 1,000円
 (複数口のご協賛をお願いします)

2 振込先 : 埼玉りそな銀行川越支店 
        普通預金 4465744
        三芳野神社 田井欽一
※恐れ入りますが、払込手数料はご負担いただきますようお願い申し上げます。

3 問い合わせ先 三芳野神社修理工事協賛会 
        会計担当:田井 欽一
        埼玉県川越市三久保町22-6   
        電話 049-224-6417

お振込みに際しては、下記の内容をFAXにてお知らせください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

三芳野神社修理工事協賛会 行  
 FAX 049-224-6417

   三芳野神社修理工事協賛金申込書

(  )口   (      )円

お名前                                 

郵便番号(   -    )  

電話番号(             )

ご住所                                      

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     (写真)とおりゃんせの細道から見た拝殿

  三芳野神社修理工事協賛会
   会 長 山田 禎久(三芳野神社宮司)
   副会長 立原 雅夫(川越商工会議所会頭)
   副会長 石川 将輝(川越青年会議所理事長)
   副会長 粂原 恒久(小江戸川越観光協会会長)

三芳野神社 平安時代の初期に成立したと伝えられ、川越城内の天神曲輪(くるわ)に建てられています。このため、「お城の天神さま」として親しまれています。この天神さまにお参りするには、川越城の南大手門より入り、田郭門をとおり、富士見櫓を左手に見、さらに天神門をくぐり、東に向う小道を進み、三芳野神社に直進する道をとおってお参りしていました。



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by hasiru123 | 2017-02-20 20:02 | その他

昭和の歌と万葉集

日本老年学会は、現在65歳以上とされている「高齢者」の定義の見直しを進め、年齢を体力的な面などからも75歳以上に引き上げるべきだとする提言をまとめた。提言によると、65歳から74歳までの人たちを新たに「准高齢者」と位置づけるという。長寿社会の一つの到達点だと評価したい。

一方では、若い人たちの年代のシフトというのもあるのではないだろうか。

通勤の車中でいつも聞いている放送に「荒川強啓デイ・キャッチ!」という番組がある。昨年暮れに聞いた、コメンテーターの近藤勝重さん(毎日新聞客員編集委員)のひとことが記憶に残っている。

1975年にヒットした伊勢正三作詞、作曲の「22才の別れ」について、こんなことを言っていた。「22歳といえば、学生と社会人が入り交じる年齢だが、女性にとっては結婚適齢期でもあった。この歌にある感覚は、現在の22歳の女性にはない。30歳くらいにあたるのではないか」と。

近藤さんは、どのあたりの表現を指して今の22歳にはないと言うのだろうか。

古いレコードの歌詞カードを引っ張り出してみると、例えば<わたしには/鏡に映ったあなたの姿が見つけられずに>とあった。また、<あなたは/あなたのままで変わらずにいてください/そのままで>というくだりもある。近藤さんの言葉とシンクロしたのは、これらの詞からだった。

ストレートに言い放つことを抑制し、別離の切なさをいったん飲み込んで言葉にできるのは、結婚適齢期までのいくつかの経験と時間が必要なのではないか。そんな気がする。

私には、以下のような歌詞からも世代の感覚が様変わりしていることが実感できる。

<こんな小春日和の/穏やかな日は/あなたの優しさが/しみてくる>

70年代の名曲で、さだまさし作詞、作曲の「秋桜」だ。明日嫁ぐ娘が母との別れを惜しむ気持ちを歌っている。今の20代の女性からは、そんなフレーズは出てこないだろう。

新幹線や飛行機で簡単に遠隔地と行き来できて、SNSで日常的なやり取りが瞬時にできる時代である。嫁ぐ前の日と後の日は切れ目なくつながっているのだ。

「だが、しかし――」と考える。江戸幕府も、鎌倉幕府も、時の彼方にかすんでしまうくらいの1300年前のこと。万葉集にはこんな歌があった。

<鳴る神の 少し響(とよ)みて さし曇り 雨も降らぬか 君も留めむ>

「雷が少し轟いて空が曇る。雨も降ってくれないだろうか、そうすればあなたがここにとどまってくれるだろうに」という意味である。

柿本人麻呂歌集の中にあるもので、20歳になるかならないかくらいの乙女が恋に思い悩み、そして恋に少しだけ内気な女性の心情を詠んだものだ。今の女子高生、女子大学生たちと何ら変わるところがない。

時が移っても、変わった心模様と変わらない心情とがクロスオーバーしている。だから、人は昭和歌謡を懐かしみつつ、万葉集に共感するのかもしれない。


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by hasiru123 | 2017-01-12 20:45 | その他


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               林立する蔵王のモンスター(山形県)

  昨年2月中旬に撮影したものです。樹氷・スノーモンスターは、日本ならではの光景といわれますが、特定の地域に限られます。この年は雪が少なく、樹氷も小ぶりでした。


 ニューイヤー駅伝は18年ぶりに旭化成が優勝しました。また、箱根駅伝では青山学院大が3連覇、3冠を達成しました。


 この勢いを追い風にして、坂戸市陸協は埼玉県駅伝に挑みます。

 皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

 2017年 元旦


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by hasiru123 | 2017-01-05 08:58 | その他