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坂戸市民チャリティマラソンから考えること

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早朝から深い霧に覆われたこの日、第16回坂戸市民チャリティマラソンが開催された。大会が行われた午前中は日差しがなく、この季節としては少し肌寒く感じられた。湿度は十分にあり、風はほとんどなかった。走る選手にとっては絶好の気象コンディションだったようだ。

今年の全体の参加者数は1,850人で、前年より約9%減少した。この日は、前週のさいたま国際と来週の小江戸川越ハーフに挟まれた上、上尾シティハーフと重なった。大会ラッシュの割を食ったといえるかもしれない。

開会式での大会会長の石川市長のあいさつで、近い将来にかつて開催されたのと同じ規模でハーフマラソン(過去に20回続いた坂戸毎日マラソンを指す)を検討している旨の表明があった。ハーフマラソンとなれば、近隣の大会との競合が熾烈となろう。開催時期や大会の特徴、規模などについて十分な検討を行い、埋没しないよう進めてほしい。

今回決勝審判を務めさせていただいて、気がついた点を二つ。一つ目は、フラフラの状態で入り、ゴール直後に倒れこむシーンが2回あった。途中で何らかの体調変化が起こったためかと思うが、無理を押してゴールまで走り続けずに、途中で休止する勇気と心の余裕を持ってほしいと思う。私は、これを「市民ランナーのセーフティ・プリンシプル」と呼んでいる。

二つ目は、例年ゴール付近は人垣が多く、コース内に立ち入らないよう規制することが役員の大きな役目でもある。今年は、その人垣が少なく感じられた。大会参加者の減少が影響していたかもしれない。それと、今回から大会参加者の駐車利用について事前申込制に変更されたが、私の勝手な想像かもしれないが、それが応援者の減少につながった可能性がないとはいえない。

二つ目の問題は、車を使わずに公共の交通機関を利用して会場に行けることが、ハーフマラソン実現への大きな試金石となるだろう。それは、参加選手の増加に加えて、多くの応援者に来訪してもらうことが、成功のカギになると考えるからだ。

(写真)10キロの部のスタートから 200m地点で
           

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by hasiru123 | 2016-11-20 17:24 | マラソン

マラソンランナーの死

「(中略)しかし自殺は逃避であると思います。彼は人生のレースで勝負することなく途中放棄したと私は思うのです」。こう書いてその死を惜しんだのはマラソンランナーの君原健二さんだ(『君原健二のマラソン』)。



自殺というのは、メキシコ五輪の年が明けた1月に命を絶った東京五輪のマラソン銅メダリスト円谷幸吉のことである。私がこの悲しい知らせを目にしたのは、高校の冬休みが明けて間もなくのことだった。ちょうど陸上競技に取り組んでいたときだったことから、よく記憶している。



最近になって、長年にわたってわからなかった日本のマラソンランナーの死の謎が浮かび上がってきた。東日本大震災で甚大な被害を受けた幸吉の長兄の家から、整理している中から幸吉の手紙の束が見つかったのである。

これまでに、東京五輪後に行った右足アキレス鍵と椎間板ヘルニアの手術がうまくいなかったことや、円谷の指導者であった教官が自衛隊体育学校長によって更迭されたこと、初恋の人との結婚が学校長の反対でうまくいかなかったこと。それに加えて、東京五輪以上の活躍が期待されていたことへのプレッシャーなど、様々な要因が言われていた。


これらの動機について、かなり鮮明な輪郭を描くことができたのが、雑誌「文芸春秋」10月号に掲載された「マラソン円谷/悲劇の謎が解けた」(松下茂典)と題するルポだった。数10通の手紙から、「かねてより取り沙汰された複数の動機が、図らずも幸吉直筆の手紙によって一つの真実となり、半世紀の長きに及んだ謎が解けた」。


このルポを読んで強く思ったのは、動機は一つではないとしても、一生に一度はだれもが抱くであろう怒りや嘆きが引き金となったのではないか、ということである。あれこれと深く言及することは、今後読まれる方の妨げになるといけないので、書かないことにする。




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by hasiru123 | 2016-09-18 18:59 | マラソン

中距離走を強くする  「ドーダ」と科学的トレーニングの融合




リオ五輪が終わった。長距離種目については、男女とも世界の水準からさらに遠ざかってしまった、と思わせる内容だった。順位はともあれ、トップランナーが見える位置で戦うことができなかったからだ。

日本の指導者たちは一様に言う。トラック種目でスピードを強化せよ。その先に見据えるのがマラソンだ、と。はたして、そうだろうか。

マラソンのスピード化は、日本がマラソンの黄金期を迎えていた1980年代から言われていたことだ。さらにさかのぼると、1960年代に国際競技会に出場し始めたケニア選手たちが3000M障害で多くの好記録を作ったときにも、いずれこれらの次世代の選手たちがマラソンを走り、世界を牽引するに違いないと予感していたはずだ。

なぜ、スピード化に対応することができなかったか。それを顧みることから始めなければ、いけないだろう。

長距離走のスピードの基本は、当然のことだが800Mや1500Mの中距離種目だ。ところが、これらの種目は5000Mや10000Mに比べて、長きにわたって記録が低迷している。例えば、男子1500Mの日本記録は12年間更新されていない。高校男子に至っては、17年間も更新されていない。この分析と原因究明から始める必要があるだろう。

よく言われるのが、「日本の高校や大学の駅伝人気が、トラック競技の成長を妨げている」という論法である。たしかに、駅伝を目指して進学してくるアスリートは多い。それはそれで長距離の競技人口を増やす効果に貢献していることは間違いない。しかし、シーズンが冬場に限定される駅伝だ。この1点をもってスピード不足の責任を負わせるのは、少し違うような気がする。

箱根駅伝を目指して全国の高校から関東の大学に集まってくるように、中距離種目を目指して高校や大学に入ってくる仕掛けと動機づけが必要でなないか。

中距離走は長距離走に比べて、体内に乳酸が多く発生する。その意味では長距離走よりも競技時間が短いにもかかわらず、過酷な競技といえる。乳酸が溜まって動かない身体を酷使する練習に耐えることはつらいことだ。この試練を乗り越えるには、これまでと違ったコトやトレーニング方法で選手をやる気にさせる「何か」が求められよう。

問題は、その「何か」である。

箱根駅伝がこれほどまでに高校生選手たちを引きつけるのは、故郷を離れた選手たちを家族や親せき、地元の恩師や友人たちがこぞってテレビで応援し、見守ってもらえるからだ。人という生命体を動かす行動原理は3つあって、そのうちの「自尊心」は人を人たらしめるとても重要な動機である。明治大学教授の鹿島茂さんは、その著書『進みながら強くなる』の中で書いている。「人は、「ドーダ! おれ(わたし)って凄いだろ、どうだ! まいったか!」という自尊心の充足に向かうのですが、逆にみれば、これがすべての出発点である」「もし、人間に「ドーダ」がなかったら、科学者の偉大な発見も、芸術家の歴史的傑作も、起業家の社会を動かす大事業もすべてなかったかもしれない」。

箱根駅伝で、中継後に倒れ込むまで追い込むあの頑張りは、この「ドーダ」という自尊心の充足に他ならない。中距離種目に取り組む選手たちにも「ドーダ」を発揮する強い願望が生まれれば、多くの乳酸を発生させるきつい競技にもかかわらず進んでチャレンジする機運が生まれるのではないか。「ドーダ」と科学的なトレーニングが融合すれば、世界のトップランナーの背中が見えてくるに違いない。五輪を見ながら、そんなことを考えた。

(注)「ドーダ」は、東海林さだおさんの漫画に出てくるフレーズである。







































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by hasiru123 | 2016-08-27 11:30 | マラソン

オプラ・ウィンフリーの言葉

東京、メキシコ、ミュンヘンの五輪男子マラソンに3大会連続で出場した君原健二さん(75歳)が、4月18日にボストンマラソンの120回記念大会を走るという。若葉グリーンメイトの総会資料に添付する今年度の練習計画表を作っていた1週間前に、「君原さん、半世紀ぶりにボストンマラソン挑戦」というニュースを目にした。総会で練習計画を説明した際に、ついでながら少しだけ寄り道をさせていただくことにした。

「歴史あるボストンマラソンから招待状、なんと光栄なことだろう!」。

そのとき、思わず快哉を叫びました。そして、思い出したのが次の言葉でした。

Luck is a matter of preparation meeting opportunity.
準備万端の人にチャンスが訪れることを幸運と呼ぶの(オプラ・ウィンフリー/米国の女性テレビ司会者、女優、1954年~)。

私が君原さんの世代になったとき、ボストンから招待状が届くということはないにしても、仮に招待されることがあったとしたら、いつでも42.195キロを走れる備えだけはしておきたいと思っています。招待状を紙くずにしないために。

君原さんは、トップアスリートとして走ることを仕事としていた「職人」です。現役時代に35回のフルマラソンをすべて完走したという実績がそれを証明しています。そして、現役を退いた後も、市民ランナーとして走ることを生活の中にきちんとはめ込んでこられた稀有のランナーといっていいでしょう。

ボストンの知らせを聞いて、私は君原さんの背中を見ながら、これからも走り続けたいという思いを新たにしたところです。
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by hasiru123 | 2016-04-19 06:52 | マラソン

2016年リオ五輪のマラソン代表が決まる

今回は、大阪女子国際マラソンで優勝した福士加代子(ワコール)が名古屋ウイメンズマラソンへのエントリーを表明し、騒動になった。結果的には、名古屋への出場を取り下げた。

「五輪へ何としてでも出場したい」という選手からすれば、リスクを承知の上で名古屋へ出場して代表を確実なものにしたいと考えるのはごく自然な心情だと思う。陸連が決めた選考基準を読む限りは、大阪女子の結果をもって即内定とはならないのは明らかであるからだ。

今回のトラブルを意識してかどうかは定かでないが、選考結果の発表の翌日に日本陸連はそのウェブサイトに「マラソン日本代表記者発表会詳細」として、選考の手順や選考理由、選考要項説明、代表選手発表などを詳細に報じている。これまでに見られないかった取り組みとして評価していい。

ここで、昨年6月に陸連が決めた「選考要項」を整理すると、以下のようになる。

①代表は男女とも最大3枠。補欠は選考しない
②世界選手権(8月、北京)で入賞した日本人最上位者には内定を出す
③国内の選考3大会は、それぞれ日本人3位以内に入ることが選考対象の条件
④その中で陸連設定記録(男子2時間6分6秒、女子2時間22分30秒)を突破した者がいれば1人を優先的に選出し、残りは順位やレース展開などから総合的に判断する
⑤複数の選考会に出場した場合、2回目でも設定記録を破れば有効

フリーライターの松原孝臣は「Number Web」の3月14日号でこう書いている。

「(前略)それでもここまでこじれた原因は、ハイレベルな派遣設定タイムを設けその重要性を打ち出したことで、代表内定への明確な道筋があるかのように見せたことだ」

「もっと言えば、選考側への不信感だ」とも言っている。この文脈の意味するところは、上記の④に関係がある。「1人を優先的に選出」とあるが、派遣設定記録を超えても男子なら最終選考会のびわ湖、女子は名古屋の結果を待たないと、内定はもらえない。つまり、最後の大会が終わって派遣設定記録を超えた者のうちのトップであることが確認できて初めて「優先的に選出」されるのである。

選考方式の是非は別として、たしかにこの選考要項に不整合はない。しかし、選考方式が複雑であればあるほど関係者への周知と説明が重要だ。選考する側と選手の信頼感があってこそ、次のレースにつながるからである。

今後も五輪や世界選手権の代表選考に際しては、複数の大会から結果を総合して大会から結果を総合して複数選手を決めるやり方は変わらないと思う。なぜなら、順位や記録などで一発選考で決めるやり方はわかりやすいというメリットは大きい反面で、五輪の前年に開催される世界選手権を対象から外せないことや主催新聞社との関係で一本化が困難であるなど、デメリットも多いからだ。

昨年6月の「選考要項」公表時に、ウェブサイト等を通して詳細説明がていねいに行われていれば、今回のトラブルはなかったかもしれない。マラソン以外の競技で一発選考方式を採用して定着した例はある。たとえば、アテネ五輪以降の競泳がその一つである。それらの取り組みも参考にしながら、より透明性の高い選考手続きを進めてほしい。
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by hasiru123 | 2016-03-20 07:15 | マラソン

カワセミ街道を走る

若葉グリーンメイトの役員会と高校の陸上部のOB会総会のご案内をいただいていたが、昨日はそのどちらも欠席させてもらった。申し訳けなかったが、先に日高かわせみマラソンの10キロの部に出場を決めていたからである。

個人レースとしては1年3ヶ月ぶりのことだ。右足の故障が再発しないかという懸念を振り払うことと、現在の走力を確かめ、来季の目標作りに生かしたいというのが狙いである。いわば、試運転である。

結果から言うと、まったく足の違和感はなくゴールすることができた。全体をとおしてイーブンペースで刻むことができ、後半にさしたる失速がなかったことは収穫だった。欲を言えば、4年前に同大会を走ったときの記録にもう少し近づけたかったのだが、それは来年の同大会までとっておくことにしたい。

それにしても、スタート時(11時)の気温が約6度と、この時期としてはとても寒いコンディションだった。薄手の手袋を着用したが、ゴールしたときはすっかり指がかじかんでいた。

高麗川に沿って伸びる通称「カワセミ街道」をひた走るコースで、高麗神社をスタートし、2か所で折り返して戻ってくる。日高市は自然にあふれた丘陵地で、奥武蔵方面から下る高麗川ではたくさんの野鳥を観察することができる。カワセミは水辺に棲む美しい鳥だ。清流を誇る高麗川流域には多く生息することから、日高市の鳥となっている。コバルトブルーの背とオレンジ色の下面。その可憐な姿をこの地で観ていないのが残念だ。

高麗神社は、これまで山道を走るトレーニングの基地として利用してきたが、社殿は素通りばかりで失礼の連続だった。高句麗からの渡来人高麗王若光が建都したのが霊亀2年(716)という。帰りには、1300年の歴史に思いを致し、参拝させていただいた。
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by hasiru123 | 2016-03-14 19:51 | マラソン

2016びわ湖毎日マラソン

3月6日(日)に、リオデジャネイロ五輪の男子マラソンの最終代表選考レースとなったびわ湖毎日マラソンが行われ、31歳の北島寿典(安川電機)が日本勢最高の2位に入った。優勝したのは、ルーカス・キャメリ・ロティナ(ケニア)だった。

ケニアなど海外勢が先行するなか、日本人選手は第2集団でレースを進め、30キロを過ぎてから次々と日本勢の先頭が入れ代わる激しいレース展開となった。残り1キロ地点で北島が抜け出し、トラックに入ると前を走っていたシンブ(タンザニア)も抜いて2時間9分16秒で2位に入り、代表に一歩近づいた。

前半から数人の外国人選手が第1集団を形成し、主だった日本人選手が第2集団で追っかける形は、1週間前の東京マラソンと似ていた。また、東京では初マラソンの村山謙太(旭化成)が、びわ湖では丸山文裕(旭化成)が意欲的に日本人の先頭を走る積極性が目を引いたのも共通している。特に、丸山は最後まで粘ってトップから28秒差の6位に食い込んだ。若い選手の台頭の兆しが見えてきたかな、と思わせる大会だった。

今大会で見ごたえのあったのは、30キロ以降の4人の日本人選手によるデッドヒートだった。代表の切符を何としてでも手にしたいという意気込みが感じられ、久しぶりに白熱したレースを見せてもらった。

終盤のつばぜり合いを見て思い出したのは、シドニー五輪の最終代表選考を兼ねた2000年のびわ湖毎日マラソンだ。川嶋伸次(当時旭化成)とマルティン・フィス(スペイン)の一騎打ちとなった。川嶋は32キロ以降に集団を抜け出してトップに立ったが、フィスが執拗に食い下がり、38キロ付近で川嶋を突き放し連覇した。川嶋はこの時の粘り強い走りが評価されて、五輪代表に選ばれている。

さて、リオ五輪の代表はいかに。3月17日の決定を待ちたい。
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by hasiru123 | 2016-03-08 20:07 | マラソン

2016東京マラソン

今日の東京マラソンは、WGMの朝の練習会へ参加したため帰宅後に見た。

車中のラジオでは、20キロ地点で8人の先頭集団の中に日本人選手は村山謙太(旭化成)だけが入っていると伝えていた。22キロあたりから少しずつ遅れ、第2集団にいた高宮祐樹(ヤクルト)が2時間10分57秒で日本人最高の8位に入った。

終盤の高宮はどの日本人選手よりも勢いがあり、スタミナにも自信を持っていたようである。この時期としてはやや高温だった気象条件にも適したレース展開だった。ヤクルト陸上競技部のホームページを見たら、5000m13分55秒38、10000m29分06秒71という実績とともに、「こんな私ですが、応援してくださる方がいる限り頑張ります」という控え目なコメントがあった。これからは、遠慮なく日本記録という目標に挑んでもらいたい。

というのは、アフリカ勢の競り合いから抜け出して優勝したリレサ(エチオピア)と8位の高宮との差は4分1秒あったからだ。また、先頭集団と第2集団との差は25キロ地点で約3分あった。この差がそのまま世界との差だと言えるだろう。

その意味では、後半失速したが20キロまで先頭集団に食らいついた村山の積極性は大いに評価したい。世界のスピードを集団の中で体感した経験は、2度目以降のマラソンに生きるはずだ。

選手に酷だったのは今日の気象コンディションだった。2時間4分台の記録を持つリレサは約2分悪かったことからも、このことを裏付けている。ゴールしたころの東京地方の気温は12度だったが、春の日差しを浴び続けたダーメージはかなりあったと思われる。
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by hasiru123 | 2016-02-28 19:03 | マラソン

君原さんのマラソン哲学

近年の男子マラソンの高速化に際して--。世界と戦うには、後ろから追うのではなく、トップグループについて終盤で勝敗を決する、というサバイバルレースを想定した考え方がある。最後に勝てるかどうかはわからないとしても、初めからその流れに乗れないことには勝負にならないからだ。この戦術は、今や常識になっている。

君原健二さんは書いている。「私はその考え方に疑問を感じる。力もないのに追走するのは暴走にすぎない。世界のトップランナーについていくのは、それだけの高速を最後まで維持する力をつけてからではないと意味がない」(「私の履歴書」2012年8月1日~31日/日本経済新聞連載)。

2度目のマラソンとなった1963年2月の別府毎日マラソンのことだ。アベベ・ビキラ(エチオピア)の持つ世界最高記録を超えるハイペースで飛ばす寺沢徹選手(倉敷レーヨン)を追走して、37キロで振り切られ、ふらふらになってゴールした。2度目のマラソンを走って、その厳しさを思い知らされた経験からのアドバイスである。

君原さんは、同書にこうも書いている。「マラソンとはいかに速く自分の体を42.195キロ先にあるゴールまで運ぶかという競技である。体が蓄えているエネルギー源(糖質と脂肪)は決まっている。それをうまく使いながら、できるだけ早くゴールする。そのためにはイーブンペースで走るのが理想的だ」と。

ペースが速すぎて途中でエネルギーが足りなくなってはいけないし、安全運転でエネルギーを余らせてもいけない。人の動きに惑わされ、ペースを乱すと命取りになる。「マラソンとは人との戦いではなく、自分との戦い」だという君原さんのマラソン哲学に得心した。

ついでながら、君原さんは2010年の東京マラソンを3時間26分台で走り、11年ぶりに3時間を切っている。69歳になる直前のことである。このとき、すでに通算走行距離が16万キロを超えていて、地球を4周した計算になる。現役時代に、35回のフルマラソンを走った。マラソンの途中棄権が1度もないことを唯一の誇りにしている君原さんらしい記録だ。
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by hasiru123 | 2015-09-19 19:41 | マラソン

壁の向こうへ 世界陸上の男子マラソン

昨日開幕した世界陸上の第1日目は、男子長距離ではマラソンと10000m決勝が行われた。残念ながら、日本の選手たちはどちらの種目も力を出し切れず、下位に沈んだ。これまで、国内を活動の拠点としている東アフリカ出身の選手たちとのレースぶりを見ていて、日本人選手との力の差は歴然としていた。そして、その内容を裏書きする結果となった。

マラソンでは、19歳のギルメイ・ゲブレスラシエが北アフリカの小国・エリトリアに、初めて金メダルをもたらした。ゲブレスラシエは、ペースメーカーを含めて今年になって3回のマラソン経験があるとのことだが、自己記録は2時間7分台だ。その選手に、エチオピアやケニアの選手が太刀打ちできなかった。

高温多湿という悪条件だったことを差し引いても、マラソンにはトラックのスピードや過去の実績だけでは計れない魔物が棲(す)んでいるとしか思えない。ゲブレスラシエの素晴らしい点は、終盤の粘りである。超スローペースで展開した後の、35キロからの5キロを14分53秒でカバーしているところからも、ペースの変化に強い、タフな選手だという印象を持った。

それともう一つ、怖いもの知らずという若さゆえの特権もこの選手を後押したように思える。自分の走力を知り過ぎているベテラン選手だと、自信の持てない挑戦を躊躇してしまいがちだ。壁を意識しないで、その向こう側に広がっている無限の可能性に賭けるしなやかさがうらやましい。

選手にたちはだかる壁を乗り越えるには何が必要か。私は、試行錯誤と勇気を挙げたい。特に後者は、日々の練習や技術だけではいかんともしがたいものがある。一マラソンファンとして、大きな壁にぶち当たっている日本の選手たちに感じているのはこのことである。

自分の「壁」の向こうへ飛び出して行こうとする勇気ある選手の輩出を期待したい。
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by hasiru123 | 2015-08-23 16:12 | マラソン