カテゴリ:マラソン( 88 )

 

オプラ・ウィンフリーの言葉

東京、メキシコ、ミュンヘンの五輪男子マラソンに3大会連続で出場した君原健二さん(75歳)が、4月18日にボストンマラソンの120回記念大会を走るという。若葉グリーンメイトの総会資料に添付する今年度の練習計画表を作っていた1週間前に、「君原さん、半世紀ぶりにボストンマラソン挑戦」というニュースを目にした。総会で練習計画を説明した際に、ついでながら少しだけ寄り道をさせていただくことにした。

「歴史あるボストンマラソンから招待状、なんと光栄なことだろう!」。

そのとき、思わず快哉を叫びました。そして、思い出したのが次の言葉でした。

Luck is a matter of preparation meeting opportunity.
準備万端の人にチャンスが訪れることを幸運と呼ぶの(オプラ・ウィンフリー/米国の女性テレビ司会者、女優、1954年~)。

私が君原さんの世代になったとき、ボストンから招待状が届くということはないにしても、仮に招待されることがあったとしたら、いつでも42.195キロを走れる備えだけはしておきたいと思っています。招待状を紙くずにしないために。

君原さんは、トップアスリートとして走ることを仕事としていた「職人」です。現役時代に35回のフルマラソンをすべて完走したという実績がそれを証明しています。そして、現役を退いた後も、市民ランナーとして走ることを生活の中にきちんとはめ込んでこられた稀有のランナーといっていいでしょう。

ボストンの知らせを聞いて、私は君原さんの背中を見ながら、これからも走り続けたいという思いを新たにしたところです。
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by hasiru123 | 2016-04-19 06:52 | マラソン  

2016年リオ五輪のマラソン代表が決まる

今回は、大阪女子国際マラソンで優勝した福士加代子(ワコール)が名古屋ウイメンズマラソンへのエントリーを表明し、騒動になった。結果的には、名古屋への出場を取り下げた。

「五輪へ何としてでも出場したい」という選手からすれば、リスクを承知の上で名古屋へ出場して代表を確実なものにしたいと考えるのはごく自然な心情だと思う。陸連が決めた選考基準を読む限りは、大阪女子の結果をもって即内定とはならないのは明らかであるからだ。

今回のトラブルを意識してかどうかは定かでないが、選考結果の発表の翌日に日本陸連はそのウェブサイトに「マラソン日本代表記者発表会詳細」として、選考の手順や選考理由、選考要項説明、代表選手発表などを詳細に報じている。これまでに見られないかった取り組みとして評価していい。

ここで、昨年6月に陸連が決めた「選考要項」を整理すると、以下のようになる。

①代表は男女とも最大3枠。補欠は選考しない
②世界選手権(8月、北京)で入賞した日本人最上位者には内定を出す
③国内の選考3大会は、それぞれ日本人3位以内に入ることが選考対象の条件
④その中で陸連設定記録(男子2時間6分6秒、女子2時間22分30秒)を突破した者がいれば1人を優先的に選出し、残りは順位やレース展開などから総合的に判断する
⑤複数の選考会に出場した場合、2回目でも設定記録を破れば有効

フリーライターの松原孝臣は「Number Web」の3月14日号でこう書いている。

「(前略)それでもここまでこじれた原因は、ハイレベルな派遣設定タイムを設けその重要性を打ち出したことで、代表内定への明確な道筋があるかのように見せたことだ」

「もっと言えば、選考側への不信感だ」とも言っている。この文脈の意味するところは、上記の④に関係がある。「1人を優先的に選出」とあるが、派遣設定記録を超えても男子なら最終選考会のびわ湖、女子は名古屋の結果を待たないと、内定はもらえない。つまり、最後の大会が終わって派遣設定記録を超えた者のうちのトップであることが確認できて初めて「優先的に選出」されるのである。

選考方式の是非は別として、たしかにこの選考要項に不整合はない。しかし、選考方式が複雑であればあるほど関係者への周知と説明が重要だ。選考する側と選手の信頼感があってこそ、次のレースにつながるからである。

今後も五輪や世界選手権の代表選考に際しては、複数の大会から結果を総合して大会から結果を総合して複数選手を決めるやり方は変わらないと思う。なぜなら、順位や記録などで一発選考で決めるやり方はわかりやすいというメリットは大きい反面で、五輪の前年に開催される世界選手権を対象から外せないことや主催新聞社との関係で一本化が困難であるなど、デメリットも多いからだ。

昨年6月の「選考要項」公表時に、ウェブサイト等を通して詳細説明がていねいに行われていれば、今回のトラブルはなかったかもしれない。マラソン以外の競技で一発選考方式を採用して定着した例はある。たとえば、アテネ五輪以降の競泳がその一つである。それらの取り組みも参考にしながら、より透明性の高い選考手続きを進めてほしい。
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by hasiru123 | 2016-03-20 07:15 | マラソン  

カワセミ街道を走る

若葉グリーンメイトの役員会と高校の陸上部のOB会総会のご案内をいただいていたが、昨日はそのどちらも欠席させてもらった。申し訳けなかったが、先に日高かわせみマラソンの10キロの部に出場を決めていたからである。

個人レースとしては1年3ヶ月ぶりのことだ。右足の故障が再発しないかという懸念を振り払うことと、現在の走力を確かめ、来季の目標作りに生かしたいというのが狙いである。いわば、試運転である。

結果から言うと、まったく足の違和感はなくゴールすることができた。全体をとおしてイーブンペースで刻むことができ、後半にさしたる失速がなかったことは収穫だった。欲を言えば、4年前に同大会を走ったときの記録にもう少し近づけたかったのだが、それは来年の同大会までとっておくことにしたい。

それにしても、スタート時(11時)の気温が約6度と、この時期としてはとても寒いコンディションだった。薄手の手袋を着用したが、ゴールしたときはすっかり指がかじかんでいた。

高麗川に沿って伸びる通称「カワセミ街道」をひた走るコースで、高麗神社をスタートし、2か所で折り返して戻ってくる。日高市は自然にあふれた丘陵地で、奥武蔵方面から下る高麗川ではたくさんの野鳥を観察することができる。カワセミは水辺に棲む美しい鳥だ。清流を誇る高麗川流域には多く生息することから、日高市の鳥となっている。コバルトブルーの背とオレンジ色の下面。その可憐な姿をこの地で観ていないのが残念だ。

高麗神社は、これまで山道を走るトレーニングの基地として利用してきたが、社殿は素通りばかりで失礼の連続だった。高句麗からの渡来人高麗王若光が建都したのが霊亀2年(716)という。帰りには、1300年の歴史に思いを致し、参拝させていただいた。
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by hasiru123 | 2016-03-14 19:51 | マラソン  

2016びわ湖毎日マラソン

3月6日(日)に、リオデジャネイロ五輪の男子マラソンの最終代表選考レースとなったびわ湖毎日マラソンが行われ、31歳の北島寿典(安川電機)が日本勢最高の2位に入った。優勝したのは、ルーカス・キャメリ・ロティナ(ケニア)だった。

ケニアなど海外勢が先行するなか、日本人選手は第2集団でレースを進め、30キロを過ぎてから次々と日本勢の先頭が入れ代わる激しいレース展開となった。残り1キロ地点で北島が抜け出し、トラックに入ると前を走っていたシンブ(タンザニア)も抜いて2時間9分16秒で2位に入り、代表に一歩近づいた。

前半から数人の外国人選手が第1集団を形成し、主だった日本人選手が第2集団で追っかける形は、1週間前の東京マラソンと似ていた。また、東京では初マラソンの村山謙太(旭化成)が、びわ湖では丸山文裕(旭化成)が意欲的に日本人の先頭を走る積極性が目を引いたのも共通している。特に、丸山は最後まで粘ってトップから28秒差の6位に食い込んだ。若い選手の台頭の兆しが見えてきたかな、と思わせる大会だった。

今大会で見ごたえのあったのは、30キロ以降の4人の日本人選手によるデッドヒートだった。代表の切符を何としてでも手にしたいという意気込みが感じられ、久しぶりに白熱したレースを見せてもらった。

終盤のつばぜり合いを見て思い出したのは、シドニー五輪の最終代表選考を兼ねた2000年のびわ湖毎日マラソンだ。川嶋伸次(当時旭化成)とマルティン・フィス(スペイン)の一騎打ちとなった。川嶋は32キロ以降に集団を抜け出してトップに立ったが、フィスが執拗に食い下がり、38キロ付近で川嶋を突き放し連覇した。川嶋はこの時の粘り強い走りが評価されて、五輪代表に選ばれている。

さて、リオ五輪の代表はいかに。3月17日の決定を待ちたい。
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by hasiru123 | 2016-03-08 20:07 | マラソン  

2016東京マラソン

今日の東京マラソンは、WGMの朝の練習会へ参加したため帰宅後に見た。

車中のラジオでは、20キロ地点で8人の先頭集団の中に日本人選手は村山謙太(旭化成)だけが入っていると伝えていた。22キロあたりから少しずつ遅れ、第2集団にいた高宮祐樹(ヤクルト)が2時間10分57秒で日本人最高の8位に入った。

終盤の高宮はどの日本人選手よりも勢いがあり、スタミナにも自信を持っていたようである。この時期としてはやや高温だった気象条件にも適したレース展開だった。ヤクルト陸上競技部のホームページを見たら、5000m13分55秒38、10000m29分06秒71という実績とともに、「こんな私ですが、応援してくださる方がいる限り頑張ります」という控え目なコメントがあった。これからは、遠慮なく日本記録という目標に挑んでもらいたい。

というのは、アフリカ勢の競り合いから抜け出して優勝したリレサ(エチオピア)と8位の高宮との差は4分1秒あったからだ。また、先頭集団と第2集団との差は25キロ地点で約3分あった。この差がそのまま世界との差だと言えるだろう。

その意味では、後半失速したが20キロまで先頭集団に食らいついた村山の積極性は大いに評価したい。世界のスピードを集団の中で体感した経験は、2度目以降のマラソンに生きるはずだ。

選手に酷だったのは今日の気象コンディションだった。2時間4分台の記録を持つリレサは約2分悪かったことからも、このことを裏付けている。ゴールしたころの東京地方の気温は12度だったが、春の日差しを浴び続けたダーメージはかなりあったと思われる。
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by hasiru123 | 2016-02-28 19:03 | マラソン  

君原さんのマラソン哲学

近年の男子マラソンの高速化に際して--。世界と戦うには、後ろから追うのではなく、トップグループについて終盤で勝敗を決する、というサバイバルレースを想定した考え方がある。最後に勝てるかどうかはわからないとしても、初めからその流れに乗れないことには勝負にならないからだ。この戦術は、今や常識になっている。

君原健二さんは書いている。「私はその考え方に疑問を感じる。力もないのに追走するのは暴走にすぎない。世界のトップランナーについていくのは、それだけの高速を最後まで維持する力をつけてからではないと意味がない」(「私の履歴書」2012年8月1日~31日/日本経済新聞連載)。

2度目のマラソンとなった1963年2月の別府毎日マラソンのことだ。アベベ・ビキラ(エチオピア)の持つ世界最高記録を超えるハイペースで飛ばす寺沢徹選手(倉敷レーヨン)を追走して、37キロで振り切られ、ふらふらになってゴールした。2度目のマラソンを走って、その厳しさを思い知らされた経験からのアドバイスである。

君原さんは、同書にこうも書いている。「マラソンとはいかに速く自分の体を42.195キロ先にあるゴールまで運ぶかという競技である。体が蓄えているエネルギー源(糖質と脂肪)は決まっている。それをうまく使いながら、できるだけ早くゴールする。そのためにはイーブンペースで走るのが理想的だ」と。

ペースが速すぎて途中でエネルギーが足りなくなってはいけないし、安全運転でエネルギーを余らせてもいけない。人の動きに惑わされ、ペースを乱すと命取りになる。「マラソンとは人との戦いではなく、自分との戦い」だという君原さんのマラソン哲学に得心した。

ついでながら、君原さんは2010年の東京マラソンを3時間26分台で走り、11年ぶりに3時間を切っている。69歳になる直前のことである。このとき、すでに通算走行距離が16万キロを超えていて、地球を4周した計算になる。現役時代に、35回のフルマラソンを走った。マラソンの途中棄権が1度もないことを唯一の誇りにしている君原さんらしい記録だ。
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by hasiru123 | 2015-09-19 19:41 | マラソン  

壁の向こうへ 世界陸上の男子マラソン

昨日開幕した世界陸上の第1日目は、男子長距離ではマラソンと10000m決勝が行われた。残念ながら、日本の選手たちはどちらの種目も力を出し切れず、下位に沈んだ。これまで、国内を活動の拠点としている東アフリカ出身の選手たちとのレースぶりを見ていて、日本人選手との力の差は歴然としていた。そして、その内容を裏書きする結果となった。

マラソンでは、19歳のギルメイ・ゲブレスラシエが北アフリカの小国・エリトリアに、初めて金メダルをもたらした。ゲブレスラシエは、ペースメーカーを含めて今年になって3回のマラソン経験があるとのことだが、自己記録は2時間7分台だ。その選手に、エチオピアやケニアの選手が太刀打ちできなかった。

高温多湿という悪条件だったことを差し引いても、マラソンにはトラックのスピードや過去の実績だけでは計れない魔物が棲(す)んでいるとしか思えない。ゲブレスラシエの素晴らしい点は、終盤の粘りである。超スローペースで展開した後の、35キロからの5キロを14分53秒でカバーしているところからも、ペースの変化に強い、タフな選手だという印象を持った。

それともう一つ、怖いもの知らずという若さゆえの特権もこの選手を後押したように思える。自分の走力を知り過ぎているベテラン選手だと、自信の持てない挑戦を躊躇してしまいがちだ。壁を意識しないで、その向こう側に広がっている無限の可能性に賭けるしなやかさがうらやましい。

選手にたちはだかる壁を乗り越えるには何が必要か。私は、試行錯誤と勇気を挙げたい。特に後者は、日々の練習や技術だけではいかんともしがたいものがある。一マラソンファンとして、大きな壁にぶち当たっている日本の選手たちに感じているのはこのことである。

自分の「壁」の向こうへ飛び出して行こうとする勇気ある選手の輩出を期待したい。
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by hasiru123 | 2015-08-23 16:12 | マラソン  

東京五輪マラソン 開催地の変更を望む

7392人。これは、総務省消防庁が7月28日に発表した20~26日の1週間に全国で救急搬送された熱中症患者数である。搬送された人は前週から1162人増えたと、28日の毎日新聞夕刊が伝えていた。最高気温が35度を超える猛暑日はまだまだ続きそうだ。

5年後に開催される東京五輪は7月24日に始まって8月9日に幕を閉じる。都心を駆けるマラソンは、女子が8月2日で男子が9日の予定だ。10月下旬に行われた1964年の東京五輪マラソンと違い、今回は高温多湿な夏の開催となる。道路などの人工物による輻射熱の影響は計り知れないものがある。

暑さ対策として、道路の舗装素材の改良による温度抑制(国土交通省)や、ゲリラ豪雨や竜巻の到来を正確に時間的な余裕をもって伝えられるような事前予測技術の開発(内閣府)、気化熱を応用した衣服内の温度低下の研究(経済産業省)などが検討されいるそうだ。

これまでのトップレベルのマラソンランナーたちは、4年に1度の五輪に照準を合わせてしのぎを削ってきた。調整に失敗して苦杯をなめた名ランナーは数知れない。しかし、最近の五輪マラソンでは、トップランナーが夏に開催される五輪マラソンを回避する傾向が見られるようになった。秋以降の国際マラソン大会の方が好記録を生みやすく、結果として賞金獲得につながる可能性が高いからだといわれる。きっと、高温多湿の夏の五輪を制することと、これからも続くであろう競技人生とをはかりにかける選手もいるだろう。

大会関係者は、マラソン選手やその応援者、競技役員などの健康を優先して進めるべきである。時期を変更できないのであれば、マラソンを例外として、東京を離れた冷涼な地域へ移すことが検討されてもいいのではないか。

例えば、北海道の東部地域である。釧路市だと、昨年8月の最高気温の平均が21.2度だった。都市部であれば、起伏が少なく、記録的な期待もできる。また、多くの観戦者が同地域を訪れることによる観光面での効果も期待できよう。デメリットの少ない変更だと思う。

若い長距離選手たちは今、5年後の五輪出場を夢見て練習に取り組んでいることだろう。マラソンコースの是非に関心を寄せている暇はないかもしれない。また、競技団体にとっては強化費の獲得に支障をきたす生々しい問題には触れたくない雰囲気もありそうだ。

しかし、走るのは選手たちだ。五輪コースのあり方について、選手自身がもっと声を上げてほしい。
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by hasiru123 | 2015-07-30 07:19 | マラソン  

まだマラソン大会が足りない

雑誌「ランナーズ」が発表した「全日本マラソンランキング」を見て、フルマラソンの完走者数は前年度に比べると9.5パーセント増えたことを知った。男女とも各年代で増加している。大会数が62から73へ増えたことが影響していると思われる。

フルマラソンの平均タイムは、男子が4時間37分32秒、女子が5時間7分56秒だった。男子は年度によって1分前後の変動があるが、女子はここ数年ほとんど変わらない。また、女子の完走者の男女合計に占める比率は22パーセントで、少しずつ上がっているものの一時のような増え方ではなくなってきた。

マラソンの強い年代はどのあたりだろうか。興味のあるところだが、完走者の年代別平均タイムから読み取ることができる。男子は46歳を頂点に43歳から48歳が、女子は45歳前後が強い。私の実感からすると一番力のある年代は40歳前後かと思っていたので、意外だった。

男子のサブ3ランナー比率は約3パーセントで大体一定している。ところで、男子のサブ3は女子ではどのあたりになるだろうか。上位3パーセント前後を女子のランキングにあてはめてみると3時間30分のラインが約3.1パーセントに当たる。サブ3.5である。自分の感覚からすると、サブ4あたりかなと思っていたので、これも意外な数字だった。

東京マラソンを始めとする都市部のビッグな大会の人気で、申し込みの段階で抽選で漏れるランナーが多い。大会数が増えたことはランナーにとってうれしいことだが、国の人口の3割近くを占める1都3県では大会数が6でここ数年変わらない。そして、この数字には埼玉県は含まれていない。1都3県で唯一フルマラソン大会がない地域だからだ。

交通網の発達した今日では、どこへでも気軽に参加することができるが、近隣に参加したり応援したりする大会がないのは、少し寂しい気がする。また、マラソンを走りに他県へ出かけるだけでなく、他県のランナーに来ていただくことも地域の魅力度を発信するいいチャンスになるのではないか。

今年の11月から、これまでの横浜国際女子マラソンを引き継ぐ形で、さいたま国際マラソンが開催されることが決まった。フルマラソンは、日本代表チャレンジャーの部(女子)と一般の部(サブ4、男女)がある。ただし、一般(特に女子)のランナーにとって、サブ4という条件は厳しい。あと一つか二つ、県内に参加資格の緩やかなフルマラソン大会があってもいい。
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by hasiru123 | 2015-05-31 19:36 | マラソン  

春なのに秋みたい - シドニーマラソン完走記 -

 「燦河(さんが)」第2号が発刊され、昨年出場したシドニーマラソンについての小文を掲載していただいた。昨年10月に書いたブログの一部に手を入れたものである。ここに再録する。

<九月にマラソンを走るわけ>

 昨年九月に、シドニーマラソンを走ってきた。
 なぜ、マラソンシーズンでないこの時期に――。
 このことについては少し説明が要る。私が抱えている悩みがここに集約されているからだ。
 マラソンにとって一年でもっとも良好な気象条件であるはずの秋に、この数年来調子が落ちる現象が続いていた。「調子が落ちる」とはどういうことか。
 一つは、夏から冷涼で湿度の低い気候に変わることによって、足の指先や踵の皮膚が乾燥してひび割れが生じることだ。数年前まではなかったことである。特に左足の外反母趾を患っている部分がひび割れすると、痛みのために着地からキックに至る運動に支障をきたす。
 また、左くるぶし下の部分や第一指、第二指のつけ根に疲労性の痛みが発生することもある。たいていは練習量を落として一定期間休むと自然に消える場合が多いのだが、しばらく残ることもある。長く続くと、そのシーズンはマラソンをあきらめざるをえない。
 三つ目の落ち込み現象は、春から夏にかけて距離を走り込んで蓄えた(と思っている)スタミナにスピードを加えて、徐々に本番向けの体質に変えて行こうとするのだが、体がついてこないことだ。
 長い距離の走り込みではLSD(Long Slow Distance)という超スローペースの練習法を取り入れている。ときには、ポイント練習としてLSDよりも少し速めのペース走や、本番に近いペース走、本番よりも速めのペース走などを交互に取り入れてメニューにバリエーション持たせ、徐々に速いペースに慣らしていく。そして、最終的にはいつでも二十キロ前後の距離をマラソンのレースペースに近いラップで刻めるように仕上げていく。また、何回か三十キロから四十キロの持久走も入れてマラソンのペース感覚を確認する。ところが、最近はそういう練習計画がうまく回らなくなってきた。
 四つ目の現象は、出場しようと狙いを定めた大会に申し込みそびれて、代替候補を探さざるを得なくなったことである。私にとって、年間を通してマラソンを一番走りやすいと感じる時期は十一月である。全国でもっともマラソン大会が集中するのもこの時期だ。その十一月に予定していた大会が、今回は申込者の急増で例年よりも締め切り時期が早まって、結果的にエントリーできなかった。ランナーという大会の需要者数と大会という供給量の間に生じたミスマッチ。そういった環境要因があったとは言え、見通しが甘かった。
 代替候補と考えていた他の大会では、たまたま出場要件が厳しくて、申し込むことができなかった。少しメジャーな大会になると、たとえば「日本陸上競技連盟登録競技者及び一般(日本陸上競技連盟未登録者)競技者のうち、マラソン四時間以内もしくはハーフマラソン一時間三十三分以内で、完走した記録を持つ男女。ただし、平成二十四年十一月一日以降の日本陸連公認コースでの大会の記録《グロスタイムが対象で、ネットタイムは、原則として認めない》 とする」などという参加資格を求められることがある。私の場合には、最近二年間のマラソンの公認記録がなかったから、このようなケースではアウトだ。
 マラソンをベストコンディションで走れるにこしたことはないが、ベストな状態になる日を待っていたら、いつのことになるのやら・・・。そのうちに、マラソンを走れなくなってしまうだろう。そんな足踏み状態から早く抜け出さないといけない。まずは出場要件を満たせる程度の記録を早く作って、申込書に書けるようにしないと話にならない。そのことに、遅まきながら気がついた。
 来春のしかるべき大会に向けて、練習のつもりで走ってみたい。できたら、観光もかねて――。そんな気楽な気分で走れるマラソン大会はないか。
 マラソンシーズンに入る十月から十二月にかけてだと、スケジュール的に難しそうなので(もう遅い!)、九月に走れる大会があるとうれしい。少し暑いかもしれないが。RUNNETで調べてみたら、国内には一つもなかった。しかし、海外ならあった。マウイマラソンとシドニーマラソンだ。九月はちょうど日本(関東地方)の三月とほぼ同じ気候のシドニーに決めた。時差が一時間というのもありがたい。

<号砲>

 事前にネットで大会要項からコースを調べてみると、かなり複雑なようだった。折り返し地点は、全部で八ヶ所。何度か同じコースを通る設定になっている。二〇〇〇年のシドニー五輪の男女マラソンコースとは一部重なるものの、かなり異なると何かの記事で読んだことがある。五輪では終盤起伏が多くて、優勝した高橋尚子さんを始め、選手たちを苦しめた。それに、最近は練習でも起伏のあるコースをほとんど走っていないので、少し心配だ。
 それに加えて、七月から八月にかけての猛暑の季節に長距離を走ってスタミナをつけておかなくてはならない。今年の夏は、これまでになく距離を踏めたと自負しているが、疲労を残さずにうまく調整できたかなあ――。いろいろな不安が脳裏をよぎる。
 スタート地点に着いたときは、先にスタートするハーフマラソンの選手たちがすでに長い行列を作って並んでいた。前を見たらきりがないが、後ろを振り返ると最後尾は見えない。こんなにも多くの選手たちが楽しそうに並んでいる――。目が後ろについていると思って走れば、気持ちはかなり軽くなるはずだ。そう自分に言い聞かせてフルマラソンのスタートを待った。
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 スタートの直前になって、小雨が降りだした。気温は十二度くらいだろうか。少し肌寒い。春なのに秋のようだ。ワイシャツ姿でシドニーの町を歩いた昨日の日中がうそのようだ。紫外線を避けるため、ホテルを出る前に顔や腕にたっぷり日焼け止めを塗ってきた。が、その必要はなかったようだ。
 実はこの季節でも(シドニーは春)、紫外線対策が欠かせない。何しろ、南極のオゾンホールが近いオーストラリアのことだ。同じ程度の日差しでも、北半球の三倍以上も紫外線が強いらしい。下手をすると日焼けどころか火傷状態になると現地の人から聞かされていた。だから、昨日はセントラル駅近くにあるマーケットシティで、急遽サングラスを購入して、大会に備えた。
 いよいよ号砲。競技選手のすぐ後に並んで走り出したので、接触で転倒しないために始めの数百メートルはやや速めに出た。以後はゆったりしたマイペースに戻して進んだ。スタート地点では、妻に預けたカメラでシャッターを切っているはずである。果たして、自分の姿が分かる程度に写真に納まっているだろうか。
 しまった!。流し撮りのやり方を教えておくのだった。シャッタースピードは百二十五分の一に設定していたような気がする。沿道の最前列で構えているので、そのまま押したらピントがランナーに合っていても、選手は動いているのでぶれるはずだ・・・。しかし、そんなことはどうでもいい。今はしっかり走ることだけを考えろ!
 セーブしながらほどほどのペースで走る。自分にとっては初めての走り方である。汗はまったくかいていない。 しかし、五キロ過ぎに早めの給水をした。これは、マラソンの鉄則である。のどの渇きを覚えてから給水したのではでは遅いからだ
 十キロ地点を通過した。想定どおりのラップである。呼吸は安定していて、ほとんど疲れを感じない。こんなに余裕があっていいのだろうか。当たり前かもしれない。まだ、四分の一も来ていないのだから。

<フィニッシュ>

 このころから少し下腹部が重たくなってきた。スタート前と五キロ過ぎで給水したのが影響したかもしれない。早くも尿意を覚え始めた。
 今までのマラソンで途中にトイレに入ったことはなかったが、まだ先は長いので早めに済ませたほうがよさそうだ。十二キロ過ぎの給水所の先に併設されている仮設トイレへ立ち寄ることにした。そのため、三十秒ほどロスしてしまったが、からだも気分も軽くなったみたいだ。すぐに元のペースに戻った。
 いつの間にか、同じくらいのペースで走るランナーの集団を見つけた。しばらくはこの中でスタミナを温存することにした。
 「完璧主義はストレスのもとになる、と思われがちだ。そのせいか「完璧主義ですねえ」と揶揄されて複雑な気持ちになる。ほどほどに力をセーブしながら行動する方がよほどストレスフルに思えるのだが」。こう書くのは、心療内科医の海原純子さんだ(毎日新聞連載の「新・心のサプリ」から)。
 たしかに海原さんの説のように、マラソンでも「ほどほどに力をセーブしながら」走るのは結構むずかしく、ストレスフルではある。体調が悪いのなら別だが、むしろ思い切って力の限りを尽くして走るほうがやりやすいかもしれない。
 しかし、シドニーでは周りのほどよいペースに身を委ねるように走っている。だから、意外なほどストレスは感じていなかった。これが、練習で一人時計を意識しながら一定のペースで走るのであればそうはいかないだろう。途中でペースダウンしないかと、気が気ではないはずだ。
 このゆったりしたペース感覚が、三十キロ過ぎまで続いてほしい。無理をしなければ、これまでのレースのように三十キロ過ぎに大きくペースダウンすることはないはずだから。
 この大会は、長い直線コースが少ないことと街中と公園の繰り返しになっていることから、気分的に走りやすい。公園内の巨木は適当な間隔があけられていて、日本の都市にある公園に比べるとかなりすっきりしている。沿道の応援も熱気がこもっている。太鼓こそないが、鳴り物入りでランナーを勇気づけてくれる。
 ところで、心配だった途中の坂は繰り返しあったけれど、さほど気にはならなかった。高橋尚子選手を悩ませた五輪コースは厳しすぎたので、市民ランナーのために主催者がはずしてくれたのかもしれない。
 中間点を過ぎると、残りが半分以下になる。三十キロ地点を過ぎると、後十二キロだ。前半は、体は軽いが先にある距離の長さに押されて気分は重い。ところが、後半は、少しずつ疲労感がボディーブローのように効いてくるが、気分は軽くなる。

 サーキュラー・キー駅に近づいた辺りから人垣が大きくなってきた。応援も一段とにぎやかだ。あと二キロほどでゴールだ。
 オペラ・ハウスが見えてきた。シドニー湾の岬に立つこの建物は、シドニーを代表する観光名所だ。躍動感のある世界遺産の建物を、まずは外から眺めてみる。ヨットの帆が空いっぱいに人がったように見える。残念だが、今回は日程の都合でオペラやバレエを見ることはできなかった。
 走りながら、少し観光もした。後半のスタミナ切れが心配だったが、走り進むうちにこのまま走れると確信した。結果としては、三十五キロを過ぎてもペースを落とすことなく、むしろ終盤は一キロ四分を切るくらいのペースに上げることもできた。
 次の大会につながるいい走りだった。とても気持ちよく、無事にフィニッシュできたことに感謝したい。

 人はみな先の見えない野(や)を駆けるF8キーのとれたパソコン 
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by hasiru123 | 2015-05-24 23:31 | マラソン