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ランニング障害を考える

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ランナーが積極的に練習に取り組めば取り組むほど増えるのが故障である。オーバートレーニングによる疲労や誤った練習方法、処置などによる発症が多い。ランナー特有の故障は、予防策を講じることによってある程度は回避できる。また、仮に発症したとしても、適切な処置を講じれば、末長いランニング生活が約束される。今後、断続的にこのテーマに取り組んでみたい。

今回は、私の所属している若葉グリーンメイトの会員からいただいた質問について考えてみる。以下、ランニング歴5年のY会員と私とのメールのやり取りです。

Yさん.3週間前から膝が痛むようになりました。これといったきっかけはないのですが、走り出してから、20分から30分くらいすると必ずといっていいくらい痛みを感じます。ランニングは続けても大丈夫でしょうか。アドバイスいただければ幸いです。

森脇. 膝を故障したとのことです。少し旧聞に属しますが、私も92年に膝を痛めました。その経験を思い出しながら、今返信しています。いくつか質問をさせてください。

Q.膝の腫れはありますか
A.ありません。
Q.膝の動きの異常はありますか
A.ありません。
Q.お皿(膝蓋骨)の外側上方を押すと痛みがありますか
A.痛みません。
Q.走るとき以外の日常生活でも痛みがありますか
Q.長距離走った翌日などは、階段を下りるとき(膝をささえる筋肉が伸びるとき)
A.多少痛みます。昇るときは問題ありません。
Q.膝を屈伸させながらまわしたとき痛みや音がしますか
A.まわしても痛みません。前述しましたが、膝を曲げた状態から伸ばすときが問題です。
Q.WGMへ入る前と後とでは、練習量にどのくらいの違いがありましたか(例えば、月間または週間平均走行距離など)
A.10月からお世話になっていますが、月間200kmくらいだと思います。月間走行距離に大きな違いはありませんが、一人で走っていたときは10kmくらいの練習が殆どで、20kmの距離の練習を行ったり、ハーフの大会に出たりするようになったのは秋以降です。一人で走っていた時、あるいは平日に走る時はペース走(4:15-30/km)が主な練習方法です。
Q.どの時点から痛み始めたか、実感がありますか(例えば、ロードでインタバル練習を行った後に感じた、など)
A.最初は小川町のレースの10km過ぎのくだりを降りきったあたりでした。その近辺でインタバルトレーニングを始めたという事はありません。昨年の秋は、八ヶ岳、成田、上尾、小川町と4回20kmくらいのレースに出たのがむしろ問題だったのかもしれません。

森脇.膝を痛めたということで、何日も運動しないと返って筋肉や間接が固まってしまうように感じます。むしろ自転車に乗って会社にいくとか(10kmくらい)とか軽いジョグをしてやったほうが症状は軽減されるようです。また、プールを使える環境があるようでしたら、水泳や水中歩行などを行えば、膝へ負担をかけないで一定程度の負荷をかけた運動を行うことができます。しばらく、様子を見てください。
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by hasiru123 | 2010-09-26 23:41 | 基礎知識  

小江戸川越ファンラン

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小江戸川越マラソンを成功させようと、そのPRを目的とする「小江戸川越ファンラン」が行われることになった。東京マラソンの実現を目指して始まった「東京夢追いマラソン」の川越版で、若葉グリーンメイト会員の谷中博史さんの呼びかけによるものだ。かつて1度だけ開催された小江戸川越マラソンだが、一度で終わらせないようにとの思いが込められている。

開催概要は以下のようになっている。
■主 催/小江戸川越ファンランの集い実行委員会
■実施日/10月10日(日)  予備日10月11日(祝)
■集合・解散地/旭湯(埼玉県川越市元町1-8-6 ※市役所近く)

大会の特徴は、小江戸川越の町並みを楽しみながら歴史に触れ、ゆっくり走るマラニックだ。市民ランナーのコースガイドに先導されて、史跡・名所を巡りながらグループ単位で走る。タイムを競わず、およそ12キロのコースを2時間半かけて走るので、ジョギングを始めたばかりの人でも無理なく周ることができそうだ。

昨日、大会関係者でコースを試走した。計画では十数か所の観光スポットに立ち寄るが、大切なポイントはもらさずに、そしてわかりやすくガイドするにはどんなことに心がけたらいいか。そのための予行演習である。説明技術もさることながら、交通や観光客の妨げにならないように、しかも手際よく進行させることが重要だ。走るためのコースが設定されているわけではないので、安全管理に最大の注意を払いたい。

川越は、江戸にまつわる史跡や町並みなどが良好な状態で保存されていて、史料も比較的豊富だ。しかも首都圏にあることから、保存が進むに従って、訪れる観光客が増加した。菓子屋横丁など一度は灯が消えた産業が復活し、かつては川越の名品と謳われた川越唐桟(とうざん)を仕立てる呉服商も何軒か生まれた。「小江戸川越ファンラン」で、活気を取り戻した川越の町並みを楽しんでもらえればうれしい。

大会の内容は、以下のホームページに詳しい。
 → http://koedo-jogrun.cocolog-nifty.com/blog/

まだ間に合うので、奮ってご応募・ご参加いただきたい。なお、前日の10月9日から11月14日まで、市立川越博物館において、開館20周年記念特別展 「知恵伊豆 信綱 -松平信綱と川越藩政-」が開催される。松平信綱は川越藩主で、老中にまで上り詰めた人物である。こちらもあわせて見ると、より歴史への興味が深まるのではないだろうか。

(写真) 大沢家住宅(国指定重要文化財)
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by hasiru123 | 2010-09-19 22:16 | 話題  

マラソンのシーズンに入った

今週の9月8日から22日までが、ニ十四節季の「白露(はくろ)」である。中国の史書には「涼風至り、白露降る」と記されている。厳しい残暑が続いているが、早朝の日差しは幾分和らいできたように感じる。朝のランニングでかく汗も少しずつ減ってきた。

この夏の気象条件が影響してか、9月に入ってもなかなか距離を伸ばせないでいる。きっと、今年の秋以降のフルマラソンを目指しているランナーにとっては早く本来の秋らしい気温に戻ってほしいと願っているに違いない。というのは、夏から秋にかけての練習量がその年のマラソンシーズンの結果に大きく影響するからだ。猛暑のために走り込みが不足しているとしたら、数ヵ月後のマラソンの記録の低下は避けられない。

雑誌「ランナーズ」によると、2009年度に走った男子約13万7千人の平均タイムは4時間35分04秒で、同女子約2万9千人は5時間07分35秒だったそうだ。果たして今年度はどのくらいの平均タイムになるだろうか。

さて、同じ「ランナーズ」であるが、直近の10月号の別冊付録に「初マラソン!!完走法が学べるトレーニング手帳」というのがある。付録とはいえ(いや、だからこそというべきかもしれないが)、大変わかりやすく書かれていて、楽しく読める内容になっている。「初マラソン」と銘打ってはいるが、熟年ランナーにとっても学ぶところが多い。

同書の最大の特徴は、見開きの左側のページ横に15日分の日記がついていることだ。記載するのは「距離」「点数」「体調」の3つ。「距離」は走行距離、「点数」はその日、ランナーとして望ましい日1日を送れたかを100点満点で記入する。「体調」は5点満点で記入して、適正練習量を把握するようになっている。練習日誌をつける習慣を持っていない人には、いいチャンスである。  
      
同書には、「初マラソンを歩かず完走」を芽音テーマに、必要なトレーニング方法が平易に書かれている。今シーズンのマラソンのよきバイブルとなることを期待したい。
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by hasiru123 | 2010-09-12 23:43 | 基礎知識  

感動深い話

日ごろお世話になっているある先生からこんな話を聞いた。W杯の日本-パラグアイ戦でのことだ。パラグアイ5人目のPKが決まった瞬間。4本目のPKを決めたアエドバルデス選手が、歓喜の輪からひとり抜け出して、真っ先に5本目のPKを外した駒野選手に駆け寄り、頭をすりつけるようにして声をかけたという。その時、バルデスは駒野に何と声をかけたのか。

先生が聞いたという評論家のE氏の話によると、「PKで決まった勝負なんて本当の決着じゃない、4年後のW杯で本当の決着をつけよう」という趣旨の言葉だったらしい。

負けた相手の気持ちをいち早く察知して、声をかけたのだとすれば、すばらしいファインプレイだ。パラグアイには、人の立場になって行動できる一人の選手がいたとして、記憶に残しておこうと思った。

そのあたりの事情を詳しく追ってみたいと思い、ネッや新聞で調べてみたら、6月30日のサンケイ新聞が伝えていることがわかった。しかし、何と声をかけたのかについては、「おそらくスペイン語だったのだろう。駒野は何を言われているのか分からないはずだが、しきりにうなづいていた。気持ちは通じていたのだろう」とあるだけだった。このことについて直接バルデスに聞いたインタビューはないのか、そして、将来「感動深い話」として小学生向けの教科書に載せてもいいのではないか、私はそんな気持ちに駆られていた。

教科書に掲載されたスポーツ美談で思い出すのは、上前淳一郎著『やわらかなボール』である。戦前、戦後に語られたお話で、日本の名選手・清水善三とアメリカのウィリアム・チルデンとの名勝負である。第一次大戦後の日本はデビスカップ保持国のアメリカに挑戦することになった。あと一つとれば清水の勝ちが決まるという時、コートの芝に足を滑らせて転びかけたチルデンに、ゆるい球をかえしてやった、というのである。体勢を立て直したチルデンはボールを返し、チルデンがこの勝負に勝利する。清水は、倒れそうになった相手に激しい球を浴びせることを、いさぎよしとしなかったからである。これが、日本の教科書に載っている。

上前の書いた本では、アメリカの代表的なスポーツ・ジャーナリストであるバッド・コリンズの「ソフトタッチよ、さようなら」と題する記事の紹介が続く。あとひとつで清水が勝つ場面で、清水が行ったサーブが完璧にセンターラインに決まったとき、「レット!」(すなわちアウト)とネット審判が判定した。ところが、この審判は死の直前、自分は卑劣な行為をしていたことを告白する。「ぎりぎりまでチルデンを追いつめながら、健闘むなしく敗れたと思われていた清水は、じつは勝っていたのだ」。これがアメリカに伝わる、清水とチルデンの勝負にまつわる美談である。

この物語には後日談があるが、ここで紹介してしまうことはフェアではないので、これ以上触れないことにする。前置きが長くなったが、駒野に声をかけたアエドバルデスが、本当は何と言ったのか深追いすることは、上記の審判ではないが「レット!」ということにしたい。というのは、もしかしたら、ただ「お疲れさん」とだけ言ったのかもしれないからだ。想像の中の物語として、私たちの記憶に残しておけばいい。そんな気がする。昨日のサッカー親善試合、日本-パラグアイ戦を見ながらの感想である。
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by hasiru123 | 2010-09-05 23:32 | その他