毎年恒例の「フルマラソン1歳刻みランキング記録集」が雑誌ランナーズ7月号で公表された。見るたびに新しい発見があって、マラソンのデータを読む楽しさに気づかされる。今回は、久しぶりに自分のランキングを確かめる楽しさも加わった。

この記録は、2010年度(2010年4月~2011年3月)に開催された日本陸連公認コースを使用する大会での完走記録データを集計し、男女別1歳刻みでランキングにしたものだ。1歳刻みの区分で100位以内に入っていれば個人記録も見ることができる。2010年度のデータから、私の拙い読みで全体を眺めてみると・・・。

まずランニング人口(集計対象としたランナー数)だが、全体で約18万人で、前年度に比べて約7.4%(女性は11.6%)増加した。女性比率は18.5%で、年々増える傾向にある。また、年代別比率では男性が30代と40代がほぼ同じ(各24%)で、20代(17%)が続く。女性は、30代(32%)が最も多く、ついで40代(26%)、20代(24%)となっている。20代では男性よりも女性の比率が高い。男女とも、40代で昨年比増加率が高いこともわかった。

平均タイムについては、手元にあるバックナンバー(2005年度版)も参照しながら見ると、男性は4時間33分48秒で約4分、女性は5時間7分35秒で約5分、2005年度よりも落ちている。これは、ランナーの急増でビギナーが増えたためと見られる。

いいタイムで走れる、強い年代はどの層かを知るには、「タイム別順位早見表」が使える。男性は3時間で、女性は3時間30分で走ると何位に相当するかを調べてみる。男性は37歳の224位を筆頭に、35~41歳に200位台が並び、女性は39歳の82位を筆頭に、34~41歳と45歳に60位以上の順位が並んでいる。シリアルなランナーが集中している層がこれらの年代にあたり、全体のタイム分布が作られていることがわかる。

1歳刻みで100位にあたるタイムについても、同様に2005年度版を併用しながら比較してみると次のようなことがわかる。男性は31歳と30歳、36歳と37歳にピークがあり、女性は39歳を筆頭に38~41歳、そして45歳にピークがある。女性の方がピーク年齢が高い傾向にある。男性は実業団選手が30歳前後に多いことと、女性は30代後半から出産と子育てが一段落することが影響していると思われる。

また、これらのピークを形成する上位5層の年齢の100位タイムは、男性が約5分、女性が15~19分2005年度と比べて上がっている。シリアスランナーの定義を上記とすると、シリアスランナーの走力は確実に向上しているといえるだろう。

なお、私の所属している若葉グリーンメイトからは男性が10名、女性が3名(旧会員、準会員を含む)の個人記録が掲載されていた。掲載されるランキング数が100位に限定されているので、ランナー数が多い年齢だとこの中に入るのが厳しい。例えば、男性の最も多い対象数は39歳が4,825名、同様に女性が37歳で1,156人だった。
[PR]
by hasiru123 | 2011-05-29 20:29 | マラソン

c0051032_19484917.jpg

全国OB・OG駅伝に参加した。私の所属している若葉グリーンメイトからは4チームが出場し、蕉風の下で気持ちのいい汗を流した。1周5キロの皇居周回コースで、桜田門をスタートゴールとする5区間で競うものだ。

私はBチームの3区を走らせていただいたが、想定よりも若干いいタイムでタスキをつなぐことができた。最近の練習では、長めの距離にシフトしていたため(さらにはスピードの衰えも加わって)、約5キロという比較的短いコースには自信が持てなかった。一昨年の記録から約20秒下回る結果は、「良」とまではいかないが「可」である。

これまでに、このコースでは、竹橋から半蔵門にかけての上りで失速することがよくあった。この日はスタートからのペースを、落とさずにイーブンに保つことを心かげた。

500メートルあたりで、ある女子選手に追いついた。その彼女はハイペースで入ったためか、すでに息が上がっている。そのまま抜き去ったのだが、しばらくは激しい息づかいが聞こえたり、聞こえなくなったり。一定の距離を保ちながら追走してくるのがわかった。追いつかれまいとがんばったのが奏功したのだろう。おかげで、私の方は最後までペースダウンすることなく、中継点にたどり着くことができた。

レース後に、周回コースを反対周りでクーリングダウンのジョグをしていたら、偶然彼女と出会って声をかけられた。自分の目標になるペースで前を行っていたので、置いていかれないように粘りました、と。ペースを落とさないでいってくれたことに感謝されたのである。

競走というものは、ある意味で人を利用したり、利用されたり、という関係の中から結果を出す。相乗効果がかもし出す成長である。管理された練習とは一味違うランニングを体験することができる。これは、本番を走ることで得られるご利益だろう。
c0051032_19481279.jpg
さて、今年は第40回という記念すべき大会だ。ところが、というか残念なことに、今回が最後の大会になりそうである。関係者の話によると、大会を主催する団体(走友会)が、年々盛んになるのとは反対に人手が足りずに運営しきれなくなったことが大きな要因だそうだ。そして、大会会長の山田敬蔵さんが高齢になられたことが、引き金になったとも聞く。

大会会長はどなたかに引き継いでいただくとして、運営については毎年参加しているチームからボランティアを募るなどして、継続させる方法はないだろうか。また、IT機器を活用して、事務的な作業の効率化を図ることも検討されていいと思う。


(写真上)桜田門から二重橋方面を望む
(写真下)参加賞のスポーツシャツ
[PR]
by hasiru123 | 2011-05-23 19:50 | 駅伝

映画『岳』を観る

5月に入って3本の映画を観た。「英国王のスピーチ」と「私を離さないで」、そして「」だ。「英国王のスピーチ」はアカデミー賞を獲得して話題をさらった作品だが、感想を整理するのに少し時間をおきたい。「私を離さないで」は観るだけではなく、原作(早川文庫)の方も一読に値すると思うので、読だ上で比較をしながら書いてみたい。ということで、先週観た「岳」について書くことにする。

山岳映画というと、クライマーを主人公にしたものが多い中で、「岳」は山岳救助ボランティアを主人公に設定した異色の作品だ。日ごろ登山を行わない者にもエンターテイメントとしてスーッと入っていける物語になっている。

主人公の三歩は、れっきとしたクライマーだが、長野県警山岳救助隊隊長に協力し救助ボランティアに当たっている。そこに女性の新人隊員(久美)が配属され、三歩と二人三脚で(これ、駄洒落ではない)さまざまな救助活動を経験する。彼女は、その中で弱気になっていく。クライマックスは、吹雪の中で発生した多重遭難だ。

観ていて少しつらかったのは、三歩がこれまで何人もの遭難者の死体と対面してきたことと東日本大震災が重なって思えたことだ。でも、この映画のいいところは自然の猛威としっかり立ち向かいながらも、遭難者(=登山者)への温かみが伝わってくることである。

過去に遭難して、三歩が救助した登山者に出会うシーンがラストにある。「また、山においでよ」と笑顔で声をかける。漫画的といえばそれまでだが、「今度はしっかり安全を確保した上で、挑戦してね」と呼びかけているようで、この前向きさにほっとさせられた。また、救助後に「山で捨てちゃいけないものは、ゴミと・・・」と久美に諭す、このフレーズもいい。一度は使ってみたい。

今回は大スクリーンで、厳冬の槍・穂高岳連邦の大パノラマを楽しんだが、DVDではこうはいかなかったと思う。
[PR]
by hasiru123 | 2011-05-22 21:03 | 芸術

東日本大震災の被災地支援を求める人たちが数多くいる中で、ボランティアをしたいという人が多く出てきている。しかし、「気持ちを形にするのは簡単ではない」と中央大学教授の山田昌弘さんは毎日新聞に書いている(5月13日「私の社会保障論」)。現地の人とボランティアをつなぐ仕事は、役所やNPOなどのスタッフがばらばらに担っているのが現状だ。

被災者ニーズと支援希望者の意向をすり合わせることを目的とする組織がある。「ボランティアコーディネーター」である。「ボランティアをやるために現地に来たが仕事がない」などのすれ違いを解消させるのがねらいだ。NPO法人の日本ボランティアコーディネーター協会では、この言葉について<市民のボランタリーな活動を支援し、その実際の活動においてボランティアならではの力が発揮できるよう市民と市民または組織をつないだり、組織内での調整を行うスタッフ>(同団体のサイトから)と定義している。

それぞれの分野で活動するボランティアをつなぎ、その専門性を向上させたり、社会的認知を推し進めたりするなど、専門職として制度化することが大切だ。これらの成果は、災害被害の支援活動にとどまらず、様々な活動の手助けとなろう。

スポーツの分野でも、様々な種目のアスリートが共同で、企業や行政機関、教育機関など社会とつながりを持って、スポーツのあり方を変えていこうという取り組みが始まった。そのひとつに、「一般社団法人アスリートソサエティ」(理事長為末大)というのがある。生計に困っている選手に資金援助をするなど次世代の若手を支える組織として創設されたものだ。その定款によると、「①アスリートの競技活動支援及びアスリートのセカンドキャリア支援を通じてスポーツの発展に貢献するとともに、アスリートの経験を広く社会に還元」を始めとする16の目的が記載されている。これらには、スポーツ大会・イベントの開催事業を始めとする幅広い支援活動が含まれている。

この団体は、震災の2日後に寄付専門サイトに募金の窓口を設けてツイッターなどで協力を呼びかけたり、4月に「今、選手にできること」をテーマに被災者への支援活動について討論集会を行ったりしている。若い選手が集まっているだけに、ブログやツイッター、フェイスブックなどのネットワークを生かして、スピード感のある活動を進めている。

支援活動のノウハウは、災害時にはもちろんのこと、平常時においても、たとえばマラソン大会のボランティア活動にも活用できそうな気がする。東京マラソンでも、地方で開催されるマラソン大会でも、必要とされるボランティア活動内容には共通のものがある。大規模なマラソン大会が増えつつある昨今だ。ノウハウや人材、パワーなどを互いに利用し合って、立ち上げを容易にし、負担を軽減した運営を考えたい。そうすることによって、ボランティアの認知や理解がいっそう高まり、活動も活性化されるのではないだろうか。
[PR]
by hasiru123 | 2011-05-16 12:17 | その他

ラグビー・ロマン―岡仁詩とリベラル水脈 (岩波新書)

後藤 正治 / 岩波書店


この人の名前がいい。岡仁詩(おかひとし)。名前通りのスタイルをもって、選手を指導し続けた。いわゆる”岡イズム”である。

新しい戦法の創造、学生個人を主体とするチームづくり、教育的視野、そしてその底流にあったリベラリズムという思想等々、がそれである。著者は「時を超えて伝承すべきキラリと光るものが数多く宿っている」ことが執筆の動機だったと、あとがきに書いている。同志社大学ラグビーの代名詞的人物であった老ラガーマンの足跡とその水脈をたどる物語である。

同大が初めて日本選手権に出場した1981年、相手は新日鉄釜石で(釜石が)7連覇したときの3年目にあたる。実はこのとき、私はたまたま国立競技場で観戦していた。同大は1トライもできずに、3対10で敗れている。それでも、社会人選手権の覇者に対してよく食い下がった、という印象が記憶にある。

問題は、その翌年1月2日に行われた大学選手権準決勝の対明大戦である。著者をして「ひとつのジャッジが、一人の選手のその後に、また笛を吹いたレフェリーのその後にも影を落としたという意味において、それは空前の試合」と言わしめた”事件”である。後半のもみ合いの中で、同大ウイングの大島真也が反則をとられて退場となる。明大選手の顔を踏みつけたとして、レフェリーがラフプレーと判断したためだ。後に、ミスジャッジではなかったかと言われることになるが、その真偽は定かではない。「はっきりしていることはただひとつ、レフェリーがラフプレーがあったと判断したらそれはラフプレーだということである。それがラグビーの鉄則である」。

同大はこの試合を落とし、日本選手権には出場できなかった。岡(当時部長)は、ラフプレーを潔く認めたが、選手を責めることはなかった。しかし、試合後の夜に荒れた選手やOB等に対しては、ジャッジについて一切口にしないよう厳しく戒めた。その後の1年、このときだけ部長・監督の兼任を受け、汚名を晴らすべく苦しみながら、再び大学日本一に輝いている。

そして、4年後の大学選手権決勝での慶応大学との一戦。今度は、81年の対明大戦とは反対の経験もする。同大は薄氷を踏む勝利を飾るのだが、このときの終盤で慶大は逆転につながるトライを挙げあげたかと思われたが、レフェリーの笛が鳴った。「スローフォワード!」。これで同大は勝った。スローフォワードのジャッジに対しては、レフェリーのミスジャッジという声がある。

いずれの結果についても、岡へのインタビューから聞けるものは少ない。しかし、選手たちに教えようとしたことは何なのか、わかるような気がする。先の大島は、著者の取材にこう答えている。あのことがあったがゆえに人の痛みや思いやる気持ちを知るようになった、と。岡は、選手に対して指示をすることはあまりなく、選手に自主判断にゆだねる”自主ラグビー”に徹してきた。経験を通して選手自身に解釈させるのが、岡流の指導ということだろう。この話は「第6章雪辱」に出てくる。

このほかに、岡の師である星名秦との出会いやオール同志社を率いてはじめてのニュージーランド遠征での最終戦カンタベリー招待チームとの一戦、そして学費値上げ紛争での大衆団交などの物語が語られている。岡のもとから生まれたラグビー指導者は数多い。著者が形容する「柔らかな教育者」を通して、ラグビーの物語に浸ることができた。

本書が上梓された1年後(2007年)、岡は戻らぬ人となった。亡くなった翌日、第二期黄金時代にロックでキャプテンを努めた林敏之は自身のブログにはこう書いている。

<「楽しく苦しく美しく」。先生の好きな言葉でした。試合は楽しい、だけど練習は苦しい。しかし苦しい練習を乗り越えて、美しいトライが生まれる、美しい友情が生まれる。人生もまたしかりだと>
[PR]
by hasiru123 | 2011-05-08 21:44 |

世界フィギュア女子

東日本大震災の影響で、開催地を東京からモスクワに移したフィギュアスケートの世界選手権。グリーグの「ピアノ協奏曲」に乗せて、安藤美姫選手が優勝した。4年ぶり2度目の世界女王に輝いた。彼女を世界一に押し上げたのは、「特別な思い入れがあった」という強い気持ちだったかもしれない。

安藤選手の今シーズンは5回の国際大会で4度目の優勝ということで、好調を維持してきた。配点の高いフリーが、今年は特に強かったことも奏功した。演技後のインタビューでは、「自分のスケートを変えずにやってきたこと」を勝因に挙げていた。私はこの競技のテクニカルな点については不案内だが、目先の順位にこだわらない謙虚な姿勢こそが彼女の強みであると思っている。

一方、昨年の冬季五輪を制した金妍児(キム・ヨナ)選手は、3回転ジャンプが1回転になるなどフリーで伸び悩み、安藤選手に一歩及ばなかった。2位に終わり、表彰台で目を濡らす金選手を見た。彼女の涙姿を目にしたのは、これが2度目である。最初は先の五輪で。フリーの演技を終えた後、リングサイドで泣きながら手を振っていた。精緻な演技の印象が強かっただけに、五輪の重圧から解放された素顔を見たようで、すがすがしい思いでテレビ画面に見入っていた記憶がある。

金妍児選手のすごいところは、1年以上にわたるブランクにもかかわらず、高いレベルで見事な接戦を演じたことである。五輪で金メダルも取ったし、ほとんどの目的を達成してしまった上での挑戦である。モチベーションを高めることに腐心したことと思う。ファンとしては、これからも安藤選手や浅田真央選手らとともにぜひ熱い戦いを見せてほしいと期待している。

その金選手。「東日本大震災で被災した子どもたちを支援するため、大会賞金の全額2万7千ドル(約220万円)を国連児童基金(ユニセフ)に寄付する」との報道に接した。また、安藤選手は大会後に帰国せずに、世界中のトップスケーターと震災復興支援のチャリティショーに出演するという。両ライバルの、リング外での貢献活動にも拍手を送りたい。
[PR]
by hasiru123 | 2011-05-02 14:02 | その他