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8合目

石原慎太郎東京都知事が突然の辞職表明をした。2020年の夏季五輪の誘致活動もこれからが本番というところだったので、少し気になった。新聞にはこんな記事が載っていた。「「強烈な存在感のあった石原さんがいなくなることで、国民の関心が薄れないだろうか」。招致関係者の間には重たい空気が流れた」(10月27日読売新聞)。

五輪招致の是非はさておき、東京都にとって、そして日本にとっても五輪は大事業だ。8合目まできたところで、交代というのはいかがなものだろうか。石原さんは大衆にインパクトを与える力は絶大だが、実績をコツコツと積み上げて何がしかを成し遂げるという粘りというか執着心みたいなところが弱い、と感じた。そういう意味で、後世の歴史に評価される政治家とは言いがたいのではないか。

何が言いたかったかというと、この粘りとか執着心がマラソンにとっては重要で、素質や方法、技術などよりも圧倒的に上位にくる選手の要件であるということだ。8合目をどう乗り切るかが難しい。

マラソンの8合目とは何か。長いレンジで見れば、「スピード磨いて、持久力をつけて、ようやくマラソンに取り組める体になった」というのも、長距離の競技者にとっては8合目だろう。また、マラソンをやろうと思って練習に取り組み、故障なく走れて、スタミナがしっかりついてきたなと実感できたところもそうかもしれない。スタートして35キロを過ぎ、足が重たくなってきたころも、レースの8合目だ。

いずれの8合目も、あきらめればゴールは遠くなる。ゴールがないこともあるだろう。石原さんのように、五輪招致に再挑戦する最中に任期を2年以上残して都政を去るのは、棄権としか思えない。身体的なコンディションに支障をきたす場合は別として、最後まで結果に固執してほしい。私はそう思う。
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by hasiru123 | 2012-10-28 20:32 | マラソン

秋元家と川越藩

川越藩に最もゆかりの深い大名といえば、秋元家ではないだろうか。在任期間が4代63年間と必ずしも長期とは言えなかったが、それぞれの藩主が幕府の要職に就き、川越の産業奨励や地域文化の発展に貢献した。とりわけ4代藩主秋元但馬守田喬知(あきもとたじまのかみたかとも)を、その筆頭格に挙げたい。

喬知は、宝永元年(1704年)に甲斐国谷村藩(現在の山梨県都留市)から武蔵国川越藩へ転付した。谷村時代は領内整備に力を注ぎ、養蚕による織物を盛んにした。川越藩へ転付してからは元禄の大地震や富士山噴火などで混乱を極めた領内をまとめ、殖産振興に努めた。特に「川越平」と呼ばれた絹織物は川越地方の特産品に成長し、その技術は後に盛んになった「川越唐桟」にもつながったといわれる。

秋元家の時代は、川越の代表的な地誌とされる「武蔵三芳野名勝図会」の先駆けとして「川越素麺」と「多濃武の雁」が作られている。「川越素麺」は江戸時代の地誌として最も古いものと言われ、川越の町勢や神社、寺院、伝説などについて記述されている。

川越織物の基礎を築いた秋元家にフォーカスした「譜代大名秋元家と川越藩」が川越市立博物館で昨日から公開された。以下の5つのテーマに分けて紹介されている。

   第1章 譜代大名秋元家
   第2章 日光東照宮と秋元家
   第3章 秋元家の川越藩政
   第4章 川越地誌の成立
   第5章 特産品「川越平」の成立と発展

展示品の中で特に目を引いたのは、「朝鮮通信使行列図大絵馬」(川越氷川神社蔵)だった。川越の地に住みながら、なかなか直接見ることができないでいた。余談になるが、川越にある朝鮮通信使関連の資料にはこの他に「川越氷川祭礼絵巻」(同)があり、本町の朝鮮通信使仮装行列など異国情緒あふれた出し物を見ることができる(これは今回は展示されていない)。これらの絵図から、歩いたり走ったりする人々がナンバ歩きであるらしいことを、かすかに読み取ることができるのは興味深いことだ。

また、先ほど触れた「武蔵三芳野名勝図会」は享保元年(1801年)に作成されたものだが、海保青陵(1755~1817年)が序文を記した原本を見ることができる(もちろん、ガラス越しで)。海保青陵は「稽古談」と「升小談」という経済論書を著しているが、この中には「川越平」が当時の川越地方の特産品で広く知られていたことが記述されている。この両書も原本で見ることができる(いずれも京都大学図書館蔵)。

「山王祭之図」(国立国会図書館蔵)は、北新堀町(現在の東京都中央区日本橋箱崎町付近)の附祭を描いた絵巻だが、詞書に「1.店警固肩衣川越平之袴晒(さらし)帷子(かたびら)琥珀之帯」とあり、店警固衆9名が「川越平」を着用していた様子が描かれている。原本は、残念ながら11月1日からの展示である。

「秋元家甲州郡内治績考」は、秋元家が甲斐国谷村藩時代における事績をまとめたものだが、特産品である絹織物の生産を奨励したことについて書かれていて、川越織物を知る上で極めて重要な資料である。しかしながら、私はこの資料が秋元家の最後の転付地であった館林の地にある館林市立図書館に保存されているということを知らなかった。ぜひ、機会を見つけて読んでみたい。

今回の展示品は、埼玉県内外から広く集められている。これだけの資料を同時に見ることは、この機会をおいてないだろう。展示物を紹介した図録が800円で頒布されていたので、早速求めた。私は博物館や美術館で企画展を見た際には、必ず図録を購入することにしている。というのは、図録はたいてい良質の紙に良質の印刷がなされていて、書籍として買ったならばかなりの値がすると思われるものが、驚く程の低価格で手に入るからだ。そして、同様の企画では2度と印刷物として世に出されることはない。これは、平成9年に当博物館で開催された「川越氷川祭礼の展開」という企画展で、黒田日出男東京大学史料編纂所長(当時)が講演された折、教えられたものだ。

市制施行90周年記念特別展として、また川越祭の季節にふさわしい好企画であった。
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by hasiru123 | 2012-10-21 22:15 | その他

第7回 第九の夕べin喜多院

10月8日、体育の日。第7回を数える「第九の夕べin喜多院」が開催された。今年も、300名近くの混声合唱団の歌声が喜多院の杜に響き渡った。会場に入れず、周りを取り囲むように鑑賞された人も含めて、千人を超す音楽ファンが聞き入っていた。

埼玉中央フィルの常任指揮者である宮寺勇さんが音楽総監督と指揮を務め、オーケストラは内海源太さんと川島容子さんによるエレクトーンの演奏だ。そして、第九の前に行われたソリストたちの独唱も見事だった。演目と歌手は以下のとおり。

アヴェ・マリア/高橋維(ソプラノ)
初恋/井上雅人(バリトン)
黒い瞳/遠藤亜希子(アルト)
グラナダ/山本耕平(テノール)

その後、第一小学校児童による合唱と県内外の合唱愛好者による第九、そして最後に来場者を含めて全員で「よろこびの歌」と「ふるさと」を合唱した。

今回も広報担当として写真を撮らせていただいたので、その一部をご紹介する。リハーサルと本番を見比べられるように並べてみた。リハーサルは、私にとっても本番でしっかり撮れるようにするための大切なプロセスだった。しかし、いつものことながら夜の光の処理は難しい。それが私の偽らざる感想だ。一番最後の写真は、乾杯のシーンである。
                         高橋維さん
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                         井上雅人さん
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                         遠藤亜希子さん
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                         山本耕平さん
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                         第一小学校のみなさん
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                         第九を歌おう会のみなさん
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演奏の模様は、全曲をUSTREAMで、一部をYouTube 見ることができる。興味のある方は、下記のサイトをご覧になるといい。

今年は、川越市市制施行90周年の記念事業として実施されたことから、いくつかの新しい取り組みがなされた。その中でも、演奏終了後に行われた懇親会は、短い時間ではあったがとても楽しいものだった。合唱参加者と指揮者やソリストたちとの交流の場として、今後とも続けていただきたいと考える。関係された皆様、お疲れさまでした。

閲覧できるサイトはここ → USTREAM 
                → YouTube 
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by hasiru123 | 2012-10-14 20:42 | 芸術

いいクスリ

何かをやろうとしてうまくいかないとき、イライラする。人とのつき合いを気にしながら物事を進めようとすると、疲れる。目標を成し遂げなくてはという気持ちが高じると、自信が持てなくなり不安になってくる。

こういうときは体のどこかが疲れていて、心もストレスを感じていることが多い。女優の中江有里さんは、疲れやストレスをためないたには「ストレスを感じる環境に慣れること」と「自分なりのストレス解消法を持つこと」というある薬学博士が提唱する2つの解消法を紹介した上で、「私のストレス解消法は、やっぱり読書」だと書いている(9月24日付毎日新聞のコラム「ホンのひととき」)。

中江さんは、ストレスを感じたら、そっと本を開く。「手に取るのは何度も読んだお気に入りの本と、初めてのジャンルや作家の本。何度も読んだな地物本は投げ年の友達みたいなもの。よく知る人は物語に安心しても心をゆだねられれます。初めての本は、初対面の人のよう。仲良くなれるかどうか、まったくわからない」という。

さて、私の場合はどうか。中江さんと同じで、本はもちろん「友達」だ。そして、もう一つ。それは「走ること」である。それも、ただ走るのではなくて、ゆっくりと時間をかけて走るのである。ストレス解消を意識して走ることはないが、走ることによって、結果的にストレスが消えることはよくある。ヤケ酒やヤケ食いは一時的にストレスを忘れさせてくれるかもしれないが、忘れるだけであって消えることはない。

忘れたことは後で思い返すことがある。ところが、作り変えられた思い出は、かつてストレスの原因となったことは問題ではなくなり、心から消えていく。ゆっくりと体を動かしながら戸外の空気に触れて、季節を感じ、心の中で反芻していく。すると、相手に向かっていた強い気持ちが反省され、新たな課題として形成されていく。そこまで整理されていくと、もうストレスとして心を傷つけたり人を憎んだりする方には向かわない。

これまで、ゆっくり走ることは体を動かしながら頭の中で今日の会議の進め方を考えたり、結婚式のスピーチを組み立てたりするのに向いていると考えていた。実際にそういう経験は多く、意識的に活用してきた。ところが、この効用は頭の中だけでなく心の中にも及ぶことに気がついた。

これは、市民ランナーの特権ではないだろうか。学生や実業団の第一線の選手たちには、おそらく走ることについてこのような感覚を持つ余裕はないかもしれない。駅伝に勝つことやライバルとの競争に打ち勝つことを第一の目的にしている選手から見れば、走ることはストレス解消どころかストレスを生み出す元凶にもなったりするからだ。

先に今季限りでプロ野球の現役引退を表明した金本知憲選手(阪神)は、インタビューでこんなことを語っていた。

「長嶋(茂雄)さんではないですけど、人生そのものですね。本当にまあ、野球人生で、10歳から初めて7割8割はしんどいことで。2割3割の喜びや充実感しかなかったが、でも少しの2割3割を追い続けて、7割8割苦しむ。本当、そんな野球人生でした」(msn産経ニュース9月12日)。

「7割8割」苦しんだが、「2割3割」は喜びや充実感があったという。プロ野球という職業人としてがんばり続けてきた選手にもかかわらず、野球の苦しみが「7割8割」というのは意外だった。もっと高いと思ったからだ。むしろ、苦しいからこそ「2割3割」の喜びや充実感があったことで続けることができたというべきかもしれない。

市民ランナーだったら、この比率は逆転しているだろう。「2割3割」の苦しみはあったが、「7割8割」の喜びや充実感があったから続けてこられた、と。この「喜びや充実感」が、ストレスをストレスと感じさせないいいクスリになっている。
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by hasiru123 | 2012-10-07 23:32 | その他