2013年奥むさし駅伝

1月27日(日)に行われた第11回奥むさし駅伝競走大会に、坂戸市陸上競技協会Aが出場した。昨年に続く2度目の参加である。結果は以下のとおり。
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総合 2.16.33 61位 (一般の出場チーム数 151)
1区 33.16 44位
2区 20.05 64位
3区 16.55 84位
4区 16.10 52位
5区 17.07 44位
6区 33.00 70位

5名は埼玉県駅伝と同じメンバーで臨んだが、1名は入れ替わった。昨年よりも順位で6つ、時間で1分44秒遅れた。スタート直前からの強風で、前半は向かい風の中でのレースとなった。そんな中で、1区のSさんは手元の時計によると5キロの通過タイムが15分48秒だったそうだ。また、Hさんは自身の昨年の同区間の記録を4秒短縮した。初出場のMさんは、得意の下りでいい走りを見せてくれた。2区のSさんは、昨年故障に泣いたが復調の兆しが見えてきた。アンカーのTさんは風邪で悩まされましたが、うまくまとめてくれた。
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全体としては、来シーズンの飛躍を期待できる内容だったと思う。選手の皆さん、寒い中をお疲れ様でした。そして、サポートにあったていただいた皆様に御礼を申し上げます。
結果の詳細は、下記のサイトで見ることができる。

→ http://www.city.hanno.saitama.jp/cmsfiles/contents/0000000/959/11itsupan.pdf

■2013年1月27日午前9時 スタート地点の気象コンディション 
晴れ 気温2.5度 西の風5.9m 湿度31%(注)

(注)大会本部が発表したスタート時の気温は、近隣の気象データと比較して誤りであると判断し、代わりに秩父市のデータを記載した。昨年も同様の誤りが見られた。この時期の飯能市の気温が、気象庁発表の所沢市や川越市の気温より数度も高いという現象は考えにくい。

(写真上)スタート
(写真下)ゴールする坂戸陸協A
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by hasiru123 | 2013-01-29 20:44 | 駅伝

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第80回埼玉県駅伝は1月20日(日)に開催され、坂戸市陸上競技協会は10年連続で10回目の出場だった(市町村男子の部)。さいたま新都心駅前を出発点、熊谷スポーツ公園をゴールとする42.195キロの新コースである。2時間30分16秒で5年ぶり2度目の10位入賞を果たすことができた。オーダーは以下のとおり。
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1区鈴木浩也 2区廣田典之 3区鈴木寿章 4区森山聖也 5区菅野駿之介 6区高橋輝行。
80回大会、10回目の出場という節目の大会で入賞に手が届き、望外の喜びである。熾烈な10位争いを制したことは、大きな自信となるだろう。今後は、10位以内を指定席とできるようになれば、さらに上が見えてくると思う。

私は出発点のさいたま新都心駅前で1区の選手に付いたが、県道164号線の上下車線を開放してスタートするシーンはとても勇壮だった。東日本実業団女子駅伝大会で使われたコースとほぼ同じものである。旧中山道という主要道路を走らせてもらえることは選手冥利に尽きるといっていいだろう。

今大会で神経を使った点は二つある。一つは、コースが全く変わったことで車での移動方法や選手更衣所の使い方を一から検討し直さなければならなかったことである。二つ目は、出発時間が8時30分でこれまでよりも1時間45分早まったことから、早朝からの集合となったことだった。事前の情報収集がしっかりできていたため、各中継所の駐車場や更衣所の確保はスムーズにできた。なんの混乱もなかったことにホッとしている。

気をもんだ点も二つあった。6区で繰り上げ出発となったため、ゴール後の順位がなかなか確定しなかったことである。競技場のアナウンスでは、最初12位と発表されたそうで、私の携帯に入った第1報は「12位らしい」ということだった。「今年も入賞を逃がしたか」という残念な気持ちはあったが、決して落胆するようなことはなかった。というのは、今回臨んだメンバーは若く、伸びる余地を十分に残していたからだ。個々の選手があと何秒か短縮すれば到達することが可能で、今後の1年間にやることが見えてきた。咄嗟にそう考えた。

もう一つは、最長区間(11.9km)の3区にエントリーしていた選手が膝の故障のため、急遽補欠を充てることになった。同区を含めて二つの区間変更を行なったが、各選手とも確実に役目を果たしてくれた。補欠選手のレベルアップも今回の入賞の原動力であった。結果として、これらが杞憂に終わったことは二重の意味で喜びである。
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また、高橋さんが高校時代を含めて10回出場したことで、功労者表彰を受けた。おめでとうございます。出場した選手をはじめ、控えに回っていただいた選手の皆さん、そしてご支援を賜った19名の役員の皆様に対し、厚く御礼を申し上げたい。なお、結果の詳細は、1月21日の読売新聞朝刊の埼玉版か後日公表される埼玉県駅伝のホームページをご覧いただければありがたい。


(写真上)さいたま新都心駅前をスタートする選手たち
(写真中)レース後の懇親会で
(写真下)選手と役員
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by hasiru123 | 2013-01-20 23:04 | 駅伝

敗れざる者たち (1976年)

沢木 耕太郎 / 文藝春秋

スポーツを題材にしたノンフィクションを数多く残し、「私ノンフィクション」と言われる沢木耕太郎。その初期の作品に『敗れざる者たち』があり、再読した。ここに取り上げられた6つの短編は「勝負の世界に何かを賭け、喪っていった者たち」とうテーマの下に書かれたものだ。その中で3番目の作品は「長距離ランナーの遺書」。

なぜこの本を書棚から取り出したかというと、いま進行している世の中の動きと、高校時代の思い出とが偶然に出会ったからにちがいない。「いま進行している世の中の動き」とは、2020年の夏季五輪を目指す東京の招致委員会が計画書を国際オリンピック委員会(IOC)に提出したことである。なぜ再び東京なのか。東京都の猪瀬直樹知事の会見や計画書からは、読み取ることができなかった。

「高校時代の思い出」というのは、東京五輪で3位に入った円谷幸吉が亡くなって35年が経ち、厳冬期に入ったいま、それが1月だったことを思い出したからだ。間もなく埼玉県駅伝が開かれるが、円谷を初めて近くで見たのは埼玉県駅伝のゴール地点で閉会式会場でもある埼玉県庁前だった。昭和41年のことである。彼がアキレス腱や椎間板ヘルニアなどの故障に悩まされていた中で、回復の兆しがのぞいた一瞬だったのかもしれない。どの区間を走ったかは覚えていないが、そこには区間賞を取って自衛隊体育学校の同僚と談笑する光景があった。

本作品には、便箋2枚に書かれた円谷の遺書が引用されている。何度読み返しても、遺書からは死への思いつめたものは感じることができなかった。沢木は「若くして命を絶った者の、この異常なほどの自己表白のなさは、いったいどうしたことだろう」と書いている。

円谷幸吉が東京五輪後の低迷していた時期に、婚約を交わした女性がいた。自衛隊関係者などから取材する中で、彼が久留米の幹部候補生学校で訓練を受けている期間に、直接指導にあたっていた畠野コーチが北海道にとばされた事実に気がつく。それを裏付けるのは数冊のノートからだった。体育学校の上官から結婚に「待った」がかかったというのである。説得力のある仮説だと思う。しかし、沢木は「宿命が神の仕掛けた罠ではなく、彼の情熱が辿らざるをえなかった軌跡だとするなら、すべては円谷幸吉の個性に帰せられるべきである」と、その仮説に寄りかかることなく距離をおいている。

「人生に、真の「もしも」など存在しない」とした上で、仮定が許されるなら「もし、アべべの足の状態を円谷が知っていたとしたら、円谷は果たして死んだであろうか」と書いている。また、彼と同年代のランナーである君原健二が不振だった東京五輪後に失意に陥っていたときのこと。最後まで自分の決意を大事にし、結婚したことをに触れて、「私の長い競技生活も独身だったら(メキシコ大会の銀メダルが)可能だったかどうかわからない」という君原の「もしも」も引き合いに出している。

遺書を読む限りにおいては、何ともミステリアスである。自衛隊入隊時の同僚斎藤勲司は、几帳面な性格の円谷が死んだ時に下着のままの姿だったり、部屋に洗濯物がかかっていたりすることから、「本当に覚悟の上の自殺だたのか」と疑問を投げかかている。意外と「発作的に首を切ってしまった」ということもありうる。

沢木は、死の本当の原因を極めることにさほど関心を示さない。「なぜ死んだのか」と問うことは、「逆になぜあなたは生きつづけられるのか、と死者からの問い返されることでもある」と書く。

実はこの問は、解決が提示されないミステリーのようなものである。すべては読む者に投げかかられ、自由に考えるようになっている。自殺から35年たった今も思い出して、本書を手に取るのは、そのためではないだろうか。
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by hasiru123 | 2013-01-13 21:48 |

今年の箱根駅伝は、昨年にも増して面白い展開となった。スピードランナーを揃えた学校がどこまで力を発揮できるか、誰が5区の山登りを制するのか、今年も5区を制した大学が優勝するのか、さらに埼玉県内の高校出身者が多数参加することについてなど、戦前の興味はつきなかった。

それにしても往路は折からの強風で、どの区間も大変だったと思う。特に5区ではコースが上るにしたがって気温が急降下し、城西大と中大の2人の選手が低体温と脱水症で棄権するというアクシデントが起きた。中大は2区の終盤でも脱水症状の影響かと思えるブレーキがあった。また、明大も9区で脱水症状のため失速し、3位から6位に順位を落とすアクシデントがあった。

そんな中で、5区で優勝候補の早大と東洋大を2分以上離す健闘を見せた日体大の服部翔大の快走は見応えがあった。その勢いは復路にも影響して、東洋大との差を4分54秒離して、結果として日体大の独走を許してしまった。

レースを振り返ってみると、エースと言われた選手が苦しむ中、悪天候下でも力を発揮できる粘り強い選手の活躍が光った。5000mや10000mの平均タイムでは20チームのうち6番目に過ぎない日体大が優勝したのに対し、最速チームの駒大が往路が9位と出遅れたことから、復路での好走をもってしても日体大に届かなかったことがそのことを裏付けている。

今年も、5区を制したチームが総合優勝を果たした。5区が現在の距離(23.4k)に伸びた2006年以降の8回のうち5回について、5区を制したチームが優勝している。復路の最長区間である9区は、8回中3回しか優勝していない。今や、最も優勝の鍵を握っている区間は5区といえるだろう。各大学は、今以上に5区のスペシャリストの養成に力を注ぐだろうし、往路により強力な選手を配置する戦略をとってくるだろう。

埼玉県内の高校出身者は15名が走っていたが、その活躍ぶりも素晴らしかった(注)。1都道府県からの参加者数としては、兵庫県と並ぶ最大である。埼玉県を練習の拠点にしている箱根駅伝出場大学が3校あったことも影響しているかもしれない。さらに、埼玉県の長距離・駅伝が盛んになることを期待したい。


(注) 「箱根駅伝公式ガイドブック」(講談社)と「箱根駅伝公式webサイト」を参考にカウントした。
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by hasiru123 | 2013-01-06 23:57 | 駅伝

年末に、私の所属しているランニングクラブの会報に記事を掲載していただいた。この1年の抱負のつもりで書いたものである。

ここをクリック → http://wakaba-green-mate.cocolog-nifty.com/blog/files/WGM_201301.pdf

昨年は、ここ数年間でいちばん練習を積めたと思っている。というよりも、練習日誌をめくってみると、「走行距離」という数字で比較する限り、そう言える。一方で、出場したレースは1度しかなく、目標としていたマラソンを走ることができなかった。そして、故障と付き合いながら、いやがうえにも体力の衰えを知らされた1年でもあった。その意味では、充実したシーズンだったとは言いがたい。

それでも、走ることについての喜びや興味は尽きることがない。春先から少しづつ距離を伸ばしてくると、不安は払拭されて夏には「何とかマラソンを走れそうだ」という気分になってきた。この感覚は、言葉ではうまく言い表すことができない。程よくトレーニングを継続すれば一定の効果が生まれることは経験的にわかりきっているが、それでもそういった体験は走る者にとって一種のカタルシスとなるので、いつの間にか生活の一部となり、欠かすことができないものになっている。どうやら、走力の低下とランニングの興味とは相関関係がないようだ。

そこで、WGMの会員の皆さんに「どんなことでも記憶をしまっておかないで、積極的発信してほしい」と声かけをさせてもらった。

今年も、どうぞよろしくお願いいたします。
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by hasiru123 | 2013-01-01 20:04 | 練習