走り納め

29日は、近くの三芳野神社で正月の飾りつけや初詣の準備をしてきた。この神社は天神様で、わらべ唄の「とおりゃんせ」発祥の地と言われている。「とおりゃんせの細道」の参道に灯りや初詣の幟を取り付けたり、絵馬や御札を頒布する準備をした。
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そして、昨日30日はランニングクラブのメンバーと年忘れのLSDをしてきた。コースは以下のとおり。

ふるさとの湯(坂戸市)前スタート~高麗川土手を下流へ島田橋~高坂ピオニウオーク~高坂駅~大東大前の登り~物見山公園鳩山町の林間コース~鳩山文化会館~今石橋~泉町公園~ふるさとの湯ゴール(合計で約23キロ)。

半月前に風邪をひいて体力が落ちた上に、足の状態もあまり良くなかったため、最近は1日おきに軽いジョグをする程度だった。終わったあとは、ふるさとの湯にゆっくり浸かって、汗を流した。この日のLSDは、私にとってここの湯加減と同じようにちょうどいい加減の練習だった。

年末から年始にかけては、ふだんよりも多めの食事を摂ることになりそうなので、それに合わせて練習量も増やして行きたい。当面の目標は、明けて3月2日に行われる第1回静岡マラソンだ。

今年も残すところあと半日。皆様、どうぞよいお年をお迎えください。


(写真)12月中旬に行った参道周辺の清掃活動
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by hasiru123 | 2013-12-31 15:36 | 練習

さて、「第3条 毎日10キロずつ走る月間300キロよりも、5キロの日もあれば30キロの日もある月間300キロの方が効果が高い」について。

長い距離をくり返し走っていくと、少しずつ走る距離を伸ばしていくこができる。しかし、どこかで「体が重くなり、走ることがいやになってくる」という障害に出会う。この障害が、練習ごとに先へと伸びていけばいいが、いつか毅然と立ちはだかって、乗り越えられないことが出てくるだろう。そうなると、次の練習が負担に感じ、取り組む意欲がなくなってしまう。

そんな時には、気分転換をしてみるとよい。マラソン練習といっても、毎回のように持久的なトレーニングを行う必要はない。短いジョグを入れたり、徐々にスピードを高めていくビルドアップ走をやってみたりと、内容を変えてみる。緩急、距離の長短、強弱、練習頻度の多少、など様々な変化をつけてみる。さらに、発想の転換も必要である。これまで長い距離を走るときにいつも「距離」を意識してきたのであれば、今度は「時間」を意識して走る。

普通の持久的な練習では、公園の周回コースであれば何周しようとか、ロードであればどこまで行って帰ってこようとか、何キロのコースを何往復しようなど、目標を決めてから走るだろう。マラソンは42.195キロという長丁場だから、どうしてもマラソンの距離の半分を走ったとか、3分の2まで走れたとか、「距離」の感覚が頭から離れないのはやむを得ないことかもしれない。しかし、このやり方には「何キロ走った」という距離で満足してしまう限界が潜んでいる。これは、「距離」の発想である。

一方で、トラックの外周を1キロ何分ペースで60分走ろうとか、公園の中をゆっくり2時間は走ろうというのは、「時間」の発想である。同じ60分走でも、歩くよりも少し早いくらいのゆったりペースで走るのと、ペースの変化を入れて走るのと、終盤に追い込むようなペースに上げて終わるのと、ペースを上げたり落としたりしながら全体として徐々に上げていくスピードプレイのような走り方とでは、その練習効果はかなり違う。日頃から練習内容に変化をつけていると、ストップウオッチで正確にペースを計るわけでなくてもペース感覚は自然に身についてくる。ゆっくり走る時間を伸ばしていけば、知らないうちに長い距離が踏めるようになる。

実を言うと、「時間」で走るというのは、ゆったりペースであっても、結構大変なのである。長い時間が経過してくると、ウォッチを見ながら「あと1時間走る」「あと30分走る」などという時間の感覚が負担に感じられることがある。もっと早く走って、あと何周して早く練習を終わらせたいという気持ちになりがちである。単調で退屈かもしれないが、「速く走らない」練習だと思って、ここは我慢のしどころだ。

ある意味で大変ではあるが、「距離」を忘れて長い時間かけてゆっくり走ることは疲労を抜くいい練習になる。この練習を意識的に取り入れて、疲労を蓄積させないようにする。これは、長い目で見るとおおきな効果を発揮する。このプロセスをスキップして距離を伸ばすことはできないからだ。

速く走るためにゆっくり走る。長い距離を踏むために、短い距離の練習も無駄にしない。体のためなると思って、練習に変化をつけるときは「時間」を意識して取り組んでいただきたい。


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by hasiru123 | 2013-12-29 19:22 | マラソン

今回は、「第2条 練習で、エネルギーが枯渇する体験を踏む」について。

前回、「10キロくらいの練習を何回繰り返しても、マラソンに必要な超持久力はなかなかつかない」と書いた。たとえ、1回の走行距離が10キロくらいだったとしても、それを繰り返し行なっていけば、スピード力や持久力がついてきて、10キロどころか15キロや20キロと少しずつ長く走れるようになるのではないか。そう考える方は多いのではないか。

たしかに、トライアル回数を増やしていくと、超回復機能が働いて、10キロ以上の距離を楽に走れるようになっていくことは、多くのランナーが経験的に知っていることだと思う。10キロがしっかり走れるようになれば、1時間以上楽に走れるようになる。しかし、フルマラソンは、10キロの4倍以上の距離がある。3時間から4時間、あるいは5時間以上も走る超長距離の世界だ。

10キロ前後を走るだけでは、その4倍以上の距離を走り続ける力は生まれない。エネルギーの限界を超える苦しさを体験することでマラソンに必要な超持久力が身につく。これを、1度でもいいから経験して本番に臨む必要がある。練習でこの苦しさを体験しておけば、本番への自信につながるし、オーバーペースを防ぐのに大いに役立つ。

マラソンは短距離走と違って、後天的な要素が大きい競技だ。初めから、42.195キロよりも先にエネルギーが枯渇する地点があればいいが、ふつうはそれよりも前の地点に障害として立ちはだかっていることが多い。練習で、障害物を超える体験をしておくことはとても大切なことだ。そして、その地点を少しでも先に持っていく。

ただし、決してスピードを負わないことである。マラソンに必要な持久力は、スピードからは生まれないだからだ。ゆっくり、長い時間をかけて、長距離を踏むことである。

それでは、その障害はどの辺にあるのか。長い距離を走った経験のない人にはどの地点を指すのか見当がつかないかもしれない。ある人はマラソンのおよそ半分、すなわちハーフ(約21キロ)の地点だったり、ある人はハーフを少し過ぎた25キロあたりだったりと、人によって様々だ。

初めて、障害となる地点を捜すにはこんな方法がある。友達とおしゃべりしながら走れるくらいのペースでゆっくり走り出してみよう。歩くよりも少し速いくらいのペースだ。徐々に体が暖かくなり、うっすらと汗がにじんでくる。それでも、まだ話しながら走り続けることができる。もしかしたら、このペースならいつまでも走り続けられるのではないか・・・。そんな気分にさせる、ゆったりしたペース。よく言われる「ランニングハイ」だ。

しかし、そんな幸せな気分もいつまでも続かない。だんだん、発汗量が増えて、友達との会話が少なくなる。そのうち、互いに黙ってしまう。徐々に、体が重くなり、走ることがいやになってくる。呼吸が苦しいわけではないが、空腹を感じて、力がなくなってくる。そんな地点が、この障害である。

それでは、この地点を先延ばしするにはどうしたらいいだろうか。先延ばしすることは、走力の向上につながる。それを、これから考えてみたい。


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by hasiru123 | 2013-12-23 20:22 | マラソン

10月から12月にかけて、全国各地でフルマラソン大会が開催された。年末年始は大きなマラソン大会がないため、ちょうどこの時期(12月)は冬のマラソンシーズンの折り返し点といえるだろう。持久力にまだ自信を持てない人のために、マラソンの終盤の苦しみを少しでも取り除く方法はないものだろうか。この秋に少しずつマラソンを走る準備を進め、年明けにはマラソンに挑戦しようという人。また、この秋にマラソンを走って、今シーズンにもう一度走ってみようという人。そんなランナーのために、30キロ以降に失速しないためにはどのような工夫があれば有効か。自戒の念もこめて、頭の中を整理してみた。

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それが、以下に挙げる「苦しまずに42.195キロを走る5ヶ条」だ。

第1条 30キロを走ったら35キロ、そして40キロと段階を踏んでに走り込みの距離を伸ばす
第2条 練習で、エネルギーが枯渇する体験を踏む
第3条 毎日10キロずつ走る月間300キロよりも、5キロの日もあれば30キロの日もある月間300キロの方が効果が高い
第4条 本番の数か月前には、起伏の富んだコースを走って脚筋力を高める
第5条 ペースの変化に対応する力を身につける

まず、「第1条 30キロを走ったら35キロ、そして40キロと段階を踏んでに走り込みの距離を伸ばす」について。

「10キロくらいの練習を何回繰り返しても、マラソンに必要な超持久力はなかなかつかない。10キロの練習では、10キロまでしか走れない。1回でハーフ以上の長距離走を何回か繰り返すことで、徐々に持久係数が上がってくる。今日25キロを一人でゆっくり走ることができたら、1週間後は少し距離を伸ばして28キロ位に挑戦してみる。次は30キロを走ってみる。さらに、33キロ、36キロ、・・・という具合に少しずつ距離を伸ばしていく。そうすると、練習の過程で、きっと空腹感やガス欠を経験するに違いない。お腹がすいて走る力がなくなってくるのである。言い換えると、その距離までの持久力しか持ち合わせていなかったということだ。

例えば、30キロ走をやった時に27キロ地点あたりで急に空腹を感じたとしよう。しかし、いつも27キロ地点に来ると空腹を感じるのかというと、そんなことはない。次に走ったときは、30キロまで大丈夫だったとか、その次は32キロまで持ったとか、少しずつ空腹になる地点が先に伸びてくる。これが、すなわち持久力がついてきたということである。

これを繰り返していくうちに、40キロまで走っても空腹を感じなくなるだろう。そこまでくれば、しめたものである。ゆっくりであれば「いつでも40キロくらいは走れる」という感覚がマラソンへの自信につながる。

こういった練習の繰り返しと持久係数のアップは相関関係がとても深い。そして、ステップアップが緩やかであるほど、楽に距離を伸ばすことができる。先を急がないことである。


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by hasiru123 | 2013-12-16 21:08 | マラソン

忘年会

忘年会をテーマに研究している国際日本文化センター教授の園田英弘さんは、その起源について答えている。「最初に一杯飲んで連歌の会を始める。夜百首を詠んで本格的な酒宴となり、乱舞するまでに盛り上がった。としわすれのようだ」と。時は室町時代、1430年12月が日本で最も古い忘年会についての記述だそうだ。年末の新聞で読んだ。

「としわすれ」には自分の年齢を忘れるとか、年の憂さを酒で忘れるといった意味があるそうだが、飲みすぎて我を忘れないように気をつけている。

「気をつけている」というと抽象的なので、具体的には「次の3か条を墨守している」と言うべきだろう。一つは、ビールが美味しく感じなくなったらそれ以上飲まないこと。目安は600ml位においている。二つ目は、トイレが近くなったらそれ以上飲まないこと。家でビンや缶で飲んでいる分には600mlの指標を超えることはまずないが、宴席でグラスに注がれたりするとついオーバーランしてしまう。そして三つ目は、翌朝走ろうという気持ちが萎えかけたらそれ以上飲まないこと。毎朝5時から5時半ころに目を覚まして走ることを習慣にしているので、このリズムを崩したくないからだ。自戒の念を込めて、年末は特にこの「3ない」を心がけている。ということで私は乱舞はしないが、このところ忘年会が続いている。

最近では、石川清坂戸市長を始めとするお客様をお招きして、坂戸陸協の忘年会があった。この1年の会の活動を振り返りながら一献を傾けた。

埼玉県駅伝中学校女子の部では、坂戸中学が優勝して全国大会に出場することになった。また、中学男女の中長距離種目で県大会での入賞者が出た。手前味噌だが、埼玉県駅伝一般等の部では10位入賞することができた。

広く埼玉県でいうと、男子短距離のエース桐生祥秀(洛南)が来春に東洋大学に入学することが決まったため、川越のキャンパスで勇姿を見ることができそうだ。また、ロンドン五輪に出場した女子短距離の土井杏南(埼玉栄)が同じく大東文化大学に入ることになり、東松山のキャンパスで走る姿が見られそうだ。日本を代表する男女のスプリンターが埼玉県に揃うことになり、これからの埼玉県の陸上競技が楽しみである。

こういった明るい話題があった一方で、今年は悲しい知らせもあった。坂戸陸協元会長の比留間一さんと前会長の国分克己さんが亡くなられた。比留間さんは40歳を過ぎてもマラソンで、サブスリーで走り続けたシリアスランナーだった。国分さんからは、駅伝を通してチームワークの大切さを教えていただいた。ご冥福をお祈りします。


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by hasiru123 | 2013-12-13 07:43 | 話題

社会とスポーツの類似性

昨日、若葉グリーンメイトの忘年会が鶴ヶ島市内の割烹「おおさわ」で行われた。ご挨拶をさせていただいたが、舌足らずな点があったかと思うので、改めて書いてみた。今年の小会のことや自分のランニングについての話ではないが、考えるところがあったので、述べさせていただいたものだ。

今年ほど、スポーツと社会の問題点が酷似していることがあらわになったことはなかった。柔道界をはじめとする競技スポーツの中で起きた暴力事件。始めのうち関係者はその存在を否定するものの、調査を進めるとともに次々とその疑惑が大きいことが分かり、根が深いことに気づかされた。

企業社会においても然りである。最近の大手食品会社や流通業者等による食品偽装が発覚し、次々とその問題が明るみに出た。隠し通せなくなるや、堰を切ったように不正な表示の謝罪が続く。コンプライアンス重視を社是としている大会社や、消費者に最も近いところにあるはずの小売の現場での事件である。これに対して、表示に関する法令や通達を厳しくしようという動きがある。しかし、それで根本的な解決に向かうだだろうか。はなはだ疑問である

最近、ある若いアスリートに「中高生時代にスポーツをやっていて、指導者や先輩による体罰はなかったか」とたずねたところ、「周りによくあったし、自分も受けたことがある。でも、強くなるにはある程度必要ではないでしょうか」と逆質問された。この若者の話を聞いた私は、教育現場での指導要領や指導方法を変えたところでそう簡単に変わる問題とは思えなかった。

食品偽装問題もスポーツの体罰問題も私には共通の問題であるように思えた。食品偽装もスポーツの中の体罰もひとつの文化になっているからだ。

スポーツが人間を育て、社交性を育み、さらにはチームワークを生むとよく言われるが、必ずしもそうとは思わない。勝利至上主義、過剰な結果主義などのマイナス面が無視できないからだ。若いときにスポーツを行わなかった人と比べて、元アスリートはそういった歪んだ感覚をいやがうえにも身に着けて社会に飛び出すということが少なくない。

そういった歪んだ競争環境で鍛えられたスポーツマンが、人生の後半で市民スポーツを楽しんでいると言う話はあまり聞かない。むしろ、その反対の方が多いのではないか。たとえば、ここにいる若葉グリーンメイトの皆さんは長期にわたって走ることを楽しいこととして取り組んでいる。この中で、かつて競技者としてランニングを行っていたという人はそれほど多くないだろう。それは、ある意味で幸運だったと言える。もし、体罰を受ける環境で練習して走力が向上したという体験があったしても、その人は第一線を退いた後に走ることを楽しみとして取り組むだろうか。小学校時代に罰としてグラウンドを走らされた人が、後年楽しいと言って走るとはまず考えられないからである。

体罰として走ることを強いられた人は、後の世代の子供たちに対しても同じことを繰り返し強いる可能性は十分にある。

スポーツには良い点と悪い点があると言うことをきちんと認識して、後世の子どもたちに伝えることが、スポーツを元気なものにし、発展させる近道だと思う。スポーツで必要なのは、「ノブレス・オブリージュ」(高貴なるものに伴う義務)だ。
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(写真上)関東学生陸上競技連盟会長で小会の顧問をされている青葉昌幸さん
(写真下)マスターズ陸上の3000m障害(M45)で日本記録を作った後口洋史さん
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by hasiru123 | 2013-12-02 23:11 | 話題