夢のマラソン

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お施餓鬼会

「かがやく真夏の日が領内をくまなく照らし、風もないので肺に入る空気まで熱くふくらんで感じられる日だった」

海坂藩を舞台に繰り広げられる物語『蝉しぐれ』(藤沢周平)の最後の章に出てくる一節である。菩提寺のお施餓鬼会に行くといつも思い出すのが、このくだりだ。

この時期は例年厳しい残暑が続いて、本堂で大汗をかきながら僧侶たちの法要に聞き入っていたのものだ。打って変わって、今年はとても涼しく、境内から聞こえる蝉の声は不思議なくらい静かで、心地よい1時間余りであった。

お盆が過ぎたある日、久しぶりに菩提寺のお施餓鬼会(せがきえ)に行ってきた。これまでは妻にまかせることが多かったが、祖先の供養を行うのと併せて今回は初めて法要の様子を写真に収めさせていただいた。

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お施餓鬼会で唱えるお経は「甘露門(かんろもん)」というのだそうだ。お経を唱えながら多数の僧侶たちが動き回る光景は無伴奏の男声合唱を聴いているようで、心に強く迫るものがある。生死を越えて生き続けることに改めて思いをいたした今年の夏であった。

(写真)広済寺(埼玉県川越市喜多町)


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by hasiru123 | 2017-08-22 17:41

チームで挑む

世界トップの長距離陣はさすがだな、と思わせたのは、世界陸上ロンドン大会の男子10000m決勝だった。

優勝したのはモハメド・ファラー(英国)で、今季世界最高の26分49秒51でフィニッシュした。この種目で世界選手権3連覇という偉業を達成した。大試合での26分台という記録もすごい。

1000mごとのラップタイムが2分40秒前後というハイペースで推移した。それにもかかわらず、長い先頭グループを形成し、トップが目まぐるしく入れ替わった。しかも、同じ国の選手が交代でトップを引き、他の国の選手たちに受け継がれる。

どの選手もラストに強いファラーをマークしているにもかかわらず、意識的に速いペースを刻もうとしているように見えた。終盤の勝負に持ち込ませないためだろう。

選手のユニフォームから、ケニアとエチオピア、ウガンダ、米国、エリトリアがそれぞれ3名いるのが分かった。英国はファラー1人である。これらの国の選手たちが、いまの世界の長距離界をリードしているのだ。その選手たちが、まるで国ごとの対抗戦に挑んでいるかのようにしのぎを削っている。

ケニアやエチオピアといった長距離王国の選手たちが、ある意味でプライドをかなぐり捨てるとも思える作戦に出たのである。それは、なぜか。

ファラーの連覇を阻止するためだろう。それしか考えられない。自分の国のだれが優勝してもいい。何としてもファラーを超えるのだ、と。

それくらいファラーは強かった。そして、他の選手のファラーへの対抗意識も人一倍強かった、ということだろう。その気持ちがグループ全体のペースを上げ、結果的として素晴らしい記録につながったのだ。この大会で、最も記憶に残るレースだった。


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by hasiru123 | 2017-08-15 20:43 | 話題

旭舎文庫

川越市の札ノ辻から北へ約300m行くと、川越氷川神社方面へ曲がるT字路に出る。その北側の角に昭和から平成にかけては営まれてきた駄菓子店があった。子供の時、ここでアイスクリームを買って食べた記憶がある。旧梅原菓子店だ。

かつて子供たちが集まり、遊んだ時の声が今でも聞こえてくるような気がする。江戸末期から明治初期に建てられたというから、150年も前の建築物である。壁が剥がれ落ち、瓦屋根も落ちかけていた。かなり老朽化が進み、大きな手直しをしなければ使い続けることは困難な状態でもあった。

その駄菓子屋が、川越氷川神社によって修復され、3年かけて行った工事が竣工した。7月29日と30日に、オープンに先駆けて地元の住民に公開されたので、行ってみた。

川越氷川神社はこの建物を「旭舎文庫(あさひのやぶんこ)」と命名した。宮司の山田禎久(よしひさ)さんに伺ったところ、「地域の人たちに気軽に立ち寄っていただき、ゆっくりと本を読める場として、また川越や祭りの歴史を楽しく学べる場所としかつようしていただきたい。私的な観光案内所のようなところになれば」と話しておられた。

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「朝日之舎」は、明治時代の川越氷川神社祠官(宮司)であった山田衛居(もりい)の別号である。川越氷川神社が武蔵野台地の東北端に位置し、周辺では最初に朝日が射し込む場所であることからつけられそうだ。衛居が日々の出来事を綴った『朝日之舎日記(あさひのやにっき)』 には、伝統文化と東京から入る文明開化の流れが交錯する当時の川越の様子が生き生きと活写されている。

たとえば、明治13年10月19日にはこんなくだりが記されている。

「(続き)陸軍歩兵、小川ヨリ川越ヲヘテ東京ヘ行クニツキ、今夜当処ニ宿ス。千五百人ト云。南町ニテ其体ヲ見タリ。旅宿や・料理やへ割合(当カ)テ泊セシム。大佐乃木希典宿ト書セシ紙、南町喜八ニテ見受タリ」(昭和54年11月30日川越市史編纂室発行の同書による)。

陸軍大佐乃木希典の来訪の様子をうかがい知ることができて、大変興味深い。

また、明治16年3月12日は、「(続き)新橋ノ汽車ニテ八時三十分東京ヲ去り、九時川崎停車場へ着ス。予ハ本日初テ汽車ニ乗ゼリ。予想ト違ヒ車輪ノ音、汽車ノ響、山海・林屋ノ飛過スル状アタカモ中天ヲ飛過スルガ如キク、大愉快ナリキ」と、生まれて初めて体験した汽車旅の感激を綴っている。

山田衛居が残した日記を、衛居と同時代に建てられた旭舎の中で、じっくり読み返してみたい衝動にかられた。

(写真)南側から臨む旭舎文庫


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by hasiru123 | 2017-08-08 18:11