夢のマラソン

蔵と煉瓦

私が住んでいる埼玉県川越市には、蔵造り商家が数多く残されている。蔵造りの町並みが作られるきっかけとなったのは、明治26(1983)年3月17日の大火だった。

当時の東京朝日新聞によると、川越の全戸数3315戸のうち全焼及び半焼の土蔵で4分の1を占めたとされている(明治26年3月22日記事)。この中には、第八十五銀行(現在の埼玉りそな銀行)や鐘撞堂(かねつきどう)、蓮馨寺(れんけいじ)などが含まれていた。そして、この未曾有の大火災で川越商人たちの防火対策への意識の変革をもたらした。

商人たちは、同じ惨事を繰り返さないよう、建物そのものを防火建築にすることを考えた。伝統的な工法による蔵造り建物だ。最盛期には100軒以上の蔵造り建物が街中にひしめき、町並みを形成していた。

先ごろ、函館市で防災の先駆けといえる建築物を見る機会があった。「金森洋物店」である(下の写真参照)。

c0051032_14523969.jpg

館内は、明治から昭和にかけて何度か大火に見舞われてきた。明治11年、12年の大火で函館のほとんどの市街区域を焼失した。このため開拓使は、市街の区画整理と不燃質家屋の奨励に乗り出した。明治12年に被災した初代渡辺熊四郎もその施策に応じ、翌年11月に、開拓使の茂辺地煉瓦石製造所の煉瓦を使った洋風不燃質店舗の「金森洋物店」を開店させた。 

この店は主に舶来製の小間物や雑貨品を販売し、明治40(1907)年の大火では、周囲の不燃質店舗が焼失する中で、金森洋物店のみが難を逃れた。大正14年まで店舗として使用された建物は、昭和38年に北海道指定有形文化財に指定され、昭和44(1969)年から旧金森洋物店「市立函館博物館郷土資料館」として開館している(以上は、当館スタッフの解説による)。

煉瓦造りと蔵造りの違いはあるが、同時代の北国と川越に共通した防災対策がとられたことは興味深い。

以下の写真は、雪が降ったりやんだりだった3月上旬の函館市内で撮ったものである。

c0051032_14532661.jpg

函館市旧イギリス領事館 元町にあるかつてのイギリス領事館である。

c0051032_14541973.jpg

裏側から見た旧北海道庁函館支庁庁舎 現在は函館市写真歴史館・函館市元町観光案内所として活用されている。

c0051032_14543867.jpg

旧函館区公会堂 明治43年(1910年)に建てられた左右対称のコロニアルスタイルとブルーグレーとイエローの色が特徴的な美しい建物だ。

c0051032_1454586.jpg

五稜郭 周りの堀は固く凍結していた。

c0051032_14551580.jpg

上下和洋折衷住宅 一階が和風、二階が洋風に設計された木造二階建ての店舗・住宅で、元町付近でよく見られる。

[PR]
# by hasiru123 | 2017-03-18 14:34 | その他

若い選手の台頭が待たれる

2月26日に行われた東京マラソンの男子は、ウィルソン・キプサング(ケニア)がマラソン国内最高記録の2時間3分58秒で優勝した。そして、井上大仁(MHPS)が2時間8分22秒で日本人トップ、総合8位に入り、世界陸上ロンドン大会の有力な代表候補にに名乗りをあげた。

8人の先頭ランナーが、最初の5キロを14分14秒から16秒で通過した。まれにみるハイペースである。ちなみに、世界的な大会で最初の5キロが最も速かったのは、2009年ロンドンマラソンで走ったサムエル・ワンジル(故人、ケニア)の14分8秒だそうである。ただし、このときのワンジルは終盤に大きく崩れて世界記録にはならなかった。

東京マラソンでは、ケニアの選手たちもペースメーカーの速い入りに引っ張られるかのようにラップを刻んでいた。無理をしている様子は全く見られない。こういうときは、好記録が生まれやすい。テレビ中継のアナウンサーも「2時間を切るハイペース」と絶叫していた。たしかに、速かった。

ただし、驚異的なハイペースだったかというと、そうでもない。というのは、この大会は前半にハイペースで展開することが多いのである。なぜなら、初めの6キロで40メートル近く下るからだ。井上大仁や11位の設楽悠太(Honda)も最初の5キロが14分31秒だったが、これも冒険的ではあるが無謀とはいえないくらいの速さだった。二人は、次の5キロも14分40秒台をキープした。

設楽の走りで私が評価したいのは、15キロまでの5キロをキプサングよりも12秒速い14分32秒に上げたことである。この追い上げで先頭との差を10秒に縮めた。もし、その次の5キロで8人の集団に追いつくことができたとしたら、と期待を膨らませながらテレビに見入った。単独で先頭を追うよりもずっと楽に走れただろうし、後半の減速を抑えることにつながれば日本最高記録もついてくるのではないか、と。

さすがのキプサングらは、15キロ以降の5キロを14分30秒前後に上げ、設楽は少しずつ離れ始めた。設楽の世界トップへの挑戦は、ここで終わった。しかし、20キロまでは先頭の背中が見えるところでレースをしたという経験は大きな意味を持つ。それによって、次は30キロまで、そして35キロまでと、サバイバルレースができる距離を伸ばしていこうという気持ちが生まれてくるからだ。

東京マラソンの直前には、アメリカでトレーニングを積んでいる大迫傑(ナイキ・オレゴンプロジェクト)がボストンマラソンに出場するという記事を目にした。大迫は、昨年の日本選手権で5000mと10000mを制し、リオデジャネイロ五輪に出場したスピードランナーである。

設楽や大迫らの若いマラソンランナーの台頭が待たれる。

[PR]
# by hasiru123 | 2017-03-02 20:05 | マラソン

三芳野神社修理工事について

昨日は東京では青梅マラソンが、熊本では熊日30キロが行われました。数少ない30キロのロードレースが、縁あって例年2月第3週で重なっています。そして、各レースのレベルが高い点でも共通しています。

2月17日は春一番が吹き、18日は二十四節気の一つ、雨水でした。少しずつ春の足音が聞こえてきます。いよいよ、今年度終盤のマラソン大会が各地で行われます。

さて私ごとで恐縮ですが、氏子総代を務めさせていいただいている県指定文化財三芳野神社(埼玉県川越市初雁公園内)では、埼玉県と川越市の補助を受け、3年半かけて社殿の保存修理を実施しています。

漆塗や彩色、飾金具などの修理と排水機能を修復し、明暦(江戸時代初期)の姿に復元することが主な目的です。

つきましては、修理には多額の支出が見込まれることから、皆様の暖かいご支援を賜りたいと存じます。厳しい経済環境のなか恐縮ではございますが、何卒ご理解、ご協力のほどお願い申し上げます。

また、ご協賛いただいた皆様に対しましては、ご芳名を竣工時に作製する報告書に記載させていただくとともに芳名板等に永久に記録させていただく予定です。

このお願いのほかに、広く市民の皆様からご支援をいただけるよう、四季の行事や広報等で情報提供とお願いをさせていただく予定です。よろしくご協力のほどお願い申し上げます。

なお、ご協賛の内容につきましては、下記のとおりご案内をさせていただきます。

   三芳野神社協賛金の受付について

1 協賛金 : 法人 1口 10,000円
 (複数口のご協賛をお願いします)
        個人 1口 1,000円
 (複数口のご協賛をお願いします)

2 振込先 : 埼玉りそな銀行川越支店 
        普通預金 4465744
        三芳野神社 田井欽一
※恐れ入りますが、払込手数料はご負担いただきますようお願い申し上げます。

3 問い合わせ先 三芳野神社修理工事協賛会 
        会計担当:田井 欽一
        埼玉県川越市三久保町22-6   
        電話 049-224-6417

お振込みに際しては、下記の内容をFAXにてお知らせください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

三芳野神社修理工事協賛会 行  
 FAX 049-224-6417

   三芳野神社修理工事協賛金申込書

(  )口   (      )円

お名前                                 

郵便番号(   -    )  

電話番号(             )

ご住所                                      

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

c0051032_19583669.jpg
     

     (写真)とおりゃんせの細道から見た拝殿

  三芳野神社修理工事協賛会
   会 長 山田 禎久(三芳野神社宮司)
   副会長 立原 雅夫(川越商工会議所会頭)
   副会長 石川 将輝(川越青年会議所理事長)
   副会長 粂原 恒久(小江戸川越観光協会会長)

三芳野神社 平安時代の初期に成立したと伝えられ、川越城内の天神曲輪(くるわ)に建てられています。このため、「お城の天神さま」として親しまれています。この天神さまにお参りするには、川越城の南大手門より入り、田郭門をとおり、富士見櫓を左手に見、さらに天神門をくぐり、東に向う小道を進み、三芳野神社に直進する道をとおってお参りしていました。



[PR]
# by hasiru123 | 2017-02-20 20:02 | その他

レースをメチャクチャに

日本のマラソンは、長いトンネルから抜け出せないでいる。男子は14年間、女子は11年間日本記録が更新されていない。五輪でも、男子は1992年(森下広一が2位)、女子は2004年(野口みずきが優勝)以来3位以内から遠ざかっている。

そんな中で、少しだけ出口が見えてきそうな兆しがある。先の大阪国際女子マラソンで重友梨佐(天満屋)が、別府毎日マラソンでは中本健太(安川電機)が優勝を飾ったからだ。両選手とも2017年世界陸上の派遣設定記録には届かなかったが、まずはトップでゴールテープが切れたことを喜びたい。

1月15日の日経新聞に掲載された瀬古利彦氏(DeNAランニングクラブ総監督)と高岡寿成氏(カネボウ陸上競技部監督)へのインタビュー記事「マラソン日本 復活させるには」を読んだ。そこには、日本のマラソンの復活はあながち夢ではないと感じさるものがあった。

瀬古氏は「東京五輪の開催が決まったことでマラソンをやりたいという学生が増えた」、「マラソン強化のいいきっかけになった」と最近の動きに前向きの評価をし、高岡氏も「2時間11分でもいいレースをしたといえるものはある」語っていた。ただし、いまのマラソンの現状や選手の問題点については「選手の練習量が極端に落ちている」(瀬古氏)」、「ペースメーカーが30キロまで引っ張ってくれるので、そこからいかに落ちずに粘るかだけのレースをしている」(高岡氏)と手厳しい。

たしかに、最近の国内の主要マラソン大会にはペースメーカーがつくので、選手たちは安心して前半をカバーすることができる。一方では、選手の創意工夫や戦略性が見られず、面白みに欠ける。これだと、駆け引きをしながら競う五輪や世界選手権などには対応できそうにない。

しかし、四半世紀前に世界の高みを目指してマラソンに取り組む選手がいたことに気がついた。日本記録を更新したことのある中山竹通氏である。「自分にみたいに能力のない選手が勝つにはレースをメチャクチャにして他の選手にパニックを起こさせるしかない」。ノンフィクションライターの折山淑美氏が書いた『日本のマラソンはなぜダメになったのか』(文芸春秋)にあった。

所属先のダイエーが目指すのは1番で、2番や3番はいらないという会社だったから、2時間テレビ画面を独占することがマラソンで生きていく方法だった、と。

30キロくらいまでは集団のできるだけ目立たない位置で省エネに徹し、勝負所で初めてサバイバルレースに参加するというのが、これまでのマラソンのセオリーだった。高い身体能力を持った東アフリカ勢ならこのセオリーが最適だと思う。しかし、挑戦者の立場にある日本選手に求められるのは、中山氏のような高いモチベーションと大胆な戦略性ではないか。

面白いレースを見せてくれる選手の出現が待たれるところだ。

[PR]
# by hasiru123 | 2017-02-16 17:40 | マラソン

走春

c0051032_21261726.jpg

「『野球と結婚したい!』と常日頃言っている私にとっての正月は、球春到来を告げるこの日です」と自身のブログに書いて、2月1日に野球選手との結婚を報告した人がいる。元日本テレビアナウンサーの上田まりえさんだ。

2月1日はプロ野球が一斉にキャンを開始することから、「球春」と呼ばれるようになった。春は名のみのこの時期だからこそ、暖かみを感じさせる言葉だ。

「光の春」ともいう。俳句歳時記の春の部には「鳥の妻恋」という季語があるそうだ。「ホルモン腺を刺激して小鳥たちに恋の季節の到来を知らせるのは、風の暖かさではなく光の強まりなのである」と倉嶋厚著『お天気歳時記』に教わった。ロシア語の言葉を翻訳したものだったということも。

坂戸市陸協の埼玉県駅伝でもようやく「走春」を迎えた。男子チームは3年間入賞から遠ざかっていたが、14回連続の出場となった今日、選手たちの踏ん張りと陸協役員をはじめとする方々のサポートのおかげで手にすることができた。

そして、念願だった女子チームの初出場も果たすことができた。女子選手はマラソン人気などですそ野が広くなったが、女子の駅伝チームはまだ少なく、これからというところだ。片道コースで、対応の必要な中継所が増える中を、多くのみなさんのご協力をいただいて、しっかりタスキをつなぐことができた。駅伝の新しいスタートラインに立てたことについて、喜びたい。

選手の皆さんには、今後の1年間を個人レースと駅伝、仕事と練習をうまく両立させていただき、再び美酒を味わいたいと思う。

最後に、昨年の男子チームに続いて今年の女子チームのために上下のユニフォームを提供してくださった株式会社丸幸さんに対し、心より御礼を申し上げる。

[PR]
# by hasiru123 | 2017-02-05 21:26 | 駅伝

自分の調子を知る

1月29日(日)に、飯能市で第15回奥むさし駅伝競走大会が開催された。冬型の気圧配置が緩んだため、この時期としては暖かい気象条件の下でのレースだった。

c0051032_21191642.jpg

私が所属している陸協からは、男子チームが一般の部に出場した。昨年よりも20位順位を上げて、前年の記録を約6分短縮した。来週出場予定の埼玉県駅伝でエントリーしている選手でオーダーを組み、そのトライアルという位置づけで臨んだ。

1区のI選手は、昨年は1500mを中心にスピードに磨きをかけてきた。当チームとしては初出場だが、この区間は4年連続での出場である。前半で周囲の速いペースに背中を押されたためか、終盤で失速したのが悔やまれる。

2区のH選手は、年末にけがで手術を受けたばかりで、リハビリの途上での出場となったにもかかわらず、無理をお願いしてしまった。しかし、その心配は杞憂に終わり、上りをしっかり走りきることができて、ほっとしている。

3区は、前年と同じM選手がタスキをつないだ。前回の区間記録を約1分半短縮する快走を見せた。高校時代の力を徐々に取り戻しつつあると感じさせた。

4区は、800mを得意とするH選手だ。昨年は生活環境が変わり、十分な練習を積めなかったが、下りのコースをうまく走り、重責を果たしてくれた。

5区は、初出場のS選手である。期待どおりの走りを見せてくれた。これからが楽しみである。

アンカーは、3000m障害をはじめとするトラックレースで力をつけつつあるY選手が9人抜きの快走を見せた。埼玉県駅伝でもこの日のような粘り強い走りを期待している。

今回のように、2週続けてレースに臨むときに大事なのは、選手自身による調子の見極めである。選手の体は生き物だから、周期的に調子が上がったり下がったりする。今どの状態にあるのか、しっかり押さえておくことが肝要だ。この日、あまりいい状態で走れなかったとしても選手の調子の上昇過程にあるとしたら、次の週は少なくとも今よりはいい状態で走れるはずである。その反対に、この日いい状態で走れた選手でも調子の下降過程にあれば、次週はその点を肝に銘じて走る必要があろう。


自分の調子と対話をしながらレースに臨む。先に「トライアル」と書いたのは、そういう意味である。


[PR]
# by hasiru123 | 2017-01-30 21:19 | 駅伝

昭和の歌と万葉集

日本老年学会は、現在65歳以上とされている「高齢者」の定義の見直しを進め、年齢を体力的な面などからも75歳以上に引き上げるべきだとする提言をまとめた。提言によると、65歳から74歳までの人たちを新たに「准高齢者」と位置づけるという。長寿社会の一つの到達点だと評価したい。

一方では、若い人たちの年代のシフトというのもあるのではないだろうか。

通勤の車中でいつも聞いている放送に「荒川強啓デイ・キャッチ!」という番組がある。昨年暮れに聞いた、コメンテーターの近藤勝重さん(毎日新聞客員編集委員)のひとことが記憶に残っている。

1975年にヒットした伊勢正三作詞、作曲の「22才の別れ」について、こんなことを言っていた。「22歳といえば、学生と社会人が入り交じる年齢だが、女性にとっては結婚適齢期でもあった。この歌にある感覚は、現在の22歳の女性にはない。30歳くらいにあたるのではないか」と。

近藤さんは、どのあたりの表現を指して今の22歳にはないと言うのだろうか。

古いレコードの歌詞カードを引っ張り出してみると、例えば<わたしには/鏡に映ったあなたの姿が見つけられずに>とあった。また、<あなたは/あなたのままで変わらずにいてください/そのままで>というくだりもある。近藤さんの言葉とシンクロしたのは、これらの詞からだった。

ストレートに言い放つことを抑制し、別離の切なさをいったん飲み込んで言葉にできるのは、結婚適齢期までのいくつかの経験と時間が必要なのではないか。そんな気がする。

私には、以下のような歌詞からも世代の感覚が様変わりしていることが実感できる。

<こんな小春日和の/穏やかな日は/あなたの優しさが/しみてくる>

70年代の名曲で、さだまさし作詞、作曲の「秋桜」だ。明日嫁ぐ娘が母との別れを惜しむ気持ちを歌っている。今の20代の女性からは、そんなフレーズは出てこないだろう。

新幹線や飛行機で簡単に遠隔地と行き来できて、SNSで日常的なやり取りが瞬時にできる時代である。嫁ぐ前の日と後の日は切れ目なくつながっているのだ。

「だが、しかし――」と考える。江戸幕府も、鎌倉幕府も、時の彼方にかすんでしまうくらいの1300年前のこと。万葉集にはこんな歌があった。

<鳴る神の 少し響(とよ)みて さし曇り 雨も降らぬか 君も留めむ>

「雷が少し轟いて空が曇る。雨も降ってくれないだろうか、そうすればあなたがここにとどまってくれるだろうに」という意味である。

柿本人麻呂歌集の中にあるもので、20歳になるかならないかくらいの乙女が恋に思い悩み、そして恋に少しだけ内気な女性の心情を詠んだものだ。今の女子高生、女子大学生たちと何ら変わるところがない。

時が移っても、変わった心模様と変わらない心情とがクロスオーバーしている。だから、人は昭和歌謡を懐かしみつつ、万葉集に共感するのかもしれない。


[PR]
# by hasiru123 | 2017-01-12 20:45 | その他

謹んで新春のご祝詞を申し上げます


c0051032_08385005.jpg
               林立する蔵王のモンスター(山形県)

  昨年2月中旬に撮影したものです。樹氷・スノーモンスターは、日本ならではの光景といわれますが、特定の地域に限られます。この年は雪が少なく、樹氷も小ぶりでした。


 ニューイヤー駅伝は18年ぶりに旭化成が優勝しました。また、箱根駅伝では青山学院大が3連覇、3冠を達成しました。


 この勢いを追い風にして、坂戸市陸協は埼玉県駅伝に挑みます。

 皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

 2017年 元旦


[PR]
# by hasiru123 | 2017-01-05 08:58 | その他

世界一安全な戦争とは

昨年末に見た「アイ・イン・ザ・スカイ」という映画には、「世界一安全な戦争」という副題がついていた。戦地とは隔絶された地点から、机上からミサイルやロケット弾などの攻撃を指示することかと思いきや、今の「安全な戦争」はもっと先を行っているのだと気づかされた。

英国軍の諜報機関のパウエル大佐(ヘレン・ミレン)は、米軍と共同で対テロ作戦を指揮する。英米とは比較的友好的なケニアのナイロビで発見したテロリストの隠れ家。そこに潜伏しているテロリストの動向を無人偵察機と鳥型や昆虫型の小型ドローンを使って探り、その映像が米軍基地のスティーブ・ワッツ中尉(アーロン・ポール)らがいる会議室に流れる

ナイロビの隠れ家に英国人テロリストが集結していて、自爆テロの準備が進められていることがわかる。パウエル大佐はドローン攻撃による殺害を米国・ネバダの空軍基地に指示する。しかし、小型ドローンからは隠れ家のすぐそばで現地の少女がパンを売っていることが映し出されていた。攻撃で何人の犠牲者が出るかわからない自爆テロを未然に防ぐか、それとも少女の命が失われるとわかって建物を爆破させる計画を断念するか。果たして、ここで攻撃することは是か否か。

軍人や政治家たちが、ボタンを押すことで発生する被害の責任を巡って決定をたらい回しにする様など、現代の政治をうまくあぶりだしている。 それでいて、スピード感があってスリリングだ。最後まで緊張がの糸を切らさない、うまい映画作りだと思う。

犠牲者の視点から戦争を告発する映画が数多くある中で、武力を行使する側に立ってその是非が議論されていく。どちらに与しても、問題がある。大義名分がない。この矛盾にどう挑むかがテーマである。

「あなたならどうする」と問われて、100年かけても解を出せそうにない。この重たさが「アイ・イン・ザ・スカイ」の魅力でもある。


[PR]
# by hasiru123 | 2017-01-01 21:10 | 芸術

燃え尽きても

先の全国高校駅伝の男子を優勝に導いた倉敷(岡山)監督の勝又雅弘さんは、こう言っている。

今の指導のモットーは「腹八分目」で、早いペースで走らず、練習も1日2時間まで。「選手は高校で終わりではない」と。12月26日の毎日新聞の「ひと」欄が伝えている。

この記事によると、日大3年時に大会前の故障で箱根駅伝を逃した経験があり、実業団に入って監督だった佐々木功さんのゆっくり走る練習に衝撃を受けたという。

スピードのある長距離ランナーになるためには速く走る練習をすればいいと考えるのが普通かもしれない。ところが、「長い距離をゆっくり走ることで、結果として長距離走のスピードをつける」ことができるというのが佐々木さんの練習方法だった。それを実践して、苦手な5000mの自己記録を更新したマラソンランナーもいる。マラソン練習のパラドックスである。

高校時代に過度な練習を積んで実績を残した選手が、その後の故障や燃え尽き症候群などから伸び悩むケースは少なくない。走り過ぎをいかに抑えるかも、指導者の手腕の一つだろう。そんな中で、倉敷のように、佐々木さんの練習方法を高校生のうちから教え込まれた選手の将来は、魅力的であり、そして楽しみでもある。

一方で、全国高校駅伝を最後に陸上競技生活に区切りをつける選手も少なくない。もっと広く言えば、全国には高校で陸上競技が終わりという選手が圧倒的に多い。そういう高校生たちに、どう向き合ったらいいか。これも指導者の大きな役割だろう。

選手たちは、燃え尽き症候群を恐れることなく、日々の練習を大切にし、果敢に挑戦してもらいたい。精一杯やり切った思い出が、のちに市民ランナーとして再び走り出すきっかけになるかもしれないからだ。


[PR]
# by hasiru123 | 2016-12-29 15:55 | 駅伝

駅伝シーズン到来

明日は全国高校駅伝が開かれる。年が明けるとニューイヤー駅伝(全国実業団駅伝)、そして箱根駅伝と、ビッグな駅伝大会が続く。

一方では、リージョナルな大会ではあるが、私が所属している坂戸市陸協は1月末に奥むさし駅伝、続いて2月初めに埼玉県駅伝に挑む予定になっている。

埼玉県駅伝では、「市町村男子」の部に加えて今回初めて「高校・一般女子」の部へもエントリーした。男女とも片道コースで、コースは重なるが、女子のみの中継所が3か所ある。選手の応援体制ということでいえば、役員がつく中継所がこれまでの7か所から10か所に増えることになる。

したがって、これまで以上の慎重な中継体制が肝となる。12月中旬に行われた当陸協の役員会議では、選手の皆さんをいかにしていいコンディションで送り出せるか、その1点に集中して審議が進められた。

また、男子チームには3名の選手が初出場となる。当日は向かい風となる可能性が高いが、積極果敢に前を行く展開を期待している。心配なのは、風邪とケガである。今から1か月とちょっと、体調の引き上げと予防と休養と。上手にバランスを取りながら、年を越してもらえればと願っている。

[PR]
# by hasiru123 | 2016-12-24 23:00 | 駅伝

健康を選ぶ

師走に入って、長くおつき合いしていた走友から電話がかかってきた。このごろ、膝がふらつき、走れなくなった。歩くのもままならない。気分にも好不調の波があるようだ。血圧は高めなので薬を服用している。

大好きな酒とたばこはやめた。複数の病院の門をたたいてみたが、特に異常は見当たらなかった。

何かいい改善方法はないか、いい病院はないだろうか、というのである。そんな話が、繰り返され、電話が切れた。

これまで参加していたランニングクラブの忘年会や合宿の懇親会などに出向いて、旧交を温めてみてはどうだろうか。また、定期的に公園で行っている練習会に参加して、走らずにウォーキングで汗を流してはどうか、などと提案してみたが、酒とランニングに慣れ親しんだ走友は、あまり乗り気ではなかった。

また翌日も電話があったので、今度は膝のレントゲンやMRIなどで精密検査を受けてみてはどうかと、私が通院したことのあるスポーツ整形外科を案内した。「そのことには気がつかなかった。とりあえず、行ってみる」といって、話が終わった。

この走友は、娘さんが嫁ぎ、2年前には最愛の配偶者に先立たれた。目下、独り身である。
思い返せば、本当は情報を求めて電話してきたのではなく、話を聞いてほしかっただけなのかもしれない。

一助になるようなメッセージを送ることができなかった。そのことが頭の片隅に残っていたからだろう。今年読んだ中で、とても刺激を受けた本があったことを思い出した。

五木寛之氏が書いた『選ぶ力』である。中でも、「健康を選ぶ」の一章に力がこもっていたように思う。「選びながら迷い、迷いながら選びつつ生きる」私的なモノローグに、目に見えない運命の力を感じたのは私だけではないだろう。

「むやみやたらと歩くことを進める健康法というのは、いまや古いのではあるまいか」という一言にはっとさせられた。「本来、人間の姿勢というものは、やや猫背で、ちょっと膝がゆるんだくらいが自然ではないだろうか」とも、あった。

走れなくなったらウォーキングを、というのは、少し短絡的な物言いだったかな、と反省している。

[PR]
# by hasiru123 | 2016-12-15 21:47 | その他

黒山鎌北湖駅伝

時の経つのは早いもので、12月に入った。「師走は僧侶が走る」といわれるが、12月4日は福岡国際マラソンで、来年の世界選手権を賭けてシリアスランナたちーが走った。そして、私が所属する若葉グリーンメイト(WGM)の選手たちは、地元の駅伝でタスキをつないだ。

女子チームは一般で2位に入賞、男子は一般で5位に入った。そして、女子の1区と2区で区間賞に輝いた。若葉グリーンメイトからは、女子チームが前回から参戦し、男女合わせて4チームが出場した。第50回黒山鎌北湖駅伝大会である。

c0051032_2051201.jpg

風がほとんどなく、この時期としては穏やかな日和で、全体として好記録が続出した。男子のAチームは、しり上がりに順位を上げて、いい形でゴールすることができた。若い選手の頑張りが奏功し、結果につながった。今後が楽しみである。

駅伝の後は、割烹「おおさわ」(埼玉県鶴ヶ島市)で好例の忘年会。これもいつものことだが、今年もこの会場で東洋大の陸上競技部の納会と重なった。一献傾けながら、改めてこの1年の走りを振り返った。

今年は、70代のTKさんがWGMのベストランナー賞に輝いた。マスターズ陸上に積極的に取り組んだ姿勢が評価されたようだ。また、顧問の青葉昌幸先生には、昨年の日本陸連からの功労賞受賞を祝してTO会長から記念品が贈られた。

先生からは、スピーチの中で年明けの箱根駅伝を占っていただいた。5区の山上りが短くなってかつての距離に戻った。予想どおり、青学大は3校目の3冠達成がなるか。世界へ羽ばたく選手は現れるだろうか、等々。関東陸連会長を退かれた後も、箱根駅伝では日本テレビへの出演等でお忙しいようだ。
c0051032_20514789.jpg

今年の忘年会には、新しい顔が多く見られた。選手同士の幅広いつながりに期待したい。

(写真上)表彰を受ける女子チーム
(写真下)青葉先生とTO会長
[PR]
# by hasiru123 | 2016-12-06 20:52 | 駅伝

小江戸川越マラソン

ネットの天気予報では、川越地方の午前9時ころは雨で9度、北北東2mと報じられていた。実際には、雨はなくときおり薄日の差す天気だった。走る選手にとっては絶好のコンディションだったといえよう。公認大会として3年目を迎えた、2016小江戸川越ハーフマラソンである。

この夏に、今年のメインレースはフルマラソンではなく、小江戸川越ハーフと決めていた。ところが、先にも書いたように足の状態が思わしくないため、欠場することにした。したがって、今日は選手たちの快走ぶりを写真に収めることに集中することにした。

私が選手たちを待ち構えていたのは、スタート地点から約1.2キロの交差点だった。まず、8時30分スタートの10キロだ。ズームアップした望遠レンズを覗くと、小高い坂の上から先導車と、それにつ続く2台の白バイが見えた。向かって左側に黄色のユニフォームがかすかに見える。数回シャッターを切ったところで、カメラの液晶モニターを見ると、3名の先頭グループが確認できた。黄色のユニフォームは、わが陸協に所属するY選手であることが分かった。あとで大会本部が発表するリザルトを見たら、3位入賞とあった。この場を借りて、Y選手の健闘を祝福する。

さて、8時55分にハーフがスタートした。5分後に姿を現したのは、白バイに続いて東洋大をはじめとする学生の一団だった。レンズがとらえた映像からは、箱根を目指す選手たちの厳しい表情がうかがえた。そして、第2集団が見えた。あとで撮った写真から分かったのは、集団にしっかりついている地元走友のF選手だった。リザルトで確認ところ、年代別のクラスで優勝とあった。その他にも何人かの知人が上位に入っていた。うれしい限りである。

来年も、ぜひ雄姿を見せてほしいと願っている。そして、私も来年こそはスタートラインに立てるよう体調を整えて、臨みたい。

c0051032_2184391.jpg

          ハーフを走る選手たち

c0051032_2194168.jpg

          10キロの先頭集団につくY選手

c0051032_21103573.jpg

          ハーフの先頭集団
[PR]
# by hasiru123 | 2016-11-28 21:14 | マラソン

坂戸市民チャリティマラソンから考えること

c0051032_17342829.jpg

早朝から深い霧に覆われたこの日、第16回坂戸市民チャリティマラソンが開催された。大会が行われた午前中は日差しがなく、この季節としては少し肌寒く感じられた。湿度は十分にあり、風はほとんどなかった。走る選手にとっては絶好の気象コンディションだったようだ。

今年の全体の参加者数は1,850人で、前年より約9%減少した。この日は、前週のさいたま国際と来週の小江戸川越ハーフに挟まれた上、上尾シティハーフと重なった。大会ラッシュの割を食ったといえるかもしれない。

開会式での大会会長の石川市長のあいさつで、近い将来にかつて開催されたのと同じ規模でハーフマラソン(過去に20回続いた坂戸毎日マラソンを指す)を検討している旨の表明があった。ハーフマラソンとなれば、近隣の大会との競合が熾烈となろう。開催時期や大会の特徴、規模などについて十分な検討を行い、埋没しないよう進めてほしい。

今回決勝審判を務めさせていただいて、気がついた点を二つ。一つ目は、フラフラの状態で入り、ゴール直後に倒れこむシーンが2回あった。途中で何らかの体調変化が起こったためかと思うが、無理を押してゴールまで走り続けずに、途中で休止する勇気と心の余裕を持ってほしいと思う。私は、これを「市民ランナーのセーフティ・プリンシプル」と呼んでいる。

二つ目は、例年ゴール付近は人垣が多く、コース内に立ち入らないよう規制することが役員の大きな役目でもある。今年は、その人垣が少なく感じられた。大会参加者の減少が影響していたかもしれない。それと、今回から大会参加者の駐車利用について事前申込制に変更されたが、私の勝手な想像かもしれないが、それが応援者の減少につながった可能性がないとはいえない。

二つ目の問題は、車を使わずに公共の交通機関を利用して会場に行けることが、ハーフマラソン実現への大きな試金石となるだろう。それは、参加選手の増加に加えて、多くの応援者に来訪してもらうことが、成功のカギになると考えるからだ。

(写真)10キロの部のスタートから 200m地点で
           

[PR]
# by hasiru123 | 2016-11-20 17:24 | マラソン