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春爛漫

近隣の桜が開花して早7日。今は満開にもう少しというところまで来ている。

今年は感染症の拡大が止まらない中で、春の催し物がほとんどなくなった。そのため、例年飾られていた雪洞や幟などの人工物が影を潜め、花見の宴もほとんどできなくなっている。少し寂しいが、ゆっくり花を愛でるにはこの方がいいような気がする。特に花をレンズで切り取る者にとっては、うれしい光景だ。

今の私たちにとって花と言えばまず桜を連想するが、遠く万葉の時代にあっては、そうではなかった。最も多く詠まれたのは萩で、次いで梅、そして桜と続く。折口信夫によると、この時代の桜は祈りの花から眺める花への中間にあたる時代だそうである(「花物語」)。しかも、詠まれる桜は家桜ではなく山の桜だ。

 梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべくなりにてあらずや  薬師張氏福子
                   (「万葉集」巻5 829)

歌意は、梅の花が咲いて散ってしまったならば、桜の花が引き続き咲くようになっているではないか(伊藤博/訳)。

取り立てて感動している風ではなく、花を愛でるでもない。あっさりした詠みぶりである。これまで多くの万葉人が詠んできた梅と、桜を対照しているのだ。古今集以後、花は梅から桜へと主役が交代し、現在に至っている。

例によって前置きが長くなったが、写真は川越市内で撮った満開直前の桜である。

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壁 (川越市・中院の山門南)

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歓 (川越市・中院)

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門 (川越市・中院山門)

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輪 (川越市・喜多院境内でのラジオ体操)

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水 (川越市・新河岸川氷川橋から)


# by hasiru123 | 2020-03-25 18:12 | その他

古代の魔性との出会い

額田女王 (新潮文庫)

井上 靖/新潮社

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オペラで、オーケストラの伴奏で独唱する叙情的な曲や小歌曲のことを「アリア」という。『額田女王』は万葉集に収められた初期の代表的な歌がアリアのようにちりばめられた歌物語である。前半を飾るアリアにこんな歌がある。 

 熱田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな

額田王(注)が橋人皇女(孝徳天皇の后)の命で作った。日本の軍船が半島へ出兵するに際して、九州に行幸する途中でのこと。歌の調べは女のものでありながら、中大兄皇子になりきって詠った。井上靖は作中で、「自分は中大兄皇子の心を借りて、神の声を詠ったのである。愛などというものと無縁であればこそ神の声を聞けたのである」と額田の胸中を語っている。

難波に都を遷(うつ)した時、中大兄皇子はまだ25歳で大海皇子は21歳だった。新宮の庭に初めて灯火(みあかし)をともして地鎮の式を営んだ時。2人に追われる中で、額田は「幼いときから神の声を聞く特殊な女として育てられて来ている自分が、どうして人間の声に耳を傾けていいであろう」と拒絶する。またその後には、額田は大海皇子との間でに十市皇女を生んでいるが、「母であることも、己に禁じて」いた。このように、額田はいつも神の声を聞き、神の言葉を天皇の言葉として発する特殊な霊力を持った、神と人間の仲介者、天皇の代弁者として描いている。

終盤のひときわ光彩を放つアリアは、蒲生野遊猟での座興で詠まれた以下の2首だろう。 

 茜さす紫野行きしめ野行き野守は見ずや君が袖振る(額田王)
 紫草のにほえる妹を憎くあらば人妻ゆえに吾恋ひめやも(大海皇子)

天武天皇(中大兄皇子)が遊猟したときに皇太子大海皇子が従ったときのやり取りである。前歌を詠い終えて、額田は長い間心は落ち着かなかった。井上の大胆な意訳に加えて、次のような解釈をつけている。「大海皇子の自分に対する求愛を詠いそしてまたそれを自分の方も憎からず思っている、といった調子に整えていながら、実はそれが、これを呈する天皇への愛の歌になっていたからである」。

後歌は、一座には大海皇子がそれに対するたわむれの恋歌であったように見えるが、額田は違った見方をしていた。「大海皇子は天智天皇に聞かせると共に、額田にも聞かせるために、この歌を作っていた」「たわむれを装った中にちゃんと本心をいっていることは、あなただけにはわかっている筈だ」。2首の恋愛贈答歌の中には、一人の女性を挟んだ兄弟の確執が見え隠れしている。この時は天智天皇が即位した直後のことであるから、その権威は光り輝いていたであろう。井上の小説は、この危ういシーンを詠み手の心のひだを折りたたむように、丁寧に描いている。

額田が問いかけたものは何だろうか。私はこの小説を読み終えた後、もう一度上記の歌を読み返してみた。気づいたのは、額田をめぐる3つのありようについてであった。神の声を聞くという采女(うねめ)としての存在と2人の兄弟から寵を受けていたことに苦悩する人間的存在、そして2人の間に絶妙なバランスを取りながら自由な存在でありつづけたという強い意志、奔放さである。簡単には答えが出ないことに対してその複雑さをきちんと受けとめて生きた人の深さでもあった。

『額田女王』は文庫本600ページ余にわたる大著だが、額田に関する史料は「日本書紀」のたった1行と「万葉集」に収録された十二首の長歌・短歌のみである。限られた手がかりを素材として、大化の改新から壬申の乱にかけて繰り返された遷都、度重なる火災、巷に流れる街の男女のうわさなどを織り交ぜながら、神の声を聞き続けた宮廷歌人の人生をものした井上の手腕に敬服する。『新版万葉集 1』(伊藤博訳注/角川文庫)と『万葉秀歌 上』(斉藤茂吉著/岩波新書)を手元に置きながら読み進めた『額田女王』は、私にとって古代の魔性との出会いだった。

(注)万葉集では「額田王」と書かれているが、井上の小説は「額田女王」としている。


# by hasiru123 | 2020-03-16 06:22 |

今日は、東京五輪マラソン男女代表の残り1枠を決める最終選考会が行われた。2本ともビデオに収録して見たが、熱気が冷めやらないうちに名古屋国際女子について書いてみたい。

低温と降雨という気象条件の中で始まったが、一山麻緒の快走で3人目の代表を射止めた。五輪代表となるためには、1月の大阪国際女子で優勝した松田瑞生の2時間21分49秒をクリアして、日本人トップとなることだった。該当者なしの場合には、松田が代表となる。順位とタイムの両方を追う大変な戦いだ。

30キロまではペースメーカーが刻む1キロ3分20秒前後のラップにうまく乗って、30キロ以降ペースアップして2位以下を大きく引き離してゴール。30キロでは大阪国際の松田の記録を39秒上オーバーしていたが、35キロで松田に並んだ。その後もペースを落とすことなく、2時間20分29秒でゴール。勝因は、30キロまで安定したペースを維持して、終盤にペースアップする余力を持っていたことが挙げられる。

今夜のNHKテレビ「サンデースポーツ」の中で、増田明美さんは一山を取材して「調子が良過ぎる位いい」とスタート前に語っていたが、それが本当になった。好調さを勝利に導くことも実力の証しである。前のめりになることなく後半まで力をためることができたのが成功の要因だった。

1キロ3分20秒ペースを5キロにすると16分40秒になる。25キロまでの5キロラップは16分37秒から16分53秒だったが、いったんは25キロから30キロまでの5キロラップが17分1秒まで落ちた。だが、29キロからのペースアップが際立っていた。30キロから32キロまでの1キロラップが3分14秒、32キロが3分10秒まで上がった。35キロまでの5キロラップは16分14秒だった。

一山のペースアップを見ていて、アテネ五輪国内選考会だった2004年1月の大阪国際女子を思い出した。天満屋(当時)の坂本直子が30キロから35キロまでの5キロラップを15分台に上げてそのハイペースで逃げ切り、五輪の切符を手繰り寄せる初優勝を果たしたことがあった。その時のラップは、現在でも女子マラソン日本人歴代最速の15分47秒というものである。

いずれも後半の果敢なギアチェンジが五輪への大きな決め手となったが、タイムが求められていたからこそだと思う。最後の選考レースが選手の能力を引き出したともいえる。 一山は昨年9月のMGCでは、序盤でレースを引っ張ったものの中盤から失速し、6位に終わった。そこから半年、見事に立ち直り、五輪代表選手の中で最速のランナーに成長した。


# by hasiru123 | 2020-03-08 23:41 | マラソン

東京からびわ湖へ

これまでのマラソンの五輪代表選考では、順位と記録の条件が設定されている場合が多かった。今回の男女の1枠を争うファイナルチャレンジでも、基本は記録と順位である。しかし、男子については「2時間5分49秒」という日本記録をクリアすることが求められていて、高いレベルの条件が敷かれていた。

東京マラソンでは、大迫傑がその困難な壁を見事にクリアした。大迫は23キロ付近からペースが落ちて先頭集団から離れかけたが、再びペースアップして32キロを過ぎたあたりから井上大仁の集団に追いつき、日本勢の先頭に立った。相撲でいえばと徳俵で残って押し返したといえるだろう。最後まであきらめない粘りと冷静な判断で五輪代表の座を大きく引き寄せた。2時間5分29秒と、自身の持つ日本記録を21秒更新した。

今大会の収穫は、大迫の記録だけではない。日本歴代10傑に4人、20傑に9人の選手が入ったことだ。特に高久龍は2時間6分45秒で8位入賞、上門大祐は2時間6分54秒で9位に入り、これまでの自己記録を大幅に更新した。少しだけ、世界に近づいたと感じさせるレースだった。

さて、男子のファイナルチャレンジは明日のびわ湖毎日マラソンが最後となる。東京の好記録ラッシュの勢いを、ぜひびわ湖に持っていってほしい。今回出場する日本人選手の上位陣は2時間8分から10分台だ。先頭集団のペースに乗せて、日本記録に近いところまで狙って行けば面白い展開となるだろう。

気になるのは、ペースメーカーがどのくらいのラップを予定しているかだ。14分50秒から55秒位で刻んでもらえると、日本記録も夢ではない。そんな期待を抱かせるような戦いになれば、五輪後が見えてくる。午前の天気は雨との予報が出ているが、小雨であってほしい。そして、びわ湖のコースは午前の方が午後より風が穏やかな傾向があることから、午前開催に変更された。湖岸に吹きつける北西の風が微風であってくれることを願う。


# by hasiru123 | 2020-03-07 18:12 | マラソン

今年の東京マラソンは、例年になくエキサイティングなレースになりそうだ。3月のびわ湖毎日マラソンと並んで東京五輪の3枠目を争う大会だが、これまでの五輪代表選考レースと大きく異なるのは、日本陸連の設定記録である2時間5分49秒を突破した最速選手が出場権を得るという点である。

この設定記録は日本記録にあたり、しかも複数選手が突破した場合にはその上位者というとてもハイレベルのものだ。選考方法は明確である。そして、該当者がいない場合は昨年9月のMGCで3位に入った大迫傑がそのまま代表になる。

五輪への対応ということを考えると、この「3人目」の代表はとても重要な位置を占めるような気がする。それは、戦後五輪の日本男子マラソンで上位入賞を果たした時のことを思い出すからである。

1964年の東京五輪では、トラックでの出場を目指していた円谷幸吉が同年のびわ湖毎日マラソンで君原健二に次いで2位に入ったことから3人目の代表となって出場し、3位に入った。また、68年のメキシコ五輪では、君原は宇佐美彰朗、佐々木精一郎に次ぐ3人目の候補として采谷義秋と争い、難航の末選ばれ、2位。92年のバルセロナ五輪では、森下光一が谷口浩美と中山竹通に次ぐ3人目の代表となって、2位。戦後の五輪で3位以内に入ったのは、この3回だけである。

このように3番目に名乗りを上げ、期待も3番目と言われていた選手が活躍している。東京マラソンは序盤に大きな下りがあって、終盤のアップダウンが少ないことから記録が出やすいとされる。MGCで2位以内に入れなかった有力選手の多くが集まる中でどんなレース展開になるか、期待が膨らむ。

後は、当日がぜひ良好な気象コンデションで迎えられることを願う。


# by hasiru123 | 2020-02-27 18:31 | マラソン