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コロナウイルスから未来の希望へ

ニューヨーク州では、最初の新型コロナウイルス感染者が確認されたのが今年3月1日だった。状況が一変したのは3月中旬になってから。同市にあるモンテフィオーレ病院で最初の感染者が確認されたのは3月11日。それからの1か月半は、想像をはるかに越える壮絶な闘いとなったと、アルバートアインシュタイン医科大学助教授のコルビン大塚麻衣さんは語っている(6月23日のNHK「視点・論点/新型コロナウイルス 今 ニューヨークは」から)。


2週間で新型コロナの入院患者数は200人以上に増え、更にその2週間後には1000人程にまで急増したという。新たなICUを短期間にいくつも増設し、隣の小児病院の病棟の一部もICUとして使ったが、それでも追いつかない。会議室をカーテンで仕切って病室として使ったり、それでも入院できたのは重症患者だけで、軽症患者を受け入れる余裕はなかった。感染防護具も不足し、N95のマスクは1週間近く使い続けた。人工呼吸器は20台、30台単位で何度も買い足し、何とかゼロになる事態は避けられた。


今回の経験を活かし、医療体制の充実の必要性、そして医療崩壊だけは絶対に避けなくてはいけないと訴えている。


流行の速度が速いと、それだけ強毒のウイルスが選択される可能性が高まり、重症化しやすいと言われている。だから、流行の速度を少しでも遅くすることは重要だ。6月下旬から、首都圏での感染者数が再び増加に転じた。私たちにとって、やってくると言われる第2波を緩やかなものにすることが喫緊の課題である。


これからしばらく(むしろ「長い間」と書いた方がいいかもしれないが)、コロナウイルスと共存していかなければならないだろう。ただ恐れるだけではなく、それが未来の希望へとつながるものでなくてはならない。私は、大塚さんが最後に話しておられた次の言葉に、そのヒントが隠されているように思えた。


「一部の地域(たぶんニューヨーク州=森脇注)では、メンタルヘルスの観点や一人で住む高齢の方を安全にサポートする方法として、家にこもって社会との関係を断ち切った生活を送るのではなく、「バブル」といって、共通のルールを守る小さいグループを作り、社会性を保つ方法も模索されています」


私が住んでいる町のオレンジカフェが中断してから早や5か月になる。周りの人たちのお知恵を拝借しながら、再開の道を探りたい。


# by hasiru123 | 2020-07-03 20:51 | 話題  

『アサヒカメラ』が休刊

アサヒカメラ 2020年7月号

アサヒカメラ編集部/朝日新聞出版

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94年という長きにわたって発行し続けてきた『アサヒカメラ』が今月20日発売の7月号をもって休刊となった。月例コンテストの場がまた一つ消えた。カメラ雑誌を毎月購読してきたものにとってとても寂しいことである。


私の場合は、これまで風景写真をテーマにした特集を組んでいる雑誌を毎月1誌選んで買っていた。具体的に言うと、同誌と『日本カメラ』、『風景写真』などである。特に同誌は、写真の基本に立ち返った記事が多く、食いつくように(というと少しオーバーな表現かもしれないが)読んできた。


最近の特集で印象に残っているのは「とっておきの夏の風景」(昨年7月号)、「紅葉と秋の風景を撮る」(同10月号)、「写真は足で撮れ!」(20年5月号)、「いまこそ、フィルム!」(同6月号)である。また、紅葉と桜の季節には2誌を併読することもあった。


同誌のウエブサイトによると「コロナ禍による広告費の激減により、誠に残念ではありますが、これ以上維持していくことが困難となりました」とある。スマートフォンの普及が進み、だれでもどこでも簡単に写真が撮れるようになった。また、デジタルカメラの主流がミラーレス機に移りつつある現在、これからの市場の行方をさらに追ってほしかった。


さらに追い打ちをかけたのが、コロナにより卒業式や入学式、旅行等のイベントでシャッターを切る機会が奪われたことだ。購読者や広告主にとって、大きな痛手であったにちがいない。ただし、出版業界が落ち込む中で、同誌の発行部数は直近では対前年を超えているというデータもある(日本雑誌協会発表)。


最終号は1週間足らずでほとんどの書店で品切れになったそうだ。私も、まだ手に取ることができていない。もう少し耐えることができなかったのだろうかと、残念である。


# by hasiru123 | 2020-06-28 23:38 | 話題  

プロ野球開幕 今年も目が離せない熱戦を

「逢わでぞ恋は添うものを」


世阿弥の傑作の一つ、『班女』のくだりである。会えぬがゆえに募る、恋慕の情を吐露したものだ。そんな言葉がふと口をついて出るような昨日の試合だった。


新型コロナウイルスの影響で3か月遅れでプロ野球が開幕した。選手も野球ファンもこの日を待ち望んでいたに違いない。無観客試合でのスタートは残念だが、まずは開幕を迎えられたこと喜びたい。


横浜スタジアムのDeNA-広島戦などのナイター6試合でシーズンが始まった。横浜と神宮は大雨の中での試合となったが、いずれも最後までどちらが勝つかわからない、手に汗を握る戦いだった。


今シーズンは選手らの感染リスクを防止するため、試合数をこれまでの143から120に減らし、セ・パ両リーグの交流戦やオールスター戦を行わない。セ・リーグはクライマックスシリーズも中止する。また、移動を減らすために変則日程となった。セリーグは当面、できるだけ東西に分けて集中開催とし、パリーグは開幕カードを除いて同一カード6連戦が続く。


そして、広島と阪神は開幕後4カード連続でビジターゲームとなる。間に休養日があるものの、12試合は相手チームの球場で戦うことになる。ということは、ちょっとしたキャンプや合宿のようなものだ。あるいは、高校野球で甲子園が使えない期間の阪神の長期ロード近いと言っていいかもしれない。長いホテル暮らしとなるので、選手の体調管理にはことのほか気をつけてほしいと思う。


昨年の広島は、ここというところで抑えの投手陣が踏ん張れず星を落とすケースが目立った。今年は、ドラフト1位で森下暢仁投手らが加入し、投打とも力をつけて層が厚くなった。そして、18年間広島で投手として活躍した佐々岡真司氏が監督に就任した。ぜひ、ペナントレースを制して日本一を果たしてほしい。


# by hasiru123 | 2020-06-20 19:26 | 話題  

もうひとつの非常事態

脱プラスチックへの挑戦 持続可能な地球と世界ビジネスの潮流

堅達 京子,BS1スペシャル取材班/山と渓谷社

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私たちは20世紀になって、プラスチックという化石燃料から作られるを便利な商品を手に入れた。プラスチックは、大量生産、大量消費の現代文明の象徴。今やこうした文明そのものを、急速に「循環型」で「脱炭素」の経済に作り変えていかなければ、この地球が持たないほどに温暖化が加速している。


2015年パリ協定では、気候変動の危機を回避するための努力目標に「世界の平均気温の上昇を産業革命前と比べて1.5度未満に抑える」ことを掲げた。残念なことに、日本はこの協定へは参加していない。日本はいま、1人あたりのプラスチック容器包装の廃棄量は米国に次いで世界2位である。プラスチック文明からの脱却もその重要な一歩のはずなのに。「さあ、どうしましょう」というのが『脱プラスチックへの挑戦 持続可能な地球と世界ビジネスの潮流』のテーマである。


本書は、NHK・BS1スペシャル番組を書籍化したものである。序章のタイトルは「なぜストローは紙になったのか」。今、世界はストローやレジ袋の禁止など、使い捨てのプラスチックをやめようという動きが加速している。世界の海に広がったプラスチックごみ問題と、国と企業を巻き込んだ世界の取り組み、気候危機を回避する方策や、日本企業のビジネスとしての取り組みについても詳しく紹介している。


本書の帯にはこんなコピーが書かれていた。「あなたは毎週5グラムのプラスチックを食べている」。WWF(世界自然保護基金)の報告によると、現在世界中の人々は、毎週クレジットカード1枚に相当する5グラムのマイクロプラスチックを摂取している可能性があるとのことだ。じつは、ペットボトル入りの飲料水や水道水、食卓塩などからもマイクロプラスチックが検出されている。マイクロプラスチックは、私たちが思っている以上の規模で、食物連鎖を通して海の生態系に取り込まれているのだ。


このままのペースでプラスチックが増え続ければ「2050年には、海の中のプラスチックの重量が、魚の重量を超える」。これは、2016年のダボス会議(世界経済フォーラムの総会)で公表された予測である。石油から作られるプラスチックは、製造時にも温暖化の原因となる二酸化炭素を排出することなどから、気候変動にも悪影響をおよぼしている。プラスチック問題の本質は、”地球の限界”と深く結びついていて、地球温暖化や気候変動の問題と密接にかかわっているという「不都合な真実」だ。


欧米では、プラスチック問題は気候変動や温暖化対策の主要なテーマだという認識がある。持続可能な地球を作っていくうえでこの2つはつながっていて、大事な問題だという危機意識がある。SDGs(持続可能な開発目標)は地球環境を考えるうえで重要なキーワードだが、何を優先し、どう行動するのか、私たち一人一人に答えが求められている。ここ数年に見られるような大きな自然災害、そして気候変動の問題も急がなければならない。本書では触れていないが、いま世界で広がる感染症も大いに関係がありそうだ。いろいろな意味で、私たちは非常事態の真っただ中にいる。


何度も出てくるくだりであるが、「人類に残された時間は多くない。これがラストチャンスであり、”いま”しかないのだ」。



# by hasiru123 | 2020-06-10 19:57 |  

無観客試合は日本のプロ野球をダメにする

プロ野球は6月19日から無観客試合で開幕することになった。


開幕を待ちわびていた野球ファンにしてみれば、遅い”球春”にひと安心という気持があるかもしれない。しかし、この前のめりともいえる日本野球機構(NPB)の判断には、首を傾げざるをえない。


問題は、無観客試合だ。何が何でも早期の開幕を、という実績作りにしか見えないのだ。選手や球団職員に給料を払うために必要だ、というのならわかるが。


これまでスタジアムに足を運べないファンは、テレビ中継やラジオ中継で野球を楽しんできた。しかし、中継されるのは6試合中一つか二つである。見られなかった(聞けなかった)試合は、あとでスポーツニュースや新聞等の報道で知るしかない。無観客試合になると、誰も観戦していない試合が半数以上あることになる。


選手の一挙手一投足を誰も見ていない試合があるなかで、果たしてプロ野球の歴史を刻むことができるのだろうか。観客の眼があるからこそ、打者は必死に投手の球を打ち、野手は打球に食らいつくのだ。目の覚めるような妙技・美技に拍手を送れない、大失策にもブーイングできない、そんな試合に選手はモチベーションを持ち続けることができるだろうか。数字に残らないプレーは疎かになり、大味で散漫な野球になりはしないかと、素人ながら心配になる。


今は無観客試合でないと実施が困難なのはよくわかる。そうであるなら、1日の試合数はテレビ中継が可能な1試合か2試位にして、どの試合でもファンの誰かがどこかで見ているという環境を作ってほしい。それがかなわなければ、一定の観客数を収容できるまで待つべきである。


日本のプロ野球は、戦後観客とともに楽しむスポーツの代表的な地位を占めてきた。昨今はサッカーを始めとする他のスポーツに押され気味であるものの、観客動員数はまだ伸び続けている。野球ファンの興味を削ぐ拙速は、何としても避けたい。


# by hasiru123 | 2020-06-07 20:45 | その他  

新しい走り方

コロナの影響で3か月余にわたる休校を余儀なくされていた埼玉県内の学校が、6月から授業を再開する見通しとなった。後戻りすることのないように、慣らし運転のようにそろりと進められたらいいと思っている。


私が所属しているランニングクラブも、6月第1日曜から練習を再開する見込みである。新年度の走り初めに先立って、独自のルールをつくってはどうかと、会員に提案をさせていただいた。というのは、緊急事態宣言解除といっても、しばらくはコロナの影響を引きずりながらのランニングになりそうだからである。足らざる点もあろうかと思うが、思いつくままに書き出してみると・・・。


〇当面は定時集合(通常は朝8時)をやめて、毎週日曜の朝7時-9時の間に三々五々集まって、各自が練習を開始し、好きな時間だけ走って、終わったら自由解散する

〇走る前と走った後には手洗いをする

〇走る前と走った後にはマスクを着用する

〇集団走は行わない

〇やむをえず複数のランナーが走るときは、最低でも5秒以上の時間差と社会的距離(2m)の2倍以上を空ける

〇コースは、集合場所の公園内での周回は行わない。また、短い距離での折り返しコースも使わない(ということは、1キロとか5キロといった長距離の折り返しコースか十分な広さを持ったブロックの周回コースなどにする)。これは、ランナー同士がすれ違ったり、歩行者や自転車とのすれ違いを極力避けるのが目的。

〇着替えのウエアやバッグを置くときは、他のランナーのものと重ならないよう距離をとる

〇マスクについて 基本は、ランニングであってもマスクの着用は必要だ。しかし、これから高温多湿の季節に入るため、熱中症防止の観点から普通のマスクの着用は無理だ。したがって、マスクをつけなくても周囲から不快に思われないような郊外を見つけて走るか、熱中症対策を講じたフェイスカバーのようなものを着用するか、ということになる(注)。

〇コミュニケーション不足について あまりぱっとしないがSNSやビデオ会議などの新しい方法で工夫する


しばらくは、これまでのような走り方は難しいだろう。というよりも、2年間くらいは小クラブの計画表に書いてあるような練習はできないのではないかと、やや悲観的に考えている。杞憂に終わればいいのだが・・・。以上が、今考えている「新しい走り方」である。


(注)私が住んでいる地域では、3月以降にわかに街中を走る人が増えてきた。親子だったり、カップルだったり、そして一人だったり。その中で、マスクを着用しているランナーは少数である。ランナーが増えるのはうれしいことだが、時と場所を考える必要がある。寺山修司の本に『書を捨てよ、町へ出よう』というのがあるが、私なら「町を出よ、郊外へ行こう」と呼びかけたい。都会に住んでいる人には、少々酷かもしれないが。

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# by hasiru123 | 2020-06-02 20:04 | 練習  

心地よい適応は悲劇の始まり 『感染症と文明-共生への道』

19世紀イギリスで起こった天然痘流行の際に、ひどい流行にもかかわらず、感染を免れた人たちがいた。流行の進展とともに、感染性をもつ人が接触する人のうち、感受性をもつ人の割合が低下する。言い換えれば、最後まで感染しなかった人は、すでに感染した人々によって守られたことになる。これを「集団免疫」と呼ぶ。この考え方はWHOが推進した天然痘根絶計画の基礎ともなった。


東日本大震災後に出版された本、山本太郎『感染症と文明-共生への道』(岩波新書)。著者は長崎大学熱帯医学研究所教授で、国際保健学や熱帯感染症学を専門とする研究者である。副題にある「共生への道」とはどういうものなのか? いつの時点においても、達成された適応は、決して「心地よいとはいえない」妥協の産物で、どんな適応も不完全で最終的なものではありえない。心地よい適応は、次の悲劇の始まりに過ぎないのだから、と説いている。


この世界には理想的な適応はなく、理想的な適応と見えるものも一時的なものに過ぎないということである。なかなか理解しにくいくだりではあるが、本書の核心部分である。何度も読み返したいところだ。


社会を破綻させる大きな悲劇を避けながら、小さな悲劇を最小にする。そのためにできることは「歴史に学ぶ」ことだという。単に病原体を根絶することではなく、「病原体との共生」である。感染症と人類の関係を文明発祥にさかのぼって渉猟し,文明により感染症の流行が引き起こされたこと、そして感染症により人類の歴史が大きく変えられてきたことなどが、平易に書かれている。


たとえば、第一次世界大戦中の1918年に始まった「スペイン風邪」。多くの地域では、第一波の流行より第二波の流行で致死率が高く、第三波で再び致死率が低下した。このときは戦時下で平時とは異なる体制が、流行速度の拡大に寄与したが、進行とともに免疫を獲得した人の割合が増加し、流行速度の低下、毒性の低いウイルスの選択という過程を経て、その結果第三波の被害が軽微になったといわれている。流行の速度を遅くすることが医療崩壊を防ぎ、ワクチン開発までの時間を稼ぐ、そしてウイルスの弱毒化を図ることにつなげようということだろう。


熱帯雨林の開発、地球温暖化、そして人口の増加。都市への密集、地方や世界の隅々まで発達した交通網。感染症は、それ自体に問題があるのではなく、それを受け止める社会や人間との関連が深そうだ。本書の第1章のタイトルは<文明は感染症の「ゆりかご」であった>とある。「現在(いま)を生きることに思い上がっていないだろうか」という著者の思いが世界各地の医療活動へと著者を駆り立てたエネルギーとなっている。


この本が世に出て9年になる。新型コロナウイルスの終息が見えない中で、「集団免疫」の考え方にしたがうならば、大部分の人々が感染するまでは終息には至らないということかもしれない。そうであるならば、いま私たちにできるのは再び感染症の危機が訪れたときに、今回のような大規模な外出制限を行っても大きな生活破綻をきたさない仕組みを作ることではないだろうか。


# by hasiru123 | 2020-05-26 17:44  

考えながら楽しむ野球 『野球は頭でするもんだ<完全版>上・下』

以前小ブログで紹介した本の山際淳司著『ウイニングボールを君に』というエッセイに、寺山修司が「あそこに一度、立ってみたいと思わないか?」と著者に尋ねるくだりがある。「あそこ」とはピッチャーズマウンドのこと。野球を一緒に見に行ったときのことだ。


すると山際は、「一度だけあるんですよ」と。まだ練習が始まる前で、横浜スタジアムのマウンドに立って何球か投げたことがあるそうだ。その時の印象を「ゲームがはじまると、スタンドは人の壁になる。マウンドに立つことは舞台に立つようなものかもしれない」と描写する。


一方で、プロ野球史上2人目の3冠王になり、ヤクルト監督として3度の日本一にも輝いた野村克也さんは自著の中で「ピッチャーは、音楽でいえばオーケストラの指揮者である。彼が腕を振りおろさなければ演奏は始まらないし、気のない棒の振り方をすれば、ハーモニーもリズムも乱れてしまう」と表現している(『野球は頭でするもんだ<完全版>上・下』朝日文庫)


だから、野村さんは西本(当時巨人)のように一生懸命に投げる投手に熱いエールを送る。反対に、超A級の素質があるのに格下の打者を甘く見て失敗することがよくある江川(巨人)には手厳しい。同じコースの打球を、西本が投げていたときは野手が捕ったのに、江川がマウンドにいると捕れないのだ。


それでは、野村さんが選手として生涯務めてきたキャッチャーとは何だろうか。「指揮者が棒を振るのは楽譜、つまり、キャッチャーの出したサインを見てからだ。だからキャッチャーは、譜面を描く作曲家である。・・・監督は、演奏会のいっさいをとりしきるプロデューサー」だと書いている。


名キャッチャーにして名監督だった野村さんが大事にしていたのは、たとえば塁に出たランナーがわずかに一歩でも次の塁へ近くなるようなリードをすることや、内野ゴロがとんだらキャッチャーは素早く一塁送球のカバーリングに走るような基本の徹底だった。約2年間に書いたコラムではあるが、鋭い人間観察と多彩なシーンを詰め込んだ本書から、考えながら野球を楽しむ方法を教えてもらった。


# by hasiru123 | 2020-05-23 21:09 |  

バロック音楽 生命力の再発見へ

大学に入って初めて自分で稼いだお金で買ったLPレコードは、バッハの「ブランデンブルク協奏曲」だった。なぜバッハだったかというと、そのころNHK・FM放送で「バロック音楽の楽しみ」という番組があって、ルネッサンス期からバロック期にかけての音楽を好んで聞いていたからである。中でも、6つの協奏曲からなるこの曲は私のお気に入りだった。


同番組で毎朝のようにバロックの森を誘ってくれた皆川達夫さんが、去る4月帰天された。皆川さんは、ヨーロッパを中心とした音楽史がご専門でありながら、モーツァルトやベートーベンなどの近代音楽に限らず、中世のグイレゴリオ聖歌やルネッサンス時代のパレストリーナ、そして現代の音楽に思いをはせるなど音楽の広がりを伝えてくれた。


皆川さんがことのほか関心を持っておられたのは、日本の伝統音楽や民謡にもられた日本人の音感覚と、バロック期のヨーロッパ音楽とがどうからみあうのかという、今日の私たちの音楽生活での新しい音楽のあり方だった(皆川著『バロック音楽』講談社新書)。


これも学生時代の思い出だが、「バロック音楽の楽しみ」で始めて聴いた大規模な宗教的作品にモンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」があった。冒頭から合唱とトランペットによるファンファーレが飛び出す。この時代の多彩な表現と祝祭の歓びが強く印象に残っている。その後、折に触れて2枚組の同曲のCDを聴くようになったのはこの番組のおかげである。


広くバロック音楽に接することで、バッハ以後のいわゆるクラシック音楽には見られない生命力のようなものを再発見することができた。皆川さんは、バロック音楽が演奏者の即興にゆだねられた演奏法をとることから、そこにジャズとの共通性を見出し、聴衆と一体となって演奏を展開させていったことを高く評価されていた。


コロナ禍で人々の行動が制約される中、バロック音楽が時代や国境を越えて新しい世界に踏み入れ、私たちの存在を問い直すきっかけになればと思う。


# by hasiru123 | 2020-05-14 05:49 | 芸術  

ボール・パーク 『ウイニング・ボールを君に』

近頃のプロ野球では、太陽を浴びながらゲームを見る機会が少なくなった。野球は基本的に空の下で行われるものであり、平日は観客の利便性を考えてやむを得ずナイト・ゲームで実施する、というのが少年時代からの常識だった。


いまは、プロ野球の12チーム中6チームがドーム球場(いずれも密閉式)である。日本でドームが多いのには、雨が多いことや夏の猛暑などの気象上の理由があるようだ。とはいえ、青空の中で白球を追うシーンが少なくなったことは、少し寂しい。


野球の兄貴分であるメジャーリーグではどうなのか。ネットで調べたら、30チーム中6チームがドームで、そのうち5チームが開閉式(屋根が開閉する)だった。ドームだと人工芝を使うことになって、選手がケガをしやすくなることや建設コストがかさむことなどがその理由らしい。


最近、山際淳司の『ウイニング・ボールを君に』(角川文庫)を読んでいたら、日米の野球観の違いもドーム球場の多少に関係があるような気がした。


<日本では野球場のことを「スタジアム」ということがあるが、アメリカに行くと、ちょっと違う。野球場は「ボール・パーク」である。(中略)アメリカ野球に特有の明るさが「ボール・パーク」という言葉ひとつににもあらわれているような気がする>(「胸の中を吹く風」)。


「スタジアム=競技場」と「パーク=公園」の違いは大きいかもしれない。野外で見る野球には特別の気分があるような気がする。<緑の芝生と乾いた土、その上にひかれた白い線。それらがかもしだす匂いが好きだ>と山際は書いている。


毎年5月から6月にかけては、いくつかの球団が本拠地を離れて地方球場でデーゲームを行う光景が見られる。例えば、昨年は楽天が仙台を除く東北で3試合。巨人は関東で3試合、北信越で3試合といった具合である。天気が良ければ、スタンドはきっと白一色に染まるはずだ。


# by hasiru123 | 2020-05-09 18:58 | その他  

ランナーがSTAY HOMEでできること

新型コロナウイルスの感染拡大は、ランニングの練習内容にも影響を与え、選手には先行きへの不安が広がっている。現在のような行動制限が1、2ヶ月で解除されるとは思えないが、1年も続くのは何としても避けなければならない。当たり前の日常を早く取り戻したい。そう願いつつ、そのために今できることは何か、じっくり考えたい。 

ランナーの中には、カレンダーは大会を中心に回っているという人も多いのではないだろうか。大会スケジュールに追われるのではなく、大会スケジュールを追いかけるという積極的なランナーのことだ。それが、今は叶わない。ここは我慢の時である。 

最近スポーツニュースでよく耳(目)にするのは、選手同士や選手と指導者間で、SNSなどを使ってそれぞれが自宅で情報交換したり指導を受けたりするという試みである。ややもすると日ごろは置き去りになっていた基礎トレーニングや理論的な学習ができるということで、レベルの違いを超えて幅広い種目で受け入れられているようである。

個人的なことになるが、私にも思い当たる節がある。目先の走ることだけを考えるあまり、身体の柔軟性を取り戻したり体幹を鍛えるたりすることを忘れているな、と思うようになった。お尻には筋肉の大部分を占める「大臀筋」が、そして太もも裏には「ハムストリングス」という筋肉がある。特に疲労しやすい部分なので、1日に何回と決めてストレッチを行うよう努めている。しかし、起床したらすぐにとか、走る前と後、トイレに入ったとき、入浴中、寝る前などという具合にやろうとしてもなかなか続かない。日常の生活や仕事の中で、つい忘れてしまうものである。

STAY HOMEが求められる今は、家の中で身体の基本を鍛えるチャンスでもある。また、故障を抱えている人はしっかり治すのもこういう機会だからこそできる。「当たり前の日常」ではなかなかできなかったことが、日の目を見ようとしている。

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(写真)川越キリスト教会前/川越市


# by hasiru123 | 2020-04-26 11:44 | 練習  

バックロードホーンにお帰りなさい

社会人になりたてのころ、都内のオーディオ専門店でこれまで見かけない形状のスピーカーが、歯切れのよい音を鳴らしていた。奥行きがあって、その臨場感が気に入った。加えて、箱(スピーカーユニット)が塗装されずに、木がむき出しなのだ。アンプ(プリメインアンプ)やプレーヤーの金属的な冷たさに対して、木目から伝わる暖かさがあった。

これは「バックロードホーン」といって、大きな出力を出すのが難しかった真空管アンプの時代には、劇場用としても使われていたものである。 小型でありながら、量感に富んだ低音を出すことができて、解像度が高く、ダイナミックレンジが広い。コストパフォーマンスが抜群なのだ。

ただし、特殊な用途では抜群の性能を発揮するが、汎用生に乏しく、メリットもあればデメリットもある。

メリットとしては、スピーカーのエネルギー効率がよいことにある。出力の小さい真空管アンプや小型のアンプ、小さなスピーカーでも十分な音圧や音量、パワーを実感することできる。

デメリットとしては、他のタイプのスピーカー(例えば密閉型やバスレフ型など)のように低音域がよく出るものが多く世に出されているため、大型のアンプではあまり使われないことだろう。加えて、スピーカー背部に折りたたんだホーン(管)を音道として作るため構造が複雑になり、コストが高くつく。

私の場合は、会社の先輩の手を借りて組み立てたが、それでも丸1日かけての作業だったように記憶する。長岡鉄男氏が設計したユニットにF社製のスピーカーを乗せたものだったが、先輩のアドバイスでユニットの内側に吸音材としてグラスウールを貼ったり、後からツイーターをつけるなどの手を加えた。

このバックロードホーンを最近になって、再び聴き始めた。それまではもっぱら中古のM社製の大型スピーカーを使っていた。これは、放送用のモニタースピーカーとしてそれなりの評価を受けていた物だけに、癖がなく、細やかな音出しが気に入っていたからだ。しかし、音楽ソースに合わせてわざわざ機器の裏側に回って、スピーカーとパワーアンプを繋ぐコードを差し替える作業はやりたくなかった。

ところが、昨年秋に知人にスピーカースイッチなるものを作ってもらい、バックロードホーンとM社製のスピーカーをスイッチ一つで切り替えられるようになったのだ。これで、ジャズやフィージョンなどアップテンポな曲をバックロードホーンで、クラシックはM社製で聴くというように使い分けができる。まさに、感謝感激雨あられ。

一方で、物足りない点にも気がついた。先に書いたように小型のアンプから効率よく出力することにこのスピーカー良さがあることすれば、今使っている大型アンプで2種のスピーカーを聴き比べると、どうしてもバックロードホーンの劣勢は否めない。むしろ、昔使っていた10W+10Wくらいのアンプで鳴らす方が力を発揮しそうな気がするからだ。

しかし、これはバックロードホーンのせいではない。今は素直に、「お帰りなさい」という気持ちである。

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      (写真)バックロードホーンスピーカー


# by hasiru123 | 2020-04-19 11:36 | 芸術  

ひきこもれ

2019年3月に内閣府は、自宅に半年以上閉じこもっている「ひきこもり」の40~64歳が、全国で推計61万人いるとの調査結果を発表した。7割以上が男性で、半数はひきこもり期間が7年以上だった。15~39歳の推計54万人を上回り、これがいわゆる「8050問題」(引きこもりの当事者が50代になり、親が80代になると、収入や介護の面で問題が発生する問題)とされる問題だ。

ここでいう「ひきこもり」の定義は、仕事や学校などの社会参加を避けて家にいる状態が半年以上続くことを言う。ほとんど自室や家から出ない「狭義のひきこもり」に加え、趣味の用事のときだけ外出する人も含めた「広義のひきこもり」を推計している。

調査によると、きっかけは「退職」が最多で「人間関係」「病気」が続いている。背景として、子供の頃からひきこもりの状態が続く人だったり、就職氷河期に定職につけなかったケースや定年退職により社会との接点を失うケースなどがあるらしい。

新型コロナウイルス感染症の影響による収入減少・失業等が発生しているが、このほど発令された緊急事態宣言が1カ月で解除できる保証はない。経済的な要因が早期に改善されなければ、「ひきこもり」がさらに増えるのではないかと気掛かりだ。

ところで、私は「ひきこもり」は必ずしも悪いことばかりではない、と思っている。むしろ、見方によっては密かな楽しみに置き換えることだって可能なのではないか。それは世代に関係ない。なぜかといえば、そのときの社会を他人のフィルターを通さずに「自分との関係で」見て、考え抜くいい機会だからだ。

8年前に他界した吉本隆明は『ひきこもれ』(だいわ文庫)という本の中で、こう書いている。「家に一人でこもって誰とも顔を合わせずに長い時間を過ごす。まわりからは一見無駄に見えるでしょうが、「分断されない、ひとまとまりの時間」をもつことが、どんな職業にもかならず必要なのだ(中略)一人でこもって過ごす時間こそが「価値」を生むからです」。

一人になって自分と向き合う長い時間を持つことが何をもたらすかについては、「第二の言語」という考え方で説明している。それは、「他人とコミュニケートするための言葉ではなく、自分が発して自分自身に価値をもたらすような・・・(たとえば)内臓に響いてくるような言葉」だと言う。「内臓の言葉」という、自分のためだけの言葉、他人に伝えるのは二の次である言葉の使い方があるのだ。胃がキリキリ痛んで、思わず「痛い!」と口に出てしまったとき、他人に伝えることは二の次で、自分が自分にもたらすために発した言葉の要素が強い。これは内臓の働きと関係が深く、皮膚を怪我したときと比べると鈍い。また、他人から見て、どのくらい痛いのかをうかがい知ることも難しい。ひきこもって、何かを考えて、そこで得たものは「価値」という概念にぴったりと当てはまる。もし、それがコンプレックスになっている人がいたとしたら、それは決して悪いことではない。

冒頭のような調査結果が出ると、判を押したように「支援策が必要だ」という声が上がるが、対応の仕方をじっくり考えた方がいいのではないか。家にこもっているとだらしないとか、不登校はさぼっているのではないかとか、挙句の果ては在宅勤務にすると労働者は働かなくなるのではないかなどという誤解と雰囲気が一般社会にはある。だから、ひきこもりや心身の弱った高齢者はもっと外出する機会を増やすのだと。

ちょっと待って。そんなに追い込まないでほしい。いきなり外へ出たりしたら、外の世界には成功者や偉い人ばかりがいて、とても自信をもって生きていくことができないではないか。外出などしなくても生きていける。立川談四楼三さんがどこかで言っていたが、そんな時は落語を聞くのがいい。

落語には立派な人物がまず登場しないから。ダメな人間と失敗談の宝庫だ。弱いのに酒とバクチが好きで、適当にスケベで、楽をしたがる人間のオンパレードで、失敗ばかり。それでもたくましくずうずうしく、能天気に生きている。そんな中から、心の中と外をつなぐ扉が開かれれば、しめしめ。もう、ひきこもる必要はなくなる。

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       (写真)芋掘りする子供たち


# by hasiru123 | 2020-04-11 12:19 | 話題  

歌に隠された暗号 斎藤栄『万葉集殺人事件』

家には未読の本が積み上げられていて、その中から取り出した1冊である。タロット日美子こと二階堂日美子シリーズの一つで、古典文学のタイトルを冠したシリーズの10作中(多分?)6番目にあたる作品である。

日美子の元に持ち込まれた事件は、大学の文学部教授の菱田英太郎の娘で日美子と親しい友人実那奈子からで、<悪徳の私立探偵から菱田が阿部一という人を殺害したと脅されているが、それは本当か>というものだった。

いつものように、日美子は事件に取り掛かる前に得意とするタロットでその真偽を占ってみると、真と出た。探偵の言葉がウソではないことを示しているのだ。日美子は腰をあげ、夫の二階堂警部もその後加わる。早速、日美子は菱田教授の調べを進めていくと、山上憶良について書かれた彼のエッセイからある仮説を発見する。その仮説とミステリーとが密接に絡んで事実の発見へと導いていく。

菱田教授の仮説は、こうである。

山上憶良といえば、<銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも>とか、<世の中を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば >という貧窮の歌を歌ったもので知られているが、憶良の心はほとんど現代人のそれにかわらない。明らかに新人類(懐かしい言葉だ!)の恐るべき心の動きであった。人はこれらを彼の代表作とし、マイホームタイプの歌人として評価するだろうが、特に歌としての価値は低い。一方、<すべもなく苦しくあれば出で走り去ななと思へど児らに障りぬ>は同様に子供を愛する歌のようだが、雲泥の差があり、ここには彼の孤独がある。研究の対象とし、心惹かれたのは「万葉集」という歌集ではなく山上憶良という人物だ。これからも、憶良の秘密を解き明かしたいし、憶良のように生きたい・・・。

菱田教授は、学者というより<憶良教>の信者みたいではないか。日美子は、学者という範囲を超える入れ込み具合に圧倒される。そして、<こんな人が・・・理由もなしに、人を殺すかしら>と疑問に思う。

ここから、菱田教授夫妻の過去にかかわるストリーが始まる。そして、菱田が長女の久麻子に宛てた遺言書には憶良の歌が記されていて、そこに隠された暗号がこの物語のキーとなる。

このミステリーの魅力は、何といっても菱田教授の書いた仮説の独創性と菱田夫妻の愛と憎しみが織りなす葛藤にある。そして、この憶良論は斎藤栄自身のものでもあろう。事実に迫るワクワク感と仮説を追いながら歌を読んでいく面白さ。2倍楽しませてもらったような気がする。


# by hasiru123 | 2020-04-07 18:47 |  

ランニングは「不要不急」か

さまざまの こと思ひ出す 桜かな(松尾芭蕉)

桜にはいろいろな記憶を残し、毎年春になるとその記憶を呼び起こすもののようである。特に今年の桜は、一生忘れることがないに違いない。

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写真 桜が散り始めた喜多院の境内(川越市)

ウイルス感染の終息が見通せない中で、ランナーは日々の練習に苦労されていることと思う。各地のロードレースや記録会などが軒並み中止に追い込まれ、本当に残念だ。何よりも優先すべきは、家族に絶対に感染者を出さない、走友から絶対に感染者を出さない、ということに尽きる。

こんな時期だからこそ、ランナーはぜひとも時間を有効活用していただきたい。人出のあまりない野外で、単独でじっくり走ることは、私たちの得意としていることではないだろうか。充電できるチャンスと考えたい。早期のコロナウイルス終息を願い、再びレースへの参加が楽しめる環境に戻ることを念願してやまない。

いまランナーはどんなことに気をつけて走ったらいいだろうか。以下は、私が考えていることややっていることについての覚書のようなものである。

国や多くの自治体は「不要不急」の外出を控えるよう呼び掛けている。これには2つの理由がある。1つ目は感染の拡大を防ぐということで、もうひとつは医療崩壊を防ぐためだ。そんな中で、ランニングは「不要不急」か。

健康を維持するという意味では、「不要」 には入らない。しかし、感染リスクを高めるようなランニングはやめよう。混雑していない野外で、一人で行うことは大丈夫だ(と思う)。ただし、観光スポットやお花見などで人が立ち寄るような場所は注意が必要だ。

1人ではなく、複数だったらどうか。集団走を行うときは気をつけよう。ランニングは野外で行うことから、複数であってもいわゆる「3つの密」には当てはまらない。だが人々が集まるときはいつでも、感染が広がる可能性がある。

テレビや新聞で「社会的距離」がよく言われるが、ランニングでも「社会的距離」をとる措置を講じたい。一般的には約1.8メートルと言われるが、ランニングではスピードがついているために人と人との距離が増減することや普段よりも息が荒くなることなどを考慮して、少し長めに取った方がいいだろう。並走したり人と行きかうなど人と人が重なるときは互いに横の距離を開け、スピードを落とそう。

免疫力・体力とランニングの関係についてはどうか。一般に、免疫力や体力が落ちると感染リスクが高まることが知られている。ランニングには免疫力を高めるメリットとその反対のデメリットがある。前者は、一定の負荷をかけて継続的にランニングを行うことで免疫効果を高め、運動不足解消の役割もあってプラスに働く。後者は、負荷が大きく身体的に追い込むことや激しい競走でストレスを増進するなどのケースである。グリコーゲンを枯渇させるまで走り込むようなマラソン練習は控えた方がいいが、適度なランニングは続けたい。特に今の時期は、その兼ね合いが難しい。

言うまでもないことだが、体調が少しでも悪いと感じたときは、周囲に感染させるリスクを減らすため、ランニングは控よう。

なお、米国のランニング情報サイト「RUNNER'S WORLD」で、次のような情報提供を行っているので、参考にしていただければと思う。
〇How to Run Safely Amid Coronavirus Concerns(コロナウイルスが心配される中で安全に走るには) https://www.runnersworld.com/news/a31439358/running-during-coronavirus/
〇What Runners Need to Know About Coronavirus(ランナーのためのコロナウイルス豆知識) https://www.runnersworld.com/news/a30642790/what-is-coronavirus/


# by hasiru123 | 2020-04-03 19:37 | 練習