2005年 02月 27日
『ナンバの身体論』を読む
矢野 龍彦 金田 伸夫 長谷川 智 古谷 一郎 / 光文社
『ナンバ走り』の続編とも言うべき『ナンバの身体論』が出た。「捻らず」「うねらず」「踏ん張らない」古武術の身体の動きを取り入れることで、全身を使って動くことにより、動きの効率性が高まり、動き自体が滑らかになって、身体あの局部に負担がかからなくなる、そんな効果をねらった「ナンバ的な動き」の現場報告である。「ナンバ的な動き」とは「スポーツや日常生活の中の難場を切り抜けるための動きの総称」だそうで、実際に自分の身体を動かし、また生徒たちを指導した試行錯誤の体験談になっている。
「ナンバ的な動き」の特徴について、著者は次のように説明する。一般的に、「ナンバ歩き」「ナンバ走り」とは左右同側の手足を交互に出す歩き方、走り方といわれるが、そうではない。右足が前に出る時右腕を前に出し、右半分全体が前に出ていくような動きに加えて、身体内部を器用に使い、全身を動きに参加させる。身体を捻ったり、うねったりすることが少ないので、内蔵の血流が悪くなったり、関節部分に負担がかかることなく長時間労働が可能となる。急な上り坂や階段などで疲れてきたときに、右足を上げるときに右手の平を右腿に添え、左足を上げるときに左手の平を左腿に添える歩き方である、と。ほとんどのトレーニングが筋力を付ける目的で行われているが、どうすればいまの筋力を100パーセント発揮できるかという視点で、筋肉ではなく「骨」を意識して動かすのがコツである、とも。
著者は矢野龍彦氏を始めとする桐朋高校バスケットボール部のコーチ4名である。バスケットボールに生かそうとしたきっかけは、古武術研究家の甲野義紀氏との出会いに始まる。甲野氏がボールを持つオフェンスプレーヤーの役、元トップリーグの著者がそれを守るディフェンスプレーヤーの役で練習をしたところ、簡単に抜かれてしまった。今までやったことのない動きにショックを受けたという。バスケットボール部の練習に古武術の動きを取り入れた結果、これまで東京都のベスト16までしか進めなかった進学校がインターハイ出場を勝ち取るまでに成長する。
ナンバ的な動きは、江戸時代の人々の歩き方に普通に見られていたというのが面白い。私も「洛中洛外図」などの史料でナンバ歩きの様子が描かれているのを目にしたことがあるが、特に注目するということはなかった。農業を始め宮大工や陶芸家など各分野の匠(たくみ)と呼ばれる人々は、ナンバ的動きを修業の中で身につけ、自然に行っていたらしい。それが、明治政府の政策によって「ナンバ的動き」が消え、それとは反対の西洋式の運動理論に傾いたという。
ナンバ的動きはバスケットボールに限らず、野球、陸上、ゴルフなどのスポーツや楽器の演奏など様々な活動にも落とし込みができる。2003年世界陸上で銅メダルの末続慎吾選手やマラソンの高橋尚子、孫英傑選手(中国)もそれぞれのナンバ的な動きを身につけているという。
第二章ではナンバ理論について、続く第三章ではナンバ的な動きの具体的な練習方法について述べている。肋骨と肩胛骨を含む「胸郭ボックス」を動かすことから始まり、胸郭ボックスの潰し、骨盤ボックスの潰し、全身ボックスの潰しを経て、全身のいたるところが潰れ、全身を動きに参加させる仕組みを図と写真で詳説している。「まず胸郭や骨盤を動かしてみて、その部分が動き、変形するということを自覚することが、ナンバ的な動きを行うための基本となる」。
これまでほとんど意識してこなかった胸郭ボックスを動かすということについて、まずそのしくみを頭の中でイメージすること自体がむずかしい。「『歩く』『走る』という動きは、膝の曲げ伸ばしで進む動きではない。重心の前への崩しの連続で進む」とか、「地面を引っかいていく走法よりも、地面に足を置いて後ろに押し込んでいく走法」「胸郭ボックスの前後の潰し」などの説明は、文章からでは容易に理解難いのもがある。ましてや日常生活やトレーニングの現場で実践していくことはさらにむずかしい。本書の中で繰り返し述べられているが、ナンバ的な動きをするためのマニュアルがあるわけではなく、一人一人が自分の身体と対話しながら、アプローチするしかないからだ。しかし、「自分で答えを探す」労を厭わなければ、筋力やスタミナに限界を感じていたランナーには、光明が見えてくるかもしれない。また、故障しない身体作りにも多くのヒントがありそうだ。自分の身体としっかり対話しながら、末永くランニングを楽しみたいという人にお勧めの一書である。