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カテゴリ:本( 38 )

三島由紀夫のスポーツ観

三島由紀夫スポーツ論集 (岩波文庫)

佐藤 秀明(編集)/岩波書店

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学生時代に、毎日新聞の日曜版に五木寛之の書いた「ゴキブリの歌」という連載エッセイがあった。村上豊が描いたかわいい子供や動物、風景などのの挿絵があって毎週楽しみに読んだ記憶がある。

ある日の文章の中で、よく言われる<健康な肉体に健康な精神が宿る>というのは<健康な肉体に健康な精神が宿らない>の誤りである、という趣旨のことが書かれていた。それ以降、私は<健康な精神を獲得するには必ずしも健康な肉体にこだわる必要はない>と思い込むようになった。これは私の記憶違いで、後になって文庫で読み返してみたら、「健康な肉体に健康な心を宿らしめよ」と考えられ、「健康な肉体に健康な精神をかねそなえることの至難さを、個人が嘆じた言葉のようにも受けとられる」と書いてあることに気がついた。

先ごろ、岩波文庫から出された『三島由紀夫スポーツ論集』を読んでいたら、これらの文脈とは異なる記述を見つけた。その中で、ボデービルに打ち込むうちに指導を受けたコーチの言う<生活の中に体育を>というスローガンを信じるようになったが、よく考えてみると「芸術家としてはむしろ、芸術の制作に必須な不健全な精神を強く深く保持するために、健全な肉体がいるのではないだろうか」と疑問符をつけるようになった、とある。三島はその後、肉体的自信をつけて「舌なめずりするようにスポーツの世界へ飛び込もうとし」、中でも激しいスポーツとされるボクシングに取り組むことになる。

『三島由紀夫スポーツ論集』は4つの単元に分かれている。Ⅰでは開会式に始まる東京五輪に関する取材記事が集められ、スポーツライターとしても一流の書き手であったことを知ることができる。Ⅱでは、ボデービルに始まって剣道、空手など広くスポーツについての所感でまとめられている。Ⅲでは、ボクシングについて書かれていて、トレーニングこそ長くは続かなかったが頻繁にジムへ通い、熱心な観戦者であったことがうかがえる。

Ⅳは、「太陽と鉄」という三島の思想を告白する批評文で、相当に観念的な記述が多く見られ、文学の素人にはなかなか分かりにくかった。そこに書かれていたのは、私たちが日ごろ行うスポーツは「健康」が主な目的であることが多いのに対して三島の目的は「死」であると、おぼろげながら読み取ることができた。その他のエッセイと違って、ここには三島のスポーツに対する視点(文学についてはもちろんのことだが)が詰まっていて、繰り返しの読み直しが必要であるという思いを強くした。

Ⅱの中に「円谷二尉の自刃」という一文がある。これを書いたのは円谷幸吉が自殺を遂げた4日後のことだが、その当時の一般の評価と、またその後の関係者や書き手たちの見解とは大きく異なるものだった。

「美しい見事な死」「傷つきやすい、美しい自尊心による自殺」「責任感、名誉を重んずる軍人の自尊心である」などと称えているくだりがある。また、「職業柄いくらでも手に入る拳銃を避け、女々しい毒薬を避けて、剃刀で華々しく血潮を散らして死んだ」ともあった。

歴史小説「クオ・ヴァディス」の描写に感銘を受けた三島は、この評価に酷似した記述を小説『仮面の告白』の中でこう書きつけている。中学4年に貧血症にかかったときに触れて、「拷問道具と絞首台は、血を見ないゆえに敬遠された。ピストルや鉄砲のような火薬を使って凶器は好もしくなかった。なるたけ原始的な野蛮なもの、矢、短刀、槍などが選ばれた。・・・すると私の生命の歓喜が、奥深いところから燃え上がり、はては叫びをあげ、この叫びに応えるのだった」(新潮文庫)。これは小説であるから、そのまま三島の体験ととるのは誤りである。しかし、三島にそう書かせたものと「円谷二尉の自刃」は無関係ではあるまい。

同文の最後は、「地上の人間が何をほざこうが、円谷選手は、「青空と雲」だけに属しているのである」と結んでいる。仮構の世界と現実を取り違えたとしか思えない。


by hasiru123 | 2019-07-15 19:57 |

孟子が次のように言った。「今、無名の指屈して信(の)びざる有り。疾痛して事を害するに非(あら)ざるなり。如(も)し能く之を信ばす者有らば、則ち秦楚の路を遠しとせず。指の人に若かざるが為なり。指の人に若かざるは、則ち之を悪(にく)むことを知る。心の人に若かざれは、則ち悪むことを知らず。此れを之類を知らずと謂うなり」。

これは孟子の「告子章句上」の一説である。孔子の教えを受けついで、さらに人道的な立場を貫いた孤高の哲学者である。

もしくすり指が曲がってのびないと、格別痛むとか不自由ということはなくとも、人々は遠方に出かけてでも何とかなおそうとする、と彼は言う。指が人なみでないことを恥じてそうするのだが、心の方は人なみでなくても一向平気でいる。物ごとの軽重を知らないというべきである--と。

まことに、おっしゃるとおりだと思う。しかし、「物ごとの軽重を知らない」私は、いつも悩む。走りながら、この言葉がのどに刺さった小骨のように引っかかるのだ。

膝が痛くなれば半月板を故障していないだろうかと医師の診断を仰ぎ、足の裏が少し変だと感じれば疲労骨折ではないかとレントゲンの検査を受ける。こちらの医院で診てもらった後に、もっと他にいい方法があるのではないかとあちらの病院へ行く。たいていはしばらく休養をとって様子を見れば自然に治癒することがほとんどである。

そこで、最近は故障に際して、過度に医療に寄りかからず、走りながら体が悲鳴を上げている声を静かに聞くように心がけている。30年前に読んだ『ゆっくり走れば速くなる』(ランナーズブックス)の著者で、当時日本電気ホームエレクトロニクスの監督だった佐々木功さんは「走ってケガがしたものは、走って治せ」と書いている。故障の連続で苦労したこの指導者のことばは、孟子の箴言のようにも聞こえる。
by hasiru123 | 2015-11-23 21:25 |

箱根駅伝 襷をつなぐドラマ (oneテーマ21)

酒井 政人 / KADOKAWA/角川書店


箱根駅伝の予選会が10月18日に行われ、10校のシード校に加えて、来春の本大会に出場できる上位10チームが決まった。これまで予選会は、午前中に行われて午後に録画放送されていたものが、昨年から地上波で完全生中継されるようになった。駅伝とも、ロードレースとも異なるレース展開を見る楽しみが一つ増えた。

予選会は駅伝のように各区間をタスキでつなぐ方法をとらずに、20キロを各校12名以内の選手が一斉にスタートして、上位10位までに入った選手の合計タイムで争われる。記録を見ると、今年は全部で48校642名の選手がエントリーしていた。一見するとロードレースのようだが、走り方の様相はかなり異なる。それは、多くの大学が集団走を活用しているからだ。

予選会は上位10位までに入った選手の合計タイムで競うのだから、なにも自分の大学の選手と並んで走らずに各選手のペースでベストパフォーマンスを発揮すれば、それが結果としてチーム全体の成績に反映されるのではないかと思う。

なぜ集団走なのか。「その最大のメリットは「確実性」だ。ひとりがペースメイクするだけでいいので、付いていく選手は心身ともに楽になる」と『箱根駅伝 襷をつなぐドラマ』(角川oneテーマ21)の中で酒井政人さんは書いている。

さらに「予選会では特にチーム8~10番目の選手が何位で入れるかがポイントで、ここで大きく取りこぼすと、夢舞台が遠のくことになる」「主力がもたらす数十秒の貯金(野可能性)には目をつぶり、集団走で他の選手が設定タイムから大きく遅れないようにチームをコントロールするのが、予選会のオーソドックスな戦い方になりつつある」とも解説している。力のある選手が最大の力を発揮することよりも、走力の落ちる選手を少しでも引き上げることが予選会通過のカギとなることを知った。

12名のうち2名が失速しても後の10名がしっかり走ればいいから本大会よりも楽か思いきや、そんな簡単なものではないようだ。過去に予選通過は確実と思われたチームが惨敗したケースを取り上げ、「予選会は魔物」であるとよく言われることにも納得がいく。箱根を経験し、スポーツライターとして箱根を15年間追いかけてきた経験を踏まえて、個々の学生ランナーのリアルな姿を伝えている(著者は東京農業大学で箱根駅伝を走っている)。

著者によると、箱根駅伝はビジネスとして巨大化し、さまざまな欲望と利権が渦巻き、純粋な「学生スポーツ」とはいえないという。これから新春の箱根に挑戦しようとしている多くの学生選手の取材を通して、駅伝からマラソンまでを視野に入れた日本の長距離界の将来を考えさせてくれる一冊である。
by hasiru123 | 2014-12-10 21:28 |

敗れざる者たち (1976年)

沢木 耕太郎 / 文藝春秋

スポーツを題材にしたノンフィクションを数多く残し、「私ノンフィクション」と言われる沢木耕太郎。その初期の作品に『敗れざる者たち』があり、再読した。ここに取り上げられた6つの短編は「勝負の世界に何かを賭け、喪っていった者たち」とうテーマの下に書かれたものだ。その中で3番目の作品は「長距離ランナーの遺書」。

なぜこの本を書棚から取り出したかというと、いま進行している世の中の動きと、高校時代の思い出とが偶然に出会ったからにちがいない。「いま進行している世の中の動き」とは、2020年の夏季五輪を目指す東京の招致委員会が計画書を国際オリンピック委員会(IOC)に提出したことである。なぜ再び東京なのか。東京都の猪瀬直樹知事の会見や計画書からは、読み取ることができなかった。

「高校時代の思い出」というのは、東京五輪で3位に入った円谷幸吉が亡くなって35年が経ち、厳冬期に入ったいま、それが1月だったことを思い出したからだ。間もなく埼玉県駅伝が開かれるが、円谷を初めて近くで見たのは埼玉県駅伝のゴール地点で閉会式会場でもある埼玉県庁前だった。昭和41年のことである。彼がアキレス腱や椎間板ヘルニアなどの故障に悩まされていた中で、回復の兆しがのぞいた一瞬だったのかもしれない。どの区間を走ったかは覚えていないが、そこには区間賞を取って自衛隊体育学校の同僚と談笑する光景があった。

本作品には、便箋2枚に書かれた円谷の遺書が引用されている。何度読み返しても、遺書からは死への思いつめたものは感じることができなかった。沢木は「若くして命を絶った者の、この異常なほどの自己表白のなさは、いったいどうしたことだろう」と書いている。

円谷幸吉が東京五輪後の低迷していた時期に、婚約を交わした女性がいた。自衛隊関係者などから取材する中で、彼が久留米の幹部候補生学校で訓練を受けている期間に、直接指導にあたっていた畠野コーチが北海道にとばされた事実に気がつく。それを裏付けるのは数冊のノートからだった。体育学校の上官から結婚に「待った」がかかったというのである。説得力のある仮説だと思う。しかし、沢木は「宿命が神の仕掛けた罠ではなく、彼の情熱が辿らざるをえなかった軌跡だとするなら、すべては円谷幸吉の個性に帰せられるべきである」と、その仮説に寄りかかることなく距離をおいている。

「人生に、真の「もしも」など存在しない」とした上で、仮定が許されるなら「もし、アべべの足の状態を円谷が知っていたとしたら、円谷は果たして死んだであろうか」と書いている。また、彼と同年代のランナーである君原健二が不振だった東京五輪後に失意に陥っていたときのこと。最後まで自分の決意を大事にし、結婚したことをに触れて、「私の長い競技生活も独身だったら(メキシコ大会の銀メダルが)可能だったかどうかわからない」という君原の「もしも」も引き合いに出している。

遺書を読む限りにおいては、何ともミステリアスである。自衛隊入隊時の同僚斎藤勲司は、几帳面な性格の円谷が死んだ時に下着のままの姿だったり、部屋に洗濯物がかかっていたりすることから、「本当に覚悟の上の自殺だたのか」と疑問を投げかかている。意外と「発作的に首を切ってしまった」ということもありうる。

沢木は、死の本当の原因を極めることにさほど関心を示さない。「なぜ死んだのか」と問うことは、「逆になぜあなたは生きつづけられるのか、と死者からの問い返されることでもある」と書く。

実はこの問は、解決が提示されないミステリーのようなものである。すべては読む者に投げかかられ、自由に考えるようになっている。自殺から35年たった今も思い出して、本書を手に取るのは、そのためではないだろうか。
by hasiru123 | 2013-01-13 21:48 |

アスリートたちの英語トレーニング術 (岩波ジュニア新書)

岡田 圭子 / 岩波書店


ロンドン五輪をテレビで見ていると、外国の選手たちやメディアと直接やり取りをしている日本人選手が何人かいた。選手たちは、競技を離れると選手村で過ごす時間がかなりあると思うので、英語を始めとする外国語が使えるかどうかで、世界のアスリートとつながり方に違いがありそうだ。また、陸上競技だったらコールや場内アナウンスも英語だろうから、選手の競技にも少なからず影響するだろう。

そんなアスリートのために、スポーツの話に加えて外国語を学んだときのエピソードなどを聞いて、アイディアを教えてもらおうという試みが本書である。

第1章では、外国語学習について概説している。第2章から第6章までは、国際大会で活躍した5人の日本人アスリートたちを紹介している。それぞれ章の前半部分は、アスリートの紹介、競技者としての側面などについてスポーツ記者歴25年の野村隆宏氏が、章の後半部分は、外国語学習者としての側面について英語教師歴30年の長い岡田圭子さんが担当している。

5人の日本人アスリートたちとは、水泳の鈴木大地さん、マラソンの増田明美さん、ラグビーの箕内拓郎さん、マラソンの瀬古利彦さん、レスリングの太田章さんである。これらの名だたるアスリートたちは、競技面だけでなく、外国語と格闘し、工夫してことばを身につけ、スポーツに生かしてきたことにある種の感動を覚えた。

鈴木大地さんは、これまで3度の留学体験を持ち、ハーバード大学ではゲストコーチとして、アメリカの大学生スイマーの指導にもあたった。また、勤務先の順天堂大学では「スポーツイングリッシュ」という授業を開講して、学生たちを海外への目を開いてもらうための活動に忙しい。鈴木さんのいいところは、慣れない英語でも気後れすることなく、外国人に積極的に話しかけていく姿勢だろう。「新しい友達ができるのはたのしいことだし、それが競技成績の面でもプラスになる。英語によるコミュニケーションは、鈴木選手にとって一石二鳥のことだった」とある。

鈴木さんはソウル五輪の男子100m背泳ぎの金メダリストだが、こうも語る。「スポーツは「だれが一番、だれが2番」と競ってやるものなのだけど、本来は友達を作ったり、人生を豊かにするためにある」。外国語は、競技生活だけではなく、引退後の人生にも切っても切れないもののようである。

4度の五輪代表に選ばれ、2大会連続で銀メダルを獲得した太田章さんの「格闘技と英会話は同じだ」という話は、わかりやすい比喩だった。「レスリングも、相手が繰り出す技を受け止めて、自分も技を返していく。そんなやりとりが会話に似ている」というのだ。確かに、力と力がぶつかり合う格闘技のレスリングだが、実は相手と会話をするように技をかけ合っている。こんな掛け合いのようにおしゃべりが始まれば、英語もそんなに難しいことではないのかもしれない。

太田さんはこうも語る。「レスリングも会話も同じで、1対0のシャットアウトではだめ。自分をさらけ出して、相手からも反応を引き出して、意思の疎通をすることが必要なんです」。太田流呼吸法は、英会話だけでなく、営業活動を始めとする人とのつき合い方全般に通じることだということに気がついた。

箕内拓郎さんは、大学選手権で主将としての優勝経験を持ち、卒業後英国の名門オックスフォード大学に留学するなど数々の海外での交流活動に努めてきた。

箕内さんは、直接英語に触れる機会の少ない「中高生時代に、英語の単語や文法を一生懸命勉強してきました。その後、生の英語に触れたときに、基礎を勉強しておいたことがとても役に立ちました」と語っている。中高生時代には、将来英語が生活に不可欠なものになるとは思っていなかっただろうが、頭が柔らかいときに理詰めで納得して使ったことが、オックスフォード大学に入ったときや外国人コーチとのコミュニケーションに生かされた。

著者の一人岡田さんはこう指摘する。「使う必要がないという状況は、外国語学習にとって大きな壁になります。でも、いざ使おうと思ってから勉強を始めるのでは遅いのです」。
by hasiru123 | 2012-09-02 21:23 |

長距離走者の孤独 (新潮文庫)

アラン シリトー / 新潮社


「競争をやる連中の中でも、おれひとりだけじゃないだろうか、考えることに忙しくて、走っていることも忘れてしなうなんてなんて走り方をするのは」「それにどういうわけか、競争していることを忘れ、走っていることも忘れててくてく歩きをやって行くようになると、いつも勝つことがわかっていた」。主人公のコリン・スミス少年が、走ることについて思いを語るくだりである。

レース中に、走ることに夢中になって頭の中が真っ白になったり、周りの風景がほとんど目に映らなかったりする経験はよくあることだ。ところが、スミス少年の場合はその反対なのである。クロスカントリーの代表選手として感化院の院長らから1位でゴールすることに期待をかけらる。しかし、彼がとんなに速くてもアスリートでないことは、読み取れる。

全英長距離クロスカントリー競技の大会。スミス少年は、終盤2位以下に大差をつけてゴールに飛び込もうかというところで、1位になることを拒否する。「今や観覧席では紳士淑女連中が叫び、立ち上がって、おれに早くゴールへはいれとさかんに手を振っているのが見える。「走れ! 走れ!」ときざな声でわめいてやがる。だがおれは、目も見えず耳も聞こえずまるで阿呆みたいにその場に立ったきりだ」。

感化院の院長は「誠実であれ」というが、彼はその言葉の裏にある偽善に気づいている。院長は、ボースタル・ブルーリボン賞杯がほしいだけなのだ、と。偽善者たちの作ったさまざまな規制や障壁に対する怒りと反抗に満ち満ちている。それも、「目には目を、歯には歯を」といった単純な反旗ではなく、もっとクレバーなやり方で。私は読み進みながら、この想像力巧み徹底抗戦に、思わす快哉を叫んだものである。

訳者の河野一郎氏の解説によると、著者のアラン・シリトーはイングランド中部の工業都市ノッテンガムに生まれ、作品中にも同地方の方言が随所に出てくるという。たとえば「太鼓腹で出目金の院長野郎」とか、「奴はドアの釘みたいに死んでやがるんだ」「奴はふうてんだから気がつかきゃしないだけ」といったの院長に対する当てつけの表現は、もしかしてノッテンガム方言で語られたフレーズの一部かもしれない、などと勝手に想像している。

非行少年スミスは、感化院にいながらにして大人たちの報復やいじめから遠いところに飛び出した。たまたま長距離走に長けていたという強みを発揮して。もし、いじめに遭って行き場を失ったとき、物理的にだけでなく、精神世界においても、巧みに逃げ延びる術を見つけてほしいと、この本に書いてあるような気がする。
by hasiru123 | 2012-08-26 20:12 |

『栄光の岩壁』を読む

栄光の岩壁〈上〉 (新潮文庫)

新田 次郎 / 新潮社

栄光の岩壁〈下〉 (新潮文庫)

新田 次郎 / 新潮社


芳野満彦さんが、2月5日に亡くなった。

1948年、友人と2人で冬の八ケ岳を縦走中、悪天候に遭い、遭難。友人は凍死し、自らも重い凍傷になって両足の甲から先を失った。懸命のリハビリが奏功し、登山を再開。その後、北アルプス・前穂高岳四峰の又白側正面壁の積雪期初登攀に成功するなど多くの記録をつくり、日本人として初めて欧州アルプスの3大北壁(注)を登攀した登山家として知られた。

私の知る芳野さんは、新田次郎の『栄光の岩壁』を通してだった。あらためて読み返し、最後の第4章「二つの岩壁」で息が詰まった。マッターホルン北壁の頂上までワンピッチという場面である。

「ぼくは疲れた。トップを交替してください」
広は決定的瞬間の栄光を岳彦に譲ろうとしていた。
「なにをいうんだ。ここまでずっとトップをやって来て、ここでトップを交替するって法があるか、つづけてやってくれ、な、やってくれよ」
しかし広は首を激しくふって言った。
「ぼくは疲れた。とても最後のつめをやるだけの力がない。たのむから竹井さん、トップをやってください」

パートナーの吉田広は主人公竹井岳彦の痛めた足をカバーするために、1200メートルもあるというマッターホルンの氷の壁の大部分をひとりでトップを担当した。岳彦の古傷である凍傷して切断した両足先は血に染まっていた。岳彦の頂上へ向けた執念と広のやさしさ。この二人の心の触れ合いが、伝記とは一味違う、人間味を持たせている。

岳彦はリハビリで培った類い稀な上腕の筋力もさることながら、「僅かながら、靴の先のことが足の両脇に感じ取られるような気がした」という感覚を頼りに登攀訓練を怠らなかった。うまい言葉が見つからないが、苦闘シーンの数々がドキュメンタリータッチに陥ることなく、人間のドラマとして見事に仕上がっている、といえるだろうか。

この本を読んで自分も鍛えられたかな、と思えてしまうくだりがあった。それは、厳冬期の北アルプス・徳澤園での孤独な冬ごもりである。半年間に及ぶ山小屋の管理人として務めは、社会や人々から隔絶された孤独な生活だ。徳沢園を拠点に、岳彦は岩と氷の壁に食らいついた。芳野さんもきっとここで、登頂を目指す心を鍛えられたに違いない。

私は、冬の寒さに挑む気持ちが少し前向きになった。今年の春は遅いが、早朝のランニングが、あまり苦なならくなったから。いや、これは気のせいかもしれない――。


(注)アイガー、グランド・ジョラスとマッターホルンの切り立った北壁を三大北壁と呼ぶ。
by hasiru123 | 2012-03-25 22:42 |

ラグビー・ロマン―岡仁詩とリベラル水脈 (岩波新書)

後藤 正治 / 岩波書店


この人の名前がいい。岡仁詩(おかひとし)。名前通りのスタイルをもって、選手を指導し続けた。いわゆる”岡イズム”である。

新しい戦法の創造、学生個人を主体とするチームづくり、教育的視野、そしてその底流にあったリベラリズムという思想等々、がそれである。著者は「時を超えて伝承すべきキラリと光るものが数多く宿っている」ことが執筆の動機だったと、あとがきに書いている。同志社大学ラグビーの代名詞的人物であった老ラガーマンの足跡とその水脈をたどる物語である。

同大が初めて日本選手権に出場した1981年、相手は新日鉄釜石で(釜石が)7連覇したときの3年目にあたる。実はこのとき、私はたまたま国立競技場で観戦していた。同大は1トライもできずに、3対10で敗れている。それでも、社会人選手権の覇者に対してよく食い下がった、という印象が記憶にある。

問題は、その翌年1月2日に行われた大学選手権準決勝の対明大戦である。著者をして「ひとつのジャッジが、一人の選手のその後に、また笛を吹いたレフェリーのその後にも影を落としたという意味において、それは空前の試合」と言わしめた”事件”である。後半のもみ合いの中で、同大ウイングの大島真也が反則をとられて退場となる。明大選手の顔を踏みつけたとして、レフェリーがラフプレーと判断したためだ。後に、ミスジャッジではなかったかと言われることになるが、その真偽は定かではない。「はっきりしていることはただひとつ、レフェリーがラフプレーがあったと判断したらそれはラフプレーだということである。それがラグビーの鉄則である」。

同大はこの試合を落とし、日本選手権には出場できなかった。岡(当時部長)は、ラフプレーを潔く認めたが、選手を責めることはなかった。しかし、試合後の夜に荒れた選手やOB等に対しては、ジャッジについて一切口にしないよう厳しく戒めた。その後の1年、このときだけ部長・監督の兼任を受け、汚名を晴らすべく苦しみながら、再び大学日本一に輝いている。

そして、4年後の大学選手権決勝での慶応大学との一戦。今度は、81年の対明大戦とは反対の経験もする。同大は薄氷を踏む勝利を飾るのだが、このときの終盤で慶大は逆転につながるトライを挙げあげたかと思われたが、レフェリーの笛が鳴った。「スローフォワード!」。これで同大は勝った。スローフォワードのジャッジに対しては、レフェリーのミスジャッジという声がある。

いずれの結果についても、岡へのインタビューから聞けるものは少ない。しかし、選手たちに教えようとしたことは何なのか、わかるような気がする。先の大島は、著者の取材にこう答えている。あのことがあったがゆえに人の痛みや思いやる気持ちを知るようになった、と。岡は、選手に対して指示をすることはあまりなく、選手に自主判断にゆだねる”自主ラグビー”に徹してきた。経験を通して選手自身に解釈させるのが、岡流の指導ということだろう。この話は「第6章雪辱」に出てくる。

このほかに、岡の師である星名秦との出会いやオール同志社を率いてはじめてのニュージーランド遠征での最終戦カンタベリー招待チームとの一戦、そして学費値上げ紛争での大衆団交などの物語が語られている。岡のもとから生まれたラグビー指導者は数多い。著者が形容する「柔らかな教育者」を通して、ラグビーの物語に浸ることができた。

本書が上梓された1年後(2007年)、岡は戻らぬ人となった。亡くなった翌日、第二期黄金時代にロックでキャプテンを努めた林敏之は自身のブログにはこう書いている。

<「楽しく苦しく美しく」。先生の好きな言葉でした。試合は楽しい、だけど練習は苦しい。しかし苦しい練習を乗り越えて、美しいトライが生まれる、美しい友情が生まれる。人生もまたしかりだと>
by hasiru123 | 2011-05-08 21:44 |

選手宣誓と自己本位

漱石文明論集 (岩波文庫)

夏目 漱石 / 岩波書店


「生かされている命に感謝して、全身全霊を込めてプレーすることを誓います」。

創志学園・野山慎介主将の選手宣誓は、この一言で締めくくった。ていねいで素直な言葉が印象に残る1分58秒だった。

これまでの選手宣誓は、早口のため聞き取りにくく、定型的な言葉が目立ったが、この日ものは聞く人の心に深く刻まれたのではなかったろうか。これを聞いて、先ごろ読んだ夏目漱石の「私の個人主義」(岩波文庫『漱石文明論集』)という講演を思い出した。

漱石は、ロンドン留学中に、精神的に追い込まれて悩む。日本人は西洋に追いつき追い越そうと頑張ってきたが、それはまるで外国人の猿まねで、インチキではないかと。その中で漱石は、「自己本位」ということを発見する。これは、自分さえよければ他人はどうなってもいい、という意味ではない。

「私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。彼らの何者ぞやと気概が出ました。今まで茫然(ぼうぜん)と自失していた私に、此処(ここ)に立って、この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります」

この四字によって、「著書その他の手段によって、それを成就するのを私の生涯の事業としよう」と決意する。「ああ此処(ここ)におれの進むべき道があった! 漸(ようや)く掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫びだされる時、あなたがたは初めて心を安んずる事ができるのでしょう」と、聴衆(学習院大学の学生たち)に、自信に満ちた叫びをあげたときのことを語りかけている。

漱石は「自己本位」で、作家として身を立てることを心に決めたが、人の心に響く言葉というのはこの「自己本位」によるところが大きいのではないか。先の宣誓文は、監督や野球部長らとの推敲のうえに出来上がったものだそうだが、思いは十分に伝わってきた。
by hasiru123 | 2011-03-27 23:35 |

突破する力 (青春新書インテリジェンス)

猪瀬 直樹 / 青春出版社


目の前に立ちはだかる”壁”を越えようとして戦うことを専門にしている競技がある。それは、陸上競技でいえば走り高跳びや棒高跳びに代表されるフィールド競技である。

同じフィールド競技でも、走り幅跳びなどは目に見える壁はなく、ひたすら先へと大きく飛び、その距離を競う。100m走などのトラック競技も、距離と時間との違いはあるものの、同じ性質の競技といえる。

話を戻すと、走り高跳びなどはバーの高さを越えられると考えるか、そうでないかでほぼ勝負が決するといって差支えない。たった1cmの壁がなかなかクリアできなくて、バーを落とすシーンは多い。心理的なバリアーを払拭して臨まなくてはならないという点で、難しい競技だと思う。

人が生きていくうえで、このような壁は数限りある。若い人たちが将来に向かって明るい展望が描けないという声が聞こえるなかで、東京都副知事の猪瀬直樹氏が書いたのが本書である。

各章に共通して聞こえてくるのは、これまでに体験したさまざまな世間の”壁”(=逆境)を跳ね返すための応援歌だ。希望は「ある種の孤独を抱え、徹底的に仕事と対峙した先に、ようやく見えてくる」。

どうすれば自分の(相手に負けない)武器が身につけられるのか。「それは、意外にも自分の弱点の中にヒントが隠されてい」るという。著者は子供のころから朝が苦手で、寝起きが悪かった。夜になると目が冴えてきて、頭もスッキリする。この弱点は、作家にとっては好都合で、夜に執筆できることから、いまでは最大の強みとなっている。このような弱みやコンプレックスにこそ、自分を強くする芽が潜んでいる、と書く。

「孤独を友として仕事と向き合った時間は、けっして自分を裏切らない。ギリギリまで自分を追い込めば仕事力が磨かれて、それが閉そく状況を打ち破る武器になる」として、出来合いの希望を捨てて、自分の手で希望をつくろうと呼びかける。

私は、走り高跳びは難しい競技だとはじめから決め込んでいたが、たとえパワーはなくとも集中力に優れる人にとっては、強みとなろう。挑戦する前から及び腰になっている自分に、はたと気がついた。
by hasiru123 | 2011-03-20 22:59 |