夢のマラソン

ブログトップ

カテゴリ:マラソン( 100 )

30枚目のMGC切符

3月10日に開催されたびわ湖毎日マラソン。正午時点の天候は雨。気温は11度、湿度75パーセント、北東の風0.8メートル。10キロを過ぎたあたりから、風がやや強まった。1週間前の東京マラソンほどではないにしても、この時期としては、寒さが堪えるマラソンだったようだ。

それでも、先頭集団は1キロ3分2秒前後のペースで進んだ。多少のペースの上げ下げはあったものの、ほぼ設定どおりのイーブンペースである。30キロ地点では、先頭集団が約14名で形成され、トップが1時間31分7秒で通過した。

ペースメーカーが離れてからは(30キロで止めることになっていた)、日本人選手2名が遅れだした。それでも、山本憲二(マツダ)と河合代二(トーエネック)はまだ先頭集団についている。それまでのレースが終始安定したペースで推移してきたことが挙げられよう。3名のペースメーカーには、大いに感謝したいところだ。

ぎりぎりではあったが、山本浩之(コニカミノルタ)と河合の2名が9月に開催されるMGC出場権獲得条件を突破し、駒を進めることができた。かくして、MGC切符を目指した熾烈な戦いは、近年になく見ごたえあるものだった。願わくば、6位までを占めた中東、アフリカ勢の一角に食い込む国内選手がいてほしかった。終盤まで優勝争いに絡めただけに、少し残念な気持ちでもあった。

MGC出場権がかかる大会はこれが最後だが、ファイナルではペースメーカーはいない。そのときは、記録は関係なく、30余名(多分?)のMGC出場選手たちだけの2位もしくは3位に入るための勝負になる。予想される湿度と暑さが残る中で、どう自分の得意な展開に持ち込めるかがカギとなるだろう。どんなレースになるか、今から楽しみである。


by hasiru123 | 2019-03-10 23:51 | マラソン

フェアなマラソンコース

昨日行われた東京マラソンは、冷たい雨が降りしきる中での過酷なレースになった。男女とも優勝したのはエチオピアの選手だった。厳しいコンディション下でもハイペースで乗り切れる力強さには脱帽である。また、男子の日本人トップは5位に入った堀尾謙介(中大)で、学生として初めてMGC(東京五輪の男女マラソン代表選考レース)出場権を手に入れた。

私は、今年9月15日に開催されるMGCのコースをイメージしながら、中継録画を繰り返しビデオで観戦していた。というのも、MGCも来年の東京五輪も東京マラソンのコースと重なるコースが多いため、一層の興味がそそられたからだ。映像は正面から選手を映し出す場面が多いため、選手や車から見るのとはだいぶ印象が違うだろう。それでも、街並みの様子は見て取ることができる。

MGCと五輪とでは発着点が異なるだけで、あとは変わらない。MGCの発着点が神宮外苑となるのに対して、五輪では建設中の国立競技場になる。東京の名所を走り抜け、浅草寺雷門前から後半は日本橋、銀座中央通り、増上寺や皇居前などを通過、再び神宮外苑へ戻ってフィニッシュする。

応援者が多く集まるであろうということに加えて、序盤に大きな下りがあって終盤に大きな上りがある。そしてあとはフラットという、きわめてわかりやすいコースだ。かなりきついコースかもしれないが、初めに下り、最後に上るというフェアなコースでもある。

「フェア」というのは、発着点の標高差のことである。日本陸連の公認コースに関する規則によると、「スタートとフィニッシュの2点間の標高の減少は、1/1000km、すなわち1kmあたり1mを超えてはならない」とされている。すなわち、標高差は42mまでなら許される。

ところが、東京マラソンは序盤で大きく下って、そのあとはほぼフラットなのだ。スタート地点の東京都庁とゴール地点の東京駅前・行幸通りの標高差は40m弱なので、陸連のルールには抵触しないものの、違和感を持ち続けていた。

その点では、MGCも五輪も発着点が同じなので全く問題ない。フェアなコースである。かてて加えて、最後に上りがあるというのは選手にはタフさを求められ、より熱い戦いが期待できそうだ。


by hasiru123 | 2019-03-04 20:20 | マラソン

福岡国際マラソン 服部勇馬14年ぶりの日本選手優勝

12月2日に行われた福岡国際マラソンは、黒山鎌北湖駅伝に出場した帰り道の車のラジオで後半を聴き、帰宅後にビデオで全体を見た。

服部勇馬(トヨタ自動車)が日本歴代8位の2時間7分27秒をマークし、日本人では14年ぶりの優勝を飾った。

服部のすばらしい走りは、つぎの2点に集約できよう。一つは、36キロ以降にペースアップしたときのフォームがまったく崩れることなく、リラックスして見えたことである。映像で見ていると、ペースアップを感じさせず、それまでの安定した走りが維持できていた。

もう一つは、35キロからの5キロを14分40秒のラップで刻んだことである。課題とされていた終盤の落ち込みは見事に克服できた。百点満点と言っていいだろう。

服部のレースを実際に目にしたのは、4年前の小江戸川越ハーフマラソンを走ったときのことである。川内優輝(埼玉県庁)と最後まで競り合い、2秒差でかわしたのだった。私も同大会を走り、北環状を折り返してしばらくした後にすれ違いざまに目にすることができた。長身で腰高の走りは、今回のフォームとほとんど変わることがない。ハーフマラソンの走りそのままでフルマラソンのゴールまで駆け抜けた、そんな感じである。

福岡国際だけでなく、国内の大会での日本人選手の優勝は久しぶりである。東京マラソンは2007年から始まったが、10年の藤原正和(HONDA)だけで、びわ湖毎日マラソンでは02年の武井隆次(ヱスビー食品)までさかのぼる。主催新聞社の記事で記録を確認しながらこの文章を書いているが、大会翌日の朝刊をわざわざ買い求めたというのも久しぶりの出来事だった。

世界のトップクラスと伍して戦うには、ペースが目まぐるしく上下する展開でも35キロ以降の5キロを14分の中くらいでカバーできる走力が必要ではないかと思う。もう一段のレベルアップを期待したい。


by hasiru123 | 2018-12-04 21:26 | マラソン

2018年小江戸川越ハーフマラソン

小江戸川越ハーフマラソンを走ってきた。

当地の最低気温は4.9度と、かなり冷え込んでいた。しかし、ハーフマラソンのスタートのころには7.5度と時間とともに暖かくなってきた。風は北北西で常時2から3メートルだったが、ほとんど寒いと感じることはなかった。

今回の目標は控えめに「昨年の記録を下回らないこと」においた。このところ、走るたびに記録が落ちる傾向にあったので、少しでも踏みとどまれればという思いからである。なにしろ、前回は3年前に走ったときの記録から9分も後退したしまったのである。9分を3(年)で割ると、1年間で3分落ちた計算になる。それなりに練習していて、それはないだろうと思うのだが。

今年は昨年のように蜂窩織炎を2度罹って約1か月間練習を休む、といったブランクはなかった。それにもかかわらず、練習量は昨年の8割くらい。厳密に計算したわけではないが、多分そんなところだ。走り込みの質と絶対量において、ともに不十分である。

そんな中でのスタート。約3キロの地点にある月吉陸橋を越えると繁華街へ入り、あっという間に蔵造りの街並みに出た。何人かの声援を受けて、思わずペースアップしそうになったが、努めてペースを抑えた。

5キロ地点の手前にある川越氷川神社前を通ると、巫女を始めとする神職から総出で声掛けしていただいた。また終盤には、しんがりからスタートしたゲストランナーのエリック・ワイナイナさん(シドニー五輪銀メダリスト)から肩をたたいていただき、後押ししてもらった。こういう応援があって、ゴールできたのだと思う。おかげで、昨年よりも2秒短縮することができた。感謝。



by hasiru123 | 2018-11-26 20:31 | マラソン

男子マラソンで世界記録

9月16日のベルリンマラソンで、リオ五輪チャンピオンのキプチョゲ(ケニア)が2時1分39秒というとてつもない世界記録が誕生した。これまでの記録を1分18秒も短縮し、史上初の2時間1分台に突入する快挙であった。今回の世界記録更新は4年ぶりのことである。

世界記録の更新は長いスパンで見ると、21世紀になって8回更新され、記録ラッシュと言える。過去の記録の推移を見ると、新記録が立て続けに出る時期(伸張期)と何年間も新記録が生まれない時期(停滞期)とがあることが分かる。

たとえば、ダコスタ(ブラジル)の2時間6分5秒(98年)からキプチョゲの2時間1分39秒 (2018年)までの20年間に世界記録が9回更新され、合わせて4分26秒短縮されている。この期間は、伸張期と呼んでいいだろう。

さかのぼると、60年代の記録ラッシュはさらに目覚ましく、アベベ(エチオピア)の2時間15分16秒(60年)からクレイトン(豪州)の2時間8分33秒(69年)までの10年間で、7人のランナーが8回更新し、合わせて6分43秒短縮している。

一方で、クレイトンの2時間8分33秒からドキャステラ(豪州)の2時間8分18秒(81年)までの15秒を短縮するのに12年かかっている。この期間は、停滞期と呼んでいいだろう。この時期の日本も同様の傾向で、日本記録の更新は宇佐美彰朗(70年)と宗茂(78年)の2回のみである。

いずれマラソンの世界記録が2時間を切るのは夢ではないとしても、短縮のペースがこのまま直線的に刻まれるかは分からない。むしろ、何年後かに記録の更新が足踏みすることだってあるだろう。その可能性の方がは高いのではないか。

ちなみに、世界の女子マラソンは、2003年に出したラドクリフ(英国)の2時間15分25秒を最後に15年間破られていない。

これも台風の勢力と同じように、息をしているからかもしれない。


by hasiru123 | 2018-10-06 20:33 | マラソン

暑さ指数

今年の夏は、猛暑を超えて異常ともいえる暑さである。まだ、その出口は見えていない。

最近の天気予報でよく聞かれるキーワードに、「暑さ指数(WBGT)」というのがある。熱中症を予防することを目的として1954年にアメリカで提案された指標である。

単位は気温と同じ摂氏度(℃)で示されるが、その値は気温とは異なる。暑さ指数は、人体と外気との熱のやりとり(熱収支)に着目した指標で、人体の熱収支に与える影響の大きい ①湿度、 ②日射・輻射(ふくしゃ)など周辺の熱環境、 ③気温の3つを取り入れた指標だ。以上、環境省のウエブサイトから拾った。

同サイトには、暑さ指数が28℃(厳重警戒)を超えると熱中症患者が著しく増加することを示したグラフが例示されていた。暑さ指数31℃以上は「危険」で、28~31℃は「厳重警戒」レベルだ。たとえば、今日(7月22日)の東京都内は9時で31.4℃、14時は32.0℃だった。いずれも「危険」である。

今日の14時でもっとも暑さ指数が低かった地域は、北海道の留辺蘂で14.2 ℃ だった。1日の半分くらいが「危険」にある中で生活している身からは、暑さ指数14.2 ℃という数値は想像しにくい。

暑さ指数は労働環境や運動環境の指針として有効であると認められ、ISO等で国際的に規格化されている。スポーツ団体の(公財)日本体育協会では「熱中症予防運動指針」を下記のとおり公表し、警告を発している。

温度35℃以上で暑さ指数31℃以上は「特別の場合以外は運動を中止し、特に子どもの場合は中止すべき」としている。また、温度31~35℃で暑さ指数28~31℃は「熱中症の危険性が高いので、激しい運動や持久走など体温が上昇しやすい運動は避ける。運動する場合には、頻繁に休息をとり水分・塩分の補給を行う。体力の低い人、暑さになれていない人は運動中止」としている。

そんな中で、先ごろ2020年に開催される東京五輪のマラソンで、スタート時刻を30分早めて朝7時とすると発表があった。東京の都心はヒートアイランド現象による気温上昇に加えて湿度も高く、選手及び観戦者、そして運営側のボランティアにとって過酷なレースとなりそうである。

9時はちょうど選手たちが市谷から四谷に向かう上り坂で、終盤のしのぎ合いを展開しているころだろう。ちなみに、今日9時の東京の暑さ指数では、31.4℃で「危険」だった。激しい運動や持久走を「避ける」レベルと「中止する」レベルの境界にあたる。五輪は「特別の場合」にあたるということなのだろうが、大変リスクの高い試みだと思う。

今からでも遅くはない。マラソンとロードで行われる競歩については、例外として冷涼な地に移すことを検討してはどうだろう。

札幌だと、今朝9時の暑さ指数は19.7℃で「安全」だった。選手や関係者には、「安全」なコンディションで競技を進めてほしいと願う。


by hasiru123 | 2018-07-22 20:31 | マラソン

悪条件を味方に 川内ボストンマラソンで初優勝

先のボストンマラソンで、男子は川内優輝(埼玉県庁)が2時間15分58秒で初優勝した。日本では、1987年大会で瀬古利彦が優勝して以来の快挙だ。久しくなかった日本人選手の国際大会での優勝である。

川内の最近の主要な大会は、前半から先頭集団に遅れたり、ペースの上げ下げで消耗したりで、終盤追い込むもののトップから大きく水をあけられてゴールインということが続いていた。ところが、今回ばかりは違っていた。40キロでトップを行くジョフリー・キルイ(ケニア)を抜き去り、2分以上の大差をつけたのである。

ボストンのある東海岸は春の大寒波に見舞われ、スタート時の気温は5度を下回る寒さと風雨。多くの選手たちには、早期の天候回復が待たれただろうし、悪条件の気象コンディションに戦意を失いかけた選手もいただろう。そんな中で、川内はこの気象条件を好機と見たのだ。その卓抜なチャレンジ精神に、国内のみならず、世界のランナーが勇気づけられ、励まされたことだろう。

強いマラソンランナーの証明は、記録か勝負か、という永遠の命題がある。勝負は、だれといかにしのぎを削って勝てたかということに尽きる。選手が持っている心身内面の成熟度によるところが大きいのである。そして、優勝はもっとも誇り高い選手の証でもある。

一方で、記録は走力があるだけでなく、気象条件や回りとの競り合いなどが追い風とならないとなかなか生まれにくい。たしかに、運を味方に引き寄せることができるかという外部要因が大きなポイントになる難しい挑戦といえるだろう。

しかし、今回のレースでは悪い気象条件を味方にして勝利をもぎ取ったのである。川内は、そういう意味で稀有なマラソンランナーである。


by hasiru123 | 2018-04-21 12:34 | マラソン

名古屋ウイメンズマラソン2018

久しぶりに女子マラソンのテレビ中継で、ワクワクしながら見ることができた。

「名古屋ウイメンズマラソン2018」で、初マラソンの関根花観(日本郵政グループ)は日本人最上位の3位に入った。同時にMGCの出場権も獲得した。また、2時間23分7秒は、女子の初マラソン国内歴代4位に相当するすばらしい記録であった。

関根はもともとスピードの豊かな選手で、2年前の日本選手権10000mで2位に入り、リオ五輪の代表に選ばれている。同じ所属先の先輩である鈴木亜由子に引っ張られながら、めきめきと力をつけてきた。レースの中で見せる腰高で柔軟性のあるフォームは潜在能力の高さを物語っている。

集団の中での関根の位置は30キロ近くまではトップグループにあって、終始5キロ17分前後のラップを刻んだ。ペースメーカーがいなくなってからもペースが崩れることはなかった。集団を引っ張るメスケレム・アセファ(エチオピア)が前に出たあたりからは、さすがについて行くことができなかったが、初マラソンとしてはとてもうまいレース運びをしたと思う。マラソンへの適応力は十分で、今後が楽しみな選手である。

関根はまだハーフマラソンを走ったことがないが、今朝読んだ電子版の産経新聞によると、中学時代からマラソンを目標にしていたとのことである。好きであるとはいえ、軽々と(もちろん苦しそうではあったが)30キロ以降の鬼門を乗り越えたしまった新人に脱帽である。

また、関根の先輩の鈴木が沿道で応援している様子がテレビカメラに映し出されていたが、解説者の高橋尚子さんの話では彼女もマラソンを目指して取り組んでいるという。次のシーズンには、いよいよ鈴木亜由子のデビューが見られるかもしれない。

ここで、突然ではあるが女子マラソンと関係ない話題に移る--。私事になるが、この日は日高市で開催された「日高かわせみマラソン」に出場する予定を組んでいたが、インフルエンザのために、果たすことができなかった。2年ぶりの同大会を楽しみにしていたが、大変に残念である。

インフルエンザとかぜの諸症状は似てはいるが、その実態はまったく異なる病気であることに遅ればせながら気づかされた。39度を超えるような高熱は出なかったが、激しい頭痛と脱力感が5日間続き、体力をずいぶん消耗してしまった。幸いにして食欲の減退はそれほどではなかったものの、発症から9日たった今でも完全にはもとの味覚に戻っていない。好きなコーヒーやビールもまだ飲みたいとは思わない。

あと1週間もすれば桜が開花しそうな気配である。春風に乗って走れるのは、もう少し先になりそうだ。





小さい春、みーつけた!



by hasiru123 | 2018-03-12 20:38 | マラソン

男子マラソン 16年ぶりの日本記録更新

日本選手が史上最も活躍したレースと言っていいだろう。一昨日開催された東京マラソンである。

設楽悠太(ホンダ)と井上大仁(MHPS)が高い次元で競り合った。設楽は日本記録を更新し、井上は日本歴代第4位。2人は同時に2時間6分台をたたき出した。さらに他の日本選手4人が2時間8分台、3人が2時間10分を切った。一つのレースで上限の6人がGC(グランドチャンピオン)出場権を得たのは、初めてのことだ。

このレースを見て思い出したのは、1983年2月に行われた東京国際マラソンである。78-80年の福岡国際で3連覇した瀬古利彦(ヱスビー食品)が、故障明けから久しぶりに出場した大会だった。

主な出場選手に、瀬古、宗茂、宗猛兄弟(旭化成)らがいた。そして、海外からゴメス(メキシコ)、ネディー(エチオピア)、イカンガー(タンザニア)らの強豪が出場した。終盤の赤坂見附からの上りで激しいデッドヒートが展開され、瀬古が当時の日本最高記録で優勝した。続いて宗猛も日本最高で2位に入った。日本のマラソンが一番輝いていた時代である。

今回のレースはそれに次ぐもので、日本のマラソン史に残る壮絶な戦いだったといえるだろう。しかし、先の東京国際の場合と大きく異なるのは、いま世界には今回誕生した日本記録をしのぐ外国人選手が何十名もいるということだ。時間にして、トップと3分以上の開きがある。

2時間6分54秒で3位に入った井上は、レース後のインタビューに「ただただ、あんまり思い出したくないくらいに悔しい」と、ライバルに負けた心境を語った(2月26日産経新聞)。「やられたらやり返す」とも。井上は設楽と同世代の25歳だ。ぜひ、この悔しさをバネに世界と戦える力を養ってほしい。そして、多くの選手が新しい日本記録を書き換えるべく挑んでもらいたいと願っている。


by hasiru123 | 2018-02-27 20:49 | マラソン

小江戸川越ハーフマラソン2017を走る

3年ぶりの小江戸川越ハーフマラソンを走ってきた。早朝は冷え込んだが、時間とともに気温が上がり、風もが弱かったため、この時期としてはとてもいいコンディションに恵まれた。

メインのハーフマラソンの部には男女合わせて約6,400人のランナーが出場した。この規模の大会になると、選手個人の視点で会場全体の様子を把握することは難しく、自分の行動した周囲のことくらいしかうかがい知ることができない。

私はスタート10分前に待機レーンへ入ったが、前列から数えて自分のナンバーカードにあたる位置へスムーズに入ることができた。女子は男子の右側の列へ並ぶことになっていたが、しっかりそのスペースを確保されていた。私は陸協登録者としてエントリーしたので比較的若いナンバーカードを与えられていたためかもしれないが、スタート時の周囲の混乱はほとんどなかった。

今年で8回目を数えるが、回を重ねるごとに大会運営が円滑になり、出場する選手のマナーもよくなったように感じられた。開始当初の混乱ぶりは嘘のようである。そして、4つの大学から招待選手が約80名参加するなどして、記録面でも大会のレベルを押し上げた。

さて、私のことを少し。先にも書いたとおり、大会そのものが久しぶりだったので、目標タイムは設けないで「余裕をもってゴールすること」を心がけた。じつは、直前1週間の調整練習では通常の半分程度の量しかこなすことができなかった。数日前に、右足第一指のマメが固まった後にひび割れを起こしたり、左脚の踝(くるぶし)下に軽い痛みを感じたりしたためである。

c0051032_16345322.jpg
       

   (写真)19キロ地点を走る私です(撮影:岸啓祐)

結果として、練習不足と出るか、疲労がとれて好結果をもたらすかは、走って確認することにした。後半になって、左足にマメを作ってペースが徐々に落ちていった。しかし、その分だけ身体的には余裕を残して走りきることができたといえるだろう。まずは、これといった故障なくゴールできたことにほっとしている。

3年前よりも約9分の後れを取ったが、よくがんばったと70点くらいをつけることにする。来年は、今回の結果を目標にしたい。


by hasiru123 | 2017-11-26 19:21 | マラソン