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カテゴリ:芸術( 40 )

身体を使う音楽

オーケストラとバレーダンサーの双方にかかわる指揮者は大変である。

「バレエ」というと、オーケストラは「オーケストラピット」という、ステージと客席の間に設けられた場所で演奏するのがふつうだ。そのため、オーケストラピットは客席からは見えにくい。ところが、今回見に行った(聴きに行った)「青島広志のバレエ音楽ってステキ!」(Bunkamura オーチャードホール)では、ステージの上にオーケストラもいて、同じ目線で演奏とバレエを一緒に見て楽しむことができた。

このコンサートのすばらしいところは、というかお得なところは、本物の指揮者やオーケストラに加えてバレエダンサーを生演奏で見ることができることだ。「お得」というのはクラッシックの名曲やバレエの名場面について指揮者の青島広志さんの解説をたっぷり聞きながら、リーズナブルな価格で楽しめたという意味も、ある。

そして、プログラムの後半で。この秋に熊川哲也氏が監督を務めるKバレエカンパニーによる「マダム・バタフライ」が上演されるが、それに先駆けてこの日のステージで演技の一部を見ることができた。なにしろ、世界初演とのことだ。プッチーニの名作オペラ『蝶々夫人』にヒントに創作したと聞くが、本番では悲劇のドラマをどう演出するのか、楽しみである。

つづくプログラムに、「みんなで「ボレロ」を演奏しよう!」というコーナーがあった。リコーダーやピアニカ、カスタネットなど、家にある楽器を持ち寄って、オーケストラと一緒に演奏してみようという試みである。そうか、小さな楽器を手にしている子供たちが会場に多かったのは。

「ボレロ」はスペインの伝統舞曲で、ラヴェルの舞踊のための管弦楽曲だ。バレエや最近ではフィギュアスケートでもよく使われている。「タン、タタタタタタ・・・」で始まる、テンポを極端に遅くとったあの曲だ。スネア(打楽器)がずっと同じリズムを刻みつづけ、メロディは2つのパターンの繰り返し。これを聴衆たちは、青島さんの熱血指導で最後まで手拍子でリズムをとりつづけ、オーケストラに加わった気分にさせられた。

それにしても、コンサートは聴いたり見たりするだけでなく、身体を使うとこんなにも楽しいものかと、改めて思った。


by hasiru123 | 2019-08-05 20:17 | 芸術

深まる秋の一夜を合唱で

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砂山の砂に
砂にはらばい初恋のいたみを
遠くおもい出(い)ずる日

これは、石川啄木の第1歌集『一握の砂』中の1首だ。

『一握の砂』は中学生のころに学校の図書館から借りて何度も読み返した思い出がある。冒頭の1首目にはあの有名な「東海の・・・」があるが、長らくこの場所は「東海」すなわち静岡県あたりの海岸ではないかと勝手に思い込んでいた。後で解説本を読むと、啄木の出身地の岩手県でもなく、函館(北海道)の大森浜の砂丘に腹這いながら、初恋にまつわるいたみを思い出す歌だと知った。

10月に入って、この歌に越谷達之介(こしたに・たつのすけ)が曲をつけたものを聴く機会があった。歌詞はたったの三行詩のリフレーンなのに、三つの拍子を組み合わせただけで、こんなにも広がりと起伏に富んだ旋律になるのかと深く感じ入ったものである。ソプラノ歌手の高橋美咲さんがすてきな声に乗せて歌い上げた。第13回第九の夕べin喜多院である。

その他にこの日出演したソロの歌手は、バリトンの原田勇雅さんとアルトの谷地畝晶子さん、テノールの松原陸さんの方々である。そのあとは、恒例の地元の小学生たちの合唱と、「喜多院で第九を歌う会」の皆さんによる「ベートーベン第九交響曲第4楽章歓喜の歌」を聴きながら、深まる秋の一夜を楽しんだ。

(写真上)リハーサル風景
(写真下)本番


by hasiru123 | 2018-10-17 18:44 | 芸術

この正月に見た映画から。いずれもヒトラーが絡むものだった。
『ヒトラーに屈しなかった国王』は、第二次世界大戦当時、ナチス・ドイツに抵抗し、国の運命を左右する決断を下したノルウェー国王ホーコン7世の3日間(1940年4月9日-11日)を描いた物語である。

ナチス・ドイツ軍がノルウェーに侵攻した。降伏を拒否した国王は、閣僚とともに首都オスロを離れる。ドイツ公使ブロイアーは再び降伏を要求し、ノルウェー政府に国王との謁見の場を設けるよう求めてくる。翌日、ドイツ公使と会うことになった国王は、ナチスに従うか、国を離れて抵抗を続けるか、決断を迫られる。

北欧の小国ながらナチス・ドイツに最も抵抗し続けたノルウェーにとって、歴史に残る重大な決断を下した国王ホーコン7世の運命やいかに。

ノルウェーは立憲君主制を維持しながら、対外的には中立の立場をとってきた。立憲君主制は憲法に従って君主が政治を行う制度だが、君主の権力は憲法によって制限されている。君主の地位はたぶんに形式的であり、議会や内閣が統治の中心を占める。そのためには国王といえどもドイツの支配下に組み込まれるという重大な決定を簡単に承諾するわけにはいかないのだ。

しかし、軍事的に弱小国のノルウェーが抵抗の姿勢を貫徹することは困難を極める。国民への責任を果たすには、ドイツとどう向き合えばいいのか。白旗を挙げてドイツの軍門に下るというのも、犠牲を最小に食い止めるという意味では、ありだと思う。国民視点に立ったとき、ホーコン7世の姿勢が必ずしも最適な解だったとは言えないかもしれないが、小国の運命を背負った国王の姿に凛々しさと親しみを感じた。

この映画を一面的な戦争ドラマにしなかったのは、国王の国民と政府への誠実な態度によるところが大であるが、ヒトラーの指示を伝えるドイツ公使の役回りも光っている。ノルウェーのクーデターにより誕生したクヴィスリング政権(ナチス・ドイツ寄りの新政権)を批判しつつ降伏を求めるあたりは、硬軟織り交ぜたしたたかな外交官だ。

今の日本の立憲政治と照らして考えてみるには、格好の作品だと思う。

もう一つは『否定と肯定』。ホロコーストの真実を探求するユダヤ人の女性歴史学者デボラ・F・リップシュタットと、イギリスの歴史作家で、ホロコーストはなかったとする否定論者のデイヴィッド・アーヴィングが、法廷で対決する。ノンフィクションを基に作られた映画である。

ホロコーストとは、ユダヤ人などに対してナチス・ドイツが組織的に行った大量虐殺を指す。第二次世界大戦後、二度とこのような行為を繰り返してはならないという強い意志、魂が、少なくとも欧米諸国を支えてきた。

真実を守ろうとする者は、否定論者のような存在とどのように向き合うべきなのか。無視するのがいいか、ホロコーストの生き証人に語らせるのがいいか・・・。この難しいテーマに直球勝負で挑んだのが「否定と肯定」である。

映画を見る楽しみをそぐといけないから、話の中身にはこれ以上触れないことにする。私がここで注目したのは、イギリスでは、アメリカと違い(もちろん日本とも違うが)、原告ではなく被告に立証責任がある点だった。アーヴィングがイギリスで訴えを起こした理由の一つはここにある。リップシュタットがイギリスの弁護士を雇って、この重い立証責任をどんなやり方で果たそうとするのかも大きな見どころである。

本題からそれるが、リップシュタットはイギリス滞在中も時間のある限りジョギングを欠かさないという熱心なランナーだ。弁護士から、走るルートを変えるように助言されるくだりがあるが、何事も起こらなくて安堵の胸をなでおろした。

『ヒトラーに屈しなかった国王』はノルウェー、『否定と肯定』はアメリカの作品だが、最近の日本にはこんな力の入った映画が少なくなったなあと、深く感じ入った。なお、ナチス・ドイツを巡る映画は、この他に『ユダヤ人を救った動物園 アントニーナが愛した命』と『ブルーム・オブ・イエスタディ』(いずれも未見)が上映中だ。





第2回プラチナブロガーコンテスト



by hasiru123 | 2018-01-10 20:40 | 芸術

体育の日の10月9日(月)に、「第12回第九の夕べin喜多院」が開催された。好天に恵まれ、日中の暑さが残る秋の宵であった。

早いもので、このイベントで撮影のお手伝いをさせたいただくようになってから6年になる。喜多院の境内で行うコンサートはすっかり定着し、川越市を代表する恒例の文化行事となった。朝日明実行委員長や小野澤康弘事務局長をはじめとする多くの方々のおかげである。

今回初めてステージに登場したのが、ソプラノの小村朋代さんとアルトの谷地畝晶子さん、バリトンの加耒徹さんである。テノールの松原陸さんは常連で、ロンドン留学中のところをこの演奏会のために帰国された。司会の宮寺勇さん(音楽監督・指揮者)の紹介によると、今年のオペラコンサート(モンテロッソ・アル・マーレのオペラ・コンクールと思われる)で優勝されたとのことで、「オーソレミオ」の独唱には大きな拍手が送られた。

川島容子さんと大畑莉紗さん(内海源太さんが病気のため急きょ変更となった)によるエレクトーンの演奏、4名のソリストたちの独唱、川越第一小学校の子供たちによる合唱に続いて、258名の団員による第九の演奏が行われた。

最後は、全員で「ふるさと」と「よろこびの歌」を合唱して閉演となった。なお、来年は10月8日(月)の体育の日に開催されることが決まっている。

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       第九を演奏する合唱団

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       指揮する宮寺勇さん

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       ソプラノの小村朋代さん

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       アルトの谷地畝晶子さん

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           バリトンの加耒徹さん

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       テノールの松原陸さん

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       川越第一小学校の児童合唱団

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       エレクトーンの川島容子(右)さんと大畑莉紗さん


by hasiru123 | 2017-10-12 16:16 | 芸術

桜の魅力

其所此所に群れ居る人らもの云はず静かに居ては照れる桜見る(窪田空穂)

「花見酒」という言葉があるくらい、桜には酒がつきものだ。しかし、ここでは一人ゆっくり花をめでる人たちを描写している。いつも思うのだが、花を見ているだけでもですっかり酔ってしまいそうなところを、なぜ酒が必要か、と。窪田空穂は、そこまで詠ってはいないが。

4月の第1土日で桜の撮影を計画していたが、開花状況が思わしくないため、カレンダーとにらめっこしながら日程を変更したりした。また、先週末にはあきる野市にある龍珠院や光厳寺を訪ねたが、花冷えの日が続いたためか一分咲きというところだった。

結果的に、ロケハンにウエイトをおいた撮影が多くなった。自然は、人間の都合には合わせてくれない。

そのためか、この時期いつも撮影に出かけている地元の中院でも、同じ桜に出会うことはない。だから、桜を見て飽きるということがないのかもしれない。

以下の写真は、今年撮ったものである。

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4月2日 新河岸川(埼玉県川越市)の北公民館近くで

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4月5日 日の出直後の伊佐沼(埼玉県川越市)で

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4月5日 新河岸川の水門前で

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4月8日 龍珠院(東京都あきる野市)はまだ開花したばかりだった

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4月7日 裏側から望む龍珠院

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4月14日 小川小下里分校(埼玉県比企郡小川町)


by hasiru123 | 2017-04-17 21:39 | 芸術

世界一安全な戦争とは

昨年末に見た「アイ・イン・ザ・スカイ」という映画には、「世界一安全な戦争」という副題がついていた。戦地とは隔絶された地点から、机上からミサイルやロケット弾などの攻撃を指示することかと思いきや、今の「安全な戦争」はもっと先を行っているのだと気づかされた。

英国軍の諜報機関のパウエル大佐(ヘレン・ミレン)は、米軍と共同で対テロ作戦を指揮する。英米とは比較的友好的なケニアのナイロビで発見したテロリストの隠れ家。そこに潜伏しているテロリストの動向を無人偵察機と鳥型や昆虫型の小型ドローンを使って探り、その映像が米軍基地のスティーブ・ワッツ中尉(アーロン・ポール)らがいる会議室に流れる

ナイロビの隠れ家に英国人テロリストが集結していて、自爆テロの準備が進められていることがわかる。パウエル大佐はドローン攻撃による殺害を米国・ネバダの空軍基地に指示する。しかし、小型ドローンからは隠れ家のすぐそばで現地の少女がパンを売っていることが映し出されていた。攻撃で何人の犠牲者が出るかわからない自爆テロを未然に防ぐか、それとも少女の命が失われるとわかって建物を爆破させる計画を断念するか。果たして、ここで攻撃することは是か否か。

軍人や政治家たちが、ボタンを押すことで発生する被害の責任を巡って決定をたらい回しにする様など、現代の政治をうまくあぶりだしている。 それでいて、スピード感があってスリリングだ。最後まで緊張がの糸を切らさない、うまい映画作りだと思う。

犠牲者の視点から戦争を告発する映画が数多くある中で、武力を行使する側に立ってその是非が議論されていく。どちらに与しても、問題がある。大義名分がない。この矛盾にどう挑むかがテーマである。

「あなたならどうする」と問われて、100年かけても解を出せそうにない。この重たさが「アイ・イン・ザ・スカイ」の魅力でもある。


by hasiru123 | 2017-01-01 21:10 | 芸術

乗鞍高原の秋

今年は、例年よりも早く色づいた乗鞍高原の紅葉である。

標高が約1500メートルの一ノ瀬園地ではオオカエデやまいめの池の樹林帯を前景にして、剣が峰(乗鞍山頂)方面が望めることを期待していたが、訪れた11月上旬はすでに紅葉は終わっていた。

それと引き換えに、山頂は1週間くらい前から積もった雪で、白銀の世界をのぞかせたいた。

      

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         秋映1(まいめの池)
      
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         秋映2(牛留池)
      
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             深まりゆく秋
by hasiru123 | 2016-11-11 21:02 | 芸術

川越喜多院の「第九」を聞かなければ秋が来たような気がしない。そう思う今日このごろである。

第11回を迎える「第九の夕べin喜多院」が10月2日(日)に開催された。この日は、幸いなことに台風の隙間をぬって好天に恵まれ、星を仰ぎながらのコンサートとなった。喜多院をはじめ4団体が後援し、サッポロビールをはじめ6団体が協賛・協力して行われたものである。

主催者の発表によると、合唱に参加した団員は252名とのことである。エレクトーンの演奏、4名のソリストによる独唱、児童合唱団の歌、そして後半は合唱団による第九交響曲「歓喜の歌」などが披露された。そして、最後は全員で「よろこびの歌」と「ふるさと」を合唱した。

今年も撮影を担当させていただいたが、今回はことのほか緊張の連続だった。というのは、昨年の撮影途中でカメラを三脚に固定したまま倒してしまい、カメラを壊し合唱の大部分の画像を台無しにしてしまったからである。暗がりの中で操作したためのアクシデントであった。関係者には大変なご迷惑をおかけした。

今年は、心機一転して、そしてより慎重に取り組むことに徹した。仕上がりの良しあしはさておいて、シャッターを切った約90枚を何とか提供できそうである。

以下に、その一部をご紹介する。

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                     リハーサル風景(指揮するのは宮寺勇さん)

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                   エレクトーン演奏(内海源太さんと川島容子さん)

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                   「わたしのお父さん」を歌う比留間あゆみさん

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                   「愛さずにはいられぬこの思い」を歌う松原隆さん

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「ハバネラ」を歌う城守香さん

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                   「闘牛士の歌」を歌う原田圭さん

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                   「第九」を歌う合唱団


by hasiru123 | 2016-10-03 20:26 | 芸術

2月の贈り物

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「アイスモンスター」という。蔵王山特有の気象条件と自然環境が生み出した「樹氷」のことを指す。『気象の辞典』(平凡社)によると、「過冷却雲粒が冷たい樹木や地物につぎつぎに衝突し,瞬間的に凍り、たくさんの氷の粒からなる白色不透明の氷で、あられのできかたと同じ」と解説されている。
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蔵王山の樹氷を見るのは40年ぶりのことである。ここでスキー中に複雑骨折し、それ以来スキーとは縁がなくなり、足が遠のいてしまったからである。今回は、スキーとストックをカメラと三脚に代えて再び訪ねることにした。「冬の蔵王」を象徴するのは、抽象的な形態をした白い雪の塊が幾重にも並び、奇妙な景色を造りだす雪の怪物だ。
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訪れた1日目は、紺碧の空に包まれた白銀の世界だった。午後3時ころの斜光線にもかかわらず、蔵王の光の春は目が痛いくらいにまぶしい。2月の晴天は2、3日しかないと聞いていたので、とても幸運なことだ。日没までのひと時を大切にしよう。
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翌日は打って変わって、朝から視界不良の天候となった。地蔵山に登っても何も見ることができない。夕方まで光が差すのをじっと待ったが、地吹雪が鳴りやむことはなかった。
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全国的にも、蔵王と八甲田山など限られた地域でしか見られない。今年は、2月の暖かさの影響でモンスターは小ぶりである。次に来るときは、夕日を背景にさらに大きく成長した怪物くんを撮りに来よう。
by hasiru123 | 2016-02-22 18:55 | 芸術

あるカメラ雑誌の広告に「自分がどう撮りたいのか。その意思を、正確にカメラに伝えます」という写真家のコピーがあった。その前提は、当たり前のことだが、カメラが撮る人の意思を受け止めるだけの品質を備えていないと、正確に伝えることはできない。
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撮影の途中で、突如としてカメラがシャッターをきる人の意思を拒否し始めた。10月4日(日)に行われた「第九の夕べin喜多院」でのことである。

主催者と来賓のあいさつに続いて、エレクトーンと4名のソリストたちの演奏、小学生の合唱が終わった。第九の合唱が始まるまでの間の休憩時間に、その事故が起きた。カメラを固定したままの三脚を閉じて移動しようとした瞬間に、不注意でカメラつきの三脚が倒れ、カメラのファインダーとレンズフードにひび割れが生じた。明るいところではなかったので、詳しい状況を把握することができず、写真を撮りながらしばらく様子を見ることにした。

休憩後、第九の演奏が始まった。レンズの焦点を合わせるためにシャッターを半押しするとオートフォーカス機能が働かなくなっていることに気がついた。やむをえず手動でフォーカスすることにしたが、シャッターを切っていくうちに、手動もうまく働かなくなった。

あとで、撮った写真をパソコンに取り込んで確認したところ、第九以降の写真はピントが合っていない。終盤になるにしたがってピントのずれが際立っている。露出も少しおかしい。大失敗である。

このイベントは、毎年10月に喜多院の境内をお借りして開催され、今年で10回目を迎えた。300名近い合唱団員が喜多院の慈恵堂前の階段に並んで歌う。音楽監督・指揮は宮寺勇さん(埼玉中央フィル常任指揮者)である。私は6回目から広報を担当させていただき、レンズを向けてきた。写真の編集ソフトが向上したとはいえ、今回の失態をどの程度まで回復できるか、はなはだ心もとない。
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by hasiru123 | 2015-10-08 07:50 | 芸術