1 2006年 05月 27日
自分流に利用する
ランニングクラブは共通の目標を持ったランナーの集団ではありますが、自分の求める練習環境にぴったりはまるということはむしろまれでしょう。ランニングクラブは万能選手ではないので、過度の期待は禁物です。団体としての練習頻度は、毎月1回から毎週1回というところではないかと思います。そうしますと、ランニングクラブでいっしょに練習する時間は個々のランナーにとっては、ランニング生活の中の一部にすぎません。あくまでも、一般のランナーが行う練習の大部分は個人練習です。したがって、個人練習で不足している部分を団体練習で補うというのが、実情にあった使い方ではないかと思います。 ランニングクラブとランナーの関係は、「組織に寄りかからず、少し距離をおき、自分流(自分に都合のいいように)に利用する」くらいが長続きします。私がマラソンに取り組んでいたときのことです。私の場合には、マラソンレースの3ヶ月前あたりが走りこみの佳境で、年間で最も走行距離が多い時期でした。マラソンシーズンには駅伝大会が目白押しで、私が所属しているランニングクラブでも冬期に3つの駅伝がイベントとして計画されています。そんな中で、マラソン向けの走りこみを行いつつ駅伝に出場するのはとても負担に感じました。クラブ会員でマラソンを走るのは私だけではありませんから、同じように感じた会員もきっといたことと思います。もし、マラソンを走る会員が自分の走りこみを優先して駅伝を回避したなら、ランニングクラブは活性化されないでしょう。 そこで私のとった考え方はこうです。駅伝がマラソンレースの2ヶ月前にあれば、「タイムトライアル」(注)として利用します。それまでにマラソン練習で培ってきた走力を把握することが目的です。もし駅伝がなかったとしても、この時期にはタイムトライアルを2度や3度は練習メニューに入れているはずですから、グッドタイミングです。できれば、前年の同じ駅伝に出場したときと同じ区間を走らせてもらうと比較ができるので、今後の練習計画の修正に役立ちます。また、駅伝がマラソンレースの2、3週間前でしたら、仕上げの練習に使います。できるだけ長い区間を走らせてもらうといいでしょう。あくまでもマラソンレースが目的ですから、全力で走りきるのではなく目標のマラソンペースより少し早いくらいがいいと思います。これまで長い距離の練習をやってきたので、刺激を加えるためのスピード練習という位置づけです。この場合も前年の同じ駅伝に出場していれば、同じ区間を走るのが理想的です。 マラソンレースとは直接関係なさそうなランニングクラブのイベントも、使い方次第では有効な練習手段になります。ただし、前述のケースですとマラソンに向けた「練習」が目的ですから、追い込みすぎて疲労を残さないようにもって行くこと大切です。このように、ランニングクラブは「自分流に利用する」とうまく機能し、そして気楽につきあうことができます。私は、「個人練習を基本としながらも、団体練習のメニューを自分流に合わせて利用する」という練習スタイルをお勧めします。 (注) タイムトライアル レースに似た方法で、レースペースでレースの全般またはそれに近い距離を走る方法です。気持ちはレースと同じで、実施する時間帯も本番に近いほうがいいでしょう。単独ではなかなかやりきれないので、団体練習の中で取り入れると大変効果的です。ラップタイムを正確に把握しやすいトラックや、距離計測ができているロードを使うとよいでしょう。体調や仕上がり、ペース感覚などをつかむことが目的です。 ▲
by hasiru123
| 2006-05-27 10:38
| 練習
2006年 05月 21日
ともに学ぶ
団体練習がランニング生活の中心を占める大学や実業団のアスリートでも、集団で競い合う練習ばかりしているわけではありません。団体練習から得たものを自分のものにするためには、一人で走るときに反省しながら修正し、応用していく時間が必要です。練習時間全体に占める個人練習のウエイトは、実質的には半分以上あるかもしれません。「LSDとは何か(6)」の中でも書いたとおり、持久力を養成するためには「自分との対話が大切」です。その意味では、一人で走りながら体得していく練習はとても重要です。 それでは、いつも一人で走ればよいかというと、そうともいえません。ランニングは駅伝を除いて個人種目的な要素が強いので、サッカーや野球などにくらべると「ランニングは習わなくても何とかなる」という意識が一般のランナーにはあるようです。ランニング、特にLSDのように超長距離の練習は平凡な運動の繰り返しなので、単調になりがちです。ビギナーはこの繰り返しに耐え切れないことが多く、勢い速いスピードや耐久的な練習を求めがちです。練習の苦しさはある種の快感でもありますので、達成感の獲得にもつながります。しかし、苦しさが先行する練習は長続きしません。ビギナーこそ、LSDやゆっくりしたペース走で基礎体力をつけることが必要です。そのためには、まわりに動機づけをしてくれるコーチ役の仲間がいると助かります。その方が早く、安全に、しかも安心して目標に到達できるでしょう。 個人練習と団体練習に共通して求められることがあります。それは、「ともに学ぶ」姿勢が大切であるという点です。ランニングクラブへ入って走ろうか、それとも一人で走るのがよいかと迷っている方は、健康面や体力面で現在よりも向上させたいと考えているからでしょう。この「ともに学ぶ」という延長線上で、練習のスタイルを決めるのがよいと思います。ランニング文化セミナー主宰の山中鹿次さんは『実践ランニング読本』(ランニング学会編)の中で、現在の市民ランナーはランニングブームの初期の市民ランナーにくらべて、走ることについて学ぶ意欲が欠けていると指摘しています。初期のランナーは、走友会を立ち上げ、自発的に学び、ランニングブームを盛り上げていくパイオニア精神がありました。また、ホノルルマラソンを始めとする大衆マラソンの増加で娯楽化し、ビギナーがいきなり大会に出るようになったことも影響しているようです。 市民ランナーの場合には、学生や実業団のコーチのようにつきっきりで選手を指導するということは不可能です。したがって、市民ランナーこそ自ら積極的に情報を収集し、合理的かつ科学的な練習方法を身につける行動が必要であると思います。酸素摂取水準を高める練習方法やレースを意識した栄養学の習得は、アスリートだけの専売特許ではありません。そのためには、自分に合ったランニングクラブへの参加は大変有意義なものになるでしょう。 それでは、ランニングクラブを選ぶときにはどのようなことに注意したらよいでしょうか。ポイントを6つ挙げてみました。 ①練習コースは定期的に通いやすい場所にあるか ②指導者はいるか。また、指導者は自らランニングを行っているか(必ずしもアスリートであるという意味ではない) ③同世代、同姓の仲間がいるか(偏っていないかがポイント) ④競技志向に特化していないか(いろいろな目的を持った仲間がいる方がベター) ⑤個人のレベルを考えた練習メニューになっているか ⑥会則はあるか(会則に縛られたくないという気持ちは理解できますが、会の目的や役員の 決め方などの基本的な部分はしっかりしているほうが安心) ぜひ一度、まわりに自分に合ったランニングクラブがないか、情報を収集してみてください。 ▲
by hasiru123
| 2006-05-21 13:49
| 練習
2006年 05月 17日
メリットとデメリット
ランニングを始めたばかりの人からよく受ける質問に次のようなことがあります。 「目標の大会はあるが、限られた時間を有効に使って効果を上げるにはどうしたらよいかわからない」 「友人に走友会に入って張り切っている人がいるが、なんだか厳しそうだ。入るべきか、一人で走るほうがいいか迷っている」 あるセミナーの受講者へのアンケートでは、ランニングクラブへの加入者が29%という結果がありました。セミナー受講者以外の一般市民ランナーに広げると、ランニングクラブへの加入率はさらに低くなると思います。ランニングの取り組みやすい点としては、「一人でもできる」「どこでできる」「いつでもできる」などが挙げられます。しかし、一人で出来ることには限りがあります。それでは、一人で走るのと団体で走るのとでは、どのようなメリットやデメリットがあるでしょうか。思いつくままに列挙してみました。 (1)個人練習 <メリット> ・時間や練習内容、コースなどが100%自分の都合に合わせられる ・マイペースで走れる ・そのときの体調に合わせた練習ができる <デメリット> ・練習内容がマンネリ化しやすい ・三日坊主で長続きしない ・自分のやっている練習方法や走り方ははたして正しいか (2)団体練習 <メリット> ・ランニングに関する様々な情報が得られる ・走る仲間ができる ・仲間と一緒に走ることによる楽しみがある ・同レベルもしくはワンランク上の人と競り合うことによって、走力向上に役立つ <デメリット> ・時間や日程が制約される ・練習内容が自分に向いていない ・仲間のレベルと合わない ・会則がわずらわしい ・イベント(駅伝やレースへの参加)が義務付けられるのがいや ・仲間と競い合うことによって、つい練習をやりすぎる (1)と(2)、そしてメリットとデメリットとの関係は、コインの表と裏のようにそれぞれトレードオフの関係になっています。「走る仲間はほしいが、強制されたくない。しかし、教えてほしいことがある」というように矛盾した関係です。したがって、一人で走るのと団体で走るのと、どちらがいいか、というように一律的に判断できない問題をはらんでいます。また、この問題に答えるのがランニングクラブの役割であり、存在意義でもあると思います。 ▲
by hasiru123
| 2006-05-17 23:34
| 練習
2006年 05月 04日
![]() 小泉 信三 山内 慶太 神吉 創二 / 慶應義塾大学出版会 ISBN : 4766410629 スコア選択: 日本経済新聞の読書欄に「半歩遅れの読書術」というコーナーがあります。ここで、半藤一利氏が小泉信三著『練習は不可能を可能にす』を紹介していました(2006年4月9日朝刊)。私はこの書名がすっかり気に入って、早速Amazonで取り寄せました。 「練習と人生」と題した小論があります。孔子の「学ンデ而シテ時ニ之ヲ習フ、マタ説(よろこ)バシカラズヤ」という言葉を挙げて、「・・・この練習ということによって人間の能力が高められ、不可能が可能になって行くそのことに、私は従来、格別の興味を抱いている」と書かれていました。「生まれたままの人間は、水に落ちれば溺れて死ぬ。水泳を練習したものは、ほとんど無意識に手足を動かして浮かぶ・・・さらに目の前で幼児が水に落ちて死にかけるのを、黙ってみてなければならないか、あるいは水に飛び込んで救助するか、それが出来るか、出来ないかは、これは道徳的にも非常な違いといわなければならぬ」と言っています。スポーツばかりでなく、精神的能力や学問研究の上でも、そして人生においても「練習は不可能を可能にする」。 この考え方は、小泉信三が好んで口にしていた「スポーツが与える三つの宝」のうちの一つです。スポーツを行う意義について語ったことばとして、これほど簡単明瞭な表現はないと思います。「練習の体験を持つことがスポーツの最大の恩恵である」とも言っています。「理屈でも説教でもない。ただ練習によってわれわれは不可能のことを可能になしうる」と。 第二の宝は「フェアプレーの精神を身につけること」、そして第三の宝は「練習を共にした良き友を得ること」だと言っています。これらのスポーツに関するエピソードがこの本にはたくさん詰まっています。 小泉信三は、学生時代に慶応義塾の体育会に所属してテニス選手として活躍しました。そして、教授時代には、庭球部長を務めると共に、大の野球好きで、神宮球場へ頻繁に足を運んでいたようです。また、昭和51年には野球殿堂入りを果たしています。小泉信三は必ずしも専門の競技者ではなかったかもしれませんが、それだけにこのことばは説得力を持つのです。 小泉信三は野球の守りについてこんなことを書いています。打者が立って内野ゴロを打ったとき、観衆の目は球の行方を追うが、マスクをはずし胸と膝にプロテクターをつけた捕手が一塁カバーに走る。「その多分は徒労に終わる機会のために、一塁援護に駆けだす捕手の用意と努力を多とするのである」「万一の場合の必要に応ずるためのこの用意を怠らない。これがチームワークであり、またスポーツマンの精神である」「カスミ網を張って鳥を捕るとする。鳥の引っかかるのは、網の目のただ一つにすぎない。しかし、ただ一目の網を張っても鳥は引っかからない」。この無駄がすなわちチームワークだというのです。「全員の各員があえて縁の下の力持ちを避けないことによって、初めて全員の成功がある」。これはまさしく組織におけるリスクマネジメントの基本です。 小泉信三の真骨頂を物語るエピソードはいくつもありますが、一貫して流れていたのは「良心にしたがった謙虚さとスポーツ体験に学ぶ」姿勢でしょう。一般に、小泉信三は保守的イデオロギー戦線の大黒柱であったといわれますが、運動技術に関連して「熟達者の保守主義」を戒めているのは面白いと思いました。「従来熟練工というものは、多く新技術の発生を嫉視した・・・。運動競技にもこれがあると思う。名人と称し得るほどの選手には、往々自己の修得したものに恃む余り、技術の変化を喜ばぬ傾きがある」として、軟式庭球から国際舞台で通用する硬式庭球を採用したときの一部反対した有力選手がいたことを書いています。このときの反対者の心中の懸念は杞憂煮すぎず、軟式の名手はすぐ硬球の名手になりました。「常に新しいものに対する感受性と寛容とを失わぬ人々こそ、真に尊敬を受くべきっであろう」と結んでいます。 さらに、小泉は「スタンド・プレエ」をする選手に対して「悪臭厭(いと)うべき人物」として不快感を示していました。たとえば、野球で「容易く取れば何でもない球を故さらにむつかしく、無理な姿勢をして取ったりおまけに転がって見せたり序ですでにユニフォオムを泥だらけにしたりその他すべて人目を惹こう惹こうと立振舞う」ことなどを例に挙げています。「スタンド・プレエ」をしないということは、福澤諭吉が「常に時勢の赴くところを洞察して当時の国民を指導せられたのであったが、嘗て一度も習俗の機嫌取りに類することを言われなかった」ことと通じるものがあるとも言います。もし小泉が、最近の箱根駅伝で見られるような中継所で倒れこむ選手たちを見たら、「スタンド・プレエ」ではないかと叱正したかもしれません。 この小文を書いている今日5月4日は、くしくも小泉信三の生まれた日でした。1888(明治21)年生誕~1966(昭和41)年逝去(78歳)。 ▲
by hasiru123
| 2006-05-04 10:34
| 本
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